西和賀日記375回「雫石の慰霊碑を見る」 | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

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奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

西和賀町の北隣は雫石町(しずくいしちょう)です。

行かねばならない場所がありました。

 

 

(つなぎ)温泉にほど近い盛岡市と雫石町の境、西安庭(にしあにわ)の山の中にある「森のしずく公園」です。

 

 

昭和46年(1971)7月30日午後2時5分ごろ、全日空の旅客機と航空自衛隊松島基地のジェット戦闘機が空中衝突し旅客機の162人全員が犠牲になった航空事故。

その慰霊碑がある場所です。

 

 

550段の階段を登ります。

僕が15歳、中学3年生の時の出来事です。

子どものころから事件や事故に興味があり、この航空事故もよく覚えています。

「雫石」の地名もその時に覚えました。

 

 

アメリカ同時多発テロの9・11を意識したわけではありませんけど、半世紀も経って、衝撃の事故現場にやっと立つことができました。

 

 

昭和50年(1975)に「慰霊の森」として整備され、令和に変わった2019年に大規模改修して令和2年(2020)に「森のしずく公園」と名称変更したそうです。

安倍晋三首相による「森の雫となりて」の碑文が慰霊碑の隣にありました。

 

 

慰霊碑には、事故を伝える文と遭難者全員の名前が刻まれています。

 

 

記帳所があり、かなりの人が訪れているようでした。

航空関係の人たちの記帳もありました。

 

 

この日も若い人たちのグループが550段を登ってきて、慰霊碑に手を合わせておりました。

 

 

北海道旅行から静岡に帰る人たちはその直前まで旅の思い出話に花を咲かせていたことでしょう。

当時は、飛行機で旅行することは特別な楽しみだったはずです。

なぜ、こんなに広い空で飛行機同士の衝突が起きてしまったのでしょう。

笑顔だったであろう人たちの命は、一瞬にして花が散るようにこの空に消えてしまったのです。

僕の中で「雫石」の名は長い間、この事故の記憶と共にありました。

「しずくいし」…こんなにいい響きの町名はなかなかないでしょう。

西和賀に住んで、より身近に感じるようになった町です。 (9月11日)