前の記事で、12か月移動合計や同移動平均でいろいろなトレンドがわかります、と書きました。

 次にちょっと応用してみます。

 まず、ある企業さんの売上データです。下降してきたものが途中で止まり、上向きになったのが読み取れます。(これだけでも金融機関に対してはすごい説得力のある資料となります)

 グラフが小さく表示されているときにはクリックで拡大します。

 



 そこにとどまらず、もう一歩踏み込んでみましょう。

 客数客単価で分けてみます。

 



 すると、客単価(緑)を下げたことで客数(赤)が上がり、総体として売上のトレンドが反転した、ということがわかります。

(この企業の社長さんの読み通りになった、ということです。これも金融機関がその社長さんを信頼する大きな材料となるでしょう)

 また、「粗利益」と「販管費」の12か月移動合計を組み合わせてみて、

 粗利益が上なら、その差は営業黒字、となりますし逆なら、その差は営業赤字、となります。

 もうひとひねりして、「粗利益」と「販管費除く償却費」で比べれば営業CFのトレンドが解ります。そこに「月々の銀行返済」を組み合わせると基礎的な収支が赤裸々に現れます。

 別の企業さんに、その基礎的な収支のトレンドをグラフ化して見せたところ、社長さん、黙り込んでしまいました。おカネに困ったとき、資金繰りが緩和したときが一目瞭然でわかったからです。

 

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 平成28年9月、日ハムは見事に大逆転優勝しました。

 

 道新に「11.5差誰もあきらめなかった・大逆転V日ハムの強さは」(2016.9.30)という特集記事でちょっとだけコメントを載せていただきました。

 

 そこに書ききれなかった、野球と事業再生・中小企業経営に共通するものについて書いてみます。(オチ付)

 

  • 大事なメンタル

 事業再生する企業に共通することは、「おカネと元気がない」こと。業績不振が続いているわけだからおカネがないのはその通り。怖いのは「おカネがないのが当たり前」になること。

 

 スポーツでいうと負けるのが当たり前、勝てなくて当たり前という感覚が根付いてしまうこと。

 

  • あきらめない心、執着する心、メンタルを保つこと

 百花繚乱の事業再生関連本の中に実は共通するものがある。「あきらめるな」、ということである。しかし、現場でこれができるかというと非常に難しい。

 

 ビジネスコーチングの進歩により、経営においてどうやってメンタルを保つか、研究が進んでいる。体を動かすことで習慣を定着させること。掃除を励行したり、ランニングをすることなどがこれに当たる。

 

 野球でもいろいろな選手が本に書いている。イチローをはじめ共通しているように見えるのは、「道具を大切に」「同じ動作を繰り返してメンタルをリセット」。動作には礼儀をまもることも含まれる。

 

  • 個人の力は一朝一夕には上がらない

 日ハムの場合、人材育成には定評がある。合理的な育成方法を確立している。もっとも育成は各球団、必死でやっている。シーズン中に選手の力が急に二倍、三倍になることはない。さすがの大谷君も球速200キロを投げられるかというとそうではない。今いる選手を正しく使い、選手の能力を引き出すことでこの逆転がなしとげられたのではないか。戦術の勝利、と感じる。

 

 事業再生なら、「今いる人、今ある設備、今ある経験でできることは?」

 

 野球で面白いのは、同じ能力の選手、監督がいて、常に同じ結果を出せるか?というとそうではないこと。来年も同じやり方で優勝できるか?というとそうではない。外的には今年の日ハムの戦い方はすぐ研究される。相手チームもプロ。日ハムの攻撃を分断し、ピッチャーの配球を読むことに血道をあげるはず。内的にはマンネリによる意識の低下リスクがある。選手自身、監督自身が「同じようにやっているのに…」という落とし穴にはまる可能性がある。

 

  • 成功のための「定番」

 南アフリカを破ったラグビー日本代表、箱根駅伝を連覇した青山学院など強くなったチームには共通点がある。明確な目標と練習。何をするために何をしていくのか、がクリア。そこに名指揮官のリーダーシップと励まし、しかりつけがミックスされたときに選手の力は最大限に引き出される。繰り返すが明確な目標と練習、いい指揮官がいれば「絶対」勝てるというわけではないが…

 

 再生やビジネスの現場を見るとそのような訓練を受けた社長はほとんどいない。つまり、一口で言うと社長は攻め(事業拡大)には強いが守り(立て直し)に弱い傾向がある。

 

 ビジネスの立て直しでいうと「ミッションの明確化」(何をすればこの会社ウレシイのか)「そのために何をしていくか」を共有できないと組織の強みが出てこない。

 

  • 北海道経済

 このブログでも過去書いたが、北海道は人口がデンマーク並み、GDPはポルトガル並み。サッカーでドサンコチームが日本代表に勝ってもおかしくない。ずっと言われていることだがポテンシャルはある。

 

 追い風になっているのは日本の人口減だと思う。高度成長期以降、道内の人は札幌が最高で札幌にはかなわない、北海道からみると、常に東京が最高で東京にかなわない、という権威のピラミッドのようなものが出来上がっていた。

 

 しかし、そのヒエラルキーは崩れだしている。広島現象など地方で独自色を出していく地域がどんどんあらわれてきている。

 

 最大の要因は人口だと思う。東京に人が集まる。その土台があるから高い山(権威の山)が東京にできた。企業も大学も。今、人の集まり方が鈍化しやがて地方からの若者の供給は途絶える。山の高さは低くならざるを得ない。

 

 もう一つの要因は情報(ノウハウ)の普及。いろいろな専門サービスが安く早く受けられるようになってきている。北海道で成功する、というよりダイレクトに日本で成功する、海外を目指す、というようにやり方や価値観が多様化している。

 

 高度成長期は日本の中で東京に高い山が一つあったようなイメージ。今は中くらいの山、低い山だがユニークな山が日本中に林立しているイメージ。

 

 周囲から成功、と言ってもらえるためには一定のレベル、ハードルがある。だが、手が届きやすくなっているように感じる。努力と才覚次第だと思う。

 

  • あきらめない! …中田選手の本音は(オチ)

 中田選手が今季を振り返った、インタビュー記事が出ていました。

 

 スポーツ報知、記事のページはこちら

 

 「二軍に行かせてくれといつ言おうかと思っていた」と述べ、

 

 「だって11・5ゲーム差あっただろ? 「あきらめてませんでした」というのはきれい事。「普通に無理」と思っていた。周りも口にしないだけで、そう思っていたと思うよ。」

 

 はらほらひれはれ。

 

 

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 シン・ゴジラ、観ました。

 

 これぞゴジラ映画。平成28年9月末現在、公開2か月で興行収入53億円超の大ヒットになっています。

 

 ここからネタバレになりますのでまだ観ていない方はご注意ください。(私としてはできるだけ予備知識のない状態の観覧をお勧めします)

 

  • これはドキュメンタリーだ

 まず、映画のつくり。ドキュメンタリーと言っていいタッチです。シン・ゴジラは、①登場人物の多さ、②情報量の多さ(通常の映画に比べセリフの量が1.5倍、厚い台本だった、と)というところだけみてもドキュメンタリー映画に近い、というのがご理解いただけるのでは、と思います。ゴジラ出現!(最初は「巨大不明生物」と呼ばれます)となったときに、対応する省庁、機関として、膨大な人数が必要になります。例えば閣議の様子を描こう!とした場合、総理以下の閣僚、それぞれの大臣につく補佐官、省庁の担当者、意見を求められる有識者など…大人数になるのは必然です。今回役名がついたキャストだけで300人を超えた、というのもうなずけます。筆者はシン・ゴジラを一回しか見ていませんが、特にあらすじに関係ない登場人物だな、と思ったのは、片桐はいり演じる、掃除のおばさん、くらいでした。

 

 ゴジラクラスの未知の動物が出現!となるとどうしてもそれの対処に携わる人数が多くなります。しかもそれぞれ映画の中で黙って立っていればいいわけではなく、なぜその人物がそこにいるのか、つまりその人はゴジラに対してどうかかわっていてどんな立ち位置になるのか、その人はゴジラに対して何をしようとしているのか?をそれぞれの口から説明させなければならない。そりゃ、セリフは増える…

 

 さらに興業的な要請が加わります。興業側の本音としては、「面白くて短い(=回転のいい)」映画が望ましい。いくらこの映画が良い出来でも3時間を超えるものだったら、興業的に成功するのは難しい。昨今のハリウッド映画は全編90分程度、15分に一度の盛り上げ、という作りになっているそうです。(岡田斗司夫「オタク学入門」…確か)

 

 シン・ゴジラでは役者さんは早口できれいにセリフをしゃべることが要求されました。

 

 私が映画を観終わった帰りがけ、通路の前を歩いたおばあさんが「会議ばっかで怪獣あんまりでなかったねぇ」と連れのお孫さんとおぼしき子供たちに話していたのが印象に残っています。その通り!会議シーンとセリフが多い映画なのです。

 

 従来のゴジラ映画には、ヒーローとヒロインがいました。今回はそのような恋愛要素、ちゃらちゃら要素はなし。そんなことにセリフを割く余裕がない、というのが本当のところではないでしょうか。

 

  • ゴジラの哀しみ

 ゴジラ映画ですっとばされてきた論点。「なぜゴジラが出現したのか。ゴジラはどうして生まれたのか?」

 

 1998年のハリウッド版ゴジラでわずかに、「なぜコイツが?」という問いに、「進化した、最初の1匹なのだ。だからゴジラの前にはゴジラはいない」と説明される程度。

 

シン・ゴジラでは「なぜ?」よりも「どうする?」にウェイトが置かれているので出現の理由までは説明してくれません。(そこまで「セリフで説明」となるともっと台本は厚くなったでしょう)

 

 それをシン・ゴジラではビジュアルで説明しています。第一形態を皮切りに生物として進化し、大きさも大きくなっていく。ハリウッド版ゴジラも含め、映画にでてくるときには生物として完成形だったものが、シン・ゴジラではどんどん形を変えていく。画像で見せることでゴジラは今まで地球上にいる生物とは違うもの、未知の脅威、なのだ、という説明がされていると思います。

 

 これをゴジラ本人の立場で考えたらどうでしょう。まあ、「人」ではないですけども…

 

 自分がどんな生物なのか。何になっていくのか。本人にも解らない。

 

 私が感じたのは「生まれてしまった哀しみ」。

 

 大田区の呑川を遡るシーンでのゴジラの眼は大きく見開かれています。自分でも自分が制御できない、自分でも何が起きているのかわからない、と訴えているように思います。

 

 (ちなみに大田区呑川近辺は私の小学校の頃の生活圏で「そこにゴジラが…」と思ってみるとものすごいリアリティがありました。隅田川でも荒川でもなく、呑川…)

 

 そして完成形となったゴジラの眼は小さく、そこに感情の動きは見えません。育ってしまった自分がこれからどうしていくのか、困惑しこれからの自分の未来から目を背けているかのようです。本人も混乱しているはずです。その混乱した頭の中で理解できるのは自分が周囲から祝福され、受け入れられる存在ではないこと。生物として成長したとたん、自衛隊の総攻撃を受けるのですから…

 

 内から身を焼く放射能の熱。その苦しみ。そしてそれはほとばしり出るように外へ放出されます。いままでのゴジラ映画で放射能を吐くのはゴジラの怒りだったと思います。それに対してシン・ゴジラで感じるのはゴジラの「哀しみ」と「恐れ」です。

 

  • 日本はシン・ゴジラができるのを60年待った

 

 ゴジラ第一作は1954年、終戦9年目の公開でした。終戦後、復興の途についたばかりの日本が再びゴジラに蹂躙されたわけです。

 

 警察予備隊、保安隊を経て、自衛隊法が制定され、自衛隊が発足したのも1954年でした。自衛隊発足は7月1日。ゴジラ封切りは11月3日。発足わずか4か月で自衛隊はゴジラ対策に出動したことになります。

 

 その後、時間は下ります。冷戦が長く続き、自衛隊の存否の話、防衛能力や安全保障条約などややこしい話になると、「いやゴジラが出たときのためにも自衛隊がないと…」というジョークが語られてきました。

 

 その後ソ連崩壊により冷戦は終了。9.11テロと3.11東日本震災により国民の自衛隊に対する目線は大きく変わりました。率直に言うとどうしても日陰の存在だった自衛隊が国を守る、国民を守る、という本来の位置についた(私の気持ち、印象の上の話です)感があります。

 

 太平洋戦争の敗戦から復興した日本。東日本大震災のとき、ガラスが破れ停電したコンビニに列を作って買い物をする姿に日本という国の特性、日本人の民族性が凝縮していると思います。他の地域だったらすぐ略奪が始まっていたところでしょう。

 

 先にオタクの話が少し出ましたが、その長い戦後の間にすこしずつクールジャパンとして確立したもの、それはアニメであり、怪獣でだったのではないでしょうか。(もうひとつアイドルという分野があるけれど)

 

 そしてそのクールジャパンの一つの完成形、それがシン・ゴジラ。

 

 映画「シン・ゴジラ」は戦後70年という時間をかけてようやくこの形に落ち着いたのだと思います。CGなど制作技術の進歩を待たなければならなかったという側面もありますが、観る側がようやくシン・ゴジラを受け入れられるようになった、という意味で。

 

 映画の中で理不尽にもゴジラに街を破壊され、多大な被害を受ける日本。しかし、それを受け止め、飲み込み、また淡々と復興に向かうだろう日本。映画の中ではこの部分はわずか数秒の避難所のシーンで語られています。

 

 そのときそこに自衛隊がいないと復興はできない。

 

 日本人も、自衛隊も、シン・ゴジラを受け止めるためには戦後の長い長い時間と東日本大震災をはじめとする試練を必要としたのではないでしょうか。

 

  • (追記)理不尽と向き合う…経営も同じ

 今回の総監督庵野秀明氏はエヴァンゲリオンシリーズの監督としても知られています。エヴァも「理不尽な破壊」にさらされる日本が舞台です。

 

 昔々。筆者がサラリーマンだったとき、ある理屈の通らないことがあり、怒りのままに上司に食って掛かったことがあります。

 

 「こんなこと、理不尽です!」

 

 そのとき上司の返答は、「ん?会社とは理不尽な存在だ」でした。頭に血が上っていた私は毒気を抜かれ、我に返りました。

 

 会社の経営も同様です。「なぜだ?」と言いたくなる局面はいろいろあるはずです。しかし、多くの経営指南書が指摘すのは(私も同じことを言いますが)、

 

 「ぐちっている暇に何か考えましょう」

 「人のせい、と言っているうちは何も変わりません」

 

 ということです。

 

 シン・ゴジラにおけるゴジラの出現も理不尽そのもの。総理大臣は「なんでよりによってオレの任期の時に…」と思ったはずです。

 

 「長年のお得意さんから取引を打ち切られた」「事故に巻き込まれ生産ができなくなった」など「なぜだ?」と言いたくなる局面は多々あるはず。しかしそれに拘泥するのではなく、「どうしていくか」にフォーカスするのが経営者の務め、と思います。

 

  • まとめ

 シン・ゴジラは、「新ゴジラ」とも「真ゴジラ」とも取れます。

 

 日本映画史上に残る名作であることは間違いありません。

 

 ドキュメンタリーであるが故に、そこから何を学ぶかは観る側に任されています。

 

  • おまけ・怪獣ドキュメンタリーといえば

 怪獣が出現!を徹底的に被害者目線のドキュメンタリータッチで描いた映画に「クローバー・フィールド」があります。ある日突然NYに怪獣が出現。逃げまどいながらそれをビデオカメラで撮影していく、というものでした。「クローバーフィールド」の着想や音楽に「ゴジラ」が大きく影響しているそうです。

 

 

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