玉置神社 主祭神 国常立尊とは | 70 racing project

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T.YOSHIKAWA Official blog

奈良県は十津川村
「神様に呼ばれないと辿り着けない」と言われるスーパーパワースポット『玉置神社』
波乱で始まった令和6年も早1ヶ月が過ぎ、寒い日が続くも暦は立春を迎えています
二月に入ってもう1週間になりそうですが、1月30日に玉置山登拝に行ってきました
1月後半の寒波で雪が降ったので、道路の雪解けを待っての月末ギリギリ1日前でした
ここ2~3日の好天で道路はほぼ雪解けしていたものの、天辻峠など日陰はまだ路肩に雪が残り、融雪剤で滑りやすい状況でした
案の定玉置山を登り始めると雪国へと一変、恐る恐るスロー走行で登坂しながらようやく駐車場に到着
なんと今朝はクルマ0台、ここ何日かは玉置神社への到達が相当困難だったのことがわかるような光景でした
私はついているというか今日はとびきり良いお天気で、山頂からの景色は絶景間違いなしのようです
登山道にはかなり雪が残っていて踏み跡も少なくここ数日は登山者も数えるほどだったようです
予想通り山頂からは目のさめるような青空とゴールドに輝く熊野灘を一望できました
昨年の雪ではは山頂からの凍結した下りの急勾配に苦労したので今回はスパイクタイプの軽アイゼンを持参
山頂で装着してから下りましたが、根っこや岩が出ているところは少し歩きづらかったですが安心感は絶大です
登る前は荷物になるので迷いましたが、やはり持ってきてよかったと思いました
報告が遅くなりましたが、今年初の玉置山登拝と玉置神社への月詣を無事に済ませてまいりました

 

 

今回は玉置神社の主祭神、国常立尊(くにとこたちのみこと)のお話です

国之常立神
豊原周延画
神世七代 初代
先代(別天津神)天之常立神
次代    豊雲野神または国狭槌尊
神祇    天津神
全名    国之常立神(くにのとこたちのかみ)
別名    国常立尊、国底立尊
別称    大元尊神
神格    大地の永久性
親       なし
神社    国常立神社 玉置神社等

古事記による天地開闢(てんちかいびゃく)における神々とされる国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、日本神話に登場する神です
日本書紀においては、初めての神とされる。日本神話の根源神として一部神道・新宗教で重要視されています
古事記では国之常立神、日本書紀では国常立尊(くにのとこたちのみこと)と表記されています
別名を国底立尊(くにのそこたちのみこと)ともいわれます
古事記において神世七代の最初の神とされ、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)の次に現れた神で、独神であり、姿を現さなかったと記されています
日本書紀本文では天地開闢の際に出現した最初の神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記されています
他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっています
記紀ともに、それ以降の具体的な説話はありません
神名の「国之常立」は、「国」を「国土」、「常」を「永久」と解し、名義は「国土が永久に立ち続けること」とする説と、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説など諸説あります
伊勢神道では天之御中主神、豊受大神とともに根源神とし、その影響を受けている吉田神道では、国之常立神を天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源の神)に位置附けました
その流れを汲む教派神道諸派でも国之常立神を重要な神としています



 

国之常立神を重要視し、明治後半以降の日本の歴史に大きな影響を与えたのが新宗教大本です
1892年(明治25年)2月3日、京都府綾部在住の無名の老婆出口直(なお)は「艮の金神」と恐れられる祟り神の神懸かり現象を起こしました
古神道や伯家神道の知識を持つ出口王仁三郎は直に懸かった神を「国之常立神(国常立尊)」と判断
大地を修理固成し国祖であった国常立尊は厳格な統治を行ったがゆえに、それに不満を持った神々により鬼門の方角に追放されたとします
しかし、時ここに到り復活を宣言した国常立尊が、世の建て替え立て直しのためにこの世で力を顕現するという終末論を主張しました
直と王仁三郎の教団大本は大正から昭和初期にかけ教勢を拡大し、宮中関係者や陸海軍将校が多数参加する一大宗教勢力となったのです
内務省を中心とする政府は大本に警戒感を強め、1921年(大正10年)1月10日と1935年(昭和10年)12月8日に宗教弾圧を行ないました(大本事件)
特に二度目の第二次大本事件では治安維持法違反と不敬罪により徹底的な弾圧を加え、大本は壊滅しました
大本事件の背景には、出口王仁三郎と大本が持つ政治的影響力に政府が警戒感・恐怖感を抱いたことに加え、国家神道と新宗教の間に宗教観・神話体系の相違があったことが指摘されています
大本の再建は戦後を待たなければなりませんでした
更には大本の教理を引き継ぐ新宗教が戦前、戦後に生まれています
大本は国之常立神の別称、大元尊神から来たものと思われます



 

国之常立神と似た信仰形態の妙見は、北極星または北斗七星を天空から人を見守り、方角を示し、人の運命を司る神としていますが、明治の神仏分離によって各地の妙見社(妙見宮・妙見堂・妙見神社)は祭神を天之御中主神と改めましたが、一部に国之常立神を祭神に改めた社もあります
国之常立神は国土形成の根源神、国土の守護神として信仰され、全国二十四の諸社で祭られています
近畿圏では次の六社があります

山津照神社(滋賀県米原市)
城南宮(京都府京都市伏見区)
西代神社(大阪府河内長野市)
国常立神社(奈良県橿原市、天香久山山頂)
玉置神社(奈良県吉野郡十津川村)
熊野速玉大社(和歌山県新宮市)の相殿



 

玉置神社では、本社中央に国常立尊(くにとこたちのみこと)としてお祭りされています
今は左右に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と 伊弉冊尊(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が二柱づつお祀りされていますが、
いつぐらい以前かわかりませんが、左右は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冊尊(いざなみのみこと)だったと聞いたことがあります
国常立尊がいつから玉置神社の主祭神であったのか、大本の出口王仁三郎は玉置神社に来たことがあるのか、興味が尽きません
天香久山の国常立神社・熊野速玉大社と玉置神社との関連性も何かありそうな気がしなくもありません
今回は玉置神社の主祭神、国常立尊についてのお話でした
私はまず自分にとって神とは何かを知ることが大切と考えています
神々を知れば知るほど、なぜそうなったのか、いつからそうなったのか、数々の疑問が湧いてきます
それはあたかもビッグバンや宇宙の果を考えることに似ています
一つ解ればその何倍もの疑問が出てくるのです
そのわからない世界こそが神の世界なのです
前回、神っていませんよねって書いたら、ほとんどいいねが付きませんでした
こんなに科学が発達した時代に、過去に人間が創造した神って物理的に存在しませんよねっていう意味なんです
私は、本当の神は、余剰次元のような人の手の及ばないところに必ずいると思っています

そう考えないと、物理学的にも理解できないことがあまりにも多すぎます
みなさんも一度、神ってなんだろうって考えてみてください
最後まで読んでいただきありがとうございました
でわでわまた