【「障害者」について考える】映画『フォレスト・ガンプ』('94)★ネタバレなし感想★ | とかげ日記

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●フォレストの優しさに触れてほしい

名匠ロバート・ゼメキスによるザ・人間ドラマの良作。

トム・ハンクス演じる主人公"フォレスト・ガンプ"が頭は回らないものの実直で屈託のない性格であることが、人間ドラマの密度とストレートさを高めている。フォレストは各媒体や個人の感想においては、"知的障害者"と表現されることが多いが、彼の場合は障害である以上に個性であると僕は思う。そして、奇想天外なストーリーに面白味がある。幸運と愚直な誠実さにより困難をくぐり抜けていく主人公を自然と応援したくなる。

BGMに往年のポップスの名曲がかかっていたり、ベトナム戦争や歴史的史実の描写があったり、アメリカや当時の時代に思いを馳せるのに適した内容だ。時代と共に歩む人々の顔がそこに見える。優れた映画には時代のドキュメンタリーに匹敵するディテールがあるのだ。

……と、この映画を概観してレビューした後で、自分の個人的な思いを書いていく。

まず、「フォレスト・ガンプ」という映画と主人公の名前の由来について感じることがある。ガンプとはアラバマ州の方言で「愚鈍」「うすのろ」「まぬけ」を指す。また、フォレストとは、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の創始者のネイサン・ベドフォード・フォレストから取っているらしい。人間はKKKのような愚かなことをする存在であることをいつも忘れないようにするためにフォレストの母が名付けたという設定だ。なんと、聡明な母だろう! (まあ、筆者の自分は犯罪者に由来する名前をつけられるのは嫌だけど)知性を感じずにはいられない。

この人名を映画のタイトルにしたのは、フォレスト・ガンプという人間そのものに焦点を当て、彼を見てほしい、感じてほしいという製作陣のメッセージであるように思う。映画DVDのジャケットにフォレストが一人で映っているのも、その一環だろう。

前述したように、フォレストは知的障害者と巷では表現される。「障害者」と聞くと一歩引いてしまう方もいると思うが、一歩飛び込んでその当事者のことを知り、その生き方に触れれば、消えていく差別や生まれてくる愛もあると思う。何をかくそう、筆者の僕も障害者だ(精神障害者手帳3級所持)。

(「害」という言葉の悪いイメージを避けるため、「障害者」ではなく、「障碍者」や「障がい者」と表記すべきだという議論がある。個人的には「障害者」でも良いが、「障碍者」や「障がい者」と表記された方が配慮が感じられて嬉しい。)

まさしく自分は障害者だが、その側面だけからでは見られたくないし、語られたくない。だから、僕はツイッターなどのプロフィールに障害者であることを書かない。音楽が好きであることしか記述しない。なぜなら、人間の精神は多面体であり、様々な側面があるからだ。カテゴライズされた一つの性質の表層にだけ目を向けるのでは、本当の人間理解からは遠いだろう。他の側面を見てみたり、その奥に行かなきゃ。プロフィールに精神障害者であると書けば、大きなインパクトに引きずられてその側面からだけしか見てもらえない可能性が飛躍的に高まる。

フォレストが知的障害者であるかどうかに関わらず、この映画を観て彼の生きざまを感じてほしい。フォレストの鷹揚としていて大きな器の優しさを知ってほしい。知的障害であることは確かにハンディキャップであるけれども、個性として捉えることができることも知ってほしい。単なるカテゴライズのその先に一歩踏み出してほしいのだ。あなたがこの映画で流す涙には価値がある。


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