【抗議or賛成する前に】指原莉乃もきゃりーも正しい。言葉の暴力を止めよ | とかげ日記

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指原莉乃ときゃりーぱみゅぱみゅについて、喧喧諤諤の議論がツイッター上で巻き起こっています。

二人について書かれた記事には以下の記事がありますので、何も知らないという方は参照してくださいね。

きゃりーと指原莉乃、「#検察庁法改正案に抗議します」で見えたスタンスの違い

検察庁法改正案に対して中立の立場を示した指原莉乃も、反対の立場を示したきゃりーぱみゅぱみゅも正しいというのが僕の立場です。

それどころか、賛成意見にも反対意見にもまっとうな根拠があり、どちらも正しいと思います。事実関係の誤認があれば正していかなければいけないですが、賛成の人も反対の人もお互いの正しさを認め合いながら、改正案をより良い方向に修正するか、改正案が良くないというなら、廃案にすれば良いでしょう。

僕は検察庁法改正案に関しては静観のスタンスだけど、議論が冷静に深まってほしいと願っています。国民投票法改正案についても同様です。

芸能人もアーティストも保守もリベラルも街角の僕らも、自由に気兼ねなく政治的な意見を言える世の中が来るといいね。

60年代までの政治の季節が終わり、80年代以降は文化を政治から切り離す姿勢が顕著になりました。ゼロ年代以降の"セカイ系"カルチャーの隆盛は、文化を社会からも切り離す動きでした。

しかし、現在はコロナ禍の影響で社会と向かい合いざるを得なくなったのです。政治に多くの人の目が向いた今こそ、文化の政治的無関心を変えるチャンスなのだと思います。

僕らは社会で生き、政治は生活なんだよ。

検察庁法改正案については、以下の動画が分かりやすかったです。橋下さんを嫌いな方もぜひ観てくださいね。


うちの子どもに話してみた「検察庁法改正案問題」-橋下徹

橋下さんだけではバランスが取れないので、せやろがいおじさんの動画も載せておきますね。


5分で分かる!検察庁法改の内容と問題点について【せやろがいおじさん】

‪憲法と法律の解釈の違いなので、どちらの解釈も根拠があり、正しいと言えると思います。あなたの価値観ではどちらを取るかということです。‬

政治は、「あなたは正しい」「あなたは間違っている」と言い合う世界です。しかし、「あなたは間違っている」という言葉を使わないで、政治的な言葉を紡ぐのも可能だと思います。そして、よく言われるように、批判と否定は違います。

思想家の内田樹さんはネット上の言論について以下のとおり述べています。

「ネット世論の語り口の問題点は、「私」の自尊感情の充足が最優先的にめざされているせいで、「公」的な次元で対話することへの努力が配慮されないことです。
 ネット上のやりとりにおいては「批判に応えて、自説を撤回した人」や「自説と他者の理説をすり合わせて、落としどころで合意形成した対話」をほとんど見ることがありません。しかし、日々の僕たちの現実の営みの中では、対立する立場の人間を一刀両断にして、斬り捨てて「おしまい」というような場面はほとんどありません。僕たちは自分と意見の違う人間と共生しており、彼らの「私とはぜんぜん違う意見」にも配慮し、それをある程度織り込んだ「落としどころ」で合意形成をするしかないからです。」(『呪いの時代』p.15.)

中立の立場に関して、ある方の以下のツイートが目に留まりました。

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空気読んで中立っぽい立ち位置でいるつもりでも、結局権力者が何やってもほっとく傍観するという意味では全く中立ではないですよね。いじめの例でいうなら、いじめを傍観してる側も止めない時点で加担してる。というのに似てるかな、と。
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中立を表明していても、選挙で意思表示をする人はいるんですよ。

例えば、公務員は政治的意思の表明が許されていません。だから、SNS上では中立や静観になります。

また、指示・不支持を鮮明にすることにより、政治的に色付けされたり、反対の意見の人と争ったりすることを嫌う人もいます。僕は『とかげ日記』をどんな政治的立場の人にも読んでほしいです。

立場表明の強制は、秘密選挙の目的を否定するものです。


僕がこの記事で伝えたいことは、言葉の暴力をやめてほしいということです。

"うみのて"というバンドの笹口騒音さんは以下のようにツイートしていました。

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こんな時だからじゃなくて、どんな時もゴミとかクズとか🙅‍♀️ねとか大の大人が使うんじゃないよ。子どもたちにそれ聞かせるんかい

敵はもっとしたたかにやさしげな丁寧な言葉をつかって我々の暮らしをおびやかしにきてるんじゃないの?

頭悪く野蛮にみえるのはどっちか考えなよ

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うみのてには、「WORDS KILL PEOPLE(COTODAMA THE KILLER)」という曲があります。この曲は「死ね」「殺す」「消えろ」といった言葉を俎上に上げた歌であり、日本の音楽では(世界でも?)珍しいでしょう。



「死ね」という
「殺す」という
「消えろ」という
言葉が人を殺したよ
俺はそれをそれを見たんだ
高層ビルの屋上から
言葉が人を突き落したよ


言葉には言霊があると思います。言葉には力があるのだと、言葉を操る身として信じています。「死ね」という言葉を受けて、実際に死んだ人もいるはずです。

物事を主張する女性に対する言葉による攻撃が激化しているという記事も見ました。これはひどい…。

「黙れブス」物言う女性に攻撃激化 罵声だらけのSNS

この記事を書くにあたって、僕も以前に以下の記事を書いており、主張の整合性が取れなくなるのではないかという懸念もありました。

リスト係さんを見ていると暴言って面白いと思う

"暴言は言葉に浸透力があり、不快だからこそ反発して、そこで議論が生まれる"と僕は書きました。"暴言をエンターテインメントとして捉えてほしい"とも。

リスト係さんは僕の入院中にもお見舞いに駆けつけてくれた大切な友達ですが、これからは彼の暴言に関しては批判的なスタンスでいこうと思います。

暴力的な言葉を使わずとも、批判はできるのです。また、ヘイトの感情も自分や世界のアイデンティティを織りなす重要な要素だから、ディスも世の中にとっては必要です。しかし、批判やディスを行っても、それを言葉の暴力にはしないことが大切なのだと思います。


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