先に公開した音声データの続き、折伏と思われる宗教的会話で勧誘者が熱心に「教え」を説く様子です 

 

 

(リンク先のnoteでお聞きいただけます)

 

人の家に上がり込んで、なにしてるんでしょうね。

ま、話している嫁も似たようなもので、やり取りとしては成立していますよ。

ただ、友人同士の会話とは、思えませんが。



この会話、ただのネタならいいが、真面目に語っているなら、ドン引くわ

 

きみ、洗脳されてね?

 

 

 

・・・個人的には距離とります。ええ、友人であろうと

 

 

 

思えば、友人、って便利な表現です。自分の足を引っ張るのも、ときに人の時間を奪い金銭的ダメージをもたらし、自分を厄災に巻き込むのも、
「友人」という関係から生じます。

 

 

 

人によりけりですが、「親」「友人」「恋人」って言葉は
囚われすぎて距離感を誤ると、とんでもないとばっちりを喰らいますね

 

 

ホストに入れ込む女子なんて、「恋人」という言葉に巧く囚われているのかもしれませんね

 

ホストは「恋人」でなく、ただの「担当」

 

 

色恋営業を楽しんで「担当」を推すのは自由ですが。

 

 

 

貴女は店に通う、単なる金づるで、貴女の身代わりは他にいますから、ホストのために風俗堕ちし、借金重ねてまで通う必要はないでしょう。

 

 

「親」だから、「友人」だから、「恋人」だから、といって何をやっても良いわけではありませんから。

 
 

 

勧誘者の会話の内容も同じく。

 

己の功徳のためか、友人はおろか、その親にまで手を出す始末。

これを宗教と捉えるならば、私個人は他宗派の僧職の方から説法は受けても、選挙の投票に行けという僧職には会ったことないです。

 

だとすれば、この勧誘者の立ち位置って、いったい何なのでしょうか。

 

仏法僧でもない、僧職としての修業もしていない俗人が

世帯主の私の目を盗んではコソコソと行動し、人を侮辱して悪口陰口は大いに叩くが(録音データありますよ笑)
それでも音声会話にあるように、仏の道を主観的な己の体験を交えて美しく語り、すご~い、絶対~!と語彙力のないこと言って勧める。

 

 

「絶対」とか、典型的な詐欺師が使う言葉では?



絶対”に痩せる、美しくなる、と聞いて信じますか

 

 

お題目を唱えたら、絶対に解決する、導かれる、幸せになる

 

 

 

いや、拝んどる場合じゃなく

 

 

 

自分が、最低限やらなければならない事をしないと
解決も、展開もしないと社会人の私なら思います。

 

 


はて、これ仏教なの?

 

 

この勧誘者が「教え」を履き違えているのでしょうか?

 

 

しかも、どこかの誰かが云った(らしい)ものを、あたかも自分の思想として信仰する。

 

 

自分の頭で考えての結果なのでしょうが、その中身は他人の思想では?

 

 

 

しかも、その思想から外れると「罰が下る」「不幸になる」「災いが起こる」「魔が憑く」「人生上手くいかなくなる」

 

 

って、脅迫する(される)

 

 

 

 

私なら、こんな論法が展開された時点で

 

 

 

 

 

殴りますけど(嘘です

 

 

お前に言われる筋合いあるか、と

 

お前そんなに偉いんか、と

 

 

 

こんな話を真に受ける、自分思考が欠如した者だから
まんまとハマるんじゃないでしょうか。(嫁、アンタだよ笑)

 

 

 

「言うことを聞かないと、罰が下る」というのは、人の判断力を奪う言葉であり、人を思考停止に陥らせる詐欺のテクニックみたいですね。

 

 

 

これを買わないと
これを読まないと

 

 

 

って不安を煽られて、皆さん、結果的にお金を投じて、、、

で、その金は、誰の手にわたるのでしょう(笑

 

 

 

上手くいったら、信心(組織?)のおかげ
上手くいかなかったら、あなたの信心が足りないから

 

 

 

いつのまにやら、「信心」という言葉が

その人の人生を拘束する装置になっていませんか?

 

 

たとえば、聖書

 

随分と内容は書き換えられているらしいですね。

 

 

それは、為政者の都合の良いように
権威という衣を装って
民から考える力を奪い、支配するため

 

 

神仏というものを利用するのです。

 

 

 

「これを信じます」ってことを唱えていけば、絶対に願いが叶う、宿命に打ち勝つ、幸福になれるってのが「題目の唱題」ってことでしょう。

 

ちなみに題目はその意味が解っていなくても
唱えるだけで功徳があるらしい、、、意味は分からんでええそうです。

 

 

 

南無は信じる(帰依、信じて委ねる)という意味らしく
南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経はそれぞれ、
「阿弥陀仏を信じます」「蓮華経を信じます」という事か

 

 

これって、インドのサンスクリット語に漢字の発音で似たものを当てはめ作ったようで、
つまり、アメリカの漢字表記は「亜米利加」
「露西亜」をロシアと読ませているのと同じで、漢字そのものに意味はありません、つまり当て字です。

 

 

 

その当て字を何度も唱えたら、幸福になるということです。

 

 

 

 

 

 

ふぅ、、、

 

 

こ、これはもう、信じたいなら何も考えず
そのまま受け取り、し、信じ込むしかないですね。

 


いつも思うのですが、科学技術で証明できないものを誇大に評価する姿勢って危険だと思いますよ

 

 

大昔は日照りが続いたら「雨ごい」の祈祷したらしいです
でも、日本は単純に3日に1回程度雨が降るそうで
時間がたてば雨が降るなら、祈祷の効果じゃないですね。

 


いまなら気象衛星ひまわりの観測で、お天気が分かるんでしょう。
皆さんも天気アプリ見てるじゃないですか。

 

天気を知るのに陰陽師やシャーマンのお告げなんて
一切聞いてないでしょ?(笑

 


も、天の怒りじゃないです。ただの気象現象です。

 

 

いまどき、そんな迷信に怯えて、大金払う人なんかいません。

 

 

疫病が流行るのも、怨霊のせいではなく、過去世の悪行でもなく、
人口が増えて経済活動が活発になった結果、衛生環境が悪くなったりするのが一因です。
祈祷や信心で封じるものではありません。

 

 

祈祷するヒマと金があったら、上下水道施設を整備し
日ごろから手洗い・うがい等して清潔な生活環境を心がけましょう。
で、体調がすぐれなければ、祈祷とか信心とかやっとらんと、さっさと病院行ったほうがいいです。

 

 

顕微鏡で手のひらや爪の垢の雑菌を観察してみてください。
あなたの目で見えたものが現実です。それを信じましょう。

 

信心深いあなたが仏壇の前で合わせる掌も、相当穢れてますよ(笑

 

 

 

 

行き過ぎた信心なんて、科学やテクノロジーを否定する、思考停止させるための、旧態依然の野蛮な考え方じゃないかな。

 


なにかあるたびに過去世とか、宿業とか、無間地獄とか、目に見えないものに結び付ける考え方って

 

 

 

オカルト、と変わらん気がします。

 

 

 

ま。見たくないものや悩みから目を背けるため、誰か言ったことを信じたければ好きにしたらいいですが

 

 

せいぜい、お寺や神社で売っている500円くらいの「御守り」で済ませておけばいいのに

 

 

 

 

人生の貴重な時間を費やして、せっせとお布施したり
折伏して人間関係を壊すことが

 

 

真に仏の説く道でしょうか。

 

 

 

そして、何かあるたびに脅され、それに従わされるのは
誰のためでしょう。

 

 

「お題目に過ぎない」のも、ほどほどに。