ロシア・CIS・チェチェン

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おいプーチン、チェチェンから撤退しろ!今ならまだ間に合うぜ by アンドレイ・バビーツキ

日本における外国人労働組合運動をめぐる課題

―労働運動全体の混迷から考える

 

 日本で働く外国人労働者が急増している。厚生労働省の統計によると、2024年10月時点で、その総数は約230万人であり、これは就業者全体の3.4%を占める。外国人労働者を国籍別にみた割合は、ベトナム24.8%、中国17.8%、フィリピン10.7%であり、産業別割合は、製造業26.0%、宿泊・飲食以外のサービス業15.4%、卸売業・小売業13.0%。また、在留資格別にみた割合は、「専門的・技術的分野の在留資格」(「特定技能」など)31.2%、「身分に基づく在留資格」(「永住者」「日本人の配偶者」「定住者」など)27.3%、「技能実習」20.4%、「資格外活動」(「留学」など)17.3%、「特定活動」(「経済連携協定による看護師・介護福祉候補者」など)3.7%となっている。
 

 ところで、旧植民地出身者とその子孫を「オールドカマー」とすれば、「ニューカマー」は1980年代以降日本に移住した外国人を指す。ただし、2006年まで、外国人労働者数を示す公式統計は存在しない。それゆえ推定値を含むが、1980年以降の推移は次のようになる。1980年が約5万人、1990年が約26万人、2000年が約60万人、2010年が約69万人、2020年が約172万人、そして2024年が230万人である。また2024年6月時点で、日本人労働者の組合組織率は16.1%であるが、外国人労働者に関しては統計がない。それゆえ推定になるが、外国人労働者の組合組織率は10%未満といわれている。
 

 なぜなら、日本の労働組合運動は、外国人労働者の組織化に、必ずしも積極的ではないからである。他方、外国人労働者らが自発的に結成した労働組合も、現在の日本では、わずかしか存在しない。しかし、日本の労働可能人口が減少していく中で、外国人労働者の受け入れと労働組合への組織化は、今後ますます重要になるだろう。そこで本稿では、日本における外国人労働組合運動をめぐる問題点を整理し、解決の方向性を考えてみたい。同時に、この議論を通じて、現在の労働組合運動全体の低迷を、克服する方策も探っていきたい。
 

<外国人労働者をどう組織化するか>
 外国人労働者の組織化を考えるとき、まず第1に、労働組合の組織形態が論点となる。戦後日本の労働組合の多くは企業別組合であり、正規労働者の利害を規準に活動してきたから、中小零細企業で働く未組織労働者や非正規労働者の組織化には消極的だった。外国人労働者の88%は、中小零細企業で働く非正規の単純労働者である。したがって、彼らを組織化してきたのは、個人加入型の合同労組や地域ユニオンだった。なかでも、関東の労働運動圏で有名なのは、1956年に地域合同労組として結成された全国一般労働組合東京南部、1960年に結成された東部一般統一労組から、1967年に独立した全統一労働組合、そして1984年に全造船機械労組関東地協の神奈川分会として結成された神奈川シティユニオンである。全国一般南部は英米系、全統一はアジア・アフリカ系、神奈川シティユニオンは南米系の労働者を中心に組織化し、これら

3者と東京労働安全センターが連携している。
 

 ところが、「個人加入型ユニオンには労働者が定着せず組織が拡大しない」と、しばしば宿命論のように語られる。要するに、労働者が個別に労働相談に訪れ、組合に駆け込み加入し、組合全体として闘ったとしても、争議終了後、その労働者は当該職場に定着せず、退職・転職し、組合からも脱退してしまうケースが多い。有期・派遣・請負など非正規労働者、換言すれば、低賃金・不安定雇用労働者に対する、組合組織化の難しさである。さらに外国人労働者の場合、帰国という可能性も加わる。
 

 こうした組織化の限界を、実践的に乗り越えてきたのが、神奈川シティユニオンと2003年に結成されたJMIU(全日本金属情報機器労組)静岡西部地域支部である。後者は、総評時代の全国金属労組を前身とする。彼らの場合、外国人コミュニティとの繋がりと信頼を重視しており、その結果、労働者は集団で労働相談に訪れ、問題解決後も、企業内に集団的労使関係が形成されるという。要するに、職場に組合組織ができ、恒常的に活動を継続できている。これは、神奈川シティユニオンとJMIUが産別傘下の個人加入型の組合という性格をもち、組合員も南米出身者であることが特長だからだろう。ただし、筆者とJMIUとは交流が無いので、この点は報告文書を基礎にした推測が入る。
 

 そこで2005年の話になるが、筆者が所属する佼成学園教職員組合(佼教組)による、争議経験を紹介したい。まず、学校法人佼成学園は当時、男子の中高等学校・女子中高等学校・幼稚園を経営していた。筆者は男子校勤務だが、女子校に勤務するアメリカ人講師Aに対して、雇止め通告がなされた。当該Aは同僚に教えられた全国一般南部に駆け込み、その担当オルグが西部全労協を上部団体とする佼教組に連絡。われわれは即座に共闘体制を組み、学校当局とこの案件をめぐって団体交渉を開始。当然だが、団交相手の経営陣は、普段から佼教組が対峙しているメンバーであり、その弱点も理解している。だが交渉は決裂し、校門前での朝ビラ配布など、全国一般南部の外国人組合員をも動員した争議行動に突入。こうして経営を内外から攻め立てた結果、比較的短期間で、当該Aとその家族が満足する、勝利的解決を勝ち取った。
 

 筆者にとって、会議も団交も英語を使ったこの争議は貴重な経験だったが、いくつか教訓もある。まず気付いたのは、南米系のような広く強固なコミュニティがアメリカ人には存在せず、当時の職場にも外国人講師じたい数人しかいなかったので、当該Aは孤立していた点である。また当時、女子校の職場には、連合系と独立系の組合はあったが、正規教員以外は組織していない。そして、佼教組は2001年に立ち上げた少数派組合で、女子校には組織をもたなかった。争議解決後、当該Aを中心に女子校職場で組合組織を作れなかったのは、A本人の事情もあるが、女子校に組織的受け皿なかったことが大きい。
 

 理想的には、合同労組・地域ユニオンとそれらをヨコにつなぐネットワークと、職場に足をもつ企業別労組―産別組織―ナショナルセンターといったタテとを、柔軟に組み合わせる必要がある。たしかに、「駆け込み」案件は、当該労働者が争議解決後、職場にも組合にも残らない事例が多い。だが今後、「出稼ぎ還流型」ではなく、「移民定住型」の外国人労働者も増えるだろう。それに伴い、「事件解決型」の活動と同時に、「組織作り型」の活動が、より重要となる。「雇用が流動化しているので職場を基礎とした組織化はできない」という言説は誤りであって、「職場に非正規労働者を受け入れる労働組合が存在することが流動化を抑制する」ことに確信を持って運動を進めたい。
 

<労働市場はどう変化しているか>
 外国人労働者の国内労働市場への受け入れを考えるとき、日本人労働者の雇用や労働条件が維持されるか否かが、第2の論点となる。連合も全労連も、外国人労働者の受け入れに慎重なのは、「外国人労働者が国内労働者の雇用機会を奪う」「外国人労働者の存在が国内労働者の労働基準を引き下げる」といった危惧ゆえである。さらに、組合組織化にも慎重な理由は、既存の企業別労働組合が、有期・派遣・請負などの非正規労働者、換言すれば、低賃金・不安的雇用労働者の組織化を避けてきた理由と重なるものだ。経営者は利潤確保と景気変動に伴う雇用の調整弁として、弱い立場の非正規労働者を利用するが、正規労働者の労働組合は彼らを組織化して強い立場にすると、自己の既得権益を危うくすると考える。そして、外国人労働者の多くも非正規雇用であり、雇い止めされた場合は、3ヶ月以内に再就職しないと帰国問題が生じるから、さらに

弱い立場に追い込まれていく。

 

 ただし、先行研究をサーベイすると、外国人労働者の受け入れは、国内労働者の雇用や賃金への悪影響はないとする見解も多い。その根拠は、同一企業内でも自国民と外国人の労働は不完全代替であり、日本人労働者はより高度な職務を担うようになるという見通しである。特に企業系のシンクタンクは、「外国人材の活用で人手不足を解消し、グローバル化に対応し、多文化共生社会をめざそう」と呼びかける。これに対し、労組系の研究機関は、正規と非正規との間で職務分離と賃金格差が存在する労働市場では、後者の国内非正規と外国人労働者との職務は代替可能で両者は競合するという分析が多い。したがって、外国人労働者の無条件な受け入れを制限する一方、「同一労働・同一賃金」の原則を徹底させるべきだと主張する。
 

 ところで2025年末、政府は「特定技能と育成就労の受け入れ上限」を公表した。受け入れ枠は業界ごとに、人手不足の数から生産性向上や国内の人材確保で対応できる数を、差し引いて算出したという。その業種は多い順から、工業製品製造業31.92万人、建設19.95万人、飲食料品製造業19.49万人、介護16.70万人、農業9.96万人、外食業5.53万人、ビルクリーニング3.95万人、と続く。要するに、過酷で危険が伴う製造業・建設業や、生産性が低いサービス業・農業での労働力不足を、事実上の低賃金・不安定雇用の外国人労働者で埋め合せようとしている。
 

 戦後の日本経済では、過去に2度、労働力不足が問題になった。1960年代の高度成長期と、1980年代後半のバブル経済期である。前者は「集団就職」に象徴される、若年労働力の都市部への移住などで対応し、後者は1989年改正入管法による、在留資格「定住者」(日系人)と「研修」という「サイドドア」から対応した。日本は「外国人の単純労働者は原則として受け入れない」のが、政府の公式見解だからだ。ところが、近年は、経済成長率が低迷した中での「労働力不足」である。その要因は、少子化による若年人口の減少、高齢化に伴う介護・福祉労働の需要増加、過酷な労働条件による「使い捨て」労働力の枯渇にある。これに対し、年金だけで暮らせない高齢者や、シングルマザーなどの女性らを、労働力の供給源としてきた。だが、人口自体が減少していく中で、それにも限界があり、2016年の入管法改定で在留資格「介護」、2018年の改定で就労目的の「特定技能」(1号・2号)、2024年の改定で「育成就労」が新設されたのである。

 

 こうして見ると、外国人労働者の受け入れによる、国内労働者の労働条件低下は、さしあたり起きないように思える。とはいえ2009年、リーマンショック後に、日系人労働者と家族に対し帰国奨励策がとられた過去は記憶に新しい。いずれにせよ労働組合は、経済動向にかかわらず、外国人労働者をも差別なく組織化し、労働者全体の労働条件向上のため、ともに闘うべきである。全統一は労働組合の役割を、①「労働力を安売りさせない」、②「人間をモノ扱いさせない」、③「社会の公共性を防衛する」と規定し、リ-ダーの鳥井一平氏は友愛社会を、「労使対等原則が担保された多民族多文化共生社会」と定義する。そこに、国籍や男女や正規・非正規の区別はない。
 

 さらに、外国人労働者の国内市場への受け入れに関しては、ILO(国際労働機関)の条約・勧告を基準に、制度政策要求を立てると同時に、労働組合運動の国際連帯活動を強化すべきだろう。だが日本は、ILOの移住労働者条約(第97号および第143号)も、国連の移住労働者保護条約(1990年)も、批准していない。しかし、日本は日本人だけのものではなく、移住労働者の送出国であった時代もある。そして2006年、ILO理事会が承認した『労働者移動に関する多国間枠組みの原則』は、「労働者移住の雇用・経済成長・開発・貧困緩和への寄与は、送出国と受入国の双方の利益になるよう認められ、最大限発揮されるべきである」と規定した。難題ではあるが、労働組合は双方の労働者の利益が最大になる道を、追求していくべきである。
 

<不法就労とは何か>
 資格外活動やオーバーステイなど、「不法」状態で働く外国人労働者に、どう対応するかが第3の論点である。この問題に関しては、まず労働基準法第3条「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」により、不法就労者であっても労働条件は差別されない。そして、労働組合法第5条に「何人も、いかなる場合においても、人種、宗教、性別、門地又は身分によって組合員たる資

格を奪われないこと」とあり、組合組織化の対象とすることに問題はない。
 

 元来、より賃金の高い職を求め、それに就くという労働者の行動は、特定社会の内部であれば問題にならない。そもそも、人間は生まれる場所も時代も親も選べない。ところが、労働者が国境を越えた途端に、事情が変わってくる。人権も民主主義も普遍的な概念だが、現実には国民国家という制度の中に組み込まれているからだ。この国民国家に固執するのであれば、外部からの進入は国内法でコントロールされる。移住先国で「不法」とされれば、政府の保護はほとんどなく、「犯罪者」のように扱われるのである。
 

 ところで、経済のグローバル化・バブル景気・円高を背景にして、アジア諸国からの「ニューカマー」による就労が社会的に注目されるのは、1980年代後半からである。当初は日本企業側に強いプル要因があり、警察も就労を事実上容認した結果、1993年には約30万人のオーバーステイ労働者が存在した。だが、2003年の半減計画を契機に、警察が取り締まりを強化し始め、「不法」就労者が大量生産されていく。他方、すでに触れたように、たび重なる入管法の改定、技能実習制度の再編、EPA(経済連携協定)の締結により、就労の「合法」枠が拡大されてきた。したがって、当初は黙認され、その後「不法」になり、今では「合法」とされたケースもある。


 ここで、2002年に結成された、FWUBC(在日ビルマ市民労組)に注目したい。リーダーのB氏は元々、アウンサン・スー・チー氏が率いるNLD(国民民主連盟)の活動家で、ミャンマー軍事政権により、何度か逮捕・投獄された経験をもつ。その後、弾圧を避けて国外へ脱出し、1996年に日本へ入国して、1999年に難民認定された。日本では、パチンコ屋清掃人などの職を転々とし、現在も、夫婦で働いて生計を立てている。B氏はFTUB(ビルマ労働組合連盟)の日本支部員として活動していたが、2001年にICFTU(国際自由労連)の会議が日本で開催された際、そこで連合系労組と知り合う。これが契機となり、2002年に、JAM(ものづくり産業労組)の支援を受ながら、在日ビルマ人主体で組合結成にこぎつける。
 

 FWUBCの組合員の大半は不法就労者であり、帰国すれば命が危ない難民申請者も多い。ミャンマーでは軍事政権が、労組加入者を禁固7年の刑に処し、FTUBも非合法化され、現在タイに本部をおく。それゆえ、FWUBCは表面上、非政治組織と名乗り、NLDとの繋がりも否定している。しかし2021年、ミャンマー国軍によるクーデターが発生した際には、当時のリ-ダーC氏が前面に立ち、日本の市民団体とも共闘しながら、抗議行動を展開した。
 

 今後、FWUBCのような、在日外国人が出身国別に結集した労組が増える可能性があるが、不法就労外国人といっても事情は様々であり、送り出し国の状況も理解しなくてはならない。また、日本は1981年に難民条約に加入しているが、難民認定率は1%未満で異常に低く、難民申請者は不安定な地位に追い込まれる。さらに、FWUBCは技能実習生支援も重要な活動としているが、構造的不況業種に送り込まれ、転職の自由もない技能実習生は、劣悪な労働条件を強要されやすく、逃亡者も後を絶たない。こうして、不法就労に追い込まれる労働者も存在する。当然、闇経済の一部を形成し、様々な権利を制限される不法就労は、望ましいものではない。しかし、だからこそ労働組合は、労働法にもある通り、差別することなく不法就労者を組織化し、ともに闘うべきなのだ。さらに現在、APFS(ASIAN PEOPLE’S FRIENDSHIP SOCIETY)が実践しているような、「在留特別許可取得一斉行動」も視野に入れて、運動を拡大していくべきだろう。

 

<日本の労働運動の盲点>
 ここまで、日本の外国人労働組合運動に関して、3つの論点を問題提起してきた。だが実際には、まだまだ課題は多い。したがって以下、他の論点のうち、見落しがちなものを、簡単に指摘しておきたい。まず1つ目に、労働運動が無視してきた、「オールドカマー」労働者をめぐる問題がある。旧植民地出身で、戦後、外国人とされた労働者とその子孫が、今でも抱える問題である。とりわけ、1970年の日立就職差別反対闘争では民間企業における就職差別が、1994年の東京都国籍任用差別反対闘争では公務職場における昇進差別が明白になった。どちらも、人権問題であると同時に労働問題なのだが、労働運動の課題としては取り組まれていない。現在、在日の労働組合員も少なくはないが、労働組合は職場をめぐる人権や差別問題に、もっと敏感でなく

てはならない。
 

 2つ目に、労働組合運動の国際連帯活動をめぐっても、弱点や死角が存在すると言わざるを得ない。たしかに、韓国サンケン労組への支援闘争や、ITUC(国際労組総連合)はじめ国際労働組織による会議への参加など、日本の労組の国際連帯活動は、ある程度は進んでいる。だが2008年、ロシア・サンクトペテルブルグにあるフォード労組の長期スト支援に訪れた際、組合員から「なぜ、トヨタなど日本の労組は、こちらへ組織化に来ないのか」と質問され、返答に窮したことがある。しかも当時は、カルロスゴーンが日産のリストラを終え、ロシアのアフトワズ社に狙いを定めていた時期だ。
 

 また、「ヨーロッパの最貧国」モルドバでは、労働可能人口の半数近くが、国外へ流出している。そこで送出国のCNSM(モルドバ労働組合連盟)は、イタリアなど受入国の労組とも連携し、当地での出稼ぎ労働者の保護や内国民待遇などを要求する一方、モルドバ国内では、政府からODA(政府開発援助)資金も勝ち取りつつ、労働者協同組合の起業支援など、雇用の創出・拡大の活動を展開している。途上国から先進国への単純労働者の移動が、国際労働力移動の典型的なパターンだが、違法仲介業者の暗躍など問題も多い。高賃金を求めて国外で働く権利は認められるべきだが、家族や友人から切り離され、様々なリスクやストレスの中で働くことは、労働者にとって本当に幸福なのだろうか。国際的な経済・雇用格差を是認していいとは思えないが、労働組合の受入国と送出国との連携は、日本では議論にもならない。さらに、児童労働や性的搾取を目的とした人身売買については、まさに死角におかれている。
 

 3つ目に、労働組合と市民団体との協力関係をめぐる問題がある。外国人労働者は一般に、労働以外にも、様々な生活上の困難を抱えている。それゆえ労働組合は、移住連(移住者と連帯する全国ネットワーク)をはじめとする、市民運動組織との協力関係が欠かせない。ここで想起されるのは、全国一般南部の専従オルグだった高須裕彦氏(2019年に急逝)が、米国で調査・研究し、日本でも提唱・追求していた「社会運動ユニオニズム」である。それは、社会運動として労働運動を再構築するもので、産別労組の支部が加盟する地区労を核として、地域の様々な社会運動とネットワークを形成し、大学や組合での労働教育と、市民メディアやレイバーメディアの育成・活用を重視する。そして高須氏は、日本における「社会運動ユニオニズム」の可能性を、「年越し派遣村」運動(2008年末-09年初)の中に見ていた。
 

 だが、日本でこの議論をする際、欠落しているのは、日本と違って、米国の労働法では、職場の少数派組合に団体交渉権がないという認識である。だからこそ、移民労働者や反主流潮流など少数派は、ピケ・ボイコット・デモ・マスコミの利用・司法機関への告発など、直接行動を展開することで、経営や行政を交渉に引きずり出し、要求を通すのである。これに対し、日本の「年越し派遣村」の場合、「反貧困」を前面に出し、労組と市民団体の活動家が超党派的に結集し、マスコミも運動側につけて、厚労省や東京都を突き動かした。実行委が交渉して、宿泊場所や食料を提供させ、最終的には生活保護や住み込み仕事を勝ち取った。いずれにせよ、労働問題を、ただ社会問題化すればよいのではない。法的な交渉権がない中で、いかに圧力をかけて、要求を実現するかが肝心なのである。
 

<終わりに>
 最後に再び私事で恐縮だが、筆者の組合活動歴は1989年、私立X校の非常勤講師組合への加入から始まる。ここで組合活動を学んだ後、職場を変えて2001年に現在の佼教組を立ち上げた。佼教組では様々なことがあったが、例えば2019年、D氏の雇止め撤回闘争に勝利。D氏は佼教組に加入したが、2021年に私立Y校へ移り、専任採用された。他方、彼の身内であるE氏が勤務する私立Z校で、管理職によるハラスメントが多発。2023年、佼教組が地区労を通じて交流していた「首都圏なかまユニオン」に、D氏・E氏が個人加入し、職場から闘争を開始した。その後、「首都圏なかまユニオン」には、佼教組メンバーも全員加入したので、私学分会の結成を検討中である。なお、筆者は2026年3月で定年退職するが、組合員資格を失うことはない。

 

 昔からよく、「日本的な企業別組合ではなく、欧米のような産業別組合でないと駄目だ」と言われるが、筆者の経験では、必ずしも正確ではない。産業別組合で有名なドイツでも、事業所レベルに組織があり、企業横断的協約の具体的適用や、組合員の獲得に重要な役割を担っている。日本でも、企業別の組織じたいが悪いのではなく、企業内で組合が自己の利害だけを追求し、より弱い立場の労働者に手を差し伸べないことが問題なのだ。このことが結果的に、労働組合運動全体の低迷と混迷を招いている。


 したがって労働組合は、職場内外に組織的繋がりをもつと同時に、広く非正規労働者や外国人労働者にも、開かれている必要がある。そして、非正規労働者や外国人労働者を直接組織化する、あるいは組織化を支援して、全体を底上げすることが重要だ。他方で、低賃金・不安定雇用

の労働者は、国内でも国外でも生み出さない方向で、労働組合は運動すべきだろう。思想的には、「ともに生きる」という労働組合の原点を、今こそ思い起こす必要がある。日本の労働組合

には、まだまだ活動できる余地と可能性がある。

(『フラタニティ』2026.4)

 

 

最近、NPAの鳥井さんの講座に参加しているのだが、今期は後半のテーマが「もう一つの韓流20年」となる。私は現在、労働運動しかやってないが、流れで何となくw参加し続けている。先日、第4回があった。以下、メモ書きのみ。

 

*李泳采氏:高校野球で京都国際が優勝しハングルの校歌が流れたが、もし朝鮮学校が出場していたらどういう反応があったか、と問題提起。

=>高野連の差別についての言及はない。問題は、一歩前進か差別のルール化か、ということ。現実は、ルールを認めて出場。今後はあるのか、それとも固定化か。

 

*内海愛子氏:在日の運動史を語る。日立就職差別裁判闘争や、川崎市ふれあい館、山田貴夫氏の功績について言及。しかし、現在でも在日は公立学校に就職できても管理職になれない点など指摘(川崎方式、やがて横展開)。

=>鄭香均氏の闘いや「当然の法理」についての言及はない。川崎方式は、一歩前進か差別の制度化か。実際は、行政・市職労・民闘連による妥協の結果。今後はあるのか、それとも固定化か。

 

[NPAデータ]

コース11 | 新時代アジアピースアカデミー(NPA) (npa-asia.net)

[参考サイト]

山田 貴夫さん | 川崎在日コリアン生活・文化・歴史研究会の代表を務める | 川崎区・幸区 | タウンニュース (townnews.co.jp)

東京都管理職選考試験事件 - Wikipedia

「当然の法理」へ挑戦今年も 川崎市在日職員 (mindan.org)

[LNJ代理投稿]

福田紀彦 川崎市長への公開書簡~人種差別撤廃条例の制定求める (labornetjp.org)

[各専労協ニュース]

 

 

 

 

 

 

 

韓国語校歌への批判に「しょうがないなと思っている」と京都国際・藤本主将 「小牧監督や応援してくれた方々に、勝つことが感謝の気持ち」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

 

夏の高校野球甲子園大会で優勝したのは京都国際だった。祝福の声は、日本の市民運動圏や在日社会、そして韓国からも聞こえてくる。しかし、

 

高野連から、
①校歌内容は意訳を求められ
②ハングルでの応援プラカードは禁止され
③韓国語での、応援禁止
④韓国楽器の使用禁止
⑤民族衣装の着用禁止、
⑥特別枠での参加も見合わされ、実力でしか参加出来ず、
さらに、

⑦京都市への表敬訪問すら断られていた。


まあ、⑥はどうでもいいけどw、多様性の時代に、日本の国高野球界は遅れてますね。同化圧力というか、差別というか。。

 

それにしても、校歌の「意訳」圧力の問題と、優勝後のヘイトスピーチ以外は、運動圏でも話題にならないのは何故だろうか。京都国際出身の子どもをもつ在日研究者さえ、涙しながら「これを機に、在日韓国人・朝鮮人・外国人と共に生きる社会に近づいていけたらと、切に願う」という。

 

少なくとも1969年、前身である「京都韓国学園」の移転計画に対し、移転先の地元住民と日本共産党が反対。色々あって、やっと1984年に新校舎竣工式を迎えた歴史ぐらいは知っているはず。ちなみに、非1条校の「東京韓国学校」も、似たような経緯で新宿から移転できないでいる。

 

「共に生きる」とか「多文化共生」とか、標語としては美しいが、「なぜ文化だけ?」、「差別されたまま共生?」と、ツッコミを入れたくなる。在日の方には、尖がっていてほしいw。当然、日本人も制度的差別・実質的差別に、敏感でなくてはならない。

 

差別・偏見に抗して、優勝した京都国際は凄いと思う。

sabetuwo 

[2022年3月/四六判/ 186/]
編=碓井敏正/西川伸一
発行=ロゴス

目次:
まえがき | 碓井敏正

第1章 友愛社会主義を考える
自己責任資本主義か友愛社会主義か | 碓井敏正
友愛は、なぜ社会主義の理念とならねばならないか | 斎藤日出治
パラダイム・シフトと自由で自律的で創造的な生き方 | 松田文雄
「ポスト・資本主義」はマルクスを乗り越えて | 鈴木元
差別・貧困・抑圧のない社会をめざして-私が「社会主義」を求める理由 | 小泉雅英

第2章 友愛社会主義の具体像
脱資本主義社会における〈農〉の意義-共生社会の視座から | 亀山純生
労働者協同組合法成立の意義と社会主義的変革への展望 | 紅林進
自己責任資本主義の無責任-ある企業の現場で | 吉田健二
ロシアにおける従業員所有会社(人民企業) | 武田信照
中国式社会主義は「共同富裕」をめざす | 新井利明

第3章 友愛社会主義に求められているもの
新しい社会主義像の模索ー人地球に優しい社会を | 櫻井善行
大逆事件を忘却する左翼の狭小性、克服を-友愛社会主義を支える根本姿勢 | 村岡到
“どん底”の社会主義-日中の共産党から考える | 長島由紀夫
ジャコバン主義と労働者自己解放運動 | 掛川徹

第4章 友愛社会をめざして生きぬいた人たち
鳩山一郎の「友愛革命」とはいかなるものだったのか | 西川伸一
アナキズムの現代的再生の可能性を求めて-クロポトキンと有島武郎を中心に | 馬場浩
賀川豊彦の友愛経済学 | 佐藤和之
宮澤賢治のこと、「労働力の商品化」の視点 | 大内秀明

第5章 友愛社会主義と宗教
デズモンド・ツツ師のウブントゥ思想と平和構築 | 北島義信
キリスト者の社会的参与 | 下澤悦夫

付録 書評
村岡到『マルクスの光と影-友愛社会主義の探究(ロゴス)
友愛社会はマルクスとソ連をどう見るか | 碓井敏正
マルクスを超える〈友愛社会主義〉を提起 | 西川伸一

あとがき | 西川伸一

書評:碓井敏正「人権と民主主義の再考―中国の台頭、ポピュリズム、社会的分断の中で」(ロゴス2024)


 著者の問題関心は、「人権と民主主義の実質化」にある。本書では最初に、民主主義を揺るがす要因として、①独裁的指導者の増加、②ポピュリズムの台頭、③情報化などの技術革新、④コロナ危機をあげている。そして著者は①に関し、中国の市場経済導入が民主化をもたらさない理由を、開発独裁による経済政策の有効性と、独裁的指導者による権力絶対化の論理だという。国民は、生活の向上と治安の安定を望む。だが、市場経済は自由主義的で民主主義的な体制に親和的だから、やがて中国も変わっていくという。著者は②に関し、ポピュリズムが政治エリートに対する民衆の不満を背景にしており、その不満は格差・貧困化による中間層の没落や、グローバル化による移民労働力の増加にもとづく。それゆえ問題解決には、(1)富の再分配など伝統的な国家の役割強化と、(2)人権の国民国家的制約の克服が必要だという。
 

 ③の情報化に関しては、まず「情報交流が自由な民主主義国ほど、情報化による民主主義の劣化が進んでいる」という議論が紹介される。劣化の内容は、政党や政治家のポピュリスト的言動、ヘイトスピーチ、思想・イデオロギーの分断である。これに対し著者は、国家による情報管理のチェックや、プラットフォームを提供する企業への民主的規制の必要性を説く。他方で情報化は、メディアによる上からの一方的な情報伝達に対し、国民間の水平的な情報交流や、政治権力のチェックに貢献もしている。そして著者は④のコロナ危機に関し、中国など独裁的体制では、政治的決定が即座になされるため、緊急事態に対し迅速な対応ができることを認める。だが、中国当局は当初、新型コロナウイルスの発生を報告した医師を処分した。この事実は、研究や報道の自由が保障された民主的体制の方が、国民の健康・安全にとって、長期的には好ましいことを示している(序章、第1章)。
 

 加えて著者は、民主主義の制約要因に、ナショナリズムの問題があるという。人権も民主主義も普遍的な概念だが、現実には国民国家という制度の中に組み込まれている。人権はその規約的性格から実定法によって約束され、民主主義は国籍をもたない外国人を排除する。また、国民の義務教育や普通選挙制による政治参加は、国家への帰属意識と忠誠心を育成した。そして、これらの問題は、国内民主主義の成熟や人権の国際化により、克服すべきだとされる(第2章)。
 

 また著者は、間接民主制、政党政治、小選挙区制など、民主主義をめぐる制度上の諸問題をあげている。そこには、「権力を託された政治的エリートが、国民の考えよりも自らのイデオロギーを優先する」傾向や、「組織の維持を自己目的化」する政党組織固有の論理があるという。問題解決の方向性としては、市民による政治参加の強化と議会での熟議との接合が、提起される(第3章)。
 

 さらに著者は、人権と民主主義を形骸化する社会的要因として、格差と貧困の拡大をあげる。「民主主義が正常に機能するには、ある程度の国民的同質性と生活状況の平等が求められる」からである。経済格差は、生活水準格差だけでなく、教育格差や健康格差や人間関係格差までもたらす。しかも、格差と貧困は、教育を通して世代にわたり継承される(第4章)。また、格差社会を背景にした無差別殺人事件が増えているが、自己責任イデオロギーと結びつき、社会的要因が無視され原因がもっぱら個人化されていく。著者は、問題解決の方策として、経済格差を是正する国家の役割の強化と、市民社会における中間団体を通じた人間関係の充実を提起する。ここで、国家や市場の支配に対抗する市民社会の公共性を強調した、ハーバーマスの見解も紹介される(第5章)。
 

 最後に、民主主義に対応する個人像は主体的で責任ある存在であるから、人間もまた成熟が求められる。だが著者は、それを阻害するものとして、マスメディアや情報化の諸問題があるという。とりわけ、政治的信念に合致すれば、多少おかしな情報でも信用してしまう、「動機付けられた推論」と、この傾向を強化する組織慣性の問題が指摘される。対応としては、信念の水準を引き下げるしかない(第6章)。そして著者は、人権と民主主義の歴史的相対性を考察する。資本主義経済の下で、個人は利己的存在であるから、人権は排他的性格をもつ。市場競争が支配する社会では、各人の利益や考えは一致しないので、民主主義は多数決原理によってしか機能しない。その結果、しばしば少数者や個人の権利が抑圧される。その限界を克服する鍵は、人間存在が有する本質的な社会性にあるとされる(第7章)。
 

 以上が本書の要旨である。評者は以前から、哲学にとどまらない幅広い見識をもち、社会運動家からも学ぼうとする著者を尊敬しているが、労働者の立場から一言だけコメントを加えたい。「開発独裁の民主化」や「市場経済の修正」については、既に近代経済学の中でも論じられ、実際に一定程度はなされてきた。問題はその先で、「自由・平等・友愛」の理念が、資本主義では「自由・平等・所有そしてベンサム」にすり替わる。労働市場における労資の自由・対等な契約関係は、直接的生産過程における不自由・不平等な支配・従属関係に転化する。だから、労働三権を行使した労働組合の運動や、連帯経済を志向した労働者協同組合などの運動も重要だろう。その場合、当面の要求を満たすと、労働組合組織も保守化・形骸化するから、それを避ける意味でも、市民運動や住民運動との連帯は欠かせない。別言すれば、市民社会だけでなく、労働社会の再編・再建も必要だと考える。そうした実践を積み重ねた地平に、友愛社会主義は実現するのだと思う。
 

佐藤和之(佼成学園教職員組合)
 

 

書評:碓井敏正「人権と民主主義の再考―中国の台頭、ポピュリズム、社会的分断の中で」(ロゴス2024)

 

 著者の問題関心は、「人権と民主主義の実質化」にある。そのためには、人権と民主主義に内在する問題と、それを取り巻く矛盾を解決しなくてはならない。したがって、本書の主要な目的は、人権と民主主義をめぐる現代的矛盾を分析し、その解決の方向性を探究することにある。
 

 そこで最初に、民主主義を揺るがす要因として、①独裁的指導者の増加、②ポピュリズムの台頭、③情報化などの技術革新、④コロナ危機、をあげている。そして著者は①に関し、中国の市場経済導入が民主化をもたらさない理由を、開発独裁による経済政策の有効性と、独裁的指導者による権力絶対化の論理に求める。国民は、生活の向上と治安の安定を望む。だが、市場経済は自由主義的で民主主義的な体制に親和的だから、やがて中国も変わっていくという。著者は②に関し、ポピュリズムが政治エリートに対する民衆の不満を背景にしており、その不満は格差・貧困化による中間層の没落や、グローバル化による移民労働力の増加にもとづく。それゆえ問題解決には、(1)富の再分配など伝統的な国家の役割強化と、(2)人権の国民国家的制約の克服が必要だという。
 

 ③の情報化に関しては、まず「情報交流が自由な民主主義国ほど、情報化による民主主義の劣化が進んでいる」という議論が紹介される。劣化の内容は、政党や政治家のポピュリスト的言動、ヘイトスピーチ、思想・イデオロギーの分断である。これに対し著者は、国家による情報管理のチェックや、プラットフォームを提供する企業への民主的規制の必要性を説く。他方で情報化は、メディアによる上からの一方的な情報伝達に対し、国民間の水平的な情報交流や、政治権力のチェックに貢献もしている。そして著者は④のコロナ危機に関し、中国など独裁的体制では、政治的決定が即座になされるため、緊急事態に対し迅速な対応ができることを認める。だが、中国当局は当初、新型コロナウイルスの発生を報告した医師を処分した。この事実は、研究や報道の自由が保障された民主的体制の方が、国民の健康・安全にとって、長期的には好ましいことを示している(序章、第1章)。
 

 加えて著者は、民主主義の制約要因に、ナショナリズムの問題があるという。人権も民主主義も普遍的な概念だが、現実には国民国家という制度の中に組み込まれている。人権はその規約的性格から実定法によって約束され、民主主義は国籍をもたない外国人を排除する。また、国民の義務教育や普通選挙制による政治参加は、国家への帰属意識と忠誠心を育成した。そして、これらの問題は、国内民主主義の成熟や人権の国際化により、克服すべきだとされる(第2章)。
 

 また著者は、間接民主制、政党政治、小選挙区制など、民主主義をめぐる制度上の諸問題をあげている。そこには、「権力を託された政治的エリートが、国民の考えよりも自らのイデオロギーを優先する」傾向や、「組織の維持を自己目的化」する政党組織固有の論理があるという。問題解決の方向性としては、市民による政治参加の強化と議会での熟議との接合が、提起される(第3章)。
 

 さらに著者は、人権と民主主義を形骸化する社会的要因として、格差と貧困の拡大をあげる。「民主主義が正常に機能するには、ある程度の国民的同質性と生活状況の平等が求められる」からである。経済格差は、生活水準格差だけでなく、教育格差や健康格差や人間関係格差までもたらす。しかも、格差と貧困は、教育を通して世代にわたり継承される(第4章)。また、格差社会を背景にした無差別殺人事件が増えているが、自己責任イデオロギーと結びつき、社会的要因が無視され原因がもっぱら個人化されていく。著者は、問題解決の方策として、経済格差を是正する国家の役割の強化と、市民社会における中間団体を通じた人間関係の充実を提起する。ここで、国家や市場の支配に対抗する市民社会の公共性を強調した、ハーバーマスの見解も紹介される(第5章)。
 

 最後に、民主主義に対応する個人像は主体的で責任ある存在であるから、人間もまた成熟が求められる。だが著者は、それを阻害するものとして、マスメディアや情報化の諸問題があるという。とりわけ、政治的信念に合致すれば、多少おかしな情報でも信用してしまう、「動機付けられた推論」と、この傾向を強化する組織慣性の問題が指摘される。対応としては、信念の水準を引き下げるしかない(第6章)。そして著者は、人権と民主主義の歴史的相対性を考察する。資本主義経済の下で、個人は利己的存在であるから、人権は排他的性格をもつ。市場競争が支配する社会では、各人の利益や考えは一致しないので、民主主義は多数決原理によってしか機能しない。その結果、しばしば少数者や個人の権利が抑圧される。その限界を克服する鍵は、人間存在が有する本質的な社会性にあるとされる(第7章)。
 

 以上が、本書の要旨である。評者は以前から、哲学にとどまらない幅広い見識をもち、社会運動家からも学ぼうとする著者を尊敬しているが、不断に交流があるわけではない。それでも昔、「碓井先生の説は、修正資本主義と、どこが違うのですか」と、質問したことがある。その時の答は覚えていないが、「計画経済や国家の廃絶はリアリティーがない」という、フレーズだけは記憶している。だが今や本書を通読して、著者の現実的な思考法と、求めている友愛社会主義が、初めて分かったような気がした。
 

 労働者の立場から、一言だけコメントすれば、「開発独裁の民主化」や「市場経済の修正」については、既に近代経済学の中でも論じられ、実際に一定程度はなされてきた。問題はその先で、「自由・平等・友愛」の理念が、資本主義では「自由・平等・所有そしてベンサム」にすり替わる。労働市場における労資の自由・平等な契約関係は、直接的生産過程における不自由・不平等な支配・従属関係に転化する。だから、労働三権を行使した労働組合の運動や、連帯経済を志向した労働者協同組合などの運動も重要だろう。その場合、当面の要求を満たすと、労働組合組織も保守化・形骸化するから、それを避ける意味でも、市民運動や住民運動との連帯は欠かせない。イギリス炭鉱労働者によるLGBT団体への支援や、障碍をもつ労働者を組織した大久保製壜闘争が好例だろう。別言すれば、市民社会だけでなく、労働社会の再編・再建も必要だと考える。そうした実践を積み重ねた地平に、友愛社会主義は実現するのだと思う。
 

佐藤和之(佼成学園教職員組合)
 

ウクライナ戦争と日本の平和教育


 教育現場において、ロシア・ウクライナ戦争は、どう教えられているのだろうか。とりわけ、中・高等学校の社会科(地歴科・公民科)担当の教育労働者は、この戦争をどう教えているのだろうか。そして、憲法第9条を大切にしてきた戦後日本の平和教育は、現在どうなっているのだろうか。
 

 2022年2月24日に始まるロシア軍のウクライナ侵攻以降、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」など、社会科の教員を中心とする研修団体は、この戦争をめぐる学習会や研究集会を重ね、その機関誌にも様々な論文や実践報告を掲載している。筆者も可能な限りそれらの会合に参加し、各団体の刊行物にも目を通してきた。ウクライナ戦争は3年目に突入し、イスラエル軍によるガザ攻撃まで加わった現在、教育労働者の試行錯誤は続いている。
 

 それゆえ、その授業実践は多様だが、いくつか共通する傾向も発見できる。すなわち、第1に国際法から戦争の現実をとらえようとするアプローチ、第2にロシアの主張と歴史経緯から戦争の原因を探ろうとするアプローチ、第3にグローバルサウスの動向から平和構築を志向するアプロ―チである。そこで以下、この観点から教育内容と内部の議論を整理・紹介し、検討してみたい。加えて、高校生たちの平和活動の現状と、「合意知」をめぐる議論を紹介したい。
 

 <国際法とウクライナ戦争>
 

 まず前提として、本稿で検討する授業実践は、研究集会での報告と機関誌掲載の記事を合わせた10本程度である。教育現場全体として、思ったほどウクライナ戦争を授業化できていない、という指摘がある一方、湾岸戦争時の「ナイラ証言」の教訓から、今は授業化すべきでない、という意見もあった。そうした中で、第1の国際法的アプローチから語られる、「ロシアの国際法違反」は、最も繰り返されるキーワードである。例えば、次のような授業での説明が、典型的である。
 

 「ロシア軍の侵攻は、ウクライナの主権と領土の侵害であり、武力行使禁止原則を定めた国連憲章2条4項違反である」「ロシアは、ドネツク・ルガンスク両人民共和国の要請にもとづく、国連憲章51条に規定された集団的自衛権の行使だというが、国際社会はドネツク・ルガンスクの独立を承認していない」「ロシア軍の攻撃は、ウクライナ全土におよび、民間人やインフラも犠牲になっている。仮に、ロシア側の自衛権を認めるとしても、均衡性の観点から問題がある。また、文民や民用物への攻撃は、国際人道法に反している」。
 

 しかし、こうした説明自体は間違いではないが、開戦経緯を省略している点に、換言すればドンバス戦争との関連を無視している点に問題がある。世界が注目し始めたのは、ロシア軍がウクライナ国境付近に10万人規模の部隊を展開した2021年3月である。10月には、ウクライナ軍が初めて軍事用ドローンをドンバス戦争で使用し、緊張が高まった。ドンバス戦争は、2014年のマイダン革命後、ドネツク・ルガンスクの親ロシア派が独立宣言し、これを認めないウクライナ政府軍との間で発生した内戦だが、2015年の「ミンスク合意」で、停戦と東部2州の「特別な自治」が確認されている。だが、実際には紛争が続き、ロシアは「ミンスク合意」の履行と「NATO東方不拡大」の法的文書化を、ウクライナや欧米に繰り返し要求してきた。だが、最終的には2022年2月10日、フランス・ドイツ・ロシア・ウクライナの4カ国会議で、ウクライナが「ミンスク合意」を明確に否定して、交渉は事実上決裂した。
 

 OSCE監視団の報告によると、2月16日からドンバス州境付近で停戦違反と砲撃の回数が劇的に増加し、18日には親ロシア派がドンバス住民に避難を呼びかけた。21日、ロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を国家承認し、22日に友好協力相互支援協定を締結。23日、両共和国は軍事援助を要請し、24日にロシア軍はウクライナへの侵攻を開始した。なお、開戦後の同年12月、メルケル元独首相は「ミンスク合意はウクライナ軍増強のための時間稼ぎだった」と告白し、それを締結当時の関係者とゼレンスキーも認めている。いずれにせよ、こうした開戦経緯の解説を授業で省略しては、戦争の原因にも迫れない。
 

 次に、国家として分離独立が承認される国際法上の要件は何か、という論点が提示されないのも問題だ。これは、自決権のうちの外的自決にかかわる問題だが、現在の国際法では、政治弾圧や人権侵害を受けている人民が存在する場合に、「救済的分離」が認められる場合がある。そこで教材として例示すべきは、1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆と2008年のコソボ独立にむけた支援だ。今のウクライナでの出来事と、コソボをめぐる出来事とは相似形をなす。NATO初の域外攻撃でもあるこの空爆は、民族浄化に対する「人道的介入」を名目に、国連の承諾なく強行された。住民投票もなく宣言されたコソボ独立は、「力による現状変更」であり国境線の変更だが、2010年に国際司法裁判所はこれを違法ではないと判定した。国際社会に独立が承認されない、ドネツク・ルガンスクとの違いは何だろうか。
 

 さらに、ロシア軍の攻撃が自衛の範囲を越え、国際人道法にも反しているという、授業での指摘は正しい。当初ロシア軍は、北部ベラルーシ国境・東部ロシア国境・南部クリミア半島から侵攻し、体制変更と領土獲得とを同時に追求したかに見えた。ただし、ウクライナ側も「軍民分離の原則」を守っているか、検証する必要がある。実際2022年8月、国際人権団体は、ウクライナ軍が学校や病院に拠点を置いていると指摘したが、公表したことにゼレンスキーが激怒して騒動となった。「ノルド・ストリーム」爆破やカホフカダム破壊に関しては、独立した調査はなされず、犯人は未だに不明である。ブチャの虐殺も謎が多く、国連安保理がロシアによる調査要求を拒否する一方、フランス憲兵隊の調査では遺体からウクライナ軍が使用しているフレシェット弾が発見された。国際刑事裁判所も、ドンバス戦争中の住民虐殺に関する資料の受け取りを拒否したが、ウクライナ戦争ではプーチンに逮捕状を発行している。
 

 <ロシアとウクライナの関係史>
 

 思いの外、「ロシア側の言い分も知りたい」という、生徒の意見は多い。そうした要望に応える必要もあり、第2の歴史的アプローチから、プーチン演説が紹介され、ロシア・ウクライナ史が講義される。これは、プーチンの歴史観の検討と、戦争原因の究明という意味をもつ。そして、次のような結論が導かれる。
 

 「ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人は歴史的に一体だが、欧米の介入により、ウクライナはロシアに対立するようになった、とプーチンは主張する。しかし、ロシアに親近感があるのはウクライナ東部の住民であり、全体としてはロシアに対する警戒感もある」「1991年の国民投票では、ソ連からの独立に、ウクライナの90%が賛成した。ドンバス地方の80%と、クリミア自治共和国の過半数も、賛成した」「ウクライナの独立と主権を保証した1994年の『ブタペスト覚書』に、ロシア軍の侵攻とドンバスやクリミアの併合は違反している」。

 

 ウクライナ戦争をめぐる歴史的考察がなされる場合、よくプーチン演説が資料として引用されるにもかかわらず、ロシアの戦争目的に着目する授業がないのは問題である。それは、①NATOの東方拡大の阻止、②ドンバスの親ロシア派住民の救済、③ウクライナ政権の「非ナチス化」「非軍事化」「中立化」に要約されるが、どれも正当かどうかは別として、一定の現実的根拠をもつ。ちなみに現在、ゼレンスキ―は占領されたウクライナ東南部4州とクリミアの奪還を、バイデンはロシアの弱体化を、戦争目的として公言している。
 

 次に、1991年8月の国民投票で、ソ連からのウクライナの独立を、クリミアやドンバスの住民も支持したが、その後の動きを捨象しては、歴史の切り取りでしかない。すなわち、9月にクリミア議会は主権宣言を採択し、12月のソ連邦崩壊を経て、1992年5月には国家的自主性に関する宣言とクリミア共和国憲法を採択している。その後、2014年2月にマイダン革命が起きると、3月にクリミア議会はウクライナからの独立宣言を採択し、続く住民投票ではロシアへの編入が支持された。他方、5月にドネツク・ルガンスク両州でも住民投票が実施され、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立が宣言されている。概して言えば、ソ連邦の崩壊以降、ウクライナが主権国家として存在してきた事実は重要だが、とりわけマイダン革命を通じた米国ネオコンの内政干渉以降、国内では親欧米派と親ロシア派との対立が激化し、分離主義が台頭したのも事実である。
 

 さらに、「ブタペスト覚書」は、「ウクライナの独立と主権と既存の国境を尊重する」という内容を含むので、ロシア軍のウクライナ侵攻は、確かにこれに違反する。ただし、「ブタペスト覚書」は条約ではないので、守らなくても国際法違反にはならない。1990年のベーカー米国務長官やコール西独首相らによる所謂「NATO東方不拡大」発言が、しばしば問題になるが、これも公式な場での発言であっても条約ではない。他方、2014年・2015年の「ミンスク合意」は、国連に登録されている条約であり、法的な拘束力をもつ。しかし、条約以外は守らなくてよいのだろうか。国際政治や国際秩序の観点から、授業で議論したい論点である。 
 

<グローバルサウスと地域協力>
 

 社会科担当の教育労働者は、現実から正しい情報提供と問題提起をして、生徒に主体的に考えさせることが必要だ。だが同時に、生徒とともに考え対話する中で、教員としての「指導性」を貫くことが重要だとされる。問題を、生徒に丸投げしたままではいけない。そこで、第3のグローバルサウス・アプローチから、戦争解決の方向性と平和貢献の方法が模索される。少し引用が長くなるが、以下、授業で使用される資料などから抜粋する。

*ウクライナのTAC加入:「1976年、ASEAN首脳会議は、東南アジア友好協力条約(TAC)を締結した。TACは、紛争の話し合い解決を基本とした、不戦条約である。東南アジア地域の平和を目的としているが、TAC加入国は、ASEAN 諸国にとどまらない。今日では、ロシアやEUを含む、51カ国・機構が加入している。2022年11月、ウクライナにも打診し、TACに加入させた。ウクライナ戦争の停戦と交渉解決を促す、ASEANの巧妙な演出である」(『歴史地理教育』2024年1月)。
*パグオッシュ会議の声明:「現在の危機的状況を抜け出すための解決は次の通り。①即時停戦。②ウクライナからの外国軍および外国の軍事施設の全面撤収。③ドンバス地域の自治を、地方行政および言語的アイデンティティの見地から、承認すること。④クリミアをロシア連邦の一部として承認すること。クリミアにおける二度の住民投票は、ロシア連邦への復帰を支持した。⑤ウクライナとロシアの国境、また他の国々との国境を越えての、人々の移動の自由。⑥ロシア軍のウクライナからの撤収後は、ロシアに対する制裁は解除されねばならない。経済制裁は、制裁されている国以外にも、消極的な結果をもたらす可能性がある。⑦ウクライナの中立的な地位を強調する明確な合意。特に、ウクライナはNATO加盟をめざそうとしないことが、了解される必要がある。その代わりに、条約にもとづく国際的な安全保障を、中立のウクライナに対して保証することが重要となる。⑧ウクライナの平和的な経済復興のためのプログラム。ウクライナにおける危機の解決のための第一歩が踏み出され次第、ヨーロッパの新たな安全保障の枠組みをめぐる新たな交渉が開始される必要があり、それは、全体にとっての不可分の安全という考え方にもとづくものでなければならない」(2022年2月26日)。 
*ケニア国連大使の国連安保理での発言:「仮に私たちが文化的特性、人種、あるいは宗教面での同質性をもとに国家をめざそうとしていたならば、何十年も経った今も、血なまぐさい戦争を繰り広げていただろう。私たちは、アフリカ統一機構(OAU)の諸原則と国連憲章を守る道を選んだ。それは、自分たちの国境線に満足したからではなく、もっと偉大な何かを、平和的に実現したいからだ」(2022年2月21日)。

 2022年3月2日、ロシアに撤退を求める国連決議は圧倒的多数の国々が賛成したが(賛成141・反対5・棄権35)、2月26日以降、米国主導のロシアへの経済制裁には圧倒的多数の国々が不参加(参加36・不参加145)となっている。その内訳を見ると、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国が、判断に迷っている印象を受ける。帝国主義時代の記憶から、これらの国々の欧米に対する不信感は根強いようだ。
 

 そして、アメリカの世界覇権の後退と、インドなどグローバルサウスの台頭を予期し、そうした国際環境の変動に踏まえて、ウクライナ戦争後の平和秩序を再考する授業実践が報告されている。その場合、ウクライナ戦争の原因を軍事ブロックの拡大と民族対立に求め、解決策は国連憲章と日本国憲法9条を活かす形で授業化されることが多い。その一つが、「非同盟・地域協力」の国々を拡大すべきという主張であり、そこで使われるのがASEANとTACの資料だ。現在、国連の集団安全保障体制が未確立なまま、NATOなど軍事ブロック・軍事同盟が残存し、ロシアなど大国は地域覇権を維持しようとする。だが今後は、軍事ブロックは解消すると同時に、集団安全保障体制を確立し、地域経済協力を深化・拡大すべきだと主張される。それゆえ、欧米やロシア・中国と距離をおいたグローバルサウスの動向が、授業では注目されていく。
 

 ところが、日本の言論状況は深刻で、それが教室にも反映している。大手メディアは「今日のウクライナは明日のアジア」と危機感を煽り、中国や北朝鮮を標的にした軍備増強を批判することはない。日本政府は、日米軍事同盟の強化、自衛隊の沖縄南西シフト、「敵基地攻撃能力」の保有、防衛費倍増、麻生自民党副総裁の「戦う覚悟」発言など、危険な動きを示している。市民運動圏でも、ウクライナ軍の徹底抗戦と軍事支援を肯定する潮流が存在し、即時停戦・交渉解決を主張する潮流との間で論争が絶えない。社会科の教育労働者の研究集会でも、戦場での住民虐殺といったリアルを見すえて軍事力を増強すべきという意見と、原発の占拠という人類滅亡につながりかねないリアルを見すえて即時停戦すべきという意見が対立した。
 

 そこで、グローバルサウスではないが、パグオッシュ会議の資料が授業で使われる。これは、ウクライナ戦争に関する包括的な和平案だが、根底には「非核・非戦」の思想が流れていると考えてよい。民族対立の解決についても、踏み込んだ提案がなされている。この点については、ケニアの資料も参考になる。民族対立という難問に関しては、一般に「多民族共生」の理念を説く授業が多いのだが、この資料を使って、より発展的な議論ができるだろう。なお筆者の場合、世界宗教者平和会議を創設・主導した庭野日敬氏による、「危険を冒して武装するより平和のために危険を冒そう」という非戦の言葉を、教室で引用することが多くなっている。
 

<戦後平和教育の危機>
 

 戦争は若者をも巻き込んでいく。現在、ロシアの兵役年齢は男女とも18~30歳。ウクライナの兵役年齢は18~25歳だが、戦時動員の対象は18~60歳で、医学教育を受けた女性も登録が義務となった。また、ロシア・ウクライナ・日本とも、選挙権は18歳以上の男女に認められ、これは高校生も例外ではない。それゆえ近年、日本では主権者教育が重視されているが、ウクライナ戦争に関しても、署名運動や募金活動の意義を説く授業実践が報告されている。実際、プーチン大統領に対する手紙文の作成と大使館への送付や、避難民を含む在日ウクライナ人の街頭行動に生徒と教員が合流した事例もある。逆に、「ウクライナ支援は戦争の継続や動員されたロシア兵の殺害につながる」という理由で、行動しない生徒もいるようだ。筆者の経験から補足すると、街宣活動をしている在日ウクライナ人やベラルーシ人も、反戦行動をしている在日ロシア人やタタール人も、それぞれ多様な意見をもつ。
 

 ところで、ウクライナ戦争勃発直後から、「高校生平和ゼミナール」は積極的に活動し、マスコミも注目してきた。駐日ロシア大使館前行動と駐日ウクライナ大使館へのピース・ウォーク、抗議声明の公表と署名活動、活動記録映画の製作などを続けている。この団体は、1978年に広島で誕生し、その後、全国各地で結成されていく。ちなみに、筆者は1999年8月6日、勤務校にある社会研究部のヒロシマ合宿引率時に、彼らの集会に遭遇して存在を知った。他方、沖縄発の動きとしては、「沖縄・東京・朝鮮半島インターネットTV高校生平和意見交換会」があり、2001年、佼成学園が第1回東京会場となった。ただし、このイベントは数年続いたが、やがて受け継ぐ生徒がいなくなり、自然消滅してしまった。現在、SDGsに対応した中高生の社会活動は増えたが、学校の枠を超えた自主的な平和運動は全国的に低調である。「高校生平和ゼミナール」に話を戻すと、彼らが2023年の集会で提起し、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」の合同集会でも議論された論点に、「合意知」をめぐる諸問題がある。その要旨を、最後に紹介したい。
 

 「グローバル資本と新自由主義国家による世界支配を背景に、危機に対処する国際協調は破壊され、サバイバルのためのナショナリズムと軍事的対抗が進行している。共同よりも競争が重視され、民主政治よりも暴力的解決が志向される。ウクライナの現実は、民族共存よりも排外主義、利害調整よりも敵対者の殲滅、となっていないか。学校教育においては、社会の問題や人間の尊厳を考える『合意知』よりも、客観的で明確な正解だけを求める『科学知』が重視される。学びの質が、幅広く豊かな教養よりも、人材コンピテンシーの獲得に傾斜している。アクティブラーニングも、その目的や動機を欠いては、人材力の競争にしかならない。今こそ必要なのは、生徒の主体性・能動性に支えられた、批判力・変革力と合意力・共同力の育成である」。
 

 これらは筆者の実感でもある。補足すると、教育のデジタル化は、この傾向を加速している。昨今、旅行社がスタディ・ツアーを流行らせているが、大学入試で使う「ボランティア証明書」取得のためなら、本末転倒だろう。近年の新自由主義とナショナリズムの浸透により、生存競争に追い立てられている生徒には、戦火に苦しむドンバスを含むウクライナ住民、ロシア・ウクライナの兵士や国外避難民、そして反戦運動に決起して今や獄中にいる人々を思いやる余裕などない。国家や社会を批判するより、金融教育で資産形成を学ぶ方が、自己の人生の「安全保障」になると感じている。それゆえ、パレスチナ解放を訴える米国の大学生に対し、日本の教室では、「自分のキャリアに傷が付く行為をすべきでない」という意見が、平然と語られるのである。しかしながら、友愛のない教室からは、戦争という非人間的行為を克服する意志も、平和を大切にする心も生まれない。平和の創造のための教育は、人間的な友愛を基礎に、対話と共感を重ねた地平に成立する。
 

 国際法や歴史の一面からロシアを断罪する前に、戦争の原因を分析し、問題解決の道を探ることが重要だ。グローバルサウスに希望を託す前に、戦争勃発を許した国際社会の責任を感じ、日本から何が出来るかを考えることが重要だ。そして学校においては、生徒の保守化・右傾化を嘆く前に、教職員組合が反戦の声をあげることが肝心である。教室では、反戦運動を抑え込むロシアやベラルーシの独裁体制を指弾する前に、政治囚として獄中にいる人々に敬意を払うべきだろう。平和教材からの「はだしのゲン」削除問題が象徴するように、戦後日本の平和教育は危機にある。だが、複雑な背景をもつウクライナ戦争をめぐる議論を契機に、再び平和憲法を活かして立て直すことは不可能ではない。教育労働者たちは今、そのための努力を必死に続けている。
 

佐藤和之(佼成学園教職員組合)
 

【草稿】ウクライナ戦争と日本の平和教育

 

 教育現場において、ロシア・ウクライナ戦争は、どう教えられているのだろうか。とりわけ、中・高等学校の社会科(地歴科・公民科)担当の教育労働者は、この戦争をどう教えているのだろうか。そして、憲法第9条を大切にしてきた戦後日本の平和教育は、現在どうなっているのだろうか。
 

 2022年2月24日に始まるロシア軍によるウクライナ侵攻以降、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」など、社会科の教員を中心とする団体は、この戦争をめぐる学習会や研究集会を開催し、その機関誌にも様々な論文や実践報告を掲載している。筆者も可能な限りそれらの会合に参加し、各団体の刊行物にも目を通してきた。ウクライナ戦争は3年目に突入し、イスラエル軍によるガザ攻撃まで加わった現在、教育労働者の試行錯誤は続いている。
 

 したがって、その授業実践は多様だが、いくつか共通する傾向も発見できる。すなわち、第1に国際法から戦争の現実をとらえようとするアプローチ、第2にロシアの主張と歴史経緯から戦争の原因を探ろうとするアプローチ、第3にグローバルサウスの動向から平和構築を志向するアプロ―チである。そこで以下、この観点から教育内容と内部議論を整理・紹介し、検討してみたい。加えて、高校生たちの平和活動の現状と、「合意知」をめぐる議論を紹介したい。
 

<国際法とウクライナ戦争>
 

 まず前提として、本稿で検討する授業実践は、研究集会での報告と機関誌掲載の記事を合わせた10本弱である。ただし、関係者の情報交換やアンケート調査により、教育現場全体として、思ったほどウクライナ戦争を授業化できていない、という指摘がある。そうした中で、第1の国際法的アプローチから語られる、「ロシアの国際法違反」は、最も繰り返されるキーワードだ。例えば、次のような説明が、典型的である。
 

 「ロシア軍の『特別軍事作戦』は、ウクライナの主権と領土の侵害であり、武力行使禁止原則を定めた国連憲章2条4項違反である」「ロシアは、ドネツク・ルガンスク両人民共和国の要請にもとづく、国連憲章51条に規定された集団的自衛権の行使だというが、国際社会はドネツク・ルガンスクの独立を承認していない」「ロシア軍の攻撃は、ウクライナ全土におよび、民間人やインフラも犠牲になっている。仮に、ロシア側の自衛権を認めるとしても、均衡性の観点から問題がある。また、文民や民用物への攻撃は、国際人道法に反している」(注1)。
 

 しかし、こうした説明自体は間違いではないが、ロシア軍のウクライナ侵攻の前提にある、ドンバス戦争との関係が、どの授業でも無視される。世界がこの問題に注目し始めたのは、ロシア軍がウクライナ国境付近に10万人規模の部隊を展開した2021年3月である。10月には、ウクライナ軍が初めて軍事用ドローンをドンバス戦争で使用し緊張が高まった。ドンバス戦争は、2014年のマイダン革命後、ドネツク・ルガンスクの親ロシア派が独立宣言し、これを認めないウクライナ政府軍との内戦なのだが、2015年の「ミンスク合意」で停戦と東部2州の「特別な自治」が確認されていた。だが、実際には紛争が続き、ロシアは「ミンスク合意」の履行と「NATO東方不拡大」の法的文書化を、ウクライナや欧米に対して繰り返し要求していく。しかし最終的には2022年2月10日、フランス・ドイツ・ロシア・ウクライナの4カ国会議で、ウクライナが「ミンスク合意」を明確に否定し、交渉は事実上決裂した。
 

 OSCE監視団の報告によると、2月16日からドンバス州境付近で停戦違反と砲撃の回数が劇的に増加し、18日には親ロシア派がドンバス住民に避難を呼びかけた。21日、ロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を国家承認し、22日に友好協力相互支援協定を締結。23日、両共和国は軍事援助を要請し、24日にロシア軍はウクライナへの侵攻を開始した。なお、開戦後の2022年12月、メルケル元独首相は「ミンスク合意は、ウクライナ軍増強のための時間稼ぎだった」と告白し、それを締結当時の関係者とゼレンスキーも認めている。こうした開戦経緯の解説は、授業においても不可欠である。

 

 次に、国家として分離独立が承認される国際法上の要件は何か、という論点が提示されないのも問題だ。実際には、ドネツク・ルガンスク両人民共和国の独立を、承認している国も少数だが存在する。これは、自決権のうちの外的自決にかかわる問題だが、現在の国際法では、政治弾圧や人権侵害を受けている人民が存在する場合に、「救済的分離」が認められる。そこで教材として例示すべきは、1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆と2008年のコソボ独立にむけた支援だ。NATO初の域外攻撃でもあるこの空爆は、民族浄化に対する「人道的介入」を名目に、国連の承諾なく強行された。住民投票もなく宣言されたコソボ独立は、「力による現状変更」であり国境線の変更だが、2010年に国際司法裁判所はこれを違法ではないと判定した。今のウクライナでの出来事と、米国のユニラテラリズム時代のコソボでの出来事とは相似形をなす。しかしながら、ドネツク・ルガンスクの独立は認められないが、コソボの独立は認められるのは何故か。授業で提起すべき論点である。
 

 そして、ロシア軍の攻撃が自衛の範囲を越え、国際人道法にも反しているという指摘は正しい。当初ロシア軍は、北部ベラルーシ国境・東部ロシア国境・南部クリミア半島から侵攻し、体制変更と領土獲得とを同時に追求したかに見えた。軍事上の真意は不明だが、ドンバス防衛のため「攻撃の司令塔であるキエフを叩く」とか「原発やダムをおさえて住民生活を確保する」といった言い分は通用しない。ただし、ウクライナ側も「軍民分離の原則」を守っているか、検証する必要がある。「ノルド・ストリーム」爆破やカホフカダム破壊に関しては、独立した調査はなく、犯人は不明である。ブチャの虐殺については、国連安保理がロシアによる調査要求を拒否する一方、フランス憲兵隊の調査では遺体からウクライナ軍が使用しているフレシェット弾が発見された。国際刑事裁判所も、ドンバス戦争中の住民虐殺に関する資料の受け取りを拒否したが、ウクライナ戦争ではプーチンに逮捕状を発行している。なお2022年8月、国際人権団体は、ウクライナ軍が学校や病院に拠点を置いていると指摘したが、公表したことにゼレンスキーが反発して、騒動となった。情報統制は常にあるので、注意が必要である。

 

<ロシアとウクライナの関係史>
 

 思いの外、生徒の「ロシア側の言い分も知りたい」という意見は多い。それに応える必要からも、第2の歴史的アプローチから、プーチン演説が紹介され、ロシア・ウクライナ史が講義される。これは、プーチンの歴史観の検討と、戦争原因の究明という意味をもつ。そして、次のような結論が導かれる。
 

 「ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人は歴史的に一体だが、欧米の介入により、ウクライナはロシアに対立するようになった、とプーチンは主張する。しかし、ロシアに親近感があるのはウクライナ東部の住民であり、全体としてロシアに対する警戒感もある」「1991年の国民投票では、ソ連からの独立に、ウクライナの90%が賛成した。ドンバス地方の80%と、クリミア自治共和国の過半数も、賛成した」「ウクライナの独立と主権を保証した1994年の『ブタペスト覚書』に、ロシア軍の侵攻とドンバスやクリミアの併合は違反している」。
 

 ウクライナ戦争をめぐる歴史的考察がなされる場合、よくプーチン演説が資料として引用されるにもかかわらず、ロシアの戦争目的に着目する授業はない。それは、①NATOの東方拡大の阻止、②ドンバスの親ロシア派住民の救済、③ウクライナ政権の「非ナチス化」「非軍事化」「中立化」に要約されるが、どれも正当かどうかは別として、一定の現実的根拠をもつ。それゆえ、これらの分析を抜きに、戦争の原因は分からない。戦争では通常、双方の大義と利害が激突するが、その対立点を見極めないと、当然にも解決策は見い出せない。ちなみに現在、ゼレンスキ―は占領されたウクライナ東南部4州とクリミアの奪還を、バイデンはロシアの弱体化を、戦争目的として公言している。
 

 次に、1991年8月の国民投票で、ソ連からのウクライナの独立を、クリミアやドンバスの住民も支持したが、その後の動きを捨象しては、歴史の切り取りでしかない。すなわち、9月にクリミア議会は主権宣言を採択し、12月のソ連邦崩壊を経て、1992年5月には国家的自主性に関する宣言とクリミア共和国憲法を採択している。その後、2014年2月にマイダン革命が起きると、3月にクリミア議会はウクライナからの独立宣言を採択し、続く住民投票ではロシアへの編入が支持された。他方、5月にドネツク・ルガンスク両州でも住民投票が実施され、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立が宣言されている。概して言えば、ソ連邦の崩壊以降、ウクライナが主権国家として存在してきたのは事実だが、とりわけマイダン革命を通じた米国ネオコンの内政干渉以降、国内では親欧米派と親ロシア派との対立が激化し、分離主義が台頭したのも事実である。
 

 さらに、「ブタペスト覚書」は、「ウクライナの独立と主権と既存の国境を尊重する」という内容を含むので、ロシア軍のウクライナ侵攻は、確かにこれに違反する。ただし、「ブタペスト覚書」は条約ではないので、守らなくても国際法違反にはならない。1990年のベーカー米国務長官やコール西独首相らによる所謂「NATO東方不拡大」発言が、しばしば問題になるが、これも公式な場での発言だが条約ではない。他方、2014年・2015年の「ミンスク合意」は、国連に登録されている条約であり、法的な拘束力をもつ。しかし、条約以外は守らなくてよいのか。授業で提起したい論点である。なお、1999年のイスタンブール首脳宣言などに盛り込まれた「不可分の安全保障原則」の条約化を、ロシアは開戦直前まで求めていた。これは、「各国は軍事同盟を選択する自由があるが、他国の安全保障を犠牲にしてはならない」、という原則である。
 

 そして、歴史比較の視点からは、1962年のキューバ危機の事例を提示し、NATO東方拡大の問題を考察させる指導も不可欠だ。なお当時、アメリカ軍が中距離弾道ミサイルをトルコに配備していた事実は、見落としがちなので注意したい。また、日本では少ない戦争終結研究の授業での活用も、ある研究集会で話題になった。ただし、それは簡単ではない。例えば、原爆投下と日本の降伏で終わったアジア・太平洋戦争と、休戦協定で軍事境界線と非武装地帯を設定した朝鮮戦争とは、その期間や人的・物的な損害の規模、戦争終結の形態、将来を規定する問題解決の程度が異なり、双方の比較・評価は難しい。さらに言えば2021年、プーチンの行動にも影響を与えた、アメリカ軍のアフガニスタン撤退は、2001年に始まるアメリカ対タリバンの戦争終結を意味する。この長く複雑な過程と、アフガニスタンの現状を含めた総括と評価は難しい。それでも人命尊重の観点から、戦争をどう終わらせるのか、といった問題意識は必要なのである。
 

<グローバルサウスと地域協力>
 

 社会科担当の教育労働者は、直面する現実から情報提供と問題提起をして、生徒に主体的に考えさせることが必要だ。だが同時に、生徒とともに考え対話する中で、教員としての「指導性」を貫くことが、重要だとされる。要するに、問題を生徒に丸投げしたままではいけない、ということだ。そこで、第3のグローバルサウス・アプローチから、戦争解決の方向性と平和貢献の方法が模索される。少し引用が長くなるが、以下、授業で提示される資料などから抜粋する。

*キューバ代表の国連総会での演説:「キューバは偽善と二重基準を拒否する。1999年に合衆国とNATOがユーゴスラビアに大規模攻撃を行ったことを想起しなくてはならない。ユーゴはヨーロッパの国だったが、多大な人命を犠牲に、国連憲章も無視する形で、細分化された」(2022年3月1日)。
*ウクライナのTAC加入:「1976年、ASEAN首脳会議は東南アジア友好協力条約(TAC)を締結した。TACは、紛争の話し合い解決を基本とした、不戦条約である。東南アジア地域の平和を目的としているが、TAC加入国は、ASEAN 諸国にとどまらない。今日では、ロシアやEUを含む、51カ国・機構が加入している。2022年11月、ウクライナにも打診し、TACに加入させた。ウクライナ戦争の停戦と交渉解決を促す、ASEANの巧妙な演出である」(『歴史地理教育』2024年1月)。
*パグオッシュ会議の声明:「現在の危機的状況を抜け出すための解決策。①即時停戦。②ウクライナからの外国軍および外国の軍事施設の全面撤収。③ドンバス地域の自治を、地方行政および言語的アイデンティティの見地から、承認すること。④クリミアをロシア連邦の一部として承認すること。クリミアにおける二度の住民投票は、ロシア連邦への復帰を支持した。⑤ウクライナとロシアの国境、また他の国々との国境を越えての、人々の移動の自由。⑥ウクライナからのロシア軍の撤収後は、ロシアに対する制裁は解除されねばならない。経済制裁は、制裁されている国以外にも、消極的な結果をもたらす可能性がある。⑦ウクライナの中立的な地位を強調する明確な合意。特に、ウクライナはNATO加盟をめざそうとしないことが、了解される必要がある。その代わりに、条約にもとづく国際的な安全保障を、中立のウクライナに対して保証することが重要となる。⑧ウクライナの平和的な経済復興のためのプログラム。ウクライナにおける危機の解決のための第一歩が踏み出され次第、ヨーロッパの新たな安全保障の枠組みをめぐる新たな交渉が開始される必要があり、それは全体にとっての不可分の安全という考え方にもとづくものでなければならない」(2022年2月26日)。 
*ケニア国連大使の国連安保理での発言:「仮に私たちが文化的特性、人種、あるいは宗教面での同質性をもとに国家をめざそうとしていたならば、何十年も経った今も、血なまぐさい戦争を繰り広げていただろう。私たちはアフリカ統一機構(OAU)の諸原則と国連憲章を守る道を選んだ。それは自分たちの国境線に満足したからではなく、もっと偉大な何かを、平和的に実現したいからだ」(2022年2月21日)。

 2022年3月2日、ロシアに撤退を求める国連決議は圧倒的多数の国々が賛成したが(賛成141・反対5・棄権35)、2月26日以降、米国主導のロシアへの経済制裁には圧倒的多数の国々が不参加(参加36・不参加145)となっている。その内訳を見ると、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国が、判断に迷っている印象を受ける。また、ウクライナ戦争の衝撃は、ロシア軍が領土併合を意図して隣国に侵攻した点と、その東アジア情勢への影響にある、という意見は多い。だが他方で、アメリカが地球の裏側まで派兵して、他国の反米政権を打倒し、傀儡政権を打ち立てた戦争を、我々は何度か目撃してきた。キューバの資料は、これを明確に弾劾しており、欧米への不信感は根強い。

 

 そして、アメリカの世界覇権の後退と、インドなどグローバルサウスの台頭を予期し、そうした国際環境の変動に踏まえて、ウクライナ戦争後の平和秩序を再考する授業が報告されている。その場合、ウクライナ戦争の原因を軍事ブロックの拡大と民族対立に求め、解決策は国連憲章と日本国憲法9条を活かす形で追求されることが多い。その一つが、「非同盟・地域協力」の国々を拡大すべきという主張であり、そこで提示されるのがASEANとTACの資料だ。現在、国連の集団安全保障体制が未確立なまま、NATOなど軍事ブロック・軍事同盟が残存し、ロシアなど大国は地域覇権を維持しようとする。だが今後は、軍事ブロックは解消すると同時に、集団安全保障体制を確立し、地域経済協力を深化・拡大すべきだと主張される。それゆえ、欧米やロシア・中国と距離をおいたグローバルサウスの動向が、今後も注目されていく。
 

 ところが、日本の言論状況は深刻で、それが教室にも反映している。大手メディアは「今日のウクライナは明日のアジア」と危機感を煽り、中国や北朝鮮を標的にした軍備増強を否定することはない。日本政府は、日米軍事同盟の強化、自衛隊の南西シフト、「敵基地攻撃能力」の保有、防衛費倍増、麻生自民党副総裁の「戦う覚悟」発言など、危険な動きを示している。市民運動圏でも、ウクライナ軍の徹底抗戦と軍事支援を肯定する潮流が存在し、即時停戦・交渉解決を主張する潮流との間で論争が絶えない。社会科の教育労働者の研究集会でも、戦場での住民虐殺といったリアルを見すえて軍事力を増強すべきという意見と、原発の占拠という人類滅亡につながりかねないリアルを見すえて、即時停戦すべきという意見が対立した。

 

 そこで、グローバルサウスではないが、パグオッシュ会議の資料を使った授業が提起される。これは、ウクライナ戦争に関する包括的な和平案だが、根底には「非核・非戦」の思想が流れていると考えてよい。民族対立の解決についても、踏み込んだ提案がなされている。この点については、ケニアの資料も参考になる。民族対立という難問に対しては、一般に「多民族共生」の理念を説く授業が多いのだが、この資料を使って、より発展的な議論ができるに違いない。なお筆者の場合、世界宗教者平和会議を創設・主導した庭野日敬氏による、「危険を冒して武装するより、平和のために危険を冒そう」という言葉を、教室で紹介することが多くなっている。
 

<戦後平和教育の危機>
 

 戦争は若者をも巻き込んでいく。現在、ロシアの兵役年齢は男女とも18~30歳。ウクライナの兵役年齢は18~25歳だが、戦時動員の対象は18~60歳で、医学教育を受けた女性も登録が義務となった。また、ロシア・ウクライナ・日本とも、選挙権は18歳以上の男女に認められ、これは高校生も例外ではない。それゆえ近年、日本では主権者教育が重視されてきたが、ウクライナ戦争に関しても、署名運動や募金活動の意義を説く授業実践が報告されている。実際、プーチン大統領に対する手紙文の作成と大使館への送付や、避難民を含む在日ウクライナ人の街頭行動に、生徒と教員が参加した事例もある。逆に、「ウクライナ支援は、戦争の継続や、動員されたロシア兵の殺害につながる」という理由で、行動しない生徒もいるようだ。筆者の経験から補足すると、街宣活動をしている在日ウクライナ人やベラルーシ人も、反戦行動をしている在日ロシア人やタタール人も、それぞれ多様な意見をもつ。
 

 ところで、ウクライナ戦争勃発直後から、「高校生平和ゼミナール」は積極的に活動し、マスコミも注目してきた。駐日ロシア大使館前行動と駐日ウクライナ大使館へのピース・ウォーク、抗議声明の公表と署名活動、活動記録映画の製作、などを展開している。この団体は、1978年に広島で誕生し、その後、全国各地で結成された。筆者は1999年8月6日、勤務校にある社会研究部のヒロシマ合宿引率時に、その存在を知った。平和記念公園内で、彼らの集会と遭遇したからである。ちなみにその時、とりわけ大きな声で平和を訴えている、世羅高校の生徒諸君との出会いもあった。同年2月、世羅高校の校長は、県教委に「日の丸・君が代」を強制され、卒業式前日に自殺している。他方、沖縄発の動きとしては、「沖縄・東京・朝鮮半島インターネットTV高校生平和意見交換会」があり、2001年、筆者の勤務校を第1回東京会場にして実現した。ただし、このイベントは数年続いたものの、やがて受け継ぐ生徒がいなくなり、自然消滅してしまった。現在、全国的にも、中高生の自主的な平和活動は、低調だと言わざるをえない。
 

 「高校生平和ゼミナール」に話を戻すが、彼らは2023年東京で、ドキュメンタリー映画「声をあげる高校生たち―核兵器禁止条約に署名・批准を」の上映&集会を主催している。その集会で提起され、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」の合同集会でも議論された論点に、「合意知」をめぐる諸問題がある。その要旨を最後に紹介したい。
 

 「グローバル資本と新自由主義国家による世界支配を背景に、危機に対処する国際協調は破壊され、有利なサバイバルのためのナショナリズムと軍事的対抗が進行している。共同よりも競争が重視され、民主政治よりも暴力的解決の時代なのかも知れない。ウクライナやガザの現実は、民族共存よりも排外主義、利害調整よりも敵対者の殲滅、また日本の政治は、議会での合意形成よりも閣議決定、となっていないか。学校教育においては、社会の問題や人間の尊厳を考える『合意知』よりも、客観的で明確な正解だけを求める『科学知』が重視される。学びの質が、幅広く豊かな教養よりも、人材コンピテンシーの獲得に傾斜している。教育のデジタル化は、この傾向を加速している。アクティブラーニングも、その目的や動機を欠いては、人材力の競争にしかならない。今こそ必要なのは、生徒の主体性・能動性に支えられた、批判力・変革力と合意力・共同力の育成である」。
 

 以上、シンプルな指摘だが、こうした「合意知」よりも「科学知」に偏重した教育は、筆者の実感でもある。近年の新自由主義とナショナリズムの浸透により、生存競争に追い立てられている生徒には、戦火に苦しむドンバスを含むウクライナ住民、ロシア・ウクライナの兵士や国外避難民、そして反戦運動に決起して今や獄中にいる人々を思いやる余裕などない。国家や社会を批判するより、金融教育のなかで資産形成を学ぶ方が、自己の人生の「安全保障」になると感じている。それゆえ、パレスチナ解放を訴える米国の大学生に対し、日本の教室では、「自分のキャリアに傷が付く行為をすべきでない」という意見が、平然と語られるのである。しかし、友愛のない教室からは、戦争という非人間的行為を克服する意志も、平和を大切にする心も生まれない。平和の創造のための教育は、人間的な友愛を基礎に、対話と共感を重ねた地平に成立する。
 

 国際法や歴史の一面からロシアを断罪する前に、戦争の原因を分析し、問題解決の道を探ることが重要だ。グローバルサウスに希望を託す前に、戦争勃発を許した国際社会の責任を感じ、日本から何が出来るかを考えることが重要だ。そして学校においては、生徒の保守化・右傾化を嘆く前に、教職員組合が反戦の声をあげることが肝心である。教室では、反戦運動を抑え込むロシアやベラルーシの独裁体制を指弾する前に、政治囚として獄中にいる人々に敬意を払い共感することが大切だ。実際、生徒が書いた要請文を駐日ロシア大使館に送付した教育労働者がいる一方、生徒が書いた激励文をベラルーシのNGOを通じて獄中に届けた教育労働者もいる。平和教材からの「はだしのゲン」削除問題が象徴するように、戦後日本の平和教育は危機にある。だが、複雑で論点も多いロシア・ウクライナ戦争をめぐる議論を契機に、再び平和憲法を活かして立て直すことは不可能ではない。現場の教育労働者たちは今、そのための共同作業を、必死に続けている。

・注1:国連憲章2条4項は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」、国連憲章51条は「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない」と規定している。


佐藤和之(佼成学園教職員組合)

 

入管法改定案に関する声明文

去る3月15日、日本政府は「永住者」の在留資格を有する外国人について、税金や社会保 険料を滞納した場合や、1年以下の懲役・禁固刑を受けた場合等に、在留資格の取り消しを 可能とする入管法改定案を閣議決定しました。  


「永住者」の資格取得は、「10年以上日本に在留し、就労期間が5年以上」「懲役刑など を受けていない」「納税などの公的義務を履行」等、他の先進諸国と比較しても非常に厳し い条件が課されています。
 

このような高いハードルをクリアし許可を受けた「永住者」は、 昨年6月末時点約88万人、在留外国人の約27.3%に上っています。  今回の入管法改定案は、政府が今国会で成立を目指す「育成就労制度」の導入や「特定技 能制度」の職種拡大に伴い、「永住者」が増加することを予測し、永住資格許可の適正化を 求めたものであるとされています。
 

しかしながら、一方で「永住者」資格の取消法案が成立するならば、数万名もの永住資格を持ち、長年にわたり日本に居住する在日韓国人の生活および権利が著しく侵害されるものであると言わざるを得ません。
 

「永住者」は、日本国内で居住していても加齢・病気・事故・社会状況の変化など、長年日本で生活していくうちに許可時の条件が満たされなくなることは起こり得ます。税金等の少額未納が発生した場合や過失犯も含めた軽微な犯罪の場合に在留資格を取消されることがあり得るという立場に置くこと自体、「永住者」に対する深刻なる差別であると言えます。
 

特に、税金や社会保険料の滞納は、日本人同様に、督促、差押え、行政罰、刑罰で充分対処できることです。 
 

本団の構成員である韓国籍を持つ在日韓国人は、長年日本に居住しながら地域に根差して 生活する「永住者」や、日本で生まれ日本語しかわからない2世、3世の「永住者」も多くお ります。
日本市民と共に生活をしながら、地域社会の発展に貢献しています。

 

今回の入管法改定案による在留資格取消制度の導入は、日本政府が目指す「共生社会の実現」に逆行するばかりか、歴史的な背景により日本に居住するに至った在日韓国人の「永住者」や、また、生活上の様々な事情により、余儀なく日本に居住するに至った在日外国人の「永住者」、さらにはその子孫までも対象とし、納税不履行や軽微な刑事罰等によって簡単に永住資格が取り消されることは、深刻かつ憂慮すべき問題であります。ましてや国または公共団体の職員が入管へ通報できる制度まで創設するというのは余りにも過度な取り締まり
と言えます。

 

また同法案に関しては、その立法事実の有無等が慎重に検討されるべきものであるにもかかわらず、有識者会議でも全く検討されないままにこの点が唐突に提案されており、拙速に具体化すべきものではありません。
 

以上の趣旨から本団は、この度の日本政府の入管法改定案は「永住者」の生活、人権を脅かす重大事案と認識し、是正を強く求めます。
    
2024年 4月 30日
 在日本大韓民国民団中本部 
   団長    金 利 中