なんとなく、忘れない為に思った事をメモしておく為の今回の日記
ファシズムと言う言葉を調べていた
しかもウィキペディアで(笑)
a) ファシストによる否定
反自由主義
反共産主義
反保守主義
b) イデオロギーと目標
伝統的な国家を基礎としない、新しいナショナリストの権威主義的な国家の作成
サンディカリストやコーポラリストや国家社会主義者すらも含めて社会的関係を変革できる、統制され、複数の階級を持つ、国家的な経済基盤の新しい1種類
帝国を目指す
理想主義者、ボランティアの信念、典型的には新近代的で自己決定の、宗教には関係ない文化の実現
c)スタイルと組織
ロマンチックで神秘的な側面を詰め込んだ、集会やシンボルなどの美学の構造
政治的な関連性の軍隊化や、党の民兵のスタイルや目標となった、巨大な動員
暴力の肯定的な視点と使用
男性原理の極端な強調
若者への賞賛
権威主義的でカリスマ的な個人による命令のスタイル
良くわからないが、独裁政権みたいなモノであろうか。昔の本を読むと度々出てきた言葉で、調べてみた。
建築設計の際。もちろんリーダーが居ないと話はまとまらない。だからといって、たった一人のエゴで建築を作るとゴミが出来る。時にクライアントの説得も必要。でもこの定規に教科書はない。
仮にリーダー格の設計者がたくさん居てモノを作るとする、現在、遠慮の塊みたいな人々が溢れる社会でいい建築が出来るとは思わない。なぜなら、リーダー格が集まっても多くの人が客観視して考えて行くからである。
この客観視は責任的な問題である。責任を逃れたい人が多すぎる現代社会。そんな時はリーダーが必要で、ファシズムが必要なのであろうか。ネオソフトファシズムみたいな感じでどうだろうか。
最近思うのが、
原発に関する専門家が世界からたくさん集まって、本当に上手くいくのか心配。
一人ずつ実名を挙げて、その人の考え方を世界に配信して欲しい。
ヤフーのサイトの電力量の表みたいに。欲しい時に手に入る方法で、全世界に配信。
そうすれば責任感は増幅され失敗出来なくなる。
この責任感を異常に押し付けて乗り越えたものが真のいいもの見たいにならないかな。
真のヒーローが現れそう!しかも何となく、日本人から!
さてさて、個人的な考えで建築を設計すると、マスコミでヒーロー扱いされていて多くの人が憧れる設計者達は建築をアートと等号で考えている人が多いと感じる。
ファシズムアート建築は例えば
金持ちマダムの部屋に飾られたどこかの国の花瓶や絨毯みたいに空間に調和していない違和感が生まれてくる。でも持ち主は満足。
それは個人的な空間だから。誰にも批判される事もなく。される必要もない。
社会的に多くの人に触れる場所ではそうはいかない。公共施設はもちろん。民間の建物も。
そこで違和感を生まない為にその土地の原風景や過去の町並みや自然の中の様に多くの人が認められるであろう建築に近づいて行く。肯定も否定もしないが、真の求められている物ならば、
業界全体で進まなければ、それもまた、違和感を生むかもしれないが。
美術的に価値のあると認められるものはもちろん必要で、それがその世界を進化させる。
だが、住宅メーカーやゼネコン等の設計で多数決で必ずイイという人が大多数を占める様な物を目指す業界はアート性を目指していない様に感じる。
ここのギャップがすごく気になる。
異色なものが出来ると目立つ。目立つと、かっこ良くマスコミに取り上げられる。すると依頼が増える。
あっつ!思いついた!
全てコンペにして審査員をその土地の人や街を歩いているギャルとか小学生とかに突然依頼してみればいい。
そうすると、様々な人を納得出来る物にしなければならなく。
今までみたいに言葉で設計する事は出来無い。
そもそも言葉は見て感じた後の付け加えで、まず最初に表に出すのはどうかと思うから。
よし!明日から、無言の建築をテーマに考えて設計してみよう!!!
商品売るのと同じで、ターゲットを絞らなければ良い物が出来無いと思う。
建築はターゲットが曖昧すぎる。と思う。
ファシズムってどういう意味か調べてみたら、なんかイライラしてきて、無言にたどり着いた。
さて、成功出来るかな~。
しかもウィキペディアで(笑)
a) ファシストによる否定
反自由主義
反共産主義
反保守主義
b) イデオロギーと目標
伝統的な国家を基礎としない、新しいナショナリストの権威主義的な国家の作成
サンディカリストやコーポラリストや国家社会主義者すらも含めて社会的関係を変革できる、統制され、複数の階級を持つ、国家的な経済基盤の新しい1種類
帝国を目指す
理想主義者、ボランティアの信念、典型的には新近代的で自己決定の、宗教には関係ない文化の実現
c)スタイルと組織
ロマンチックで神秘的な側面を詰め込んだ、集会やシンボルなどの美学の構造
政治的な関連性の軍隊化や、党の民兵のスタイルや目標となった、巨大な動員
暴力の肯定的な視点と使用
男性原理の極端な強調
若者への賞賛
権威主義的でカリスマ的な個人による命令のスタイル
良くわからないが、独裁政権みたいなモノであろうか。昔の本を読むと度々出てきた言葉で、調べてみた。
建築設計の際。もちろんリーダーが居ないと話はまとまらない。だからといって、たった一人のエゴで建築を作るとゴミが出来る。時にクライアントの説得も必要。でもこの定規に教科書はない。
仮にリーダー格の設計者がたくさん居てモノを作るとする、現在、遠慮の塊みたいな人々が溢れる社会でいい建築が出来るとは思わない。なぜなら、リーダー格が集まっても多くの人が客観視して考えて行くからである。
この客観視は責任的な問題である。責任を逃れたい人が多すぎる現代社会。そんな時はリーダーが必要で、ファシズムが必要なのであろうか。ネオソフトファシズムみたいな感じでどうだろうか。
最近思うのが、
原発に関する専門家が世界からたくさん集まって、本当に上手くいくのか心配。
一人ずつ実名を挙げて、その人の考え方を世界に配信して欲しい。
ヤフーのサイトの電力量の表みたいに。欲しい時に手に入る方法で、全世界に配信。
そうすれば責任感は増幅され失敗出来なくなる。
この責任感を異常に押し付けて乗り越えたものが真のいいもの見たいにならないかな。
真のヒーローが現れそう!しかも何となく、日本人から!
さてさて、個人的な考えで建築を設計すると、マスコミでヒーロー扱いされていて多くの人が憧れる設計者達は建築をアートと等号で考えている人が多いと感じる。
ファシズムアート建築は例えば
金持ちマダムの部屋に飾られたどこかの国の花瓶や絨毯みたいに空間に調和していない違和感が生まれてくる。でも持ち主は満足。
それは個人的な空間だから。誰にも批判される事もなく。される必要もない。
社会的に多くの人に触れる場所ではそうはいかない。公共施設はもちろん。民間の建物も。
そこで違和感を生まない為にその土地の原風景や過去の町並みや自然の中の様に多くの人が認められるであろう建築に近づいて行く。肯定も否定もしないが、真の求められている物ならば、
業界全体で進まなければ、それもまた、違和感を生むかもしれないが。
美術的に価値のあると認められるものはもちろん必要で、それがその世界を進化させる。
だが、住宅メーカーやゼネコン等の設計で多数決で必ずイイという人が大多数を占める様な物を目指す業界はアート性を目指していない様に感じる。
ここのギャップがすごく気になる。
異色なものが出来ると目立つ。目立つと、かっこ良くマスコミに取り上げられる。すると依頼が増える。
あっつ!思いついた!
全てコンペにして審査員をその土地の人や街を歩いているギャルとか小学生とかに突然依頼してみればいい。
そうすると、様々な人を納得出来る物にしなければならなく。
今までみたいに言葉で設計する事は出来無い。
そもそも言葉は見て感じた後の付け加えで、まず最初に表に出すのはどうかと思うから。
よし!明日から、無言の建築をテーマに考えて設計してみよう!!!
商品売るのと同じで、ターゲットを絞らなければ良い物が出来無いと思う。
建築はターゲットが曖昧すぎる。と思う。
ファシズムってどういう意味か調べてみたら、なんかイライラしてきて、無言にたどり着いた。
さて、成功出来るかな~。