お盆に宇都宮市の実家に帰省し、Jリーグの試合を観戦しました。
たまたまJ2の栃木SC(サッカークラブ)のホームゲームがあったのです。
昨年秋の栃木国体のために新設されたカンセキスタジアムに初めて行きました。
すごいなぁ。
写真はバックスタンド。
栃木SCがアマチュア時代からJリーグ昇格まで10年くらい取材で関わっておりました。
試合開始1時間くらい前は、ここからは遠い栃木県グリーンスタジアムという当時のホームグラウンドの記者室でカメラの点検をしていたことを思い出します。
あのころも今に負けないサポーターの力強い応援がありました。
サポーターは12番目の選手という通り、11 人の選手たちを鼓舞し走らせ勇気を与える存在です。
ホームゲームの観戦は10年ぶりくらいでしたが、サポーターたちの存在には胸が熱くなりました。
いよいよキックオフ。
サポーター席や一般席のファンが「県民の歌」を合唱するのはかつてと同じです。
チーム(の前身)が社会人リーグのころからサポーターたちは栃木県制定の「県民の歌」を選手入場の時に声高らかに歌っているんです。
ちなみにこの日の入場者数は5865人。
西和賀町の全人口より多いんだなぁ…
(JFL時代の栃木SCは2008年最終節に1万3821人という当時の最多入場者を記録しています)
相手は徳島ヴォルティス。
JFL(ジャパン・フットボール・リーグ=現在のJ3に相当)時代からのライバルです。
ポカリスエットの大塚製薬です。
栃木にはスペイン、ブラジル、ナイジェリアの選手もいるし元日本代表の矢野貴章がおり、徳島にも元日本代表の柿谷曜一朗がいたので驚きました。
お互い、集中力のある展開を見せて1-1のままアディショナルタイム。
そこで栃木が決勝ゴールを決めました。
きょうは勝利!とスタンド総立ちです。
ところが…
その1分後、残り時間わずかで栃木は必死に守れば勝利という目前、1点を返されて同点となり、そのままタイムアップになりました。
僕は十数年前を思い出していました。
あのころも勝ち切れないで苦労していたチームなんです。
変わっていないのは、県民性のためだろうか。
これで栃木は22チーム中の18位。
万年下位に甘んじているのは、やっぱり県民性が影響しているんだべか。
選手は33人いて栃木出身は5人ですけど。
試合も楽しみましたが、一番うれしかったのは、当時若かったフリーライターのS君がマッチデープログラムのインタビューコラムや試合展望を署名入りで書く立場になっていたことです。
専門誌にも書いているようで、もうすっかりプロのサッカージャーナリストです。
チームの古い関係者と会った以外は、実家で過ごしました。
96歳で元気な母は、朝6時半になるとラジオ体操を始めるのでした。
元小学校の先生で、終戦後に新しいラジオ体操を普及させる立場だったので、75年ほど経った今も動きが体にしみついているようです。
30年後、オレは山歩きしていられっかなぁ…
そんなことを思いながら、朝日でまぶしい東側の部屋を二日酔いの目で眺めておりました。 (8月15日)