うみのて「キミはレア」~報われない魂を歌うということ~ | とかげ日記

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うみのての新曲「キミはレア」を聴いてほしい。



ピアノの深い響きや、不規則に繰り返される鍵盤ハーモニカの音、凛とした響きの鉄琴がここではないどこかにいるようで、どこでもないここにいる僕らを包む。弓で弾かれるギターの幽玄や、中盤からインするマーチするようなパターンのドラム、リズムに張り付くベースが、生と死の間の深淵を描く。

歌詞にも注目してほしい。

君はめずらしい
爆弾の被害者
影だけが
残った

君はめずらしい
殺人の加害者
ボタンを
おしただけの

君はめずらしい
病気にかかった
選ばれし
選ばれなかったもの
(「キミはレア」から一部抜粋)


歌やフィクションには、最終的に報われた主人公ばかりが登場する。では、報われなかった人には、価値がないのか。そんなはずはない。うみのてのフロントマンの笹口騒音は報われなかった人生を歌う。報われなかった人にも、歌われるべき価値があるとでも言うかのように。

この曲は、原爆や死刑制度も連想させる。うみのての曲には、曲に映し出される演者の実存だけではなく、社会の暗部や矛盾を描く社会性もある。そして、結論を歌わず、どんな立場や思想の人も聴ける作りにしている。どのような意見を持つにしても、意識しているのとしていないのでは違う。笹口さんは様々なことを意識せよ、考えろと歌っているのだ。

ところで、あるロックバンドのフロントマンが「自分は平和に暮らしているし、社会に問題はない」とインタビューで答えていた。この方にとって社会には問題がないのかもしれないが、他の大勢にとっては社会にはいくつもの問題がある。もし、あなたが生き辛さを抱えていたり、なんらかの抑圧を感じているのなら、それは社会に原因があることが多い。社会に問題があってもなくても、社会から離れた実存などないのだ。なぜなら、僕たちは社会で生きているのだから。

うみのての曲には、社会性がある。インターネットを巡る現代事情が背景にある「NEW WAR IN THE NEW WORLD」、原発をテーマにした「NEW(NU) CLEAR.NEW(NO) FUTURE」など、社会問題を直接取り上げたものもある。だが、フロントマンの笹口さんは、先述したように、曲中でそのどれもに結論を出さない。是とも否とも言わないのだ。なぜなら、彼は「応援歌なんか歌うもんか 僕はただ君といたいだけ」(「売春歌」)だからだ。どんな考えの人にも、「悪い人」にも「良い人」にも彼の曲は開かれている。

社会から離れた実存などなく、うみのての曲は社会性と実存があるからこそ、人間の内と外のあらゆるものを映し出す。だからこそ、聴き手の魂の芯を捉えては離さないのだ。優れた歌は様々なものを映し出す。うみのての曲はまさに21世紀のサウンドトラックなのだ。うみのての曲はリスナーの思想を深めてくれる。

これらの問題意識は、笹口さんのソロのYAOAY名義での新曲「NEW DAWN FADES」でも共通している。



歌詞を見てみよう。

世界中のミサイルが今夜一斉に発射されても
笑っていよう キミと笑っていよう
シェルターは入場規制
僕らの入るスキマはない
笑っていよう ハハ笑っていよう
(「NEW DAWN FADES」から一部抜粋)


この曲でも、彼は報われなかった人生を歌うと共に、その曲は社会性を帯びている。主人公のいる世界は核戦争間近の世界なのだろうか。現在、二大国のアメリカも中国もエゴイスティックな外交姿勢になり、もしかしたら、こういう世界線もあり得るのかもしれない。

社会とそれに影響される実存を描く笹口さん。社会に殺されそうになっても、「笑っていよう」と(半ばヤケクソになりながらも)歌える、そのオルタナティブな精神を僕は尊敬する。オルタナティブとは、社会に屈しない個の精神のことだ。笹口さんのオルタナティブな音楽性と精神は、過去から未来に渡る報われない魂を今日もアカシックレコードに焼き付けている。