音楽批評は必要か? | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。

音楽批評は必要か?

広辞苑によると、批評とは「物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずること」だそうだ。

音楽批評は僕にとって欠かせない夕飯の納豆くらい、必要に決まっているだろというのが僕の結論。

『とかげ日記』も音楽批評ブログだからそう言うんでしょ?という読者の方にこれからその理由を三つに分けて説明します。

①一つ目はキュレーションのため。

音楽批評を読んで、対象の音楽を好きになったという方も多い。
僕の『とかげ日記』を読み、取り上げられている音楽を好きになった方が実際にいらっしゃった。
何千・何万というキュレーターが音楽批評によって、優れていると思われる音楽を取り上げれば、音楽という文化はより豊かになるだろう。

②二つ目は音楽自体の発展のため。

良いと思った音源を良いと言い、悪いと思った音源を悪いと言うことも、音楽の文化の発展に繋がる。
悪いと批評した時の切り口が説得力を持ち、鮮やかであれば、その批評は影響力を持ち、その対象の「悪い」音楽のような音楽がこれから作られることを抑止することができる。
また、これまで大勢の人が「悪い」としてきた音楽であっても、その音楽を「良い」と批評する際に「悪い」評価を跳ね返せるくらいの説得力があれば、その批評は影響力を持ち、その音楽作品の評価を覆すことが可能だろう。

説得力を持った批評は力を持つ。
力を持った批評は音楽の作られ方にも影響する。
批評の中で説得力を持って語られる美の基準、善の基準、優の基準は、形を変えて音楽制作者の中にも取り入れられることになるのだ。

③三つ目は批評自体の読み物的な価値のため。

批評は読み物としても面白い。
僕は渋谷陽一や田中宗一郎や柴那典や有泉智子や音楽ブロガー達の音楽レビューを読んできた。
優れた批評は、優れた文化批評でもあり、見知らぬ文化や価値観に触れさせてくれる。それらの批評は、僕の視界をより広範囲に開かせてくれた。
音楽の描写の仕方に詩的愉悦を感じたり、製作物から透けて見えるアーティストの姿勢の描写にドラマを感じたりもしてきた。
また、音楽で注目する箇所もそのライターならではの視点があり、音楽を聴く上での参考になる。
音楽が好きなら、批評は読み物としても面白いのだ。

ただ、長文を読むのが苦手と言う人がいるのも分かる。
そういった人たちにとっては音楽批評はいらないのかもしれない。

僕のツイッター上でのライバルであり盟友のリスト係さんが一時期は音楽の魅力を言葉で表現していたのに、今は動画botを作り、とにかく聴かせることに注力する理由も分かる気がするのだ。
魅力を言葉で説明するよりも、実際に聴かせた方が早いのではないかという彼の姿勢は間違っていない。

ただ、音楽の魅力を表現した"言葉"自体に魅力を感じる僕のような輩も少なくはないと思う。
そんな方に向かって、誰も気付いていない音楽の魅力や誰もが気付いているけれども上手く言語化できない音楽の魅力を『とかげ日記』上で言語化していけたらと願っている。