映画「オッペンハイマー」を鑑賞して参りました | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

今朝の横浜の空、大粒の雨が南からの強風に煽られて我が家のベランダを叩きつけています。この激しい降雨は午後3時頃まで続くとの予報です。

さて昨日は特に決まった予定もなかったので、こういう時のために観たかった映画リストの中から、ナンバーワン「オッペンハイマー」を観て参りました。混雑は避けたかったので、話題作の3月29日の公開からしばらく時間を置いたのでした。狙い通り横浜ブルク13の一番大きなシアター1も空席だらけで余裕があったのは良かったのでしたが、上映前に購入しようとしたパンフレットがなんと「売り切れ」。映画でも演劇でも必ずパンフレットを購入しておりますので、これには誠に残念。しかし、3時間の長尺映画を見終えた感動は、こんな小さな無念さを簡単にかき消してくれました。

「原爆の父」として歴史に刻まれたオッペンハイマーには、数多くの伝説があるのでしょうが、この映画を観るまでは稀代の理論物理学者というぼんやりとした印象しか持っていませんでした。それが「マンハッタン計画」のリーダーとして類まれな統率力を発揮して、学者や技術者を束ね、人類史上初の核実験「トリニティ」を成功させた。日本人としてこの時の高揚感の描写には違和感を感じざるを得ませんでしたが、当のオッペンハイマーも目の前の人間が一気に消失したり、黒焦げの遺体らしきものに足を踏み入れている幻覚に襲われた。計画の目標だったナチスドイツが降伏した時点で「マンハッタン計画」をご破算にしてくれれば良かったのですが、科学者としての本能がそれを許さなかった。しかし、投下目標の広島、長崎の選定には一切関わっていなかった。戦後の米国内の「赤狩り」で公職追放されて、その後復権を果たすものの、決して幸せな人生ではなかった。クリストファー・ノーラン監督は米アカデミー賞で作品賞と監督賞を受賞し、真の巨匠の仲間入りを果たしました。どうやったらこの世界から核兵器を無くすことが出来るだろうか、この映画を起点として人類が本気でこの課題に取り組むべきだと考えたのでした。