少し音楽方向へ脱線気味でしたが、今回は日本橋で3か年勤め始めた後、初めての転勤先となった横浜について書きます。
当時私の勤めていた会社は転勤が多い業種で、「3年に一回」転勤するのが当たり前でしたが、とうとう私の番になりました。前年遠方へ転勤された先輩もいる中、
「なーんだ、お前は横浜か?隣町みたいなもんじゃないか?」
という上司等の「定義」により(今思えば、パワハラとしか思えませんが)、自分の送別会の幹事をまだ下から2番目の自分自身が担当することになりました。(トホホ)でも、4月1に日の転勤日当日は「(当時は1番線だった)東京駅の東海道線乗り場」で(当時は定番の)「〇〇君、バンザーイ!」等とやって頂き、約30分後に横浜駅に着く、という
なんとも間の抜けた転勤
であったことを思い出します。
とはいえ、
26~30歳まで4年間務めた間には、若かったこともあり色々と思い出があります。
・客先の接待後、余り一緒になりたくない先輩と同じ車で帰りたくなかったので、(8月だったこともあり)山下公園橋の埠頭のベンチで寝て、夜中にホームレスさんが(私の目の前で)焚火をしていたり、4時に起きて横浜球場迄歩いて最後のなけなしのコインで関内駅から電車で寮に買えり、シャワーを浴びてからまた横浜に出勤したり...
・日本橋時代に付き合ったけど、一旦分かれた彼女と又付き合い始め、とうとう所帯を持ったり...
・結婚直前で「全国最年少の地域分解組合委員長」となり、地方経営かつ仲人の取締役支店長とやりあったり...
・翌年長男が生まれたので、(現場用の作業服に着替えて)出役後、その帰りに入院先の病院に行った際、自宅アパートの鍵を忘れ、酔っぱらったまま3階の階段から窓の手すりに飛び移ろうかまじめに考えたり...(矢張りおっかないのであきらめて、元居た寮に頼み込んで寝かせてもらいました)
・米国研修試験に受かり(ご参考)、その後の海外業務キャリアの出発点となったり...
等々、その他色々とエピソードがありましたが、その時代の勤め先はJR横浜駅西口駅前ドまん前、横浜市北幸1丁目3番23の「相鉄ビル」でした。JR横浜駅西口から一旦地下に入り、「横浜駅西口地下街(ダイアモンド地下街)」を通って通いました。当時の「横浜地下街」には飲食店が多く、「勝烈庵」とかお寿司屋さん、中華屋さんなどがひしめいていて、お昼は全く困らなかったことを覚えています。
偶々、2023年に女房が横浜で目の外科手術を受けることになり、何度か車、電車で横浜に足を運ぶ機会があり、帰りに駅前を散策する機会がありましたが、
まー、変わったこと、変わったこと
・まず勤め先が入っていた「相鉄ビル」が「横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ」になっているんですね。
・地下街も飲食店が(恐らくコロナの影響と横浜駅西口大改造構想により)跡形もなく、ブティックばかりになっています。
・当時立ち読みした本屋はありましたが、大分品揃えや店舗デザインも変わっていました。
・西口はそんなものですが、東口埋立地は矢張り(当時はなかった)ルミネやそごう等で趣が大きく変わっていました。
・横浜高島屋がテナントの相鉄ジョイナス、横浜岡田屋(MORE'S)は健在ですが、矢張り当時とは様変わりですね。
・「ダイアモンド地下街」も「ザ・ダイアモンド」というそーな。
これが40余年の変化かぁ...(もう郷愁、ノスタルジアでIR横浜駅を訪れることはないな...)
という深い感慨をもって帰宅したことを覚えています。
