気仙沼日記671回「金売吉次のこと」 | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

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奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

金売吉次(かねうり・きちじ)は平安時代末期の京の商人。

奥州の金を京都で商い、源義経の生涯にも関わったという伝説の人物です。


「吉次兄弟の墓」が福島県白河市の重要文化財になっています。




この写真は東日本大震災の被害を見て回っていた2011年9月24日に撮影したもので、墓石は倒れていました。

この正月に栃木に帰省する折、電車を途中下車して7年半ぶりに見てきました。





元通りになった三兄弟の墓に手を合わせてきました。

この地で群盗に襲われて命を落としたと伝わります


わが故郷の栃木県にも金売吉次の墓があるというので行ってみました。

実家から車で20分ほどの壬生町の畑の中です。





この地で病に倒れたとのことです。





風化した凝灰岩の墓石。

このシンプルさが、かえって時の彼方の情景を伝えているような気がします。


白河と壬生で共通するのは、その死を里人があわれんで葬り供養したという点です。

源義経が墓に立ち寄り霊をとむらったというのも共通しています


吉次は、牛若丸が義経になる元服の際に、京から平泉に向かう道中に付き添ったとされています。


吉次とは、どんな人物だったのでしょうか。






これは岩手県陸前高田市の玉山金山跡にある「玉乃湯」の入り口でのんびりとキセルをふかす吉次です。

金山跡の山の中には吉次の住居跡とされる場所もあります。


金の交易が盛んだったころ、たくさんいた金商人(こがねあきんど)たちを総称して「金売吉次」と呼んだのだという説が、たいていの本に書いてあります。


僕は、白河にしろ壬生にしろ、墓石を守って言い伝えているからには、実際に吉次という人物がいたのだろうと想像します。 (1月28日)