西和賀日記555回「江川の剛速球の記憶」 | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

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奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

晴れ間がのぞき、朝の庭先にはキツネ(らしい)足跡がありました。

 

 

選抜高校野球で故郷栃木の作新学院が登場したので、テレビを見ることにしました。

 

 

史上初の春夏連覇(1962年)を成し遂げた作新学院は甲子園の強豪ですね。

僕は高校受験で作新学院に合格しましたが、学費の安い県立の宇都宮東高校に進学したんです。

高校2年の夏、わが東高は栃木県大会決勝で、あの江川卓を擁する作新学院と対戦しました。

宇都宮東高校が決勝に進出するなど、僕たちも含めて誰も想像すらしていませんでした。

作新学院は、誰もが県大会を楽に突破し甲子園でも優勝候補筆頭と思っていました。

 

 

テレビ画面を見ながら、思いは半世紀前に飛んでいました。

新沢(にいさわ)・大塚のバッテリーとはクラスメートでした。

部活の時にバッターボックスに立たせてもらったことがあります(僕はバレーボール部でしたけど)

新沢の球がうなりをあげて、たぶん手加減して135キロくらいだったと思いますが、僕はのけぞって引っくり返りました。

 

 

試合本番、江川の剛速球は新沢のストレートが緩い変化球に見えてしまうほど、ものすごかった!

地をはって勢いよく伸びあがり小倉(おぐら)捕手のミットに吸い込まれる白球の残像が今も目の奥に焼き付いています。

宇都宮東高は0-2で負けて、しかもノーヒットノーランでした。

北海道や近畿からの徹夜客も含めて、異様な雰囲気だった超満員の栃木県営本球場。

東高10期生同窓会では、その時のビデオを流して盛り上がるのです。

内野手の手塚は「オレは江川から三振しなかった」が自慢だったなぁ…。

 

 

そんなこともあって、きょうの作新学院のユニホームを懐かしく見たというわけです。

その夏休みだったか、帽子から長髪をもっこりとはみ出させて力投したエース新沢に「甲子園に行くことになったら髪は切ったか?」と聞いたら、確か「そのつもりはなかった」と言った、おぼろげながらうれしい思い出があります。 (3月22日)