この度の震災について思う事
東北東日本大震災では、防ぎきれない天災と人々の行動で防ぐ事が出来た原子力発電所事故。この性格の違う二つの出来事による被害が現在同時に起こっている。
自然環境の様にそこにあった人工物はやはり人工的環境である事を再認識し、当たり前が当り前で無くなる。
今回の震災によって様々な意識が一新し、デザインの考え方も変わっていく。そして、記憶の継続をする為の建築が必要とされ、それによって後世へと伝えて行かなければならない。
意識の一新
・ 今まで行われていた様々なエコ活動では考えられなくらいの節電等の電力への協力意識。
・ 毎年自殺者が3万人を超えていた日本では考えられないくらいの被災者への励ましの言葉。
・ 約900兆円の借金がある国の今までの認識では考えられないくらいの募金活動。そして経済活性化への意識の統一。
・ 全国の原子力発電所や再処理場に対して行われている反対運動への意識では考えられないくらいの福島原子力発電所事故に関する放射能への感心。
・ 携帯電話に送られる緊急地震速報やSNSやツイッター等の情報システムの進化の再認識。
・ 建築物は当たり前に建っているものが傾き、崩れ、流されるという弱さの意識。
マスコミの報道時間と比例して意識が低下する今までとは違い、数ヶ月後には何も無かった様に日常に戻るとは思えない。日本国内観測史上初めての大震災は、地震により建築土木が壊れ、津波により建築を攫っていった。その建物には全て設計した人がいる。その人達はどう考えているのであろうか。確認申請を通れば安心であるという考え方やそのシステム自体に疑問が残る。「現行法規通り」や「新耐震」という言葉も「安全」には繋がらない。という事に気付いた。
この様々な意識が一新する様な出来事は今後も増え、各業界に大きな影響を与えるであろう。電力不足による計画停電や節電によって大きく意識が一新した。今までは建築設備に頼りすぎている。人工的に作られている環境が当たり前になっていた。構造・環境・設備計画は建築業界全体で進化して行く。その中で、地域の風土や気象に関して建築デザインを更に追求して行かなくてはならない。
今は意識の転換期となる為の情報処理と現在起きている現実を肌で感じなければならない。その転換期による進化は、この出来事を忘れる事や意識が薄くなる事で終わる。この意識の継続が大きな課題であると考える。
将来の為に
この様に、過去の神話も覆され様々な意識が一新してしまう様な震災が起き、それを教訓に様々な物事が変化を始めようとしている現在。意識が低下し忘れた頃に地震と津波が再び来た時に、震災被害を最小限にする為と原子力発電所事故を起こさない様にする為に建築の持つ力によって、現在の事を将来に伝え、いかに意識を継続出来るかを考えなければならない。
丹下健三は広島平和記念公園のインタビューで下記の様に述べている。
平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである。この広島の平和を記念するための施設も与えられ平和を観念的に記念するためのものではなく平和を創り出すという建設的な意味をもつものでなければならない。わたし達はこれについて、まずはじめに、いま、建設しようとする施設は、平和を創り出すための工場でありたいと考えた。(建築雑誌(新建築)1949年10月号より引用|一部仮名遣いなど修正)
丹下健三の言葉は戦災に対してであり、天災に対してではない。しかし、東北東日本大震災でも犠牲者の方々を慰霊すると共に、まだ生まれてきていない人々もこの震災を主観的に考え、そこに集う。教育や社会に訴える力を持ち、震災・原発事故への「意識」を一人でも多く創り出す。広島平和記念公園の様な機能を持つ施設が必要であると考える。
それは1954年に竣工した広島平和記念公園とは違った、現代に合った形で意識を創り出せるのかを考えなければならない。
残念ながら阪神淡路大震災の為のその様な施設は思い当たらない。まだ皆の記憶に鮮明に残っているから、そういった施設は要求されていないのであろうか。関東大震災や東京大空襲の為の施設は東京慰霊堂で充分意識を生んでいるのであろうか。
震災の記憶を後世に意識高く伝える。それが出来るのは過去の人々でも、これから生まれてくる人でもなく、今、現在進行形でこの震災を経験している我々がやらなければならない。
参考:arch-hiroshima 広島平和記念館(http://www.arch-hiroshima.net/index.html)
以前提出した小論文です。
自然環境の様にそこにあった人工物はやはり人工的環境である事を再認識し、当たり前が当り前で無くなる。
今回の震災によって様々な意識が一新し、デザインの考え方も変わっていく。そして、記憶の継続をする為の建築が必要とされ、それによって後世へと伝えて行かなければならない。
意識の一新
・ 今まで行われていた様々なエコ活動では考えられなくらいの節電等の電力への協力意識。
・ 毎年自殺者が3万人を超えていた日本では考えられないくらいの被災者への励ましの言葉。
・ 約900兆円の借金がある国の今までの認識では考えられないくらいの募金活動。そして経済活性化への意識の統一。
・ 全国の原子力発電所や再処理場に対して行われている反対運動への意識では考えられないくらいの福島原子力発電所事故に関する放射能への感心。
・ 携帯電話に送られる緊急地震速報やSNSやツイッター等の情報システムの進化の再認識。
・ 建築物は当たり前に建っているものが傾き、崩れ、流されるという弱さの意識。
マスコミの報道時間と比例して意識が低下する今までとは違い、数ヶ月後には何も無かった様に日常に戻るとは思えない。日本国内観測史上初めての大震災は、地震により建築土木が壊れ、津波により建築を攫っていった。その建物には全て設計した人がいる。その人達はどう考えているのであろうか。確認申請を通れば安心であるという考え方やそのシステム自体に疑問が残る。「現行法規通り」や「新耐震」という言葉も「安全」には繋がらない。という事に気付いた。
この様々な意識が一新する様な出来事は今後も増え、各業界に大きな影響を与えるであろう。電力不足による計画停電や節電によって大きく意識が一新した。今までは建築設備に頼りすぎている。人工的に作られている環境が当たり前になっていた。構造・環境・設備計画は建築業界全体で進化して行く。その中で、地域の風土や気象に関して建築デザインを更に追求して行かなくてはならない。
今は意識の転換期となる為の情報処理と現在起きている現実を肌で感じなければならない。その転換期による進化は、この出来事を忘れる事や意識が薄くなる事で終わる。この意識の継続が大きな課題であると考える。
将来の為に
この様に、過去の神話も覆され様々な意識が一新してしまう様な震災が起き、それを教訓に様々な物事が変化を始めようとしている現在。意識が低下し忘れた頃に地震と津波が再び来た時に、震災被害を最小限にする為と原子力発電所事故を起こさない様にする為に建築の持つ力によって、現在の事を将来に伝え、いかに意識を継続出来るかを考えなければならない。
丹下健三は広島平和記念公園のインタビューで下記の様に述べている。
平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである。この広島の平和を記念するための施設も与えられ平和を観念的に記念するためのものではなく平和を創り出すという建設的な意味をもつものでなければならない。わたし達はこれについて、まずはじめに、いま、建設しようとする施設は、平和を創り出すための工場でありたいと考えた。(建築雑誌(新建築)1949年10月号より引用|一部仮名遣いなど修正)
丹下健三の言葉は戦災に対してであり、天災に対してではない。しかし、東北東日本大震災でも犠牲者の方々を慰霊すると共に、まだ生まれてきていない人々もこの震災を主観的に考え、そこに集う。教育や社会に訴える力を持ち、震災・原発事故への「意識」を一人でも多く創り出す。広島平和記念公園の様な機能を持つ施設が必要であると考える。
それは1954年に竣工した広島平和記念公園とは違った、現代に合った形で意識を創り出せるのかを考えなければならない。
残念ながら阪神淡路大震災の為のその様な施設は思い当たらない。まだ皆の記憶に鮮明に残っているから、そういった施設は要求されていないのであろうか。関東大震災や東京大空襲の為の施設は東京慰霊堂で充分意識を生んでいるのであろうか。
震災の記憶を後世に意識高く伝える。それが出来るのは過去の人々でも、これから生まれてくる人でもなく、今、現在進行形でこの震災を経験している我々がやらなければならない。
参考:arch-hiroshima 広島平和記念館(http://www.arch-hiroshima.net/index.html)
以前提出した小論文です。