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前作『渦になる』から全ての面で大化けした1stフルアルバム。一発録りの躍動感がありつつ、曲は恐ろしいほど構築されている。
ジャケットやリード曲「ユーリカ」の雰囲気から、ダークでどん詰まりな曲調の曲が続くアルバムになることを想像していたが、思っていた以上に明るめのアルバムだった。
アルバムの曲調にはバラつきがある。ポストロック、シューゲイザー、オルタナサウンドの曲に混じって、疾走感あふれる「国道スロープ」という正統派ギターロックの曲もある。だが、どの曲にもきのこ帝国の色濃い記名性がある。
出色なのは、「夜鷹」と「ユーリカ」だろう。「夜鷹」は、THE BLUE HERBに影響を受けた、スポークンワーズで歌われる曲。星空のファンタジーのようなポエトリーリーディングが、サイケデリックで陶酔感のあるギターの上で、主張しつつ波打っている。「ユーリカ」は、The Horrorsのようなゴシック・サイケデリックの要素を持ち、リバーブとディレイを泥まみれにまぶして、ギターが悪魔のしっぽのようにとぐろを巻いている。
ROCK'IN ON JAPANによると、『渦になる』は共同プロデュースだったため、自分たちのやりたいようにやれなかったようだ。きのこ帝国がセルフプロデュースする今作は、きのこ帝国の方向性が一段と明確になったアルバムである。
クリーントーンのギターが多いが、同じくポストロックの要素があり、クリーントーンのギターが多いsleepy.abのサウンドが眠りを誘うように弛緩しているのに対して、きのこ帝国のサウンドは柔らかな緊張感をたたえている。
フィッシュマンズからの影響を公言しており、評論家からもフィッシュマンズからの影響を指摘されている。夢遊病者のようなファンタジックな音の波間に、浮遊して漂う中性的なボーカルは共通点があるだろう。
だが、きのこ帝国の音楽はフィッシュマンズと比べて、浮遊はしているが、地に足をつけているように感じる。より人間の根源的な感情、仮面を剥いだ心の奥底のマグマに突き動かされている音楽だと感じる。
「春と修羅」で歌われる相手を殺してやりたいほどの憎悪。歌詞もヴォーカルも、悲観と楽観の間でエモーショナルに、だが状況を俯瞰しつつ渦を巻く。
きのこ帝国の音楽には、執着と風化が同居する。「あいつをどうやって殺してやろうか」と歌う他者への憎悪は、執着の裏返しだ。かと思えば、そう歌った後に「なんかぜんぶめんどくせえ」とひっくり返す。「風化する教室」では、「記憶は想いどおり風化する」と歌い、嫌悪も憎悪の記憶も砂と化してしまう。
「ユーリカ」で歌われる「ゆこう 港まで」の港とは、境界を指す。海と陸の境界。そこから転じて、執着と風化の境界、生と死の境界、「ミュージシャン」でも歌われる狂気と正気の境界の意味も内包する。それは、僕に勝利と敗北の境界も連想させる。きのこ帝国の音楽は敗北への思想を散らかせつつ、最後は勝利に向かっている。
「殺すことでしか生きられないぼくらは
生きていることを苦しんでいるが、しかし
生きる喜びという
不確かだがあたたかいものに
惑わされつづけ、今も生きてる」
(「夜鷹」)
きのこ帝国の音楽は「死にたい」ではなく、「殺す」と「生きてる」なのだ。敗北の思想に浸食されそうな時に、きのこ帝国の音楽は、救いの音楽として響く。きのこ帝国の音楽は、曖昧な境界線上で確固とした意思をもっている。明日にはすべてが終わるとしても、未来なんていらないやと思いながらも、曖昧な現在できのこ帝国は笑っているのだ。
最近の日本のバンドで良いバンドはないか探している方にオススメのアルバムです。
(この記事は発売当時に書いた原稿を再録したものです。)