夫婦のあいだには、やはり愛というものは欠かせません。
いや夫婦のあいだだけではなく、すべてに対してです。
すべてのことに対し、愛というものは必要不可欠なものなのです。
離婚をした私に欠けていたもの、それは愛でした。
でも、神様というものは、ちゃんと見ているのですよね~
そんな私に、ちゃんと愛というものの大切さを教えてくれるのですから・・・
私は離婚をして、しばらくは独身を謳歌していました(笑)
そして、その中で大切な出会いがあったのです。
その方は、とても家族思いの方でした。
どんな場合でも家族を第一に考える人でした。
それというのも、その方は幼少の頃、児童施設で育ったために、とにかく自分の家族が持ちたかったそうなのです。
でも、普段の様子からはとても、そんなさびしい過去を抱えているとは微塵にも感じさせません。
それどころか、誰に対しても優しさを教授できる、そんな方です。
とにかく、その方は、特に家族に対し惜しみなく愛を注ぐ人でした。
とかく私たちは、誰かに傷つけられたり、中傷を受けると反発しようとします。
つまり、自分の愛を奪われる、目減りすると考えてしまうのです。
でも、もしも自分の中の愛情が減ることがないものだとしたらどうでしょうか?
そんな些細なことでは、いやどんな仕打ちを受けようとも何事もなく過ごせるのではないでしょうか?
もちろん、そこまで人間ができていないと反発されるでしょう。
でも、それは誰にでもできることなのです。
この世の中にある物質は有限です。
地球の資源が枯渇する、いつかは石油が枯渇するというのは誰しも知っていることです。
でも、私たちの心の中にあるものは、実は有限ではないのです。
無限なのです。
心の中で作り出すものですから、目に見えないものですから、あると思えばあるし、逆にないと思えばすぐに消えてなくなってしまうものなのです。
特に、愛情という目に見えないものは、なくなりようがないのです。
ただ、私たちはそれを忘れているだけなのです。
いつも心に留めておくことができないと思い込んでいるだけなのです。
私はその人から、そのことを学びました。
その方は、とにかくどんな場合でも、たとえ自分を犠牲にしてでも家族を優先させます。
もっとも、その人にとっては自分を犠牲にしているという意識はないのでしょう・・・
でも、傍から見ると、そう見て取れるということです。
愛とは惜しみなく相手に与えるもの、そして見返りを求めないもの、それを私に教えてくれました。
その時ほど、私は後頭部をガツンと殴られたような気分にさせられたことはありません。
だって、これまで愛といえば、相手を好きだとか、愛してるといった感情だと思っていたのですから・・・
それがまるっきり否定されたわけです。
感情ではなく、相手を思う行動・・・それを常に優先させているのです。
しかも、それが犠牲ではなく、自ら進んで惜しみなく注いでいるのです。
愛というもの、それは有限なものではありません。
逆に自分から惜しみなく注げば注ぐほど、もっと増えていくものなのです。
愛とは、自分の心で作り出すものは無限なのです・・・