【書評】碓井敏正「人権と民主主義の再考―中国の台頭、ポピュリズム、社会的分断の中で」2024 | ロシア・CIS・チェチェン

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書評:碓井敏正「人権と民主主義の再考―中国の台頭、ポピュリズム、社会的分断の中で」(ロゴス2024)

 

 著者の問題関心は、「人権と民主主義の実質化」にある。そのためには、人権と民主主義に内在する問題と、それを取り巻く矛盾を解決しなくてはならない。したがって、本書の主要な目的は、人権と民主主義をめぐる現代的矛盾を分析し、その解決の方向性を探究することにある。
 

 そこで最初に、民主主義を揺るがす要因として、①独裁的指導者の増加、②ポピュリズムの台頭、③情報化などの技術革新、④コロナ危機、をあげている。そして著者は①に関し、中国の市場経済導入が民主化をもたらさない理由を、開発独裁による経済政策の有効性と、独裁的指導者による権力絶対化の論理に求める。国民は、生活の向上と治安の安定を望む。だが、市場経済は自由主義的で民主主義的な体制に親和的だから、やがて中国も変わっていくという。著者は②に関し、ポピュリズムが政治エリートに対する民衆の不満を背景にしており、その不満は格差・貧困化による中間層の没落や、グローバル化による移民労働力の増加にもとづく。それゆえ問題解決には、(1)富の再分配など伝統的な国家の役割強化と、(2)人権の国民国家的制約の克服が必要だという。
 

 ③の情報化に関しては、まず「情報交流が自由な民主主義国ほど、情報化による民主主義の劣化が進んでいる」という議論が紹介される。劣化の内容は、政党や政治家のポピュリスト的言動、ヘイトスピーチ、思想・イデオロギーの分断である。これに対し著者は、国家による情報管理のチェックや、プラットフォームを提供する企業への民主的規制の必要性を説く。他方で情報化は、メディアによる上からの一方的な情報伝達に対し、国民間の水平的な情報交流や、政治権力のチェックに貢献もしている。そして著者は④のコロナ危機に関し、中国など独裁的体制では、政治的決定が即座になされるため、緊急事態に対し迅速な対応ができることを認める。だが、中国当局は当初、新型コロナウイルスの発生を報告した医師を処分した。この事実は、研究や報道の自由が保障された民主的体制の方が、国民の健康・安全にとって、長期的には好ましいことを示している(序章、第1章)。
 

 加えて著者は、民主主義の制約要因に、ナショナリズムの問題があるという。人権も民主主義も普遍的な概念だが、現実には国民国家という制度の中に組み込まれている。人権はその規約的性格から実定法によって約束され、民主主義は国籍をもたない外国人を排除する。また、国民の義務教育や普通選挙制による政治参加は、国家への帰属意識と忠誠心を育成した。そして、これらの問題は、国内民主主義の成熟や人権の国際化により、克服すべきだとされる(第2章)。
 

 また著者は、間接民主制、政党政治、小選挙区制など、民主主義をめぐる制度上の諸問題をあげている。そこには、「権力を託された政治的エリートが、国民の考えよりも自らのイデオロギーを優先する」傾向や、「組織の維持を自己目的化」する政党組織固有の論理があるという。問題解決の方向性としては、市民による政治参加の強化と議会での熟議との接合が、提起される(第3章)。
 

 さらに著者は、人権と民主主義を形骸化する社会的要因として、格差と貧困の拡大をあげる。「民主主義が正常に機能するには、ある程度の国民的同質性と生活状況の平等が求められる」からである。経済格差は、生活水準格差だけでなく、教育格差や健康格差や人間関係格差までもたらす。しかも、格差と貧困は、教育を通して世代にわたり継承される(第4章)。また、格差社会を背景にした無差別殺人事件が増えているが、自己責任イデオロギーと結びつき、社会的要因が無視され原因がもっぱら個人化されていく。著者は、問題解決の方策として、経済格差を是正する国家の役割の強化と、市民社会における中間団体を通じた人間関係の充実を提起する。ここで、国家や市場の支配に対抗する市民社会の公共性を強調した、ハーバーマスの見解も紹介される(第5章)。
 

 最後に、民主主義に対応する個人像は主体的で責任ある存在であるから、人間もまた成熟が求められる。だが著者は、それを阻害するものとして、マスメディアや情報化の諸問題があるという。とりわけ、政治的信念に合致すれば、多少おかしな情報でも信用してしまう、「動機付けられた推論」と、この傾向を強化する組織慣性の問題が指摘される。対応としては、信念の水準を引き下げるしかない(第6章)。そして著者は、人権と民主主義の歴史的相対性を考察する。資本主義経済の下で、個人は利己的存在であるから、人権は排他的性格をもつ。市場競争が支配する社会では、各人の利益や考えは一致しないので、民主主義は多数決原理によってしか機能しない。その結果、しばしば少数者や個人の権利が抑圧される。その限界を克服する鍵は、人間存在が有する本質的な社会性にあるとされる(第7章)。
 

 以上が、本書の要旨である。評者は以前から、哲学にとどまらない幅広い見識をもち、社会運動家からも学ぼうとする著者を尊敬しているが、不断に交流があるわけではない。それでも昔、「碓井先生の説は、修正資本主義と、どこが違うのですか」と、質問したことがある。その時の答は覚えていないが、「計画経済や国家の廃絶はリアリティーがない」という、フレーズだけは記憶している。だが今や本書を通読して、著者の現実的な思考法と、求めている友愛社会主義が、初めて分かったような気がした。
 

 労働者の立場から、一言だけコメントすれば、「開発独裁の民主化」や「市場経済の修正」については、既に近代経済学の中でも論じられ、実際に一定程度はなされてきた。問題はその先で、「自由・平等・友愛」の理念が、資本主義では「自由・平等・所有そしてベンサム」にすり替わる。労働市場における労資の自由・平等な契約関係は、直接的生産過程における不自由・不平等な支配・従属関係に転化する。だから、労働三権を行使した労働組合の運動や、連帯経済を志向した労働者協同組合などの運動も重要だろう。その場合、当面の要求を満たすと、労働組合組織も保守化・形骸化するから、それを避ける意味でも、市民運動や住民運動との連帯は欠かせない。イギリス炭鉱労働者によるLGBT団体への支援や、障碍をもつ労働者を組織した大久保製壜闘争が好例だろう。別言すれば、市民社会だけでなく、労働社会の再編・再建も必要だと考える。そうした実践を積み重ねた地平に、友愛社会主義は実現するのだと思う。
 

佐藤和之(佼成学園教職員組合)