気仙沼日記182回「5年目の3・11」 | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

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奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

気仙沼市が主催する東日本大震災追悼式に初めて参列しました。

市の体育館「Kウエーブ」で午後2時30分に開会。初めに新月中学校生徒による献唱がありました。





「あすという日が」と「ふるさと」。十代の歌声は、もうそれだけで感動的です。

東京の政府主催追悼式の中継を見ながら、2時46分に黙禱。

安倍首相の式辞、天皇陛下のおことばに耳を傾けました。


菅原茂市長の式辞、村井嘉浩・宮城県知事と熊谷伸一・市議会議長の追悼の辞の後、来賓のインドネシア・アチェ州知事が津波でつながった交流を語りました。

最後に、遺族代表の齊藤良子(さいとう・りょうこ)さんが、天国に行ってしまった母親に語りかけました。




この後、献花が行われました。


夜には、気仙沼湾の内湾で「3月11日からのヒカリ」プロジェクトがありました。

午後6時30分に3筋の光が星空に向かって放たれました。3月11日が終わる瞬間まで、祈りと希望を気仙沼の上空高く届けます。

僕は安波山に登って初めて見ました。




夜景の内湾から天に伸びる光が、じっと動かず、無言で何かを語りかけています。





光の先は、はるか上空で交わり合っているようです。

(午後7時ごろ安波山から見た光の背景には双子座がありました)





市民有志が主宰して、3月11日に実施しているイベント。

光が放たれている場所が、気仙沼湾の別名「鼎ケ浦」のゆかりとなった柏崎、蜂ケ崎、神明崎であることが、高い所から見るとよくわかります。

この3つの崎が鼎(かなえ)の脚になぞらえるので鼎ケ浦と言われたそうです。

そこにも目をつけたこのイベント、実に素晴らしい。

きっと心やさしい人たちが考えたのでしょう。 (3月11日)