ウクライナ戦争と日本の平和教育
教育現場において、ロシア・ウクライナ戦争は、どう教えられているのだろうか。とりわけ、中・高等学校の社会科(地歴科・公民科)担当の教育労働者は、この戦争をどう教えているのだろうか。そして、憲法第9条を大切にしてきた戦後日本の平和教育は、現在どうなっているのだろうか。
2022年2月24日に始まるロシア軍のウクライナ侵攻以降、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」など、社会科の教員を中心とする研修団体は、この戦争をめぐる学習会や研究集会を重ね、その機関誌にも様々な論文や実践報告を掲載している。筆者も可能な限りそれらの会合に参加し、各団体の刊行物にも目を通してきた。ウクライナ戦争は3年目に突入し、イスラエル軍によるガザ攻撃まで加わった現在、教育労働者の試行錯誤は続いている。
それゆえ、その授業実践は多様だが、いくつか共通する傾向も発見できる。すなわち、第1に国際法から戦争の現実をとらえようとするアプローチ、第2にロシアの主張と歴史経緯から戦争の原因を探ろうとするアプローチ、第3にグローバルサウスの動向から平和構築を志向するアプロ―チである。そこで以下、この観点から教育内容と内部の議論を整理・紹介し、検討してみたい。加えて、高校生たちの平和活動の現状と、「合意知」をめぐる議論を紹介したい。
<国際法とウクライナ戦争>
まず前提として、本稿で検討する授業実践は、研究集会での報告と機関誌掲載の記事を合わせた10本程度である。教育現場全体として、思ったほどウクライナ戦争を授業化できていない、という指摘がある一方、湾岸戦争時の「ナイラ証言」の教訓から、今は授業化すべきでない、という意見もあった。そうした中で、第1の国際法的アプローチから語られる、「ロシアの国際法違反」は、最も繰り返されるキーワードである。例えば、次のような授業での説明が、典型的である。
「ロシア軍の侵攻は、ウクライナの主権と領土の侵害であり、武力行使禁止原則を定めた国連憲章2条4項違反である」「ロシアは、ドネツク・ルガンスク両人民共和国の要請にもとづく、国連憲章51条に規定された集団的自衛権の行使だというが、国際社会はドネツク・ルガンスクの独立を承認していない」「ロシア軍の攻撃は、ウクライナ全土におよび、民間人やインフラも犠牲になっている。仮に、ロシア側の自衛権を認めるとしても、均衡性の観点から問題がある。また、文民や民用物への攻撃は、国際人道法に反している」。
しかし、こうした説明自体は間違いではないが、開戦経緯を省略している点に、換言すればドンバス戦争との関連を無視している点に問題がある。世界が注目し始めたのは、ロシア軍がウクライナ国境付近に10万人規模の部隊を展開した2021年3月である。10月には、ウクライナ軍が初めて軍事用ドローンをドンバス戦争で使用し、緊張が高まった。ドンバス戦争は、2014年のマイダン革命後、ドネツク・ルガンスクの親ロシア派が独立宣言し、これを認めないウクライナ政府軍との間で発生した内戦だが、2015年の「ミンスク合意」で、停戦と東部2州の「特別な自治」が確認されている。だが、実際には紛争が続き、ロシアは「ミンスク合意」の履行と「NATO東方不拡大」の法的文書化を、ウクライナや欧米に繰り返し要求してきた。だが、最終的には2022年2月10日、フランス・ドイツ・ロシア・ウクライナの4カ国会議で、ウクライナが「ミンスク合意」を明確に否定して、交渉は事実上決裂した。
OSCE監視団の報告によると、2月16日からドンバス州境付近で停戦違反と砲撃の回数が劇的に増加し、18日には親ロシア派がドンバス住民に避難を呼びかけた。21日、ロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を国家承認し、22日に友好協力相互支援協定を締結。23日、両共和国は軍事援助を要請し、24日にロシア軍はウクライナへの侵攻を開始した。なお、開戦後の同年12月、メルケル元独首相は「ミンスク合意はウクライナ軍増強のための時間稼ぎだった」と告白し、それを締結当時の関係者とゼレンスキーも認めている。いずれにせよ、こうした開戦経緯の解説を授業で省略しては、戦争の原因にも迫れない。
次に、国家として分離独立が承認される国際法上の要件は何か、という論点が提示されないのも問題だ。これは、自決権のうちの外的自決にかかわる問題だが、現在の国際法では、政治弾圧や人権侵害を受けている人民が存在する場合に、「救済的分離」が認められる場合がある。そこで教材として例示すべきは、1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆と2008年のコソボ独立にむけた支援だ。今のウクライナでの出来事と、コソボをめぐる出来事とは相似形をなす。NATO初の域外攻撃でもあるこの空爆は、民族浄化に対する「人道的介入」を名目に、国連の承諾なく強行された。住民投票もなく宣言されたコソボ独立は、「力による現状変更」であり国境線の変更だが、2010年に国際司法裁判所はこれを違法ではないと判定した。国際社会に独立が承認されない、ドネツク・ルガンスクとの違いは何だろうか。
さらに、ロシア軍の攻撃が自衛の範囲を越え、国際人道法にも反しているという、授業での指摘は正しい。当初ロシア軍は、北部ベラルーシ国境・東部ロシア国境・南部クリミア半島から侵攻し、体制変更と領土獲得とを同時に追求したかに見えた。ただし、ウクライナ側も「軍民分離の原則」を守っているか、検証する必要がある。実際2022年8月、国際人権団体は、ウクライナ軍が学校や病院に拠点を置いていると指摘したが、公表したことにゼレンスキーが激怒して騒動となった。「ノルド・ストリーム」爆破やカホフカダム破壊に関しては、独立した調査はなされず、犯人は未だに不明である。ブチャの虐殺も謎が多く、国連安保理がロシアによる調査要求を拒否する一方、フランス憲兵隊の調査では遺体からウクライナ軍が使用しているフレシェット弾が発見された。国際刑事裁判所も、ドンバス戦争中の住民虐殺に関する資料の受け取りを拒否したが、ウクライナ戦争ではプーチンに逮捕状を発行している。
<ロシアとウクライナの関係史>
思いの外、「ロシア側の言い分も知りたい」という、生徒の意見は多い。そうした要望に応える必要もあり、第2の歴史的アプローチから、プーチン演説が紹介され、ロシア・ウクライナ史が講義される。これは、プーチンの歴史観の検討と、戦争原因の究明という意味をもつ。そして、次のような結論が導かれる。
「ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人は歴史的に一体だが、欧米の介入により、ウクライナはロシアに対立するようになった、とプーチンは主張する。しかし、ロシアに親近感があるのはウクライナ東部の住民であり、全体としてはロシアに対する警戒感もある」「1991年の国民投票では、ソ連からの独立に、ウクライナの90%が賛成した。ドンバス地方の80%と、クリミア自治共和国の過半数も、賛成した」「ウクライナの独立と主権を保証した1994年の『ブタペスト覚書』に、ロシア軍の侵攻とドンバスやクリミアの併合は違反している」。
ウクライナ戦争をめぐる歴史的考察がなされる場合、よくプーチン演説が資料として引用されるにもかかわらず、ロシアの戦争目的に着目する授業がないのは問題である。それは、①NATOの東方拡大の阻止、②ドンバスの親ロシア派住民の救済、③ウクライナ政権の「非ナチス化」「非軍事化」「中立化」に要約されるが、どれも正当かどうかは別として、一定の現実的根拠をもつ。ちなみに現在、ゼレンスキ―は占領されたウクライナ東南部4州とクリミアの奪還を、バイデンはロシアの弱体化を、戦争目的として公言している。
次に、1991年8月の国民投票で、ソ連からのウクライナの独立を、クリミアやドンバスの住民も支持したが、その後の動きを捨象しては、歴史の切り取りでしかない。すなわち、9月にクリミア議会は主権宣言を採択し、12月のソ連邦崩壊を経て、1992年5月には国家的自主性に関する宣言とクリミア共和国憲法を採択している。その後、2014年2月にマイダン革命が起きると、3月にクリミア議会はウクライナからの独立宣言を採択し、続く住民投票ではロシアへの編入が支持された。他方、5月にドネツク・ルガンスク両州でも住民投票が実施され、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立が宣言されている。概して言えば、ソ連邦の崩壊以降、ウクライナが主権国家として存在してきた事実は重要だが、とりわけマイダン革命を通じた米国ネオコンの内政干渉以降、国内では親欧米派と親ロシア派との対立が激化し、分離主義が台頭したのも事実である。
さらに、「ブタペスト覚書」は、「ウクライナの独立と主権と既存の国境を尊重する」という内容を含むので、ロシア軍のウクライナ侵攻は、確かにこれに違反する。ただし、「ブタペスト覚書」は条約ではないので、守らなくても国際法違反にはならない。1990年のベーカー米国務長官やコール西独首相らによる所謂「NATO東方不拡大」発言が、しばしば問題になるが、これも公式な場での発言であっても条約ではない。他方、2014年・2015年の「ミンスク合意」は、国連に登録されている条約であり、法的な拘束力をもつ。しかし、条約以外は守らなくてよいのだろうか。国際政治や国際秩序の観点から、授業で議論したい論点である。
<グローバルサウスと地域協力>
社会科担当の教育労働者は、現実から正しい情報提供と問題提起をして、生徒に主体的に考えさせることが必要だ。だが同時に、生徒とともに考え対話する中で、教員としての「指導性」を貫くことが重要だとされる。問題を、生徒に丸投げしたままではいけない。そこで、第3のグローバルサウス・アプローチから、戦争解決の方向性と平和貢献の方法が模索される。少し引用が長くなるが、以下、授業で使用される資料などから抜粋する。
*ウクライナのTAC加入:「1976年、ASEAN首脳会議は、東南アジア友好協力条約(TAC)を締結した。TACは、紛争の話し合い解決を基本とした、不戦条約である。東南アジア地域の平和を目的としているが、TAC加入国は、ASEAN 諸国にとどまらない。今日では、ロシアやEUを含む、51カ国・機構が加入している。2022年11月、ウクライナにも打診し、TACに加入させた。ウクライナ戦争の停戦と交渉解決を促す、ASEANの巧妙な演出である」(『歴史地理教育』2024年1月)。
*パグオッシュ会議の声明:「現在の危機的状況を抜け出すための解決は次の通り。①即時停戦。②ウクライナからの外国軍および外国の軍事施設の全面撤収。③ドンバス地域の自治を、地方行政および言語的アイデンティティの見地から、承認すること。④クリミアをロシア連邦の一部として承認すること。クリミアにおける二度の住民投票は、ロシア連邦への復帰を支持した。⑤ウクライナとロシアの国境、また他の国々との国境を越えての、人々の移動の自由。⑥ロシア軍のウクライナからの撤収後は、ロシアに対する制裁は解除されねばならない。経済制裁は、制裁されている国以外にも、消極的な結果をもたらす可能性がある。⑦ウクライナの中立的な地位を強調する明確な合意。特に、ウクライナはNATO加盟をめざそうとしないことが、了解される必要がある。その代わりに、条約にもとづく国際的な安全保障を、中立のウクライナに対して保証することが重要となる。⑧ウクライナの平和的な経済復興のためのプログラム。ウクライナにおける危機の解決のための第一歩が踏み出され次第、ヨーロッパの新たな安全保障の枠組みをめぐる新たな交渉が開始される必要があり、それは、全体にとっての不可分の安全という考え方にもとづくものでなければならない」(2022年2月26日)。
*ケニア国連大使の国連安保理での発言:「仮に私たちが文化的特性、人種、あるいは宗教面での同質性をもとに国家をめざそうとしていたならば、何十年も経った今も、血なまぐさい戦争を繰り広げていただろう。私たちは、アフリカ統一機構(OAU)の諸原則と国連憲章を守る道を選んだ。それは、自分たちの国境線に満足したからではなく、もっと偉大な何かを、平和的に実現したいからだ」(2022年2月21日)。
2022年3月2日、ロシアに撤退を求める国連決議は圧倒的多数の国々が賛成したが(賛成141・反対5・棄権35)、2月26日以降、米国主導のロシアへの経済制裁には圧倒的多数の国々が不参加(参加36・不参加145)となっている。その内訳を見ると、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国が、判断に迷っている印象を受ける。帝国主義時代の記憶から、これらの国々の欧米に対する不信感は根強いようだ。
そして、アメリカの世界覇権の後退と、インドなどグローバルサウスの台頭を予期し、そうした国際環境の変動に踏まえて、ウクライナ戦争後の平和秩序を再考する授業実践が報告されている。その場合、ウクライナ戦争の原因を軍事ブロックの拡大と民族対立に求め、解決策は国連憲章と日本国憲法9条を活かす形で授業化されることが多い。その一つが、「非同盟・地域協力」の国々を拡大すべきという主張であり、そこで使われるのがASEANとTACの資料だ。現在、国連の集団安全保障体制が未確立なまま、NATOなど軍事ブロック・軍事同盟が残存し、ロシアなど大国は地域覇権を維持しようとする。だが今後は、軍事ブロックは解消すると同時に、集団安全保障体制を確立し、地域経済協力を深化・拡大すべきだと主張される。それゆえ、欧米やロシア・中国と距離をおいたグローバルサウスの動向が、授業では注目されていく。
ところが、日本の言論状況は深刻で、それが教室にも反映している。大手メディアは「今日のウクライナは明日のアジア」と危機感を煽り、中国や北朝鮮を標的にした軍備増強を否定することはない。日本政府は、日米軍事同盟の強化、自衛隊の沖縄南西シフト、「敵基地攻撃能力」の保有、防衛費倍増、麻生自民党副総裁の「戦う覚悟」発言など、危険な動きを示している。市民運動圏でも、ウクライナ軍の徹底抗戦と軍事支援を肯定する潮流が存在し、即時停戦・交渉解決を主張する潮流との間で論争が絶えない。社会科の教育労働者の研究集会でも、戦場での住民虐殺といったリアルを見すえて軍事力を増強すべきという意見と、原発の占拠という人類滅亡につながりかねないリアルを見すえて即時停戦すべきという意見が対立した。
そこで、グローバルサウスではないが、パグオッシュ会議の資料が授業で使われる。これは、ウクライナ戦争に関する包括的な和平案だが、根底には「非核・非戦」の思想が流れていると考えてよい。民族対立の解決についても、踏み込んだ提案がなされている。この点については、ケニアの資料も参考になる。民族対立という難問に関しては、一般に「多民族共生」の理念を説く授業が多いのだが、この資料を使って、より発展的な議論ができるだろう。なお筆者の場合、世界宗教者平和会議を創設・主導した庭野日敬氏による、「危険を冒して武装するより平和のために危険を冒そう」という非戦の言葉を、教室で引用することが多くなっている。
<戦後平和教育の危機>
戦争は若者をも巻き込んでいく。現在、ロシアの兵役年齢は男女とも18~30歳。ウクライナの兵役年齢は18~25歳だが、戦時動員の対象は18~60歳で、医学教育を受けた女性も登録が義務となった。また、ロシア・ウクライナ・日本とも、選挙権は18歳以上の男女に認められ、これは高校生も例外ではない。それゆえ近年、日本では主権者教育が重視されているが、ウクライナ戦争に関しても、署名運動や募金活動の意義を説く授業実践が報告されている。実際、プーチン大統領に対する手紙文の作成と大使館への送付や、避難民を含む在日ウクライナ人の街頭行動に生徒と教員が合流した事例が報告されている。逆に、「ウクライナ支援は戦争の継続や動員されたロシア兵の殺害につながる」という理由で、行動しない生徒もいるようだ。筆者の経験から補足すると、街宣活動をしている在日ウクライナ人やベラルーシ人も、反戦行動をしている在日ロシア人やタタール人も、それぞれ多様な意見をもつ。
ところで、ウクライナ戦争勃発直後から、「高校生平和ゼミナール」は積極的に活動し、マスコミも注目してきた。駐日ロシア大使館前行動と駐日ウクライナ大使館へのピース・ウォーク、抗議声明の公表と署名活動、活動記録映画の製作などを続けている。この団体は、1978年に広島で誕生し、その後、全国各地で結成されていく。ちなみに、筆者は1999年8月6日、勤務校にある社会研究部のヒロシマ合宿引率時に、彼らの集会に遭遇して存在を知った。他方、沖縄発の動きとしては、「沖縄・東京・朝鮮半島インターネットTV高校生平和意見交換会」があり、2001年、佼成学園が第1回東京会場となった。ただし、このイベントは数年続いたが、やがて受け継ぐ生徒がいなくなり、自然消滅してしまった。現在、SDGsに対応した中高生の社会活動は増えたが、学校の枠を超えた自主的な平和運動は全国的に低調である。「高校生平和ゼミナール」に話を戻すと、彼らが2023年の集会で提起し、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」の合同集会でも議論された論点に、「合意知」をめぐる諸問題がある。その要旨を、最後に紹介したい。
「グローバル資本と新自由主義国家による世界支配を背景に、危機に対処する国際協調は破壊され、サバイバルのためのナショナリズムと軍事的対抗が進行している。共同よりも競争が重視され、民主政治よりも暴力的解決が志向される。ウクライナの現実は、民族共存よりも排外主義、利害調整よりも敵対者の殲滅、となっていないか。学校教育においては、社会の問題や人間の尊厳を考える『合意知』よりも、客観的で明確な正解だけを求める『科学知』が重視される。学びの質が、幅広く豊かな教養よりも、人材コンピテンシーの獲得に傾斜している。アクティブラーニングも、その目的や動機を欠いては、人材力の競争にしかならない。今こそ必要なのは、生徒の主体性・能動性に支えられた、批判力・変革力と合意力・共同力の育成である」。
これらは筆者の実感でもある。補足すると、教育のデジタル化は、この傾向を加速している。昨今、旅行社がスタディ・ツアーを流行らせているが、大学入試で使う「ボランティア証明書」取得のためなら、本末転倒だろう。近年の新自由主義とナショナリズムの浸透により、生存競争に追い立てられている生徒には、戦火に苦しむドンバスを含むウクライナ住民、ロシア・ウクライナの兵士や国外避難民、そして反戦運動に決起して今や獄中にいる人々を思いやる余裕などない。国家や社会を批判するより、金融教育で資産形成を学ぶ方が、自己の人生の「安全保障」になると感じている。それゆえ、パレスチナ解放を訴える米国の大学生に対し、日本の教室では、「自分のキャリアに傷が付く行為をすべきでない」という意見が、平然と語られるのである。しかしながら、友愛のない教室からは、戦争という非人間的行為を克服する意志も、平和を大切にする心も生まれない。平和の創造のための教育は、人間的な友愛を基礎に、対話と共感を重ねた地平に成立する。
国際法や歴史の一面からロシアを断罪する前に、戦争の原因を分析し、問題解決の道を探ることが重要だ。グローバルサウスに希望を託す前に、戦争勃発を許した国際社会の責任を感じ、日本から何が出来るかを考えることが重要だ。そして学校においては、生徒の保守化・右傾化を嘆く前に、教職員組合が反戦の声をあげることが肝心である。教室では、反戦運動を抑え込むロシアやベラルーシの独裁体制を指弾する前に、政治囚として獄中にいる人々に敬意を払うべきだろう。平和教材からの「はだしのゲン」削除問題が象徴するように、戦後日本の平和教育は危機にある。だが、複雑な背景をもつウクライナ戦争をめぐる議論を契機に、再び平和憲法を活かして立て直すことは不可能ではない。教育労働者たちは今、そのための努力を必死に続けている。
佐藤和之(佼成学園教職員組合)