【記事】ゼレンスキーとSSを招いたカナダ議会 | ロシア・CIS・チェチェン

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おいプーチン、チェチェンから撤退しろ!今ならまだ間に合うぜ by アンドレイ・バビーツキ

 ロシア・ウクライナ戦争の原因は、極右政権による親ロ派住民への弾圧とNATOの東方拡大にある。東西冷戦終結後、米帝は一極支配の維持・拡大を追求してきたが、世界のパワーバランスの変化を背景に、各地で反逆が開始されている。そうした中で、ウクライナのゼレンスキー政権もイスラエルのネタニヤフ政権も、基本的には米帝の先兵として動く。すでに鮮明になっている現実だが、さらにカナダ議会がケアレスミスを犯した。日本では話題にならないが、以下に紹介。

 

【参考】元ナチス隊員がカナダ議会で喝采浴びる トルドー首相が謝罪、議長は辞任 - BBCニュース

 

 

<ゼレンスキーとSSを招いたカナダ議会>

 カナダ下院は2023年9月22日、ゼレンスキーを招いて演説させた。そして、カナダ在住のヤロスラフ・フンカを「第2次大戦中、ウクライナの独立のためにロシア人と戦い、現在98歳になっても戦いを続けている英雄」として紹介し、満場のスタンディング・オベーションを贈った。フンカはナチス・ドイツの占領下で第14武装親衛隊(SS)に志願し、ユダヤ人を大虐殺した人物であり、SS時代を「私がもっとも輝いていた時」と言っている。自ら虐殺の先頭に立ったのだ。第14武装親衛隊はユダヤ人大虐殺に加え、ポーランド人、ハンガリア人、スロベニア人、ロシア人も虐殺した。ウクライナ人もナチスへの非協力者は殺された。
 

 そのフンカを賛美したカナダ議会に全世界の弾劾が殺到した。カナダ議会は「彼を招いたのは過失だった」として下院議長の辞任で済ませようとしているが、「第2次大戦中にロシア人と戦った」の意味は取り違えようがない。当時のウクライナでソ連軍と戦った軍事組織はナチスだ。カナダのトルドー内閣のフリーランド副首相(兼財務相)の祖父はウクライナのナチ幹部であり、現在も彼女の政治基盤は亡命ウクライナ人団体だ。
 

<ナチを保護した米帝>
 戦後、米帝は日本ではA級戦犯・岸信介や731部隊を保護・育成し、ドイツやウクライナでもナチを保護して、その東欧・ソ連の土地勘と弾圧の経験を利用した。

 

 ウクライナのナチ組織OUN―B(ウクライナ民族組織バンデラ派)のヤロスラフ・ステツコは、米英の資金でABN(反ボルシェビキ諸民族ブロック)という組織を作り、1946―47年にはドイツで「ソ連のスパイ」の暗殺作戦を行うと共に、カナダに亡命者を大量に移住させた。ドイツ本国のナチの多くは「アメリカの裏庭」といわれた中南米に亡命させたが、ウクライナ・ナチはカナダに引き受けさせた。当時のカナダ政府はハーケンクロイツの入れ墨がある者は無条件に入国させたという。
 

 このABNは、カナダ国内のウクライナ亡命者社会を最大の基盤として、台湾の蒋介石政権、日本の勝共連合(統一協会)などと共に世界反共連盟(WACL)を形成し、米帝の反共政策の先兵になった。米軍の軍事介入だけでは全世界の労働者人民の闘いを抑えられない米帝は、ナチ党員・極右の養成を必要とした。ブルジョア政権であっても米帝の意に沿わない場合は、こうした勢力にクーデターを起こさせた。
 

<東欧諸国から批判>

 ポーランドでは、フンカへのスタンディングオベーションに憤激が高まる中で、教育相がフンカのポーランドへの送還を要求した。ハンガリーやスロベニアでも怒りが拡大している。ウクライナに隣接するあらゆる国で、米帝とNATOによるウクライナ戦争への反対運動が拡大している。