炎上してもヘイトをヘイトする | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。

以下の文章は病気が重くなった際に削除した記事を復元したものです。今は考えが変わってますが、記録として残しておきます。

今はヘイトの感情もラブと同様に尊重すべきだと考えています。その上でラブを描くことをしたいです。

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僕は過去3、4度SNS上でプチ炎上していますが、そのどれもがヘイト(嫌い)をヘイトする僕のナイーブな性格によるものです。

ヘイトをヘイトすることでヘイトを呼び込んでしまう僕の性質は、八方美人を目指して嫌われる偽善者と見られてしまうのかもしれません。それでもラブをラブして、ヘイトをヘイトしたい。毒とナイフは持っていますがね。

僕の好きな初期の神聖かまってちゃんはラブ抜きの憎悪の青春を歌っていますが、この種のヘイトの表現は好きなんです。見極める基準は作品として昇華しているか否かですかね。あとはディスの中にも愛情があるか否か。

僕はごくたまにヘイトにまみれた2chまとめを読んで気持ち良くなってしまうようなゲスですが、基本は上記のスタンスです。自分の中にヘイトの感情を持っていてももちろん良いけど、それを外に出したくない。外に出ているヘイトの表現に抗いたい。

しばらく前の文章ですが、ラブとヘイトについて考えがまとまっている過去のSNS上のやり取りを『とかげ日記』上に置いておきますね。僕みたいな人が一人でもいたっていいと思うんだ。


yoyo
【ツイッター上にディスについての文章を掲載する】

愛情を持てないディスなら書かない方が賢明。

(有名無名に関わらず)良いと感じたものは良いと書き、良くないと感じたものは良くないと書くことは、自分に対して誠実なことだと思います。素晴らしいと思うことは、有名無名なんて関係ないのは当たり前のことです。

ただ、悪いと思う時は書かず、良いと思う時だけ書くのが僕の理想です。なぜなら、自分が好きな音源をディスられた場合、不快な思いをする人がいるし、その音源を作ったバンドマン達も繊細な人の場合、傷つく人がいるからです。

また、あの人がディスっていたからそのバンドを聴かないということにもつながり、ファンになるはずだった人が音源に触れずに終わってしまうことも あります。僕が先のツイートで述べた「可能性を奪ってしまう」ということです。

ただ、アーティストを良いと褒めるために、他のアーティストと比較すると、レビューが効果的になることがあります。僕のフォローしている方が言っていたことなのですが、『「何かを褒めるために別の何かを否定するのはよくないこと」というのは定説だが、何の比較も対立軸も存在しないのは面白くない』。僕はアーティストをディスる時はなるべくそのアーティストの良いところも書くようにしています。そうすることで、「可能性を奪ってしまう」ことが少なくなるからです。

ただ、世の中で何かの対象をディスっている人を否定する気には僕はなれません。肯定ばかりの世の中は気持ち悪いからです。否定と肯定があってこそ、健全だと思うからです。あくまで僕の場合は、理想はなるべくディスだけの反応をしないようにするということです

ただ、良くないと感じた音源の場合、それも無名のバンドの場合、メディアやネットにそれを書くと、そのバンドの体力を深く傷つけることになります。まだ人気のあるバンドのように体力がないため、一つのディスで大きなダメージを受けます。

下手したら、そのバンドの未来を少しだけ変えてしまうことにもなりかねません。「可能性を奪ってしまう」のす。また、結局人気が出なかった場合、インターネットやメディアに書かれたことは、インターネットや保存している資料がなくならない限り、永遠に傷あととして残ってしまうのです。無名のバンドでは、リスナーからの反応が少ないため、 その傷あとが目立ってしまうのです。僕にはそんな残酷なことはできません。

実は無名のバンドをディスってしまったことがありました。それを見た、バンドをしている友人から咎められ、反省しました。バンドマンにとってリスナーからの反応は自身の活動の動力源、燃料です。無名バンドの燃料は音楽活動をしたいという純粋な気持ちだけです。その気持ちを裏切れません。

【その後、反応はあったもののツイッター上で議論を巻き起こすには至らなかった】
思った以上に大きな波にならなかった…。消耗しただけで終わってしまった。ディスについては、議論の場になると思っていたんだけど、僕の力不足でした。あと、あまり皆話したくないテーマだったのかもしれない。最終的には、ディスするかしないかは個人の自由だし、人それぞれだしね。

Aさん
リプライ失礼します。「ディス記事は読むし好きだけど、自分では責任も負えないからディスは書かきません、でもディスする人は否定しないよ、人それぞれだしね。」と日和見主義を貫かれる以上、議論も何も発展しようがないかと思います。。

yoyo
リプライありがとうございます。中庸から議論が発展することはないのですか? 意見が対立しなくても、自分の考え方を多くの人が書けば、議論といえるのではないでしょうか? あと、「愛情を持てないディスなら書かない方が賢明」というのは、一つの意見と思います

Aさん
中庸な意見を述べて議論を巻き起こすには大きな影響力がいると思います。事実大きな波にならなかったのは、影響力以前に仰っていることが差し支えなく凡庸であるからだと思います。「愛情がないdisをするな」と「読書としてはディス記事は好き」は矛盾しませんか?

yoyo
凡庸であることは自覚しています。言葉足らずだったのですが、「愛情のあるディス記事は好き」ということです。ヘイトまみれのディス記事は読む気になれません。要約すると、建設的なディスは良いということです。凡庸ですね。

Aさん
凡庸が悪いこととは私は思いません。ヘイト記事からその音楽に興味を持つ人もいる、という私の意見もきっと凡庸です(笑)建設的でないdisも取りようであると思います。どなたかが仰っていましたが、「表現者にとって一番悲しいのは無関心や無視」についてはどう思われますか?

yoyo
「愛」の反対語は「憎悪」や「敵意」ではなく、「無関心」であるということは、よく言われていることですよね。僕も文章を書いたり、音楽を作ったりする時は、ヘイトの感情でもよいから、人の心に波風を立てるような作品を作りたいと思っています。

それを意図的にやって成功しているのが神聖かまってちゃんですよね。だから、彼らにとっては、ヘイトの反応も嬉しいのかもしれない。ただ、今の世の中は、ラブよりもヘイトの比重が重くなっているように感じます。ヘイトの意見が目立ちます。

常に真ん中を志向する僕としては、ヘイトの感情が大嫌いなんです。ポイズンならいいんですよ。ネットにあふれているヘイトの感情を少なくすることが僕のミッションの一つです。だから、レビューにも愛がなければと思います。答えになっていますか?

Aさん
良し悪しは別に、真ん中を志向する事を日和見主義と呼びます。それはヘイトを生むことはないかもしれませんが、熱烈なラブを生むことはなく、ただ緩いなれあいと共依存的な関係性を作るだけなのかと私は思ってしまいます。例えばかまってちゃんが真ん中を志向したら退屈なように。

あと、ラブよりヘイトの比重が大きいというのは、少なくとも音楽評論の世界では誤認ではないでしょうか。ロキノンを筆頭にどこもアーティストの物語を過剰に装飾し、ナイーブなリスナーに漬け込む、息苦しいほどのラブに溢れていると思います(笑)失礼なリプライ申し訳ありません

yoyo
音楽評論は雑誌の中の世界だけなのですか?ネットを見れば、2ch等、アンチのコメントであふれていますよ。それらのコメントは評論とは呼べないのですか? 現在、音楽評論は紙媒体からネットに重心が移っていますよ。

神聖かまってちゃんが優れているのは、そのバランス感覚ですよ。彼らは子供と大人のバランス感がある。の子は自分でも言っていますが、斜に構えたクールでヘタレな子供です。の子には天使のような優しさと悪魔のような狡猾さがあります。

僕が目指しているのは真ん中の過激派です。ケースバイケースで極右と極左の意見のどちらかを取る、あるいはその中間を射抜く。それは日和見主義であるかもしれませんが、僕は上側と下側の一方にだけ、もしくは左側か右側の一方にだけ答えがあるとは思いません。

中庸を自称する毎日新聞だって300万部以上発行部数があるでしょう? 真ん中がラブを生むこともあると思います。まだ形になっていませんが、「真ん中」の過激派で馴れ合いではない形で、熱烈なラブを生み出す表現をしてみたいです。表現は試行錯誤です。

Aさん
私には「真ん中の過激派」は言葉遊びにしか思えません。結局極右か極左を取るのは真ん中ではないし、何より大抵の問題は極右か極左には答えはありません。yoyoさんが考える「真ん中の過激派」を実践しているロールモデルなどあるのでしょうか?

中庸を自称しようと毎日新聞がやや左寄りであるように、真ん中など存在するのでしょうか?今回のお話でも「建設的なディスならオッケーだけど僕はディスしません」は言い換えれば「ヘイトなレビューは糞だ」と偏った意見です。それは真ん中の過激派ではなく単に過激派です。

評論ではありません。yoyoさんも2chのようなトイレの落書きと同じにされたくないと思います。私が言いたいことを纏めると「真ん中の過激派」という立ち位置は単に過激派なのに、誰も傷つけない様な当たり障りのない表現だと、結局何も言っていないと同様ではないか。

もちろんyoyoさんの表現や生き方を私が変える権利などありません。ただ、目指されているゴールと目標が乖離してるように思います。熱烈なラブを生み出すと、熱烈なヘイトも付いてくると思います。真ん中、ヘイトは嫌い、というスタンスはあまりにナイーブすぎると思いました。

yoyo
リプありがとうございます。すみません、少し考える時間をください。その間、過去のブログにラブとヘイトに関する文章があるので、お読みいただけますか?

★ 「偽善とラブとヘイト(中村一義)」 ⇒ http://amba.to/1mGL9CJ(削除してしまい、今はない記事です。)

お待たせしました。自分の中のテキトーな所を突かれているようで頭が痛いです。でも、僕は根はテキトーですが、いつも本気で生きてきましたよ。

「真ん中」を志向すること、ヘイトをヘイトすることがナイーブにすぎることは、自覚しています。また、真ん中を目指しているつもりでも、その真ん中は常に偏っているということは自明のことですね。「真ん中」という言い方が悪かったです。言葉遊びかもしれませんが、「バランス感覚」に訂正します。

聖でも俗でも、上でも下でも、右でも左でも、理想主義でもリアリズムでも、その場の状況に応じて一番良いと思ったものを選択する。その選択は時に極端になることもあるし、中庸になることもある。評論の場合、良いと思ったものは、自分の普段の立場とは違っていても評価する。以上のことは当たり前で凡庸な意見かもしれませんが、自分では真っ当な意見だと思っています。

あと、僕はヘイトは何かに昇華しなければいけないと思っています。神聖かまってちゃんのの子が学生時代のいじめ相手へのヘイト、非リア充としての社会へのヘイトを音楽とバンドという形に昇華したようにです。ヘイトは嫌いです。

ヘイトそのものは何も産み出さず、人を傷つけることしかしません。ヘイトはラブや作品やその他の何かに昇華すべきというのが僕のスタンスです。僕の場合、世の中のヘイトをラブに昇華する表現をしたいとと思っています。その際、表現の受け取り手にヘイトの感情が生まれることはなるべく恐れないようにしたいです。

「過激派」という表現も悪かったですね。自分のバランス感覚に向かって「とかく懸命に生きる」ということです。また、2chのコメントがトイレの落書きであるとは僕は決して思いません。2chは匿名掲示板のため、様々な立場の人が集まっています。どのような立場の人からも学べることはあると思います。以上、長文失礼しました。

Aさん
最後に。うーん、要は単に「立場を越えていいと思ったものを選択する」って事なら「バランス感覚」とは呼べないと思うのですが。バランスを取るなら、右を選んだら次は左、といった態度を取るべきでは?ただ、それほどブロガーとして信頼を無くす態度もないかとも思いますが。

それこそ、ラブをヘイトに変えるならバランスは崩壊してますし。ご自身のヘイトをラブに昇華するのは簡単ですが、他人のヘイトも昇華するとしたらそれは最早アートの域ですね。

個人的意見の域を出ませんが、かまってちゃんがヘイトを出発点にしてアートに昇華していても、決してヘイト≫ラブといった単純な二項対立の図式を取らなかったからの求心力であり、ヘイトもラブも溢れている世界で片方にしか重きを置かない評論が力を持てるか僕には分かりません。

あくまで僕にはyoyoさんの文章がどこかリアリティを欠いてると感じてしまうのは、少し世界を単純化し過ぎているからではと思いました。失礼な意見申し訳ありません。愛憎入り混じりという表現があるように、ヘイトにも価値やリアリティがある現実です。中村一義はヘイトをラブに変えません、ヘイトはヘイトのまま祝福しているから素晴らしいと僕は思います。

だってヘイトをラブに昇華してヘイトが無くなった世界って中村一義が表現する「抗菌の世」じゃないですか?中村一義的な世界観からすごく離れた考え方だと思いました。悪いとかじゃなくて遠いなあ、と。

yoyo
議論は平行線ですね。ヘイトのなくなった世界なんて目指してないですよ。肯定否定あってこそ、と先日ツイートしたはずですよ。ただ、僕は部分的な否定はいいけど、全否定だけはしたくないということです。

人や、人の作ったものをゴミ箱に簡単に入れてしまうことはできません。中村一義はヘイトをヘイトとして祝福した上で、ヘイトの感情を乗り越えてラブを歌っているから素晴らしいのでは?

汚れた音を出す神聖かまってちゃんが好きな僕が抗菌の世を目指す訳がないですよね。ヘイトも世の中になければいけないと思うけれども、ヘイトは乗り越えていかなければいけない感情とも思うんです。

僕は学生時代、陰湿ないじめにあってましたが、ヘイトは人を傷つけるということを自分の身で知りました。僕は誰も傷つけたくないし、誰かによって傷つく人がいるのを見てられないんです。

あと、僕は二項対立で物事を単純化しているように見えるかもしれませんが、ラブとヘイトの間に様々なグラデーションがあることを表現してきたつもりです。

今回の件では丁寧なリプライをありがとうございました。様々なことについて深く考えてみるきっかけをいただきました。自分の弱点も把握できたように思います。一つお願いがあるのですが、今回の件のことをブログに残しておいてもよろしいでしょうか? お名前は伏せさせていただきますので。

Aさん
もちろん結構です。