金売吉次(かねうり・きちじ)は平安時代末期の京の商人。
奥州の金を京都で商い、源義経の生涯にも関わったという伝説の人物です。
「吉次兄弟の墓」が福島県白河市の重要文化財になっています。
この写真は東日本大震災の被害を見て回っていた2011年9月24日に撮影したもので、墓石は倒れていました。
この正月に栃木に帰省する折、電車を途中下車して7年半ぶりに見てきました。
元通りになった三兄弟の墓に手を合わせてきました。
この地で群盗に襲われて命を落としたと伝わります。
実家から車で20分ほどの壬生町の畑の中です。
この地で病に倒れたとのことです。
風化した凝灰岩の墓石。
このシンプルさが、かえって時の彼方の情景を伝えているような気がします。
白河と壬生で共通するのは、その死を里人があわれんで葬り供養したという点です。
源義経が墓に立ち寄り霊をとむらったというのも共通しています。
吉次は、牛若丸が義経になる元服の際に、京から平泉に向かう道中に付き添ったとされています。
吉次とは、どんな人物だったのでしょうか。
これは岩手県陸前高田市の玉山金山跡にある「玉乃湯」の入り口でのんびりとキセルをふかす吉次です。
金山跡の山の中には吉次の住居跡とされる場所もあります。
金の交易が盛んだったころ、たくさんいた金商人(こがねあきんど)たちを総称して「金売吉次」と呼んだのだという説が、たいていの本に書いてあります。
僕は、白河にしろ壬生にしろ、墓石を守って言い伝えているからには、実際に吉次という人物がいたのだろうと想像します。 (1月28日)