僕が音楽を評価する時の基準をここに記しておきます。
音楽の価値の序列について、こんな文章があります。
「芸術的価値の評価には序列がなければならない。「序列が生じるもの」こそが「芸術的価値」なのだ、と言い換えてもいい。
すべての芸術には等しく価値がある、というのは真実かもしれないが、だからといってこれを「すべての芸術には『等しい』価値がある」と誤読するのは悪質な欺瞞だ。三歳児が初めて描いたクレヨンの絵とダ・ヴィンチの諸作が「等価」のわけはない。
(中略)
ヒエラルキーがあってこその「価値」なのだ。それがあればこそ、「本流とは違うオルタナティヴなもの」も、存在できるだけの余地が生じてくる。
(中略)
英語圏には、ロックも厳然たる「ランキング」がある。ロックが生まれた国であるアメリカがとくに積極的で、ありとあらゆるランキングが、つねに、いたるところで発表されている」
川﨑大助『日本のロック名盤ベスト100』講談社, 2015, pp.10-12.
僕の考えでは、音楽の優劣は個人の好き嫌いと同じで完全な主観です。自分の中に価値の序列があり、優れたものも劣ったものもあります。売れないけれども優れた作品も、売れているけれども劣った作品もあります。
音楽には、演奏技術、メロディ、リズム、ハーモニー、革新性、文学性、肉体性、芸術性、大衆性、音質、訴求性など無限の優劣の基準があって、さらにその無限の基準の中でも無限の基準があって、作品の優劣を一概に語ることはできません。自分がどの基準を優先するかで、自分の中の価値の序列が決まります。
人生や物事の解釈には、絶対的な正義や真理はありません。より良い解釈とより悪い解釈があるだけ。より良い解釈とは、生きる活力を与えてくれる解釈のことです。そして、自分が最も優先する価値基準とは、生きる活力を与えてくれるか否かということです。
深い音楽は、世の中や人生に矛盾があることを認めつつも、それでも生きよ!と言ってくれます。
社会には様々な矛盾があります。なぜ、人は平等だと言いつつも、貧富の差があるのか。なぜ、同じ人間であるのにも関わらず、差別する人と差別される人がいるのか。なぜ、世界で戦争が起こっているのに素知らぬ顔をすることができるのか。なぜ、生きる理由もないのに人生を生き続けなければいけないのか。
問題は、その矛盾や苦悩を認めない音楽や、矛盾や苦悩は認めるけれども生きよ!と言わない音楽です。矛盾や苦悩を認めない明るいだけの音楽や、人生辛いよねと言うだけの音楽には、僕は深さは感じません。世の中や人生は複雑です。その複雑性が反映されていない音楽は浅いと思います。
「易しく深いこと」にも「難しく深いこと」にも、双方に価値があると僕は考えています。逆に言えば、「易しく浅いこと」にも「難しく浅いこと」にも僕は用はない。問題はその深度です。
流行歌のJ-POPにも、「深いこと」があることを僕は認めています。ゆずの一部の曲は僕の大のお気に入りです。
もちろん、より音楽的であるか否かという基準も僕にとって重要です。そして、僕の考えるところ、その基準は音楽の深度と密接な繋がりがあります。僕にとって、より音楽的であることが、より生きる活力を与えてくれるのです。
最後に、いつもアルバムレビューに付しているScoreの基準について記しておきます。
10.0 人生の傑作
9.0~9.9 稀に見る佳作
8.0~8.9 今年の佳作
7.0~7.9 良い
6.0~6.9 見るべきところはある
5.9以下 駄作
今のところ、10.0を付けるべき傑作は、神聖かまってちゃん『友達を殺してまで。』、中村一義『ERA』、100s『世界のフラワーロード』、スピッツ『ハチミツ』『三日月ロック』、ふくろうず『砂漠の流刑地』、うみのて『IN RAINBOW TOKYO』『21st CENTURY SOUNDTRACK』の八作です。
これからも『とかげ日記』をよろしくお願いします。