倉俣史朗とエットレ・ソットサス 21_21 DESIGN SIGHT
東京・六本木の21_21 DESIGN SIGHTで、「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展
に先週行ってきました。
倉俣史郎
日本を代表するインテリアトップデザイナー
数々の有名インテリアを生み出した彼は91年に亡くなってしまったけど、
今でもお弟子さん達は活躍している。
倉俣さんの作品で好きなのは
まずは「ミス・ブランチ」や「ガラスの椅子」に代表されるガラスやアクリルなど透明素材を使った作品。
とことんシンプルで、どこか可愛くて、どこか不安で、
接着技術は当時の最先端技術。デザインだけではなくテクノロジーに挑戦するからこそ美しい。
ミースやコルビジェに代表されるモダニズムのデザインをとことん追求してさらに削ぎ落としたシンプルな透明。
コンクリートや鉄骨を使って新しい技術で建築を作って行った様に最先端技術で作品を表現する。
なんだかそんな感じに思えました。
「北緯45度」
エキスパンドメタルで作られた脚は、これまたシンプルで不安。
あんなスカスカな脚。鉄の溶接技術。すごく綺麗。
これに共通することが、不安に感じるギリギリ感が美しい。という再認識。
ライトの落水荘のキャンティレバーの美しさのように、不安と感覚的な美しさが直結する。
どの時代も常識的な感覚は生活して行く中で感覚的に持っていて、それを裏切る好意は不安を感じさせる。
そこに驚きが生じる事により、美しいと感じる。
それが解釈でした。
そして
ソットサス
「カチナ」
可愛かった。
以上。
ソットサスについては
特別シンポジウム「磯崎 新と語ろう!―倉俣史朗とエットレ・ソットサス」
での磯崎さんのレクチャーがおもしろった。
展示では分からなかった。展示会の本を読んでも魅力が分からない。もっと言えばソットサスの展示はよく分からなかったので。
磯崎さんのレクチャーを聞いてやっとソットサスに興味がわいた。
ポスト・フェスティウム
写真で表現する極限のシンプル。今で言う、エコやエシカルみたいな事を語るなら、ココまで行かなきゃ。みたいな。
削ぎ落として削ぎ落として、究極にシンプルに。そこに彼はエンターテイメントを入れて少し笑える作品にする。
そこが素晴らしく好きだ。
磯崎さんと語っている若者が居た。
本当は自分がそこに立ちたかったが、いまいち、現代の流れや当時の流れやこの先の流れや方向性が分かって居ないのできっとそこに立っても何も言えなかったかもしれない。
若者がそこに立って居るだけで尊敬する。
どのひとも優秀そうな人ばかり。もっと違う感じが良かったなー。
シンポジウムというよりは磯崎さんに質問を投げかけて、磯崎さんが答えて終わり。みたいなのが淋しかったけど。
逆なら良かったのに。さらに登壇者が渋谷のギャルとかエジプトの人とか。爆発的に真逆の意見が出たり。そんな感じにしたら良かったのになー。
結局そこで感じたのは
磯崎さんはモダニズムの後のポストモダンを追い求めて、ソットサスはポスト・フェスティウム
今は?この先は?
若者は何を注目し、何を超えて行くのかを聞きたかったのだろうか。
倉俣さんやソットサスの時代はオイルショック後。
我々はリーマンショック後。
ポスト倉俣。ポストソットサス。とはどんな事だと考えているの??と言いたかったのかな。
あれから一週間考えてみたが、まだ分からない。
でもポストの意味が、何となく否定して無味出す事の様に感じていたが、そうではない事が分かった。
もっと勉強しなければ!
WEB発展途上はどこまで行くのかなー。

