昼間は猛暑でも、日の出前は涼しくて心地よいひとときです。
和賀川に沿って浮かぶ霧が夜と朝の境に静かにたたずんでいます。
ずうっと昔から連綿と続く光景なのでしょう。
早起きのテツオさんも、毎朝このような景色に目を細めていたでしょうか。
テツオさんは僕んちの隣の人で、「動かないとな」とほぼ毎日、外で働いていました。
家の周囲や植木は整然としていて、冬の雪囲いも見惚れてしまうほど立派でした。
去年11月2日、植木に雪囲いをほどこすテツオさんです。
この時88歳。
軽い身のこなしで脚立にあがり、丸太を番線でぐいぐいと締めていくのでした。
今年6月14日には僕んちの畑づくりを見にきて、いろいろアドバイスをしてくれました。
この時、不思議な盛り土が古井戸の跡だと教えてもくれました。
話をしたことは数度しかありません。
それも立ち話でした。
豪雪地帯に住む大変さをいつも口にしていました。
旧沢内村や県道1号の今昔も語ってくれました。
お元気だったので、いつか時間をいただいて、昔の話をじっくり聴きたいと思っていました。
この夏も、いつものように朝に夕に姿があったのですが、入院したと聞いて心配していたところ、22日に亡くなったとの知らせがありました。
きょう葬儀があり、お孫さん曾孫さんのお別れの言葉や、親族や親しい人の話をうかがって、89歳(享年90)で逝ったテツオさんの人となりを感じることができました。
「沢内のじいちゃん」…なんて親しみあふれる呼び名でしょう。
青空だった暑い一日に終わりが近づき、西の空では入道雲の陰から一筋の陽光が天に向かって伸びていました。 (8月25日)