ある宗教信者の行き過ぎた干渉によって、家族を無断で宗教に入信させる。
一連の迷惑行為による顛末の記録は本稿でいったん終わりにします。

 

こんな書き殴りの駄文乱文を、読んでいたただいた方がおられましたら、改めて深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

あれからどんな結末を迎えたかというと

 

 

本行為を重く見た私は、つながりのある議員さんに事前相談しました。
議員さんもこれを問題視し、団体の名誉に関わる重大インシデントとご判断されたのでしょう。私も同感です。

 

 

ただ、これは団体の問題というか、この勧誘者個人の資質の問題と思っていたので、穏便に収束することを望み、議員さんと打ち合わせしていました。

 

 

 

そして、

 

 

何度か、意見交換したのち 

 

 

勧誘者は上長に随行し謝罪に来られることになりました。


組織体系はよく知りませんので、”総合長”がどのような役職かは存じません。

まあ、細かいことはどうでもいいです。

 

 

実は、本件について勧誘者本人から真摯な説明と謝罪があれば見過ごすつもりでいました。


それが、嫁とのLINE通話に

 

 

”旦那さんには謝っといて~”

 

 

みたいな。返答があったらしく、

 

悪びれることもなく、事の重大さも理解していないような
利己的、無責任ぶりがMAXだったので、

 

 

罰を与えるべく、事を大きくしたのです。

 

いわば、この議員さんも総合長も、勧誘者の非常識な行為の巻き添えとなって担ぎ出されたのがこの話の裏側です。

 

 

2024年12月8日、予定通り訪問されました。


その際の物的証拠は、お越しいただいた総合長と、陰で調整に動いてくれた議員さんに敬意を示すため、あえて残しておりません。
(したがって、以下の話は証拠がありませんので、信じたくない人は信じなくてOKです)

 

 

時間通りに訪問された総合長と勧誘者。

 

 

しかし、ここでも首をかしげる一幕が。

 

 

ふつう?、、、謝罪と説明に来たのなら、まずは上長が取り仕切って
一連の経緯説明と不手際があったならば謝罪をする。のが一般的だと思います。

 

 

それを、勧誘者が真ん中に陣取り、

 

上の者をさしおいて、弁明を始める始末。

 

 

本人から謝罪の言葉もありましたが、一般的な謝罪とは少し異なることに違和感を覚えましたね。

 

 

私からは、
「隠れて信心する(させる)のは邪教と変わらない」
「家族に背を向け、秘密裏に信心することがあなた方の信仰か」
「やるなら公明正大に、良心に恥じることがないなら堂々と出来るはず」

 

と言及しました。公明は、その団体の政党名でもありますし。

 

 

総合長からは、「その通りです、おっしゃるとおりです」と。

 

ほぼ、こちらの主張を認める回答でした。

 

 

実際の場面では、私も明るく振舞い、冗談も交えて穏便に話し終えたつもりです。
なお、この場に高校生になる長女も同席させました。

 

 

社会勉強として
交渉の場を経験してもらうために
人の本性を見極めるために

 

 

私が考えて同席してもらいました。


これ、仏典には書いていないでしょう。たぶん(笑

 

でも、私の考えでそうしました。
 


長女がこの体験をどのように捉え理解し、解釈したかは、本人の自由です。

 

 

そして、最後

 

 

勧誘者から、

 

「これでもうお会いできなくなりますが、皆さんのご多幸を願って
毎朝、祈りを届けます。」

 

 

と。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長女、ドン引き。(鳥肌

 

 

 

 

 

あ、この期に及んで、まだご自身の立ち位置が理解できていないのですね。

 

その姿勢が今日のこの場を招いたのに。

 

それでもまだ、お題目を送ります!ってことですね。

 

 

 

裏で動いてくれた議員さんの労苦を思いやることもなく、

 

 

総合長と謝罪に来ることになったのに、

 

 

普通なら、どうしてこうなったかを、自分の今までの行動を、見直す時でしょ。

 

 

 

まだ、お祈りするって。

 

 

 

 

 

思わず、言い返しそうになりました、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頼んでねぇよ。

 

 

 

 

いや、アカンわ。

 

 

 

だから、カルトおばさんと名付けたのです。

 

 

思考思念の、髄の髄まで、信仰に染まるとこうなるのでしょうか。

 

南無妙法蓮華経

 

だから、そんな造語めいたモノを送られても、何の効果もないんです。
あなたが信じたいという、自己満足による思いこみです。
その思いこみを他人の家にも押し付けたから、対人トラブルになったのです。

 


これが宗教脳?

 

 

世界の宗教信仰も、これと同じですか?

 

 

 

 

勧誘者たちが帰った後、

 

長女がこう言いました。

 

「いやー怖っ、鳥肌立ったわ!!」

「祈る!って、頼んでないし、やめてwww」

 

 

 

分かったやろ。
あれが信仰に囚われた人間の姿やで。

 

この状況でも己の試練として功徳に変えるため、あくまでも
信心を貫く。絶対自分主義。

人に迷惑をかけてでも、自分の功名しか考えていない。
なぜ謝罪することになったのか、を客観的に捉えられない。

 

お父さんがこれ問題視したのも、少しは理解できました?

 

『世の中には、こういう人がいる。
社会に出れば、いろんな立場の人間がいる。』

人は見たもの、聞いたものを真実だと信じてしまう傾向がある。
ましてや、それが歴史の偉人だと、余計にな。』

 

空海が創ったとか、聖徳太子が言ったから、って。

 

そのまま信じていいのだろうか。

 

これを権威として悪用し、人を扇動、支配する世界がある。

 

 

行き過ぎると、カルトにつながる。
 


絶対、こうだ!という決め付ける思考は、疑うこと、考えることを自分からも、相手からも奪う。
言われたままを信じるのではなく、いちど自分の頭で是々非々を考える、これを放棄したら相手の言いなりになってしまうよ。』

 

 

と、話しました。

 

 

無いものを在ると解釈し、誰かが作った架空、創作の話を、
実際にあったものと決めつけて思いこむ。

 

 

よくあるパターンで宗教指導者、教祖は〇〇の生まれ変わり
などと自称します。証拠はありません。
信じるほうがおかしいのです。
 

 

 

この勧誘者は、おそらく宗教2世です。

 

 

よく新興宗教では「子どもを強制的に入信させる」ということが当然のように行われるようです。

 

これって「人権侵害」だと思うんです。
「信教の自由」なら、自分で判断できない年齢のうちは強制的に入信させたらダメだと思います。

 

「権利」や「思想良心・信教の自由」を持ち出せば、何をやっても許されるのではありません。
公安監視団体があるのもその根拠です。

 

 

子供にとって、家族は「環境」だと思っています。
そしてそれは、子供の力では「変えられない」ということ。

 

 

私が本行為を問題にしたのは、


我が子が知らぬ間に、ある特定の思念や信仰へと他人の利己(その団体では功徳と呼ぶ)でもって誘導されることを防ぐためでした。

 

 

オウム事件をリアルで見た世代でもあるので、

 

 

親として当然の警戒ではないでしょうか。


この勧誘者は、自分の「権利」や「思想良心、信教の自由」は認めても、
それは同時に他人にも当てはまる自由、という視点が欠けているのではないでしょうか。
だから、謝罪の場においても、なにが原因でこうなったかには関心なく、
お題目を送りますという、火に油を注ぐような台詞が平気で言えるのです。
 


他人の利己でもって、子供たちの自由な思想や思念を妨げられることがあってはならない。

 

だから問題視し、顛末をブログにしたのです。

 

 

団体においても

 

 

未成年が入会する場合は親権者の承諾が必要としています。
もっとも、親がすでに入会しておれば、その子供も入会させることができるので、この団体が「人権」や「信教の自由」にどこまで配慮しているかは不明です。

 

 

最期の最後まで悩んだのですが、

謝罪に来てくれたら水に流すつもりでおりました。

もっと言うと、宗教活動(折伏や財務)の無いところで人間関係が続けられるなら、世間一般の、ごくありふれたママ友関係を妨げる気はない。
嫁の交友関係ですからね、私は関係ないので。


 

 

 

 

しかし、謝罪の最後に

 

 

 

 

 

「これでもうお会いできなくなりますが、皆さんのご多幸を願って
毎朝、祈りを届けます。」

 

 

 

という発言があった以上、これは付き合いできないと判断したのです。

 

 

またいつか、同じことをするから。

 

 

そのうち、我が子らを勧誘するかもしれない。

 

 

この人がカルト脳だから。

 

 

 

カルトを、家庭の中に入れることはできません。
これは、私の「思想良心の自由」です。私の側の権利です。
そして子供たちは、その是非を判断できる十分な年齢に達していません。

 

なぜなら、子は未成年です。
子の「利益」を保護・監護するために、子の監護教育や財産管理を行うのが親権者です。

 

当然ながら、勧誘者はわが家の子の親権者ではありません。したがって私はこの勧誘者に対し、わが子に思想や信仰を説く資格、権利を認めません。

 

 

また、私には登記簿に記されている土地建物の100%所有者兼居住者として『居住権』『管理権』があります。住居の居住権者や建物の管理者の意思に反した立ち入りは侵入とみなされます。なので、勧誘者を出入り禁止にしたのです。

 

 

 

20年近い付き合い(嫁が入会したのは8年前らしいが)のあった期間、我が家から財務(寄付・お布施)と称していくらの金が流れたのかは分かりません。当然のことながら嫁の交友関係に関心がないので、監視もせず、干渉もしなかったからです。(だから付け入られたのでしょう笑)
財務は‘’気持ち”ですから、少なくとも8年の間にいくらかは流れたとみるのが自然です。

 

家庭の金を自由に使うのも嫁の権利というなら、その使途は私の権利でもあります。そして基本は負債も共有です。
たとえば、嫁の知らないところで、私が勝手に適当な新興宗教にはまり
お布施として何百万円もの借金をしていいのでしょうか。嫁は半分払うのでしょうか。

 

 

さて、謝罪を受けたのちの、我が家ですが

 

 

まず、子供たちは元気に学校に通っています。
今の家で暮らすのが合理的とのことで、家から離れていません。
離れたけりゃ、さっさと働いたらいいよ、と言いました。
娘の人生は娘が決めたらいいのですから。
 


嫁は介護職の資格を取って、働きに出たようです。
専業主婦の控除枠にとらわれず、自立に向けて社会に出ていきました。

 

 

が、50歳を超えて介護職は大変みたいで、試用期間でギブアップしたようです。腰が痛いとか、コルセットが・・・と、言ってるみたいで。

 

コルセットなんか買わずに南無妙法蓮華経で腰の痛みも治したらいいのに。
そこは医学科学に頼らんと無理なんか?

 

 

ま、自立するなら何でもええです。
お望み通りの人生にしたらいいので。

 

 

音声データに残る、勧誘者の偉そうな説法と暴言・中傷。


公開してもいいですが、結局、

 

日の下に晒し出せば、上長に連れられて謝りに来ることに。

 

 

多くの信徒さんがこれまでに積み上げた功徳を吹き飛ばすような
そして、団体の名誉も傷つけるような不法行為、迷惑行為。

 

その証拠を突き付けられたら、こんどは謝罪。

 

 

勝利とは、ほど遠いな。

 

 


自己愛か何かから来る、万能感だったんですかね。

 

 

しかし、ご対応いただいた総合長、裏方で動いてくれた議員さんは同団体の一員でもあるわけですが、いたって話の通じる方々でした。



以前の投稿にも書きましたが、この団体関係者の全てがカルトとは思っていません。きっと、他の多くの信徒さんは普通の人々なのでしょう。
ただ一部に、功名心にかられた、カルト的な活動家が居るのでしょう。

 

 

以上が、現在の家庭の様子です。
家庭としての根幹は壊れていますが、経済的理由でつながっているみたいですね。
 


なんや結局、金かい。(笑

 

 

嫁はなんかいろいろ言ってるようですが、もう聞かないようにしています。
 


家庭に悩みがあるなら、家族で話し合って解決するのが先。
そう結婚前に取り交わした約束を守らなかったしね。
 


新興宗教に入っても解決しませんよ。遠回りするだけです。

なぜって、人の悩みは尽きないものです。
解決しても、また次の悩みが出てくる。
あと人って、自ら悩み事や心配事を探そうとする生き物です。
だからすべてが解決なんてないのですよ、死なない限りは。

 

 

そんなに宗教信仰で幸福になれるなら、この国には18万の宗教法人が認可されています。それ全部入ったらええがな。

 

 

どれだけ幸福になるか、自分の人生賭けてやれや。

 

 

嫁にそう言ったら、下を向いて黙っていました。

 

 

 

この母親の姿を見て、子供たちは何を想い

 

 

 

どう生きるのか。

 

 

 

自分自身で歩みながら、その道を作ってくれたらいいですね。

 

全15話から成る本コンテンツは、人がどのようにしてカルト思想へ導かれるかを、記録されたインターホン画像および録音データで証拠を示し、その危険性と予防対策として公開しているものです。

 

現在、国公立大学ならびに私立大学におかれましては、学生の皆様が巧妙な手口でもって危険な思想やカルト集団へ惹き込まれることの無いよう、様々な注意喚起を行っておられます。
このBlogはカルト的おばさんからの迷惑行為による被害家族の一例として学生の皆様が将来同じような被害に遭わないため、 啓蒙できればと思います。

 

カルトの勧誘手口やその顛末については駄文#1から#13までの各項記述をご笑覧いただければ幸甚です。

 

 

カルトな思念に染まりゆく過程をまとめますと

 

 

 

【過程1】
友人や恋人、親しい人間関係から、

 

 

【過程2】
万人が抱え込む何らかの「悩み事」に付け込みつつ

 

 

【過程3】
その「苦しみ」「悩み」を解消するためには、〇〇を信じて、〇〇を拝みなさい
そうすれば、悩みや困りごとが絶対に解決し、解脱、転生、宿命転換され、願いが通じ、幸福が約束される等と、説く

 

 

【過程4】
教団の私利私欲を満たすため、断りづらい人間関係を利用し、次々を要求をエスカレート、
ある政党へ投票を強要したり、お布施や財務と称し「金銭を要求」してくる

 

 

【過程5】
同じことをしている集団の中であれば、別に自分も特段おかしなことをしていないと、ある種の「マインド・コントロール」のような様態に陥り、本人は自分で選択、行動していると思ってはいるが、 その実は相手の思念に扇動、誘導されているという、"自分の姿"に気が向いていない。 

 

勧誘する者もその集団内の価値観において「救済」「転生」「折伏」などと称され、自分はさも良いコトをしているんだと信じて疑わないため、非常に真剣に、かつ親切に訴えかける。そのため、聞いた側もそんなに”私のため?”に言ってくれるなら、付き合ってみようか、誘われたからやってみようか、と思ってしまう。

 

 

【最終形態】

他人”から植え付けられた思念が、あたかも”自分の信じる思念”と同じだと思うようになり、特定の人物(教祖、先生など)の言うことを無条件に信じ、生活を破綻させてまで金銭を提供しても、その行為に疑問を感じないような、自分の頭で是々非々を考えない人格が形成される。

 

このような活動をする団体に入会してしまうと、善悪の判断がつかなくなり日常においてその団体への帰依が中心となって、法令や社会規範を逸脱していても信仰や教義を優先する思考で、疑問も感じず、家族や友人、職場との関係を破綻させてでも信心に盲従し、一般からは理解されないその教義にのめり込むカルト信者が完成される。

 

 

 

つまり、

 

現実社会で表現すると、こんな感じ。

 

 

およそ生まれて人たらば、病苦、生活苦、悩み事から逃れたいが為に、スピリチュアルや占い、耳障りの良い事を吹聴する宗教に傾倒してしまうのは、心が弱った人間であれば、誰しもつい流される、のは仕方ないと思います。

 

 

しかし、

 

そこから、なぜ

 

〇〇党へ投票してね、お願いね、に繋がっていくのか??

 

 

 

釈尊や日蓮と、

 

全く関係がないだろ。と(笑

 

 

 

そして、新興宗教の行き着く先は、

 

結局、金やがな。

 

 

 

 

なぜ、そこに 気が向かないのか

 

 

仏法僧でも無い者が、仏の名を語って権威をまとい、在るか無いか証明できない事象を用いては人の不安や悩みに付け入り、歯向かう者にはという言葉で恫喝しては服従させ、集めた金で教祖、幹部は贅沢品に囲まれ美酒美食の肥え太った暮らしをする。

 

 

いっぽう、信徒は自らその権威にすがり、憲法違反、選挙違反の危険を冒してまで、組織の権力構造維持のためにせっせと金を送り続ける。

 

 

 

占いやスピリチュアルのような類い、大昔に死んだ奴輩の遺した言葉(本当に言ったかどうかもわからない、後世の創作かもしれない)を

 

 

 

現代の科学やテクノロジーを軽視してまで、信じ込むのか??

 

 

 

 

およそ勧誘なんてものは、

 

 

説く側、説かれる側 に分かれ、その関係が固定化されると
主従関係のようなものがいつの間にか出来上がってしまう。

 

 

それは関わる人の、関わり方の、程度の問題

 

 

行き過ぎると、人間関係を破壊

 

 

人間関係における適度な距離感を心得ている人は、強引な勧誘や、扇動はしないもの、されないものです。

 

 

 

そして、

 

 

 

極楽浄土がどこにあるのか知らんが、もしあの世が存在したとして、その極楽に行きつくために、

なぜ現世の貨幣(マネー)が必要なのか?

 


そもそも、あの世でそのマネーは使えるのですか?
極楽浄土にも、スマホ決済などのマネー経済があるのでしょうか?

 

 

もし、現世でしか使えない貨幣をせっせとお布施しているなら、そのマネーは釈尊には渡らず、教祖、教団幹部の収入に化けていませんか?

 

 

・・・何を有難がって拝んどるんか知らんが

 

 

誰のためになっているか、欲深いがどっちに憑いているか
すこしは自分で考えろよ。

 

 

 

さて、

 

 

本コンテンツは、巷に溢れるフェイク情報、作り話、捏造とは違い、記録画像や音声データでもって 現実に起こった事象を証明しているつもりです。

 

 

 

私は、やられた側なので、

 

 

やり返すまでです。

 

 

インターホンの画像、録音した音声はすべてプライバシーと人権に配慮し加工していますが、その気になれば

 

 

無加工のまま、串刺してインターネットやSNS、掲示板にバラまいてもいいでしょう。拾った人が好きに加工したらいい。

 

翻訳して海外に広く普及させ、デジタルタトゥーとして、後世まで遺すことも

 

 

 

デジタルテクノロジーの恩恵

 

 

 

私の、胸ひとつです。

 

 

 

なんなら、〇〇党議員とのメールやり取りも、公開しても構わない。

 

 

ただ、

"カルトおばさんにもその議員にも、親が居て、子供がいて、暮らしがある。"

 

これでも私は配慮している、それは上記の"理由"があるからです。

無礼者に家庭を蹂躙されてカルト被害を受けても

念仏や題目などという、適当な漢字を当てはめた造語のどこが有難いのかさっぱり惹かれないが

 

 

他人様のご家庭に配慮する心は持ち合わせているつもりです。

 

 

 

一方、

 

 

 

 

この宗教法人の会則にある「賞罰」には、

 

学会員として相応しくない言動をした者には、会は”処分”することが出来る、とある。

 

 

ならば、この勧誘者はその”処分”に該当しないのだろうか。

まず入会の規則を破っているではないか。

 

 

自ら設定した会則や規則すら守れない団体が、折伏?

人に教えを説くなど

 

 

不届き千万の傲岸不遜の厚顔無恥である、と思うのは私だけあろうか。
(しつこい表現だわ笑)

 

 

 

 

賢明なる宗教研究者、各宗派の御仁、高等教育に関わる大学教授など知識階級の方々、また聡明たる学生諸君に向けて、これら公開したデータがカルトの本質とそれにのめり込む人間の姿を考えるきっかけとなり、このような被害があったことを広く知ってもらえたら本望です。

 

 

 

 

 

先に公開した音声データの続き、折伏と思われる宗教的会話で勧誘者が熱心に「教え」を説く様子です 

 

 

(リンク先のnoteでお聞きいただけます)

 

人の家に上がり込んで、なにしてるんでしょうね。

ま、話している嫁も似たようなもので、やり取りとしては成立していますよ。

ただ、友人同士の会話とは、思えませんが。



この会話、ただのネタならいいが、真面目に語っているなら、ドン引くわ

 

きみ、洗脳されてね?

 

 

 

・・・個人的には距離とります。ええ、友人であろうと

 

 

 

思えば、友人、って便利な表現です。自分の足を引っ張るのも、ときに人の時間を奪い金銭的ダメージをもたらし、自分を厄災に巻き込むのも、
「友人」という関係から生じます。

 

 

 

人によりけりですが、「親」「友人」「恋人」って言葉は
囚われすぎて距離感を誤ると、とんでもないとばっちりを喰らいますね

 

 

ホストに入れ込む女子なんて、「恋人」という言葉に巧く囚われているのかもしれませんね

 

ホストは「恋人」でなく、ただの「担当」

 

 

色恋営業を楽しんで「担当」を推すのは自由ですが。

 

 

 

貴女は店に通う、単なる金づるで、貴女の身代わりは他にいますから、ホストのために風俗堕ちし、借金重ねてまで通う必要はないでしょう。

 

 

「親」だから、「友人」だから、「恋人」だから、といって何をやっても良いわけではありませんから。

 
 

 

勧誘者の会話の内容も同じく。

 

己の功徳のためか、友人はおろか、その親にまで手を出す始末。

これを宗教と捉えるならば、私個人は他宗派の僧職の方から説法は受けても、選挙の投票に行けという僧職には会ったことないです。

 

だとすれば、この勧誘者の立ち位置って、いったい何なのでしょうか。

 

仏法僧でもない、僧職としての修業もしていない俗人が

世帯主の私の目を盗んではコソコソと行動し、人を侮辱して悪口陰口は大いに叩くが(録音データありますよ笑)
それでも音声会話にあるように、仏の道を主観的な己の体験を交えて美しく語り、すご~い、絶対~!と語彙力のないこと言って勧める。

 

 

「絶対」とか、典型的な詐欺師が使う言葉では?



絶対”に痩せる、美しくなる、と聞いて信じますか

 

 

お題目を唱えたら、絶対に解決する、導かれる、幸せになる

 

 

 

いや、拝んどる場合じゃなく

 

 

 

自分が、最低限やらなければならない事をしないと
解決も、展開もしないと社会人の私なら思います。

 

 


はて、これ仏教なの?

 

 

この勧誘者が「教え」を履き違えているのでしょうか?

 

 

しかも、どこかの誰かが云った(らしい)ものを、あたかも自分の思想として信仰する。

 

 

自分の頭で考えての結果なのでしょうが、その中身は他人の思想では?

 

 

 

しかも、その思想から外れると「罰が下る」「不幸になる」「災いが起こる」「魔が憑く」「人生上手くいかなくなる」

 

 

って、脅迫する(される)

 

 

 

 

私なら、こんな論法が展開された時点で

 

 

 

 

 

殴りますけど(嘘です

 

 

お前に言われる筋合いあるか、と

 

お前そんなに偉いんか、と

 

 

 

こんな話を真に受ける、自分思考が欠如した者だから
まんまとハマるんじゃないでしょうか。(嫁、アンタだよ笑)

 

 

 

「言うことを聞かないと、罰が下る」というのは、人の判断力を奪う言葉であり、人を思考停止に陥らせる詐欺のテクニックみたいですね。

 

 

 

これを買わないと
これを読まないと

 

 

 

って不安を煽られて、皆さん、結果的にお金を投じて、、、

で、その金は、誰の手にわたるのでしょう(笑

 

 

 

上手くいったら、信心(組織?)のおかげ
上手くいかなかったら、あなたの信心が足りないから

 

 

 

いつのまにやら、「信心」という言葉が

その人の人生を拘束する装置になっていませんか?

 

 

たとえば、聖書

 

随分と内容は書き換えられているらしいですね。

 

 

それは、為政者の都合の良いように
権威という衣を装って
民から考える力を奪い、支配するため

 

 

神仏というものを利用するのです。

 

 

 

「これを信じます」ってことを唱えていけば、絶対に願いが叶う、宿命に打ち勝つ、幸福になれるってのが「題目の唱題」ってことでしょう。

 

ちなみに題目はその意味が解っていなくても
唱えるだけで功徳があるらしい、、、意味は分からんでええそうです。

 

 

 

南無は信じる(帰依、信じて委ねる)という意味らしく
南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経はそれぞれ、
「阿弥陀仏を信じます」「蓮華経を信じます」という事か

 

 

これって、インドのサンスクリット語に漢字の発音で似たものを当てはめ作ったようで、
つまり、アメリカの漢字表記は「亜米利加」
「露西亜」をロシアと読ませているのと同じで、漢字そのものに意味はありません、つまり当て字です。

 

 

 

その当て字を何度も唱えたら、幸福になるということです。

 

 

 

 

 

 

ふぅ、、、

 

 

こ、これはもう、信じたいなら何も考えず
そのまま受け取り、し、信じ込むしかないですね。

 


いつも思うのですが、科学技術で証明できないものを誇大に評価する姿勢って危険だと思いますよ

 

 

大昔は日照りが続いたら「雨ごい」の祈祷したらしいです
でも、日本は単純に3日に1回程度雨が降るそうで
時間がたてば雨が降るなら、祈祷の効果じゃないですね。

 


いまなら気象衛星ひまわりの観測で、お天気が分かるんでしょう。
皆さんも天気アプリ見てるじゃないですか。

 

天気を知るのに陰陽師やシャーマンのお告げなんて
一切聞いてないでしょ?(笑

 


も、天の怒りじゃないです。ただの気象現象です。

 

 

いまどき、そんな迷信に怯えて、大金払う人なんかいません。

 

 

疫病が流行るのも、怨霊のせいではなく、過去世の悪行でもなく、
人口が増えて経済活動が活発になった結果、衛生環境が悪くなったりするのが一因です。
祈祷や信心で封じるものではありません。

 

 

祈祷するヒマと金があったら、上下水道施設を整備し
日ごろから手洗い・うがい等して清潔な生活環境を心がけましょう。
で、体調がすぐれなければ、祈祷とか信心とかやっとらんと、さっさと病院行ったほうがいいです。

 

 

顕微鏡で手のひらや爪の垢の雑菌を観察してみてください。
あなたの目で見えたものが現実です。それを信じましょう。

 

信心深いあなたが仏壇の前で合わせる掌も、相当穢れてますよ(笑

 

 

 

 

行き過ぎた信心なんて、科学やテクノロジーを否定する、思考停止させるための、旧態依然の野蛮な考え方じゃないかな。

 


なにかあるたびに過去世とか、宿業とか、無間地獄とか、目に見えないものに結び付ける考え方って

 

 

 

オカルト、と変わらん気がします。

 

 

 

ま。見たくないものや悩みから目を背けるため、誰か言ったことを信じたければ好きにしたらいいですが

 

 

せいぜい、お寺や神社で売っている500円くらいの「御守り」で済ませておけばいいのに

 

 

 

 

人生の貴重な時間を費やして、せっせとお布施したり
折伏して人間関係を壊すことが

 

 

真に仏の説く道でしょうか。

 

 

 

そして、何かあるたびに脅され、それに従わされるのは
誰のためでしょう。

 

 

「お題目に過ぎない」のも、ほどほどに。