ロシア・CIS・チェチェン

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おいプーチン、チェチェンから撤退しろ!今ならまだ間に合うぜ by アンドレイ・バビーツキ

ウクライナ戦争と日本の平和教育


 教育現場において、ロシア・ウクライナ戦争は、どう教えられているのだろうか。とりわけ、中・高等学校の社会科(地歴科・公民科)担当の教育労働者は、この戦争をどう教えているのだろうか。そして、憲法第9条を大切にしてきた戦後日本の平和教育は、現在どうなっているのだろうか。
 

 2022年2月24日に始まるロシア軍のウクライナ侵攻以降、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」など、社会科の教員を中心とする研修団体は、この戦争をめぐる学習会や研究集会を重ね、その機関誌にも様々な論文や実践報告を掲載している。筆者も可能な限りそれらの会合に参加し、各団体の刊行物にも目を通してきた。ウクライナ戦争は3年目に突入し、イスラエル軍によるガザ攻撃まで加わった現在、教育労働者の試行錯誤は続いている。
 

 それゆえ、その授業実践は多様だが、いくつか共通する傾向も発見できる。すなわち、第1に国際法から戦争の現実をとらえようとするアプローチ、第2にロシアの主張と歴史経緯から戦争の原因を探ろうとするアプローチ、第3にグローバルサウスの動向から平和構築を志向するアプロ―チである。そこで以下、この観点から教育内容と内部の議論を整理・紹介し、検討してみたい。加えて、高校生たちの平和活動の現状と、「合意知」をめぐる議論を紹介したい。
 

 <国際法とウクライナ戦争>
 

 まず前提として、本稿で検討する授業実践は、研究集会での報告と機関誌掲載の記事を合わせた10本程度である。教育現場全体として、思ったほどウクライナ戦争を授業化できていない、という指摘がある一方、湾岸戦争時の「ナイラ証言」の教訓から、今は授業化すべきでない、という意見もあった。そうした中で、第1の国際法的アプローチから語られる、「ロシアの国際法違反」は、最も繰り返されるキーワードである。例えば、次のような授業での説明が、典型的である。
 

 「ロシア軍の侵攻は、ウクライナの主権と領土の侵害であり、武力行使禁止原則を定めた国連憲章2条4項違反である」「ロシアは、ドネツク・ルガンスク両人民共和国の要請にもとづく、国連憲章51条に規定された集団的自衛権の行使だというが、国際社会はドネツク・ルガンスクの独立を承認していない」「ロシア軍の攻撃は、ウクライナ全土におよび、民間人やインフラも犠牲になっている。仮に、ロシア側の自衛権を認めるとしても、均衡性の観点から問題がある。また、文民や民用物への攻撃は、国際人道法に反している」。
 

 しかし、こうした説明自体は間違いではないが、開戦経緯を省略している点に、換言すればドンバス戦争との関連を無視している点に問題がある。世界が注目し始めたのは、ロシア軍がウクライナ国境付近に10万人規模の部隊を展開した2021年3月である。10月には、ウクライナ軍が初めて軍事用ドローンをドンバス戦争で使用し、緊張が高まった。ドンバス戦争は、2014年のマイダン革命後、ドネツク・ルガンスクの親ロシア派が独立宣言し、これを認めないウクライナ政府軍との間で発生した内戦だが、2015年の「ミンスク合意」で、停戦と東部2州の「特別な自治」が確認されている。だが、実際には紛争が続き、ロシアは「ミンスク合意」の履行と「NATO東方不拡大」の法的文書化を、ウクライナや欧米に繰り返し要求してきた。だが、最終的には2022年2月10日、フランス・ドイツ・ロシア・ウクライナの4カ国会議で、ウクライナが「ミンスク合意」を明確に否定して、交渉は事実上決裂した。
 

 OSCE監視団の報告によると、2月16日からドンバス州境付近で停戦違反と砲撃の回数が劇的に増加し、18日には親ロシア派がドンバス住民に避難を呼びかけた。21日、ロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を国家承認し、22日に友好協力相互支援協定を締結。23日、両共和国は軍事援助を要請し、24日にロシア軍はウクライナへの侵攻を開始した。なお、開戦後の同年12月、メルケル元独首相は「ミンスク合意はウクライナ軍増強のための時間稼ぎだった」と告白し、それを締結当時の関係者とゼレンスキーも認めている。いずれにせよ、こうした開戦経緯の解説を授業で省略しては、戦争の原因にも迫れない。
 

 次に、国家として分離独立が承認される国際法上の要件は何か、という論点が提示されないのも問題だ。これは、自決権のうちの外的自決にかかわる問題だが、現在の国際法では、政治弾圧や人権侵害を受けている人民が存在する場合に、「救済的分離」が認められる場合がある。そこで教材として例示すべきは、1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆と2008年のコソボ独立にむけた支援だ。今のウクライナでの出来事と、コソボをめぐる出来事とは相似形をなす。NATO初の域外攻撃でもあるこの空爆は、民族浄化に対する「人道的介入」を名目に、国連の承諾なく強行された。住民投票もなく宣言されたコソボ独立は、「力による現状変更」であり国境線の変更だが、2010年に国際司法裁判所はこれを違法ではないと判定した。国際社会に独立が承認されない、ドネツク・ルガンスクとの違いは何だろうか。
 

 さらに、ロシア軍の攻撃が自衛の範囲を越え、国際人道法にも反しているという、授業での指摘は正しい。当初ロシア軍は、北部ベラルーシ国境・東部ロシア国境・南部クリミア半島から侵攻し、体制変更と領土獲得とを同時に追求したかに見えた。ただし、ウクライナ側も「軍民分離の原則」を守っているか、検証する必要がある。実際2022年8月、国際人権団体は、ウクライナ軍が学校や病院に拠点を置いていると指摘したが、公表したことにゼレンスキーが激怒して騒動となった。「ノルド・ストリーム」爆破やカホフカダム破壊に関しては、独立した調査はなされず、犯人は未だに不明である。ブチャの虐殺も謎が多く、国連安保理がロシアによる調査要求を拒否する一方、フランス憲兵隊の調査では遺体からウクライナ軍が使用しているフレシェット弾が発見された。国際刑事裁判所も、ドンバス戦争中の住民虐殺に関する資料の受け取りを拒否したが、ウクライナ戦争ではプーチンに逮捕状を発行している。
 

 <ロシアとウクライナの関係史>
 

 思いの外、「ロシア側の言い分も知りたい」という、生徒の意見は多い。そうした要望に応える必要もあり、第2の歴史的アプローチから、プーチン演説が紹介され、ロシア・ウクライナ史が講義される。これは、プーチンの歴史観の検討と、戦争原因の究明という意味をもつ。そして、次のような結論が導かれる。
 

 「ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人は歴史的に一体だが、欧米の介入により、ウクライナはロシアに対立するようになった、とプーチンは主張する。しかし、ロシアに親近感があるのはウクライナ東部の住民であり、全体としてはロシアに対する警戒感もある」「1991年の国民投票では、ソ連からの独立に、ウクライナの90%が賛成した。ドンバス地方の80%と、クリミア自治共和国の過半数も、賛成した」「ウクライナの独立と主権を保証した1994年の『ブタペスト覚書』に、ロシア軍の侵攻とドンバスやクリミアの併合は違反している」。

 

 ウクライナ戦争をめぐる歴史的考察がなされる場合、よくプーチン演説が資料として引用されるにもかかわらず、ロシアの戦争目的に着目する授業がないのは問題である。それは、①NATOの東方拡大の阻止、②ドンバスの親ロシア派住民の救済、③ウクライナ政権の「非ナチス化」「非軍事化」「中立化」に要約されるが、どれも正当かどうかは別として、一定の現実的根拠をもつ。ちなみに現在、ゼレンスキ―は占領されたウクライナ東南部4州とクリミアの奪還を、バイデンはロシアの弱体化を、戦争目的として公言している。
 

 次に、1991年8月の国民投票で、ソ連からのウクライナの独立を、クリミアやドンバスの住民も支持したが、その後の動きを捨象しては、歴史の切り取りでしかない。すなわち、9月にクリミア議会は主権宣言を採択し、12月のソ連邦崩壊を経て、1992年5月には国家的自主性に関する宣言とクリミア共和国憲法を採択している。その後、2014年2月にマイダン革命が起きると、3月にクリミア議会はウクライナからの独立宣言を採択し、続く住民投票ではロシアへの編入が支持された。他方、5月にドネツク・ルガンスク両州でも住民投票が実施され、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立が宣言されている。概して言えば、ソ連邦の崩壊以降、ウクライナが主権国家として存在してきた事実は重要だが、とりわけマイダン革命を通じた米国ネオコンの内政干渉以降、国内では親欧米派と親ロシア派との対立が激化し、分離主義が台頭したのも事実である。
 

 さらに、「ブタペスト覚書」は、「ウクライナの独立と主権と既存の国境を尊重する」という内容を含むので、ロシア軍のウクライナ侵攻は、確かにこれに違反する。ただし、「ブタペスト覚書」は条約ではないので、守らなくても国際法違反にはならない。1990年のベーカー米国務長官やコール西独首相らによる所謂「NATO東方不拡大」発言が、しばしば問題になるが、これも公式な場での発言であっても条約ではない。他方、2014年・2015年の「ミンスク合意」は、国連に登録されている条約であり、法的な拘束力をもつ。しかし、条約以外は守らなくてよいのだろうか。国際政治や国際秩序の観点から、授業で議論したい論点である。 
 

<グローバルサウスと地域協力>
 

 社会科担当の教育労働者は、現実から正しい情報提供と問題提起をして、生徒に主体的に考えさせることが必要だ。だが同時に、生徒とともに考え対話する中で、教員としての「指導性」を貫くことが重要だとされる。問題を、生徒に丸投げしたままではいけない。そこで、第3のグローバルサウス・アプローチから、戦争解決の方向性と平和貢献の方法が模索される。少し引用が長くなるが、以下、授業で使用される資料などから抜粋する。

*ウクライナのTAC加入:「1976年、ASEAN首脳会議は、東南アジア友好協力条約(TAC)を締結した。TACは、紛争の話し合い解決を基本とした、不戦条約である。東南アジア地域の平和を目的としているが、TAC加入国は、ASEAN 諸国にとどまらない。今日では、ロシアやEUを含む、51カ国・機構が加入している。2022年11月、ウクライナにも打診し、TACに加入させた。ウクライナ戦争の停戦と交渉解決を促す、ASEANの巧妙な演出である」(『歴史地理教育』2024年1月)。
*パグオッシュ会議の声明:「現在の危機的状況を抜け出すための解決は次の通り。①即時停戦。②ウクライナからの外国軍および外国の軍事施設の全面撤収。③ドンバス地域の自治を、地方行政および言語的アイデンティティの見地から、承認すること。④クリミアをロシア連邦の一部として承認すること。クリミアにおける二度の住民投票は、ロシア連邦への復帰を支持した。⑤ウクライナとロシアの国境、また他の国々との国境を越えての、人々の移動の自由。⑥ロシア軍のウクライナからの撤収後は、ロシアに対する制裁は解除されねばならない。経済制裁は、制裁されている国以外にも、消極的な結果をもたらす可能性がある。⑦ウクライナの中立的な地位を強調する明確な合意。特に、ウクライナはNATO加盟をめざそうとしないことが、了解される必要がある。その代わりに、条約にもとづく国際的な安全保障を、中立のウクライナに対して保証することが重要となる。⑧ウクライナの平和的な経済復興のためのプログラム。ウクライナにおける危機の解決のための第一歩が踏み出され次第、ヨーロッパの新たな安全保障の枠組みをめぐる新たな交渉が開始される必要があり、それは、全体にとっての不可分の安全という考え方にもとづくものでなければならない」(2022年2月26日)。 
*ケニア国連大使の国連安保理での発言:「仮に私たちが文化的特性、人種、あるいは宗教面での同質性をもとに国家をめざそうとしていたならば、何十年も経った今も、血なまぐさい戦争を繰り広げていただろう。私たちは、アフリカ統一機構(OAU)の諸原則と国連憲章を守る道を選んだ。それは、自分たちの国境線に満足したからではなく、もっと偉大な何かを、平和的に実現したいからだ」(2022年2月21日)。

 2022年3月2日、ロシアに撤退を求める国連決議は圧倒的多数の国々が賛成したが(賛成141・反対5・棄権35)、2月26日以降、米国主導のロシアへの経済制裁には圧倒的多数の国々が不参加(参加36・不参加145)となっている。その内訳を見ると、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国が、判断に迷っている印象を受ける。帝国主義時代の記憶から、これらの国々の欧米に対する不信感は根強いようだ。
 

 そして、アメリカの世界覇権の後退と、インドなどグローバルサウスの台頭を予期し、そうした国際環境の変動に踏まえて、ウクライナ戦争後の平和秩序を再考する授業実践が報告されている。その場合、ウクライナ戦争の原因を軍事ブロックの拡大と民族対立に求め、解決策は国連憲章と日本国憲法9条を活かす形で授業化されることが多い。その一つが、「非同盟・地域協力」の国々を拡大すべきという主張であり、そこで使われるのがASEANとTACの資料だ。現在、国連の集団安全保障体制が未確立なまま、NATOなど軍事ブロック・軍事同盟が残存し、ロシアなど大国は地域覇権を維持しようとする。だが今後は、軍事ブロックは解消すると同時に、集団安全保障体制を確立し、地域経済協力を深化・拡大すべきだと主張される。それゆえ、欧米やロシア・中国と距離をおいたグローバルサウスの動向が、授業では注目されていく。
 

 ところが、日本の言論状況は深刻で、それが教室にも反映している。大手メディアは「今日のウクライナは明日のアジア」と危機感を煽り、中国や北朝鮮を標的にした軍備増強を否定することはない。日本政府は、日米軍事同盟の強化、自衛隊の沖縄南西シフト、「敵基地攻撃能力」の保有、防衛費倍増、麻生自民党副総裁の「戦う覚悟」発言など、危険な動きを示している。市民運動圏でも、ウクライナ軍の徹底抗戦と軍事支援を肯定する潮流が存在し、即時停戦・交渉解決を主張する潮流との間で論争が絶えない。社会科の教育労働者の研究集会でも、戦場での住民虐殺といったリアルを見すえて軍事力を増強すべきという意見と、原発の占拠という人類滅亡につながりかねないリアルを見すえて即時停戦すべきという意見が対立した。
 

 そこで、グローバルサウスではないが、パグオッシュ会議の資料が授業で使われる。これは、ウクライナ戦争に関する包括的な和平案だが、根底には「非核・非戦」の思想が流れていると考えてよい。民族対立の解決についても、踏み込んだ提案がなされている。この点については、ケニアの資料も参考になる。民族対立という難問に関しては、一般に「多民族共生」の理念を説く授業が多いのだが、この資料を使って、より発展的な議論ができるだろう。なお筆者の場合、世界宗教者平和会議を創設・主導した庭野日敬氏による、「危険を冒して武装するより平和のために危険を冒そう」という非戦の言葉を、教室で引用することが多くなっている。
 

<戦後平和教育の危機>
 

 戦争は若者をも巻き込んでいく。現在、ロシアの兵役年齢は男女とも18~30歳。ウクライナの兵役年齢は18~25歳だが、戦時動員の対象は18~60歳で、医学教育を受けた女性も登録が義務となった。また、ロシア・ウクライナ・日本とも、選挙権は18歳以上の男女に認められ、これは高校生も例外ではない。それゆえ近年、日本では主権者教育が重視されているが、ウクライナ戦争に関しても、署名運動や募金活動の意義を説く授業実践が報告されている。実際、プーチン大統領に対する手紙文の作成と大使館への送付や、避難民を含む在日ウクライナ人の街頭行動に生徒と教員が合流した事例が報告されている。逆に、「ウクライナ支援は戦争の継続や動員されたロシア兵の殺害につながる」という理由で、行動しない生徒もいるようだ。筆者の経験から補足すると、街宣活動をしている在日ウクライナ人やベラルーシ人も、反戦行動をしている在日ロシア人やタタール人も、それぞれ多様な意見をもつ。
 

 ところで、ウクライナ戦争勃発直後から、「高校生平和ゼミナール」は積極的に活動し、マスコミも注目してきた。駐日ロシア大使館前行動と駐日ウクライナ大使館へのピース・ウォーク、抗議声明の公表と署名活動、活動記録映画の製作などを続けている。この団体は、1978年に広島で誕生し、その後、全国各地で結成されていく。ちなみに、筆者は1999年8月6日、勤務校にある社会研究部のヒロシマ合宿引率時に、彼らの集会に遭遇して存在を知った。他方、沖縄発の動きとしては、「沖縄・東京・朝鮮半島インターネットTV高校生平和意見交換会」があり、2001年、佼成学園が第1回東京会場となった。ただし、このイベントは数年続いたが、やがて受け継ぐ生徒がいなくなり、自然消滅してしまった。現在、SDGsに対応した中高生の社会活動は増えたが、学校の枠を超えた自主的な平和運動は全国的に低調である。「高校生平和ゼミナール」に話を戻すと、彼らが2023年の集会で提起し、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」の合同集会でも議論された論点に、「合意知」をめぐる諸問題がある。その要旨を、最後に紹介したい。
 

 「グローバル資本と新自由主義国家による世界支配を背景に、危機に対処する国際協調は破壊され、サバイバルのためのナショナリズムと軍事的対抗が進行している。共同よりも競争が重視され、民主政治よりも暴力的解決が志向される。ウクライナの現実は、民族共存よりも排外主義、利害調整よりも敵対者の殲滅、となっていないか。学校教育においては、社会の問題や人間の尊厳を考える『合意知』よりも、客観的で明確な正解だけを求める『科学知』が重視される。学びの質が、幅広く豊かな教養よりも、人材コンピテンシーの獲得に傾斜している。アクティブラーニングも、その目的や動機を欠いては、人材力の競争にしかならない。今こそ必要なのは、生徒の主体性・能動性に支えられた、批判力・変革力と合意力・共同力の育成である」。
 

 これらは筆者の実感でもある。補足すると、教育のデジタル化は、この傾向を加速している。昨今、旅行社がスタディ・ツアーを流行らせているが、大学入試で使う「ボランティア証明書」取得のためなら、本末転倒だろう。近年の新自由主義とナショナリズムの浸透により、生存競争に追い立てられている生徒には、戦火に苦しむドンバスを含むウクライナ住民、ロシア・ウクライナの兵士や国外避難民、そして反戦運動に決起して今や獄中にいる人々を思いやる余裕などない。国家や社会を批判するより、金融教育で資産形成を学ぶ方が、自己の人生の「安全保障」になると感じている。それゆえ、パレスチナ解放を訴える米国の大学生に対し、日本の教室では、「自分のキャリアに傷が付く行為をすべきでない」という意見が、平然と語られるのである。しかしながら、友愛のない教室からは、戦争という非人間的行為を克服する意志も、平和を大切にする心も生まれない。平和の創造のための教育は、人間的な友愛を基礎に、対話と共感を重ねた地平に成立する。
 

 国際法や歴史の一面からロシアを断罪する前に、戦争の原因を分析し、問題解決の道を探ることが重要だ。グローバルサウスに希望を託す前に、戦争勃発を許した国際社会の責任を感じ、日本から何が出来るかを考えることが重要だ。そして学校においては、生徒の保守化・右傾化を嘆く前に、教職員組合が反戦の声をあげることが肝心である。教室では、反戦運動を抑え込むロシアやベラルーシの独裁体制を指弾する前に、政治囚として獄中にいる人々に敬意を払うべきだろう。平和教材からの「はだしのゲン」削除問題が象徴するように、戦後日本の平和教育は危機にある。だが、複雑な背景をもつウクライナ戦争をめぐる議論を契機に、再び平和憲法を活かして立て直すことは不可能ではない。教育労働者たちは今、そのための努力を必死に続けている。
 

佐藤和之(佼成学園教職員組合)
 

【草稿】ウクライナ戦争と日本の平和教育

 

 教育現場において、ロシア・ウクライナ戦争は、どう教えられているのだろうか。とりわけ、中・高等学校の社会科(地歴科・公民科)担当の教育労働者は、この戦争をどう教えているのだろうか。そして、憲法第9条を大切にしてきた戦後日本の平和教育は、現在どうなっているのだろうか。
 

 2022年2月24日に始まるロシア軍によるウクライナ侵攻以降、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」など、社会科の教員を中心とする団体は、この戦争をめぐる学習会や研究集会を開催し、その機関誌にも様々な論文や実践報告を掲載している。筆者も可能な限りそれらの会合に参加し、各団体の刊行物にも目を通してきた。ウクライナ戦争は3年目に突入し、イスラエル軍によるガザ攻撃まで加わった現在、教育労働者の試行錯誤は続いている。
 

 したがって、その授業実践は多様だが、いくつか共通する傾向も発見できる。すなわち、第1に国際法から戦争の現実をとらえようとするアプローチ、第2にロシアの主張と歴史経緯から戦争の原因を探ろうとするアプローチ、第3にグローバルサウスの動向から平和構築を志向するアプロ―チである。そこで以下、この観点から教育内容と内部議論を整理・紹介し、検討してみたい。加えて、高校生たちの平和活動の現状と、「合意知」をめぐる議論を紹介したい。
 

<国際法とウクライナ戦争>
 

 まず前提として、本稿で検討する授業実践は、研究集会での報告と機関誌掲載の記事を合わせた10本弱である。ただし、関係者の情報交換やアンケート調査により、教育現場全体として、思ったほどウクライナ戦争を授業化できていない、という指摘がある。そうした中で、第1の国際法的アプローチから語られる、「ロシアの国際法違反」は、最も繰り返されるキーワードだ。例えば、次のような説明が、典型的である。
 

 「ロシア軍の『特別軍事作戦』は、ウクライナの主権と領土の侵害であり、武力行使禁止原則を定めた国連憲章2条4項違反である」「ロシアは、ドネツク・ルガンスク両人民共和国の要請にもとづく、国連憲章51条に規定された集団的自衛権の行使だというが、国際社会はドネツク・ルガンスクの独立を承認していない」「ロシア軍の攻撃は、ウクライナ全土におよび、民間人やインフラも犠牲になっている。仮に、ロシア側の自衛権を認めるとしても、均衡性の観点から問題がある。また、文民や民用物への攻撃は、国際人道法に反している」(注1)。
 

 しかし、こうした説明自体は間違いではないが、ロシア軍のウクライナ侵攻の前提にある、ドンバス戦争との関係が、どの授業でも無視される。世界がこの問題に注目し始めたのは、ロシア軍がウクライナ国境付近に10万人規模の部隊を展開した2021年3月である。10月には、ウクライナ軍が初めて軍事用ドローンをドンバス戦争で使用し緊張が高まった。ドンバス戦争は、2014年のマイダン革命後、ドネツク・ルガンスクの親ロシア派が独立宣言し、これを認めないウクライナ政府軍との内戦なのだが、2015年の「ミンスク合意」で停戦と東部2州の「特別な自治」が確認されていた。だが、実際には紛争が続き、ロシアは「ミンスク合意」の履行と「NATO東方不拡大」の法的文書化を、ウクライナや欧米に対して繰り返し要求していく。しかし最終的には2022年2月10日、フランス・ドイツ・ロシア・ウクライナの4カ国会議で、ウクライナが「ミンスク合意」を明確に否定し、交渉は事実上決裂した。
 

 OSCE監視団の報告によると、2月16日からドンバス州境付近で停戦違反と砲撃の回数が劇的に増加し、18日には親ロシア派がドンバス住民に避難を呼びかけた。21日、ロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を国家承認し、22日に友好協力相互支援協定を締結。23日、両共和国は軍事援助を要請し、24日にロシア軍はウクライナへの侵攻を開始した。なお、開戦後の2022年12月、メルケル元独首相は「ミンスク合意は、ウクライナ軍増強のための時間稼ぎだった」と告白し、それを締結当時の関係者とゼレンスキーも認めている。こうした開戦経緯の解説は、授業においても不可欠である。

 

 次に、国家として分離独立が承認される国際法上の要件は何か、という論点が提示されないのも問題だ。実際には、ドネツク・ルガンスク両人民共和国の独立を、承認している国も少数だが存在する。これは、自決権のうちの外的自決にかかわる問題だが、現在の国際法では、政治弾圧や人権侵害を受けている人民が存在する場合に、「救済的分離」が認められる。そこで教材として例示すべきは、1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆と2008年のコソボ独立にむけた支援だ。NATO初の域外攻撃でもあるこの空爆は、民族浄化に対する「人道的介入」を名目に、国連の承諾なく強行された。住民投票もなく宣言されたコソボ独立は、「力による現状変更」であり国境線の変更だが、2010年に国際司法裁判所はこれを違法ではないと判定した。今のウクライナでの出来事と、米国のユニラテラリズム時代のコソボでの出来事とは相似形をなす。しかしながら、ドネツク・ルガンスクの独立は認められないが、コソボの独立は認められるのは何故か。授業で提起すべき論点である。
 

 そして、ロシア軍の攻撃が自衛の範囲を越え、国際人道法にも反しているという指摘は正しい。当初ロシア軍は、北部ベラルーシ国境・東部ロシア国境・南部クリミア半島から侵攻し、体制変更と領土獲得とを同時に追求したかに見えた。軍事上の真意は不明だが、ドンバス防衛のため「攻撃の司令塔であるキエフを叩く」とか「原発やダムをおさえて住民生活を確保する」といった言い分は通用しない。ただし、ウクライナ側も「軍民分離の原則」を守っているか、検証する必要がある。「ノルド・ストリーム」爆破やカホフカダム破壊に関しては、独立した調査はなく、犯人は不明である。ブチャの虐殺については、国連安保理がロシアによる調査要求を拒否する一方、フランス憲兵隊の調査では遺体からウクライナ軍が使用しているフレシェット弾が発見された。国際刑事裁判所も、ドンバス戦争中の住民虐殺に関する資料の受け取りを拒否したが、ウクライナ戦争ではプーチンに逮捕状を発行している。なお2022年8月、国際人権団体は、ウクライナ軍が学校や病院に拠点を置いていると指摘したが、公表したことにゼレンスキーが反発して、騒動となった。情報統制は常にあるので、注意が必要である。

<ロシアとウクライナの関係史>
 

 思いの外、生徒の「ロシア側の言い分も知りたい」という意見は多い。それに応える必要からも、第2の歴史的アプローチから、プーチン演説が紹介され、ロシア・ウクライナ史が講義される。これは、プーチンの歴史観の検討と、戦争原因の究明という意味をもつ。そして、次のような結論が導かれる。
 

 「ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人は歴史的に一体だが、欧米の介入により、ウクライナはロシアに対立するようになった、とプーチンは主張する。しかし、ロシアに親近感があるのはウクライナ東部の住民であり、全体としてロシアに対する警戒感もある」「1991年の国民投票では、ソ連からの独立に、ウクライナの90%が賛成した。ドンバス地方の80%と、クリミア自治共和国の過半数も、賛成した」「ウクライナの独立と主権を保証した1994年の『ブタペスト覚書』に、ロシア軍の侵攻とドンバスやクリミアの併合は違反している」。
 

 ウクライナ戦争をめぐる歴史的考察がなされる場合、よくプーチン演説が資料として引用されるにもかかわらず、ロシアの戦争目的に着目する授業はない。それは、①NATOの東方拡大の阻止、②ドンバスの親ロシア派住民の救済、③ウクライナ政権の「非ナチス化」「非軍事化」「中立化」に要約されるが、どれも正当かどうかは別として、一定の現実的根拠をもつ。それゆえ、これらの分析を抜きに、戦争の原因は分からない。戦争では通常、双方の大義と利害が激突するが、その対立点を見極めないと、当然にも解決策は見い出せない。ちなみに現在、ゼレンスキ―は占領されたウクライナ東南部4州とクリミアの奪還を、バイデンはロシアの弱体化を、戦争目的として公言している。
 

 次に、1991年8月の国民投票で、ソ連からのウクライナの独立を、クリミアやドンバスの住民も支持したが、その後の動きを捨象しては、歴史の切り取りでしかない。すなわち、9月にクリミア議会は主権宣言を採択し、12月のソ連邦崩壊を経て、1992年5月には国家的自主性に関する宣言とクリミア共和国憲法を採択している。その後、2014年2月にマイダン革命が起きると、3月にクリミア議会はウクライナからの独立宣言を採択し、続く住民投票ではロシアへの編入が支持された。他方、5月にドネツク・ルガンスク両州でも住民投票が実施され、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立が宣言されている。概して言えば、ソ連邦の崩壊以降、ウクライナが主権国家として存在してきたのは事実だが、とりわけマイダン革命を通じた米国ネオコンの内政干渉以降、国内では親欧米派と親ロシア派との対立が激化し、分離主義が台頭したのも事実である。
 

 さらに、「ブタペスト覚書」は、「ウクライナの独立と主権と既存の国境を尊重する」という内容を含むので、ロシア軍のウクライナ侵攻は、確かにこれに違反する。ただし、「ブタペスト覚書」は条約ではないので、守らなくても国際法違反にはならない。1990年のベーカー米国務長官やコール西独首相らによる所謂「NATO東方不拡大」発言が、しばしば問題になるが、これも公式な場での発言だが条約ではない。他方、2014年・2015年の「ミンスク合意」は、国連に登録されている条約であり、法的な拘束力をもつ。しかし、条約以外は守らなくてよいのか。授業で提起したい論点である。なお、1999年のイスタンブール首脳宣言などに盛り込まれた「不可分の安全保障原則」の条約化を、ロシアは開戦直前まで求めていた。これは、「各国は軍事同盟を選択する自由があるが、他国の安全保障を犠牲にしてはならない」、という原則である。
 

 そして、歴史比較の視点からは、1962年のキューバ危機の事例を提示し、NATO東方拡大の問題を考察させる指導も不可欠だ。なお当時、アメリカ軍が中距離弾道ミサイルをトルコに配備していた事実は、見落としがちなので注意したい。また、日本では少ない戦争終結研究の授業での活用も、ある研究集会で話題になった。ただし、それは簡単ではない。例えば、原爆投下と日本の降伏で終わったアジア・太平洋戦争と、休戦協定で軍事境界線と非武装地帯を設定した朝鮮戦争とは、その期間や人的・物的な損害の規模、戦争終結の形態、将来を規定する問題解決の程度が異なり、双方の比較・評価は難しい。さらに言えば2021年、プーチンの行動にも影響を与えた、アメリカ軍のアフガニスタン撤退は、2001年に始まるアメリカ対タリバンの戦争終結を意味する。この長く複雑な過程と、アフガニスタンの現状を含めた総括と評価は難しい。それでも人命尊重の観点から、戦争をどう終わらせるのか、といった問題意識は必要なのである。
 

<グローバルサウスと地域協力>
 

 社会科担当の教育労働者は、直面する現実から情報提供と問題提起をして、生徒に主体的に考えさせることが必要だ。だが同時に、生徒とともに考え対話する中で、教員としての「指導性」を貫くことが、重要だとされる。要するに、問題を生徒に丸投げしたままではいけない、ということだ。そこで、第3のグローバルサウス・アプローチから、戦争解決の方向性と平和貢献の方法が模索される。少し引用が長くなるが、以下、授業で提示される資料などから抜粋する。

*キューバ代表の国連総会での演説:「キューバは偽善と二重基準を拒否する。1999年に合衆国とNATOがユーゴスラビアに大規模攻撃を行ったことを想起しなくてはならない。ユーゴはヨーロッパの国だったが、多大な人命を犠牲に、国連憲章も無視する形で、細分化された」(2022年3月1日)。
*ウクライナのTAC加入:「1976年、ASEAN首脳会議は東南アジア友好協力条約(TAC)を締結した。TACは、紛争の話し合い解決を基本とした、不戦条約である。東南アジア地域の平和を目的としているが、TAC加入国は、ASEAN 諸国にとどまらない。今日では、ロシアやEUを含む、51カ国・機構が加入している。2022年11月、ウクライナにも打診し、TACに加入させた。ウクライナ戦争の停戦と交渉解決を促す、ASEANの巧妙な演出である」(『歴史地理教育』2024年1月)。
*パグオッシュ会議の声明:「現在の危機的状況を抜け出すための解決策。①即時停戦。②ウクライナからの外国軍および外国の軍事施設の全面撤収。③ドンバス地域の自治を、地方行政および言語的アイデンティティの見地から、承認すること。④クリミアをロシア連邦の一部として承認すること。クリミアにおける二度の住民投票は、ロシア連邦への復帰を支持した。⑤ウクライナとロシアの国境、また他の国々との国境を越えての、人々の移動の自由。⑥ウクライナからのロシア軍の撤収後は、ロシアに対する制裁は解除されねばならない。経済制裁は、制裁されている国以外にも、消極的な結果をもたらす可能性がある。⑦ウクライナの中立的な地位を強調する明確な合意。特に、ウクライナはNATO加盟をめざそうとしないことが、了解される必要がある。その代わりに、条約にもとづく国際的な安全保障を、中立のウクライナに対して保証することが重要となる。⑧ウクライナの平和的な経済復興のためのプログラム。ウクライナにおける危機の解決のための第一歩が踏み出され次第、ヨーロッパの新たな安全保障の枠組みをめぐる新たな交渉が開始される必要があり、それは全体にとっての不可分の安全という考え方にもとづくものでなければならない」(2022年2月26日)。 
*ケニア国連大使の国連安保理での発言:「仮に私たちが文化的特性、人種、あるいは宗教面での同質性をもとに国家をめざそうとしていたならば、何十年も経った今も、血なまぐさい戦争を繰り広げていただろう。私たちはアフリカ統一機構(OAU)の諸原則と国連憲章を守る道を選んだ。それは自分たちの国境線に満足したからではなく、もっと偉大な何かを、平和的に実現したいからだ」(2022年2月21日)。

 2022年3月2日、ロシアに撤退を求める国連決議は圧倒的多数の国々が賛成したが(賛成141・反対5・棄権35)、2月26日以降、米国主導のロシアへの経済制裁には圧倒的多数の国々が不参加(参加36・不参加145)となっている。その内訳を見ると、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国が、判断に迷っている印象を受ける。また、ウクライナ戦争の衝撃は、ロシア軍が領土併合を意図して隣国に侵攻した点と、その東アジア情勢への影響にある、という意見は多い。だが他方で、アメリカが地球の裏側まで派兵して、他国の反米政権を打倒し、傀儡政権を打ち立てた戦争を、我々は何度か目撃してきた。キューバの資料は、これを明確に弾劾しており、欧米への不信感は根強い。

 

 そして、アメリカの世界覇権の後退と、インドなどグローバルサウスの台頭を予期し、そうした国際環境の変動に踏まえて、ウクライナ戦争後の平和秩序を再考する授業が報告されている。その場合、ウクライナ戦争の原因を軍事ブロックの拡大と民族対立に求め、解決策は国連憲章と日本国憲法9条を活かす形で追求されることが多い。その一つが、「非同盟・地域協力」の国々を拡大すべきという主張であり、そこで提示されるのがASEANとTACの資料だ。現在、国連の集団安全保障体制が未確立なまま、NATOなど軍事ブロック・軍事同盟が残存し、ロシアなど大国は地域覇権を維持しようとする。だが今後は、軍事ブロックは解消すると同時に、集団安全保障体制を確立し、地域経済協力を深化・拡大すべきだと主張される。それゆえ、欧米やロシア・中国と距離をおいたグローバルサウスの動向が、今後も注目されていく。
 

 ところが、日本の言論状況は深刻で、それが教室にも反映している。大手メディアは「今日のウクライナは明日のアジア」と危機感を煽り、中国や北朝鮮を標的にした軍備増強を否定することはない。日本政府は、日米軍事同盟の強化、自衛隊の南西シフト、「敵基地攻撃能力」の保有、防衛費倍増、麻生自民党副総裁の「戦う覚悟」発言など、危険な動きを示している。市民運動圏でも、ウクライナ軍の徹底抗戦と軍事支援を肯定する潮流が存在し、即時停戦・交渉解決を主張する潮流との間で論争が絶えない。社会科の教育労働者の研究集会でも、戦場での住民虐殺といったリアルを見すえて軍事力を増強すべきという意見と、原発の占拠という人類滅亡につながりかねないリアルを見すえて、即時停戦すべきという意見が対立した。

 

 そこで、グローバルサウスではないが、パグオッシュ会議の資料を使った授業が提起される。これは、ウクライナ戦争に関する包括的な和平案だが、根底には「非核・非戦」の思想が流れていると考えてよい。民族対立の解決についても、踏み込んだ提案がなされている。この点については、ケニアの資料も参考になる。民族対立という難問に対しては、一般に「多民族共生」の理念を説く授業が多いのだが、この資料を使って、より発展的な議論ができるに違いない。なお筆者の場合、世界宗教者平和会議を創設・主導した庭野日敬氏による、「危険を冒して武装するより、平和のために危険を冒そう」という言葉を、教室で紹介することが多くなっている。
 

<戦後平和教育の危機>
 

 戦争は若者をも巻き込んでいく。現在、ロシアの兵役年齢は男女とも18~30歳。ウクライナの兵役年齢は18~25歳だが、戦時動員の対象は18~60歳で、医学教育を受けた女性も登録が義務となった。また、ロシア・ウクライナ・日本とも、選挙権は18歳以上の男女に認められ、これは高校生も例外ではない。それゆえ近年、日本では主権者教育が重視されてきたが、ウクライナ戦争に関しても、署名運動や募金活動の意義を説く授業実践が報告されている。実際、プーチン大統領に対する手紙文の作成と大使館への送付や、避難民を含む在日ウクライナ人の街頭行動に、生徒と教員が参加した事例もある。逆に、「ウクライナ支援は、戦争の継続や、動員されたロシア兵の殺害につながる」という理由で、行動しない生徒もいるようだ。筆者の経験から補足すると、街宣活動をしている在日ウクライナ人やベラルーシ人も、反戦行動をしている在日ロシア人やタタール人も、それぞれ多様な意見をもつ。
 

 ところで、ウクライナ戦争勃発直後から、「高校生平和ゼミナール」は積極的に活動し、マスコミも注目してきた。駐日ロシア大使館前行動と駐日ウクライナ大使館へのピース・ウォーク、抗議声明の公表と署名活動、活動記録映画の製作、などを展開している。この団体は、1978年に広島で誕生し、その後、全国各地で結成された。筆者は1999年8月6日、勤務校にある社会研究部のヒロシマ合宿引率時に、その存在を知った。平和記念公園内で、彼らの集会と遭遇したからである。ちなみにその時、とりわけ大きな声で平和を訴えている、世羅高校の生徒諸君との出会いもあった。同年2月、世羅高校の校長は、県教委に「日の丸・君が代」を強制され、卒業式前日に自殺している。他方、沖縄発の動きとしては、「沖縄・東京・朝鮮半島インターネットTV高校生平和意見交換会」があり、2001年、筆者の勤務校を第1回東京会場にして実現した。ただし、このイベントは数年続いたものの、やがて受け継ぐ生徒がいなくなり、自然消滅してしまった。現在、全国的にも、中高生の自主的な平和活動は、低調だと言わざるをえない。
 

 「高校生平和ゼミナール」に話を戻すが、彼らは2023年東京で、ドキュメンタリー映画「声をあげる高校生たち―核兵器禁止条約に署名・批准を」の上映&集会を主催している。その集会で提起され、「歴史教育者協議会」「全国民主主義教育研究会」「平和国際教育研究会」の合同集会でも議論された論点に、「合意知」をめぐる諸問題がある。その要旨を最後に紹介したい。
 

 「グローバル資本と新自由主義国家による世界支配を背景に、危機に対処する国際協調は破壊され、有利なサバイバルのためのナショナリズムと軍事的対抗が進行している。共同よりも競争が重視され、民主政治よりも暴力的解決の時代なのかも知れない。ウクライナやガザの現実は、民族共存よりも排外主義、利害調整よりも敵対者の殲滅、また日本の政治は、議会での合意形成よりも閣議決定、となっていないか。学校教育においては、社会の問題や人間の尊厳を考える『合意知』よりも、客観的で明確な正解だけを求める『科学知』が重視される。学びの質が、幅広く豊かな教養よりも、人材コンピテンシーの獲得に傾斜している。教育のデジタル化は、この傾向を加速している。アクティブラーニングも、その目的や動機を欠いては、人材力の競争にしかならない。今こそ必要なのは、生徒の主体性・能動性に支えられた、批判力・変革力と合意力・共同力の育成である」。
 

 以上、シンプルな指摘だが、こうした「合意知」よりも「科学知」に偏重した教育は、筆者の実感でもある。近年の新自由主義とナショナリズムの浸透により、生存競争に追い立てられている生徒には、戦火に苦しむドンバスを含むウクライナ住民、ロシア・ウクライナの兵士や国外避難民、そして反戦運動に決起して今や獄中にいる人々を思いやる余裕などない。国家や社会を批判するより、金融教育のなかで資産形成を学ぶ方が、自己の人生の「安全保障」になると感じている。それゆえ、パレスチナ解放を訴える米国の大学生に対し、日本の教室では、「自分のキャリアに傷が付く行為をすべきでない」という意見が、平然と語られるのである。しかし、友愛のない教室からは、戦争という非人間的行為を克服する意志も、平和を大切にする心も生まれない。平和の創造のための教育は、人間的な友愛を基礎に、対話と共感を重ねた地平に成立する。
 

 国際法や歴史の一面からロシアを断罪する前に、戦争の原因を分析し、問題解決の道を探ることが重要だ。グローバルサウスに希望を託す前に、戦争勃発を許した国際社会の責任を感じ、日本から何が出来るかを考えることが重要だ。そして学校においては、生徒の保守化・右傾化を嘆く前に、教職員組合が反戦の声をあげることが肝心である。教室では、反戦運動を抑え込むロシアやベラルーシの独裁体制を指弾する前に、政治囚として獄中にいる人々に敬意を払い共感することが大切だ。実際、生徒が書いた要請文を駐日ロシア大使館に送付した教育労働者がいる一方、生徒が書いた激励文をベラルーシのNGOを通じて獄中に届けた教育労働者もいる。平和教材からの「はだしのゲン」削除問題が象徴するように、戦後日本の平和教育は危機にある。だが、複雑で論点も多いロシア・ウクライナ戦争をめぐる議論を契機に、再び平和憲法を活かして立て直すことは不可能ではない。現場の教育労働者たちは今、そのための共同作業を、必死に続けている。

・注1:国連憲章2条4項は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」、国連憲章51条は「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない」と規定している。


佐藤和之(佼成学園教職員組合)

 

入管法改定案に関する声明文

去る3月15日、日本政府は「永住者」の在留資格を有する外国人について、税金や社会保 険料を滞納した場合や、1年以下の懲役・禁固刑を受けた場合等に、在留資格の取り消しを 可能とする入管法改定案を閣議決定しました。  


「永住者」の資格取得は、「10年以上日本に在留し、就労期間が5年以上」「懲役刑など を受けていない」「納税などの公的義務を履行」等、他の先進諸国と比較しても非常に厳し い条件が課されています。
 

このような高いハードルをクリアし許可を受けた「永住者」は、 昨年6月末時点約88万人、在留外国人の約27.3%に上っています。  今回の入管法改定案は、政府が今国会で成立を目指す「育成就労制度」の導入や「特定技 能制度」の職種拡大に伴い、「永住者」が増加することを予測し、永住資格許可の適正化を 求めたものであるとされています。
 

しかしながら、一方で「永住者」資格の取消法案が成立するならば、数万名もの永住資格を持ち、長年にわたり日本に居住する在日韓国人の生活および権利が著しく侵害されるものであると言わざるを得ません。
 

「永住者」は、日本国内で居住していても加齢・病気・事故・社会状況の変化など、長年日本で生活していくうちに許可時の条件が満たされなくなることは起こり得ます。税金等の少額未納が発生した場合や過失犯も含めた軽微な犯罪の場合に在留資格を取消されることがあり得るという立場に置くこと自体、「永住者」に対する深刻なる差別であると言えます。
 

特に、税金や社会保険料の滞納は、日本人同様に、督促、差押え、行政罰、刑罰で充分対処できることです。 
 

本団の構成員である韓国籍を持つ在日韓国人は、長年日本に居住しながら地域に根差して 生活する「永住者」や、日本で生まれ日本語しかわからない2世、3世の「永住者」も多くお ります。
日本市民と共に生活をしながら、地域社会の発展に貢献しています。

 

今回の入管法改定案による在留資格取消制度の導入は、日本政府が目指す「共生社会の実現」に逆行するばかりか、歴史的な背景により日本に居住するに至った在日韓国人の「永住者」や、また、生活上の様々な事情により、余儀なく日本に居住するに至った在日外国人の「永住者」、さらにはその子孫までも対象とし、納税不履行や軽微な刑事罰等によって簡単に永住資格が取り消されることは、深刻かつ憂慮すべき問題であります。ましてや国または公共団体の職員が入管へ通報できる制度まで創設するというのは余りにも過度な取り締まり
と言えます。

 

また同法案に関しては、その立法事実の有無等が慎重に検討されるべきものであるにもかかわらず、有識者会議でも全く検討されないままにこの点が唐突に提案されており、拙速に具体化すべきものではありません。
 

以上の趣旨から本団は、この度の日本政府の入管法改定案は「永住者」の生活、人権を脅かす重大事案と認識し、是正を強く求めます。
    
2024年 4月 30日
 在日本大韓民国民団中本部 
   団長    金 利 中

3月25日東京において、「徴用工」問題解決のための、統一行動が決行された。この問題は2023年3月、韓国大法院が日本企業に強制動員された元徴用工・女子勤労挺身隊員らに賠償を命じた判決の債務を、韓国の財団が肩代わり(第三者弁済)する案を韓国政府が示して、政治決着が図られた。しかし、日本企業に賠償も謝罪も求めないこの解決案に納得できない原告は、受け取りを拒否。


その後2023年末から2024年にかけて、日本製鉄・三菱重工・日立造船・不二越の被害者への賠償を命じる大法院判決が、相次いで下された。しかし、各企業は「日韓条約ですべて解決済である」として、被害者に会おうともしていない。


そこで、判決を履行しようとしない各日本企業に対して、謝罪と補償を求めて直接要請を行うために、被害者 家族・遺族が来日し、支援者とともに、日本製鉄・三菱重工・不二越の本社への要請行動や門前集会が行われた。また夕方からは、合同で院内集会が開催された。
 

筆者も、不二越東京本社の門前集会に、組合旗を持って参加した。発言要旨は、以下の通り。
 

「富山不二越でも東京不二越でも、門前集会に参加するたびに感じることがあります。なぜ不二越は、韓国から来た元社員や、その遺族や家族を、暖かく迎え入れないのでしょうか。なぜ門を閉じ、ガードマンを配置するのでしょうか。


少子高齢化が進む現在の日本でも、外国人労働者が増えています。彼らの在留資格は、技能実習生、留学生、永住者、その配偶者など様々です。そして自民党政府は今、技能実習制度を改変・拡大すると同時に、永住資格の剥奪をいつでも可能にする法案を準備しているらしい。要するに、外国人労働者の使い捨てを、容易にする法案です。


技能実習生について言えば、転職の自由もなければ、職を辞めて帰国する自由もない。仮に帰国しても、ブローカ―に搾取されて、多大な借金を負っているケースが少なくありません。周囲に助けを求めるにしても、土地勘も無ければ日本語も分からない。こうして、圧倒的に使用者有利・労働者不利な関係の中で、長時間労働・賃金未払い・セクハラ・パワハラなど、奴隷労働の温床に、技能実習制度はなっているのです。
 

これは現在の話ですが、考えてみて下さい。外国人労働者をめぐるこうした構造は、戦時中、不二越など「戦犯企業」が、「徴用工」に対して行った強制労働と、ほとんど同じです。当時も、門を閉ざし壁を高くしていたに違いない。何とか逃亡したが捕まり、今度は「慰安婦」にされた人さえいます。昔も今も変わっていない。なぜなら、不二越など「戦犯企業」は反省がなく、謝罪も賠償も、企業体質を変える気もないからです。
 

1960年代、私の父親は川崎日本鋼管の争議の中で解雇され、最後は三菱重工の期間工でした。1970年代、川崎を拠点にして在日の朴鐘碩さんが決起し、日立就職差別裁判闘争で完全勝利。そして1991年、金景錫さんが日本鋼管強制連行裁判を開始して勝利和解。さらに彼は1992年、不二越訴訟を起こし、彼が亡き後も闘争は続き、やっとここまで来ました。かつて不二越の施設があった川崎市中原区には、今では平和公園ができ川崎平和館が建っています。時代は前へ進んでいます。
 

私たち佼成学園教職員組合は、たんに日本人としての贖罪意識ではなく、現代の労働問題に直結する課題として、この問題に主体的に取り組んでいくつもりです。あと一息です。共に頑張りましょう」。
 

 ロシア・ウクライナ戦争の原因は、極右政権による親ロ派住民への弾圧とNATOの東方拡大にある。東西冷戦終結後、米帝は一極支配の維持・拡大を追求してきたが、世界のパワーバランスの変化を背景に、各地で反逆が開始されている。そうした中で、ウクライナのゼレンスキー政権もイスラエルのネタニヤフ政権も、基本的には米帝の先兵として動く。すでに鮮明になっている現実だが、さらにカナダ議会がケアレスミスを犯した。日本では話題にならないが、以下に紹介。

 

【参考】元ナチス隊員がカナダ議会で喝采浴びる トルドー首相が謝罪、議長は辞任 - BBCニュース

 

 

<ゼレンスキーとSSを招いたカナダ議会>

 カナダ下院は2023年9月22日、ゼレンスキーを招いて演説させた。そして、カナダ在住のヤロスラフ・フンカを「第2次大戦中、ウクライナの独立のためにロシア人と戦い、現在98歳になっても戦いを続けている英雄」として紹介し、満場のスタンディング・オベーションを贈った。フンカはナチス・ドイツの占領下で第14武装親衛隊(SS)に志願し、ユダヤ人を大虐殺した人物であり、SS時代を「私がもっとも輝いていた時」と言っている。自ら虐殺の先頭に立ったのだ。第14武装親衛隊はユダヤ人大虐殺に加え、ポーランド人、ハンガリア人、スロベニア人、ロシア人も虐殺した。ウクライナ人もナチスへの非協力者は殺された。
 

 そのフンカを賛美したカナダ議会に全世界の弾劾が殺到した。カナダ議会は「彼を招いたのは過失だった」として下院議長の辞任で済ませようとしているが、「第2次大戦中にロシア人と戦った」の意味は取り違えようがない。当時のウクライナでソ連軍と戦った軍事組織はナチスだ。カナダのトルドー内閣のフリーランド副首相(兼財務相)の祖父はウクライナのナチ幹部であり、現在も彼女の政治基盤は亡命ウクライナ人団体だ。
 

<ナチを保護した米帝>
 戦後、米帝は日本ではA級戦犯・岸信介や731部隊を保護・育成し、ドイツやウクライナでもナチを保護して、その東欧・ソ連の土地勘と弾圧の経験を利用した。

 

 ウクライナのナチ組織OUN―B(ウクライナ民族組織バンデラ派)のヤロスラフ・ステツコは、米英の資金でABN(反ボルシェビキ諸民族ブロック)という組織を作り、1946―47年にはドイツで「ソ連のスパイ」の暗殺作戦を行うと共に、カナダに亡命者を大量に移住させた。ドイツ本国のナチの多くは「アメリカの裏庭」といわれた中南米に亡命させたが、ウクライナ・ナチはカナダに引き受けさせた。当時のカナダ政府はハーケンクロイツの入れ墨がある者は無条件に入国させたという。
 

 このABNは、カナダ国内のウクライナ亡命者社会を最大の基盤として、台湾の蒋介石政権、日本の勝共連合(統一協会)などと共に世界反共連盟(WACL)を形成し、米帝の反共政策の先兵になった。米軍の軍事介入だけでは全世界の労働者人民の闘いを抑えられない米帝は、ナチ党員・極右の養成を必要とした。ブルジョア政権であっても米帝の意に沿わない場合は、こうした勢力にクーデターを起こさせた。
 

<東欧諸国から批判>

 ポーランドでは、フンカへのスタンディングオベーションに憤激が高まる中で、教育相がフンカのポーランドへの送還を要求した。ハンガリーやスロベニアでも怒りが拡大している。ウクライナに隣接するあらゆる国で、米帝とNATOによるウクライナ戦争への反対運動が拡大している。

 

近年、教育労働運動の現場は、劇的に変化している。ここでは2つだけ、紹介したい。1つ目は、ICT(情報通信技術)の教育活動への導入である。文科省は既に「GIGAスクール構想」を打ち出し、「1人1台端末」と「高速ネットワーク環境」の整備をめざしていたが、それは2020年に始まるコロナ禍で加速された。具体的には、生徒と教員にタブレットを配布し、学校にWIFIやプロジェクターを導入。さらに、コロナ禍による登校制限を契機に、WEB会議システムを駆使した、オンライン授業も実施されるようになった。また、生成AIの発達は今後の教育の在り方を、根本的に変えるかもしれない。
 

しかし、ICTを使うと学力が向上する、というエビデンスは存在しない。逆に2015年、OECDが実施したPISA(学習到達度調査)では、「学校にコンピューターの数が多い国ほど、数学の成績は下がる」こと、「学校でコンピューターを閲覧する時間が長いほど、読解力の成績は下がる」ことなどが示された。また、私の勤務校は中高一貫制の私学だが、タブレット導入直後から、休み時間に校庭で遊ぶ生徒は激減した。生徒の「読み・書き」の能力の低下も、多くの教員が実感している。また、オンライン授業で教えた内容は定着しづらく、その部分はテストの点数が低い。


ICT教育は、従来の視聴覚教育や情報科の授業の延長ではない。それは、知識の獲得や浅い理解には有効だが、応用的な思考や探究的な学びにはつながらない。また、教育労働者にとって、日々のICT教材の作成、ITリテラシーの習得、その生徒への指導などは、相当な負担となっている。コロナ期間中における、自宅からのオンライン授業では、機材購入や通信費の負担と、労働時間管理が問題となった。それゆえ、安易なICT機器の導入や教員への強制に、わが組合は一貫して反対してきた。


ところが、ICT教育をめぐっては、教育労働者の間でも、認識や対応が大きく異なる。労働組合は、それが導入過程ということもあり、何をどう要求するかといった、運動方針が立てにくい。また、労働運動圏で訴えても、危機感が伝わらず、せいぜい「ラッダイト運動では駄目ですね」といった反応しかない。だが、ICT教育の問題は、技術革新に伴う労働強化にとどまらない。発育段階にある子どものICT依存は、目新しい機器の操作は覚えても、人間的能力の開発を阻害し、社会的関係も希薄化させるだろう。
 

これに対し、シュタイナー学校では高校段階までは、可能な限りICT機器を使わない。シュタイナー学校は、世界的に展開する私立学校だが、アメリカではシリコンバレーのICT経営者の子どもが通うようになってきている。あのスティーブジョブズも、自分の子どもには、ある程度の年齢になるまで、テクノロジーに触れさせなかった。
 

2つ目は、長時間労働の問題である。日教組の2021年の実態調査によると、教員の週あたり平均労働時間は、約63時間(うち校内57時間)だった。ここから、正規の労働時間を差し引いた時間外労働時間は、月にして約97時間となり、これは月80時間の「過労死ライン」を上回る。校種別では中学校が最長で、約120時間の時間外労働となり、これは月100時間の「超過労死ライン」も上回る。「少子化時代の教員不足」の要因は、長時間労働の問題が大きい。
 

法律上は、給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)に規定された「超勤4項目」だけが、すなわち①校外実習その他の実習、②修学旅行その他の学校行事、③職員会議、④非常災害などに関する業務だけが、時間外労働や休日労働として認められる。その場合、労基法上の割増賃金はなく、月給の4%に相当する「教職調整額」のみが、基本給に上乗せされる。ところが「超勤」の現実は、4項目の「労働」以外にも、登下校指導や補習や部活指導などがあり、しかもこれらは自主的な「活動」とされ賃金は発生しない。要するに、月給20万の教育労働者なら定額8000円で働かせ放題となり、残業の歯止めは何もない。
 

こうした現状は、政府・文科省も知っているが、教員を増やす気もなければ、給特法を廃止して残業代を支払う気もない。ICT活用による仕事の効率化や、部活の地域への「外注化」や、変形労働時間制の導入を提案するばかりで、抜本的な解決策はない。自治体や学校によっては、父母や地域社会と協力し、教員負担の軽減を試みてはいるが、限られた予算や人材の中で、それも壁に突き当たっている。なお、多くの私立学校でも、給特法と同様の規定が就業規則で定められており、労働実態も公立学校と大差はない。
 

2021年春、「働き方改革」の流れを受けて、わが職場にも労働基準監督署が入り、6項目の「是正勧告書」が出された。同年冬、そのうち時間外労働の項目に関して、私学では36協定が必要なことから、経営側は団体交渉を、本校にある3つの組合に要請してきた。ところが、労働時間記録の項目に関して、経営側が虚偽の報告を、労働基準監督署にしていたことが発覚。すなわち、経営側は教職員の朝礼と終礼を実施し、1人ずつ点呼して出退勤時間を記録していると、報告したのである。実際には、出勤簿と朝礼しかなく、出退勤時間の記録など存在しない。経営側に長時間労働の実態を改善する気などなく、団体交渉では、形だけの「36協定書」への押印を求めてきたので、当然わが組合は拒否。そして2022年の年初、労働基準監督署まで出向き、担当の労働基準監督官に、一部始終を暴露した。
 

しかし、4月の新年度を前に、経営は形だけの「36協定書」への押印を他労組にさせ、労働基準監督署長に提出。わが組合を排除し、労働者代表も選任していないので、これは不当労働行為である。労働委員会への提訴を検討していたところ、経営がやや折れて、2023年度はわが組合も「36協定書」締結の手続きに加わり、それを実効あるものにする交渉を重ねている。他方、教育労働者の中には、部活指導などの理由で、時間外・休日労働の制限を嫌う傾向もあり、それゆえに職場討論は欠かせない。夏休みなど長期休業中における、「在宅勤務」「自宅研修」といった名目での、見なし労働部分の扱いも、労使間だけでなく労働者間でも論点になるだろう。
 

 最後に私事で恐縮だが、私自身は数年後に定年退職を迎えることから、近年では若年労働者の組織化に注力してきた。対象の多くは非常勤講師なので、他校へ転出してしまうケースもあるが、縁は切らずに情報交換を継続してきた。その甲斐あって現在、上部団体の力も借りながら、複数の私学職場で組織化が進んでいる。労働環境が激変する中、新たな学習の必要性と、原則的な運動・組織づくりの重要性を実感している。

 

 

 

 ロシア・ウクライナ戦争が終わらない。開戦から1年以上が経過したが、出口が見えなくなっている。それどころか、NATOとBRICSの対立を背景にした、米中代理戦争の様相さえ示している。この間、多くの報道や議論がなされ、インターネット上でも様々な情報や意見が飛び交ってきた。また、日本の市民運動圏でも、運動の方針をめぐって、論争が展開されている。そこで最初に、筆者のロシア語SNSに投稿された印象深い2つのコメント(A・B)を切り口に、この戦争を振り返ってみたい。さらに、日本の市民運動圏での論争を通じ、戦争の終結についても考えてみたい。

 

A:キエフの皆さんお気の毒です。しかし、私たちは8年間も地下生活を強要されてきた。ところが、キエフ人たちは、そのことに無関心だった。

B:重要な戦いだと言うなら、武器だけではなく、人も送って欲しい。1年以上戦っているので、もう疲れた

 

戦争の開始

 Aは、2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻した直後、キエフの地下鉄に避難した市民の写真を掲載したところ、その記事に対して付いたコメントである。投稿者はドンバスに住む女性だが、たちまち記事は「炎上」した。その論争の内容は省略するが、コメントには注釈が必要だろう。

 ここでいうドンバス住民の「地下生活」とは、2014年に始まるドンバス戦争に起因するが、OHCHRは民間人の死者を、次のように推計している。すなわち、2014年2084人、2015年954人、2016年112人、2017年117人、2018年55人、2019年27人、2020年1人である。要するに、「ミンスク合意」による停戦こそ実現しなかったが、戦闘の頻度は減っていた。したがって、ドンバス住民が、8年間ずっと「地下生活」を強要されていた、とイメージするのは違うだろう。

 それもその筈である。2022年12月7日、ドイツの『ツァイト』誌のインタビューで、メルケル前ドイツ首相が、「2014年のミンスク合意はウクライナの時間稼ぎのためのものだった。ウクライナはこの時間を使って、今日ご覧のように強くなった」と述べており、オランド前フランス大統領やゼレンスキー現ウクライナ大統領も、それを認めている。要するに、当時の交渉に関係した西側当事国は、停戦を定めた「ミンスク合意」など遵守する気はなかったが、他方でウクライナ軍を増強する必要があり、本格的な攻撃は手控えたのだ。

 より詳しくいうと、2014年に「ミンスク合意」(Minsk Protocol)が、2015年にその付属文書「ミンスク合意2」(Minsk II)が調印されている。これは、国連に登録された拘束力をもつ条約であり、条約も国際法の一つである。また、「特別な地位」につく東部2州は、「高度な自治」が認められる規定があり、そこには外交権も含む。したがって、ウクライナ政府がNATOへの加盟を望んでも、ドネツク州やルガンスク州が反対すれば阻止が可能となる。

 

「開戦」から1年

 Bは2023年2月24日の記事、すなわちロシア・ウクライナ戦争開戦1年の記事に対し、2月末に付いたコメントである。戦場からの発信だが、投稿者がウクライナ軍の職業軍人なのか、徴兵された兵士なのかは不明である。また、2014年から戦っているとは考えにくいが、「1年以上」という表現には幅があるので、2022年1月-2月の情勢を、簡単に確認しておく。

 

*1月20日 バイデン米大統領が「ロシアの安全保障の懸念について協議する用意がある」と発言し、米英独仏伊と露の協議機関の設置を提案。これに対し、ポーランドとバルト諸国が反発。

*1月27日 バイデン・ゼレンスキー電話会談。バイデンが「ミンスク合意」の履行を迫るが、ゼレンスキーウクライナ大統領は無回答。

*2月10日 独仏ウ露の4カ国会議で、ウクライナが「ミンスク合意」の履行を明確に否定。ロシア・ベラルーシ合同軍事演習開始。バイデンが「ロシアはウクライナへの攻撃準備ができた」と発言。

*2月16日 ウクライナ政府軍とドンバスの親ロ派武装勢力との戦闘が激化し始める(「2.16開戦説」)。

*2月19日 ミュンヘン安保会議でゼレンスキーが、「ブダペスト覚書」の有効性に疑義を表明。

*2月21日 ロシア安保拡大会議が、「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の独立を承認(その後、両共和国とザポリージャ州・ヘルソン州がロシアに編入される)。ロシアと両共和国との間で、「友好協力相互支援協定」調印。ロシアが「平和維持軍」をドンバスへ派遣。

*2月24日 ロシア軍がウクライナへ全面侵攻(「特別軍事作戦」)。ウクライナ全土に総動員令。ゼレンスキーは亡命政府の提案を拒否。

 

 こうして開戦直前の情勢を振り返ると、この戦争は回避できたようにも思える。戦争回避できれば、当然こうしたウクライナ兵の嘆きもなかっただろう。しかし、「ミンスク合意」履行を要求して軍事的圧力をかけるプーチンに対し、米中対決を意識し始めたバイデンは柔軟姿勢を示すが、既に強硬姿勢に転じていたゼレンスキーの態度は変わらなかった。

 なお、「2.16開戦説」とは、OSCE停戦監視団の記録にもとづき、2月16日に開戦したとする見解である。たしかに、2014年以来の2つの戦争は、内容的には接続している。だが、州境を越えた内戦としてのドンバス戦争に対し、国境を越えた侵略戦争としてのロシア・ウクライナ戦争が、16日に開始されたとするには無理があろう。また、ロシア側の論理では、軍事侵攻は「集団的自衛権」の行使であり、住民虐殺を救うための「人道的介入」となる。実際プーチンは、ユーゴスラビア・コソボ自治州での民族紛争に対するNATOの軍事介入(1999年)と、「コソボ独立宣言」(2008年)を研究し意識している。この国連の許可もない軍事介入は、「人道的介入」として正当化され、住民投票さえない一方的な独立も、国際司法裁判所により追認された。

 また、1994年の「ブダペスト覚書」の核心は、「ウクライナは核兵器を放棄し、米英ロはウクライナに安全の保障を与える」といった内容である。これは、法的拘束力をもたない政治合意だが、プーチンは2004年の「オレンジ革命」政府との間では、この合意は無効だと公言していた。そこで、2014年の「マイダン革命」も経た近年、ゼレンスキーも合意の効力に疑念を持つと述べていた。とはいえ、ミュンヘン安保会議での発言は、ウクライナが即座に核武装するというのではなく、新たな安全保障の枠組が必要だという主旨だろう。

 

<停戦派>と<抗戦派>

 日本では現在、「ウクライナとロシアとの交渉を促すべき」という<停戦派>と、「ウクライナの徹底抗戦を支援すべき」という<抗戦派>が存在し、戦争終結をめぐって論争が続いている。市民運動圏でも、両者の「即時停戦・交渉解決」を仲介すべきという潮流と、ウクライナの「徹底抗戦・完全勝利」を支援する潮流とが対立している。

  <停戦派>の代表的存在は、「憂慮する日本の歴史家の会」だろう。これまで、「第1次声明」「第2次声明」「国連事務総長への公開書簡」を発表し、関係国の駐日大使館への要請行動や、署名・集会などの活動を続けてきた。その主張のポイントは、次の通りである。(1)現在地での即時停戦と、そのための停戦交渉。(2)日本・中国・インドによる停戦交渉の仲介。(3)非武装地帯の設置と国際的な停戦監視団の派遣。(4)停戦後の和平交渉と講和の実現。(5)国連機関や国際社会による和平交渉の仲介。

 他方、<抗戦派>の代表的存在は、「チェチェン連絡会議」だろう。これまで、3回の「声明」を発表し、ロシア大使館への抗議行動や、「ウクライナ社会運動」への連帯募金などの活動を続けてきた。その「声明」を要約すると、次のようになる。➀ウクライナの降伏は、ロシアへの属国化を意味する。②プーチンは東部2州の独立を承認し、支配権を要求し、さらに拡大しようとしている。親ロ派住民を虐殺から守る、というのは口実にすぎない。③プーチンはウクライナの「非ナチ化」を掲げるが、ウクライナが「ネオナチ」に支配されている証拠はない。④「NATOの東方拡大」は、ロシア軍のウクライナ侵攻を正当化するものではない。⑤ブチャでの住民虐殺、略奪や性暴力、選別収容所での拷問・脅迫、ロシア国内への強制連行など、ロシア軍による戦争犯罪が明らかになっている。⑥停戦はロシアの脅威を取り除くことにならず、ウクライナ人が求めるものでもない。⑦「マイダン革命」以降、ウクライナ民衆が民主化を進め西側に接近しても、その是非はウクライナ国民が決めることである。

 

戦争終結をめぐる論争

 筆者の友人・知人の中には、既にブチャで亡くなった「郷土防衛隊員」やドンバス防衛の軍人、あるいは反戦行動のためミンスクの獄中にいる活動家がいる。ただし筆者自身は、ロシア側にもウクライナ側にも、「寄り添う」気はない。双方が熱くなって殴り合っているときに、最初になすべきは、冷静な第三者が喧嘩を止めることだろう。まずは双方に、「頭を冷やせ」と言いたい。言い分を聞くのは、それからだ。その後の話し合いが、大変な作業になるのは、容易に想像がつく。それでも、殺し合いが長引くより、話し合いが長引く方がよい。要するに、筆者の立場は、人命最重視の<停戦派>に近い。

 <抗戦派>の「声明」は、情勢認識と<停戦派>への批判ばかりだが、彼らの集会動画など見ると、積極的な運動方針としては、「ロシア軍の撤退を要求する、ウクライナ人の徹底抗戦と西側の武器援助を支持する」、というものらしい。「マイダン革命」の評価など、情勢認識にも問題があるが、ここでは<抗戦派>の運動方針を、批判的に検討してみたい。

 まず第1に、彼らは<停戦派>がウクライナに「降伏」を勧めているというが、そうではない。双方に「停戦」を呼びかけているのであって、それは「降伏」とは違う。第2に、彼らは停戦がロシア軍支配地域での人権侵害をもたらすというが、強力な停戦監視団をおけばよい。第3に、彼らは停戦がロシア軍の占領を固定化するというが、それは2者間の「力の論理」だけで考えた主張である。実際には、国連機関や国際社会が仲介した、和平交渉の結果などで決まる。国際司法機関が判断することも、正式な住民投票で決定することもあり得るだろう。第4に、彼らは「停戦」がロシアの脅威を取り除かないというが、「停戦」は「戦争終結」ではない。和平交渉の中で、話し合えばよい。ちなみに、ロシアにとっては、オランダ・イタリア・トルコにも配備された米国の核兵器と、「NATOの東方拡大」が脅威であり、したがって「安全保障の不可分性」が問題となる。

 

感情的な議論

 関連して第5に、ロシアの脅威とは「大国主義」であり、それが戦争の原因であると、彼らはいう。しかし、ここで問題となる「大国主義」の内容は、長大な国境線をもつロシアにとっては、安全保障上のコストの観点から、可能な限り、隣接する国を友好国か中立国にしておこうとする傾向である。そうであるなら、交渉解決の余地はある。プーチン論文や演説の中に、ウクライナの「属国化」と解釈できる部分はあるが、現実性からしても、一種のブラフだと考えるべきだろう。実際の交渉の中で、相手にとって最後まで死守すべき要求を、見抜くことが肝心である。

 第6に、ロシアの脅威に関して、彼らは「ホロドモール」をウクライナ民族浄化の歴史的事例として言及するが、これは正確な認識ではない。1932-33年、スターリンは農業の強制集団化を基礎に、ソ連「計画経済」の急速な重工業化を目的にして、必要な機械を輸入するため、コルホーズの農民から過度に穀物を供出させ、「飢餓輸出」を強行した。これが、「ホロドモール」である。それゆえ、大飢饉と餓死はカザフやロシアの農村でも発生しており、ウクライナ民族を標的とした飢餓政策ではない。当然、負の歴史を繰り返さない議論は必要だが、ロシア・ウクライナ戦争の問題とは切り分けて、感情を抑えた議論をすべきだろう。

 第7に、ベトナム反戦運動ではベトナム人民の武装蜂起を支持し、現在ではウクライナ人民の武装蜂起を支持しないのは、反米主義の誤りである、と彼らはいう。しかし、チェチェン独立を支持する一方で、ウクライナ東部2州の独立を認めない彼らの態度こそ、「民族自決」と「領土一体性尊重」とのダブル・スタンダードではないか。彼らに一貫しているのは、「反プーチン」という西側の「正義」であり、そうした価値観を相対化し、東側の「正義」や価値観と共存させようとする発想はない。

 そして、ベトナムの現実に目を転じると、今でも枯葉剤被害から、障碍をもって生まれてくる子どもが、後を絶たない。しかも捨て子が多く、平和病院などが引き取っている。筆者は2018年にホーチミン市の平和病院を慰問した経験があるが、植物人間状態の子どもも少なくない。ところが、米国は枯葉剤と環境破壊との関係は認めても、障碍児との因果関係は認めないので補償がないと、病院スタッフになったグエン・ドクさんも嘆いていた。どの戦争でも、抵抗権は認められるべきだが、それでも停戦を急がないと、取り返しがつかない事態となる。

 

「勝利」ではなく「平和」を

 2022年3月29日、ウクライナ側が停戦に向けた具体案を提起し、ロシア側も高く評価した。これを受けて、ロシア軍はキエフ周辺から撤退したが、4月3日に「ブチャの大虐殺」が発覚。謎の多い事件だが、国連機関の現地調査はなされず、これを契機に、停戦・和平協議も行われなくなった。さらに2023年2月24日、中国が和平仲介案を提起し、ゼレンスキーもプーチンも検討する姿勢を示したが、米国とNATOはこれを拒否した。だが、これらの内容を見ると、安全保障問題にしても、民族問題にしても、現実的な提案がなされている。西側大手メディアは、中国案に「ロシア軍の撤退」が入っていない点などを批判するが、折り合わない部分は、停戦条件を交渉する場で、話し合えばよい。

筆者は労働組合運動の中で、合法的に争議権を行使しながら、深刻な問題を交渉解決した経験が何度かある。かなりの犠牲を覚悟しなければ、相手を打倒することなど不可能だから、最後は労使あるいは政労使の交渉となる。当然、労使対決と戦争とは違うが、政治や外交の世界でも、利害調整は不可欠だろう。戦争が終結しないのは、軍事力信奉に陥ったり、経済的利益を見出したり、自己の価値観を絶対化する者が存在するからに違いない。

 また、ウクライナの西部と東部との対立が語られるが、実際には「モザイク国家」で、キエフにも親ロ派住民はいるし、ドンバスにも親欧米派住民はいる。しかも、ウクライナ独立後の投票行動を見ると、両者の総数は拮抗している。さらに筆者は、2014年5月2日に発生した、オデッサ「水晶の夜」事件の現場を訪問した経験をもつ。親ロ派の労働組合会館を親欧米派サッカーファンが焼き討ちにした事件だが、この被害者と加害者を逆にした説明も何度かされた。それが、意図的な嘘なのか、思い込みなのか、強制された説明なのか分からない。だが、事実認識さえこうした状況だから、その意味でも、特定の誰かに「寄り添う」のは難しい。

 いずれにしても、重要なのは国連機関や国際社会の強力な仲介と、グローバル・サウスを含む、世界の反戦・平和運動のバックアップだろう。筆者は在日ウクライナ人や在日ロシア人の運動にも参加してきたが、第三者である日本人主体の反戦集会で見た、次のプラカードに最も感心した。「ナショナリズムを煽るな!。戦争に感動も英雄も美学もいらない。戦争で被災したウクライナ市民に平和を!。戦争に抗議するロシア市民に敬意を!」。国際平和と民族共生を願う、主体的第三者の立場を貫きたいと思う。

 

 

 

欧米がテコ入れした非合法暴力革命である「マイダン革命」で権力を掌握した、右派セクターやスバボダら極右・民族主義者が、ロシア人弾圧宣言。アゾフなどがロシア人狩りを開始=>クリミヤ議会が主権宣言=>ロシア軍と親ロ派系部隊が、派遣されたウクライナ軍を阻止。クーデタ政権への忠誠心が低く、軍事的には貧弱で、経済的にも貧困なウクライナ軍から、ロシアへの投降兵が続出=>住民投票でロシア編入を決定=>ルガンスク・ドネツクの親ロ派勢力が主権宣言=>ウクライナ軍との間でドンバス戦争。

実は、クリミヤの主権宣言は3度目で、最初はソ連末期にウクライナが主権宣言した直後に宣言しています。これは、「民族自決権」にもとづき、主権の独立を宣言するものですから、例えば、ソ連邦の法体系の影響は受けない、という意味をもちます。ウクライナ憲法の場合、領土の変更は国民投票が必要との規定がありますが、①主権宣言、②ロシア編入、という形で2段階化することにより、それをクリアした形です。当然これはプーチンが主張する論理ですが、他方で国際司法裁判所は、住民投票さえないコソボの独立を認めています。加えて歴史的には、ソ連のフルシチョフが、クリミヤをロシア共和国の許可なくウクライナ共和国へ移管した、という微妙な問題も存在します。

あと政治的な問題ですが、クリミヤ半島のセバストーポリに軍港があって、ロシアはこれを借りて、黒海艦隊を駐留させていました。ところが、「マイダン革命」政府は、この賃貸契約を破棄し、NATO軍が展開する可能性が出てきました。そうすると、安全保障上、ロシアにとっては悪夢です。他方、ルガンスク・ドネツクは当時、親ロ派勢力だけで主権宣言した段階でしたから、ロシアも併合まではせず、「ミンスク合意」による「高度な自治」で、事態を収拾しました。

なお付言すると、現在のロシア軍占領地域である、クリミヤ・ルガンスク・ドネツク・サポリージャ・ヘルソンのうち、ザポリージャとヘルソンは2段階の手続きは踏んでいません。現在のロシア軍占領地域は、歴史的にレーニンがウクライナに譲った部分ですから、プーチンに何らかの論理があるのかも知れませんが、私は理解していません。

ただ全体として、ソ連邦崩壊後の西側が、調子に乗って、国際公約(NATO東方不拡大)や国際法の手続(コソボ独立)を軽視してきた結果、それが自分にも跳ね返ってきている側面があります。例えば、ルガンスク・ドネツクとロシアとの安全保障条約にもとづくロシア軍の派兵は、集団的自衛権の行使という形式になっていて、これは戦後のアメリカが何度も強行してきた行為です。ですから、西側は圧倒的なプロパガンダと軍事力で、事態をねじ伏せようと躍起になっています。しかし、BRICSなどグローバルサウスは、それを見抜いている。ですから、西側も反省すべき点は反省し、国際機関の監視下で、再度の住民投票を実施するなど、交渉で解決すべきだというのが私の考えです。