指揮者セルジュ・チェリビダッケは僕の人生の中でも最大級の存在であります。
その生の演奏に接することができたことは人生の宝です。
といっても、クラシック音楽ファンでさえ知らない人が多いんです。
そもそも、「幻の指揮者」と称されていましたから。
レコード録音をしない、生演奏だけを追求する完璧主義者だったからです。
(死後、家族が財団をつくり、生前に録音されていた演奏がCD化されました)
1912年ルーマニア生まれ。
第二次世界大戦の直後、世紀の指揮者と言われるフルトヴェングラーの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いる地位に就いたのです。
ところが、ヘルベルト・フォン・カラヤンにその座を奪われました。
カラヤンの名は、音楽ファンでなくても、たぶんご存じでしょう。
かっこいいカラヤンは当時のコマーシャルベースに乗って、クラシック界の帝王となりました。
でも、僕はカラヤンの演奏が嫌いでした。
ミキシング技術を応用して、録音で聞こえなかった音を増幅してレコードをつくったり、サクラの観客を入れてビデオ映像を制作したりしたからです。
それって本物ではないでしょう…と、高校生のころ思っていました。
カラヤンのバッハやモーツァルトやベートーヴェンは聴きたくありませんでした。
虚飾が多すぎる演奏だと感じたからです。
なぜチェリビダッケはフルトヴェングラーの後釜になれなかったかを書いた本もあるほどです。
音楽に対して真摯(しんし)であり過ぎたのでしょう。
僕がチェリビダッケの存在を知ったのは20歳のころでした。
音楽雑誌や新聞に、読売日本交響楽団に来演したブラームスの交響曲第4番の、聴衆も演奏者をも感動させたという数年前の名演が語り草になっている記事を読んだ時でした。
そのころチェリビダッケがロンドン交響楽団を率いて来日する報に接し、東京に住んでいた僕は勇んでチケットを買い求め、ついに生の演奏に接することとなりました。
会場は、新設されたNHKホールでした。
だだっ広い空間でしたが、音響は悪くありません。
メーンプログラムはブラームスの交響曲第1番。
これを書き始めると終わらなくなりますから省略しますが、それまでの音楽観が一変するような、これこそが演奏芸術なんだなあ…と感じるような、もやもやした霧が一気に晴れたような感覚を覚えました。
そして、カラヤンが嫌いなのは、まんざら間違ってはいないんじゃないかな…と、ほくそえんだことを思い出します。もう40年も前のことです。 (10月12日)