銀杏BOYZ『光のなかに立っていてね』『BEACH』感想&レビュー(2014年アルバム) | とかげ日記

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(以下の文章は2014年のアルバム発売当時に書いたものです。)

銀杏BOYZの9年ぶりとなる二枚同時発売のアルバム。先立ってギター・チン中村、ベース・安孫子真哉、ドラム・村井守の脱退が発表されており、フロントマン峯田和伸を含めたこの4人での最後のアルバムとなる。前身バンドGOING STEADY解散日、銀杏BOYZ結成日、1stアルバム発売日、村井さんの誕生日である1月15日に発売された。

前作「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」、「DOOR」からの9年の間、峯田さんの映画出演や、東北ライブツアー、舞台「裏切りの街」の劇伴全曲集「SEX CITY ~セックスしたい~」を銀杏BOYZと壊れたバイブレーターズ名義で発売するなど、少ないながらもトピックはあった。

だけど、銀杏BOYZ名義でのアルバム発売は、前作から9年という時間を要した。本当に待った。

銀杏BOYZが大好きだと語るシンガーソングライターの大森靖子も、「私の世代は銀杏BOYZ聴いて音楽やってる人がいっぱいいて、銀杏BOYZと対バンしたくてやってるのに、今いないみたいな。すごい鬱憤あると思いますよ、同世代のミュージシャンは。あのやり逃げ感はキツいですね」と吉田豪とのインタビューで答えていた。

この二作を聴いてみて、最初は嫌悪感の方が大きかった。脳内を埋め尽くすノイズの音! この2つのアルバムで主軸となっているのは、ノイズと打ち込みだ。前作でもノイズの要素はあったが、今回の作品では大々的に取り入れられている。峯田さんのインタビューでは、非常階段、メルツバウ、海外のノイズコアといった、僕が普段聴かないジャンルの音楽が口から飛び出した。

だが、聴き込んでいるうちに、ノイズのまどろみの中でずっと遊んでいたい、浸っていたいと思うようになった。収録曲「ぽあだむ」に「ノイズって気持ちーね」という歌詞があるが、まさにそれ。レコーディングを終わらせたくなかったという峯田さんの発言も、ノイズの混沌の中にもっといたかったという理由もあるのではないか。ノイズが苦手な人も最後まで聴けば新しく開ける視界があるだろう。

特に、『光のなかに立っていてね』は、100sの『世界のフラワーロード』に並ぶ人生の一枚に出会ったのかもしれない。聴き進むにつれ、胸に震える感動で僕は何度か涙した。

僕がなぜ、他の芸術や娯楽ではなく音楽に惹かれるかといえば、音楽はドキュメンタリー性が強いことも一つの理由だ。小説やアニメ、映画は、ドキュメンタリーというよりもフィクションだが、音楽には曲を作った者のリアルが詰まっている。もちろん、フィクションや企画ものの歌だってあるが、ドキュメンタリーとしての歌に惹かれる。その中でも銀杏BOYZの音楽は特にドキュメンタリー性が強いと感じる。(『僕たちは世界を変えることができない』というドキュメントDVDを発売したこともあった。)

神聖かまってちゃんは衝動の他に計算も入ってくるが(そしてその衝動と計算のバランスが魅力的なのだが)、銀杏BOYZは衝動のままに演奏する数少ないバンド。音源からは、銀杏BOYZの生き様とドキュメンタリーが鳴っている。

今回のアルバムでは、ノイズを大々的に導入することにより、演奏時の空気感までCDの中に閉じこめてしまった。これは、最高のドキュメンタリーだ。

かつて若者を熱狂させたのは、ロックの持つビートだ。しかし、ビートは今やEDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)の強靭なリズムにお株を奪われてしまった。EDMはいわば、ポップなメタルだ。

そして、ロックの持つもう一つの武器である雑食性も、今の日本ではアイドルの十八番だ。現在の日本にはロック、テクノ、ヒップホップ、メタルの音楽性であるアイドルや、サブカル受けするアイドル、野外で裸でいるPVを公開するパンクスピリットを持ったアイドルなど、様々なアイドルがいる。

このような状況で、銀杏BOYZがビート,雑食性に代わるロックの武器としてノイズを持ち出したことは慧眼であり、時代を先取りしているのではないか。メンバーは時代を意識していないと思うけど。打ち込みの使い方にも現在の音楽への批評性を感じる。

ロックは、ロックにとってのノイズを取り込んで進化してきた。ノイズそのものを取り込むアヴァンギャルドなオルタナティブロックもあるし、ジャズを取り込んでフュージョン、クラシックを取り込んでチェンバーポップ、ラップを取り込んでミクスチャーロックなど、ロックにとってのノイズな音楽性である音楽も取り込んで多様性を増してきた。かつての日本では、日本語でさえノイズであったのである。はっぴぃえんど界隈のバンドが出てくるまでは英語詞のロックが中心だった。

このロックの歴史に照らし合わせると、銀杏BOYZの新作はロックの本質を突き貫くものだ。かつて、ノイズそのものを取り込んだ音楽でこんなにもポップで心に響く作品があっただろうか。

ハードコアバンドやノイズバンドのライブを観たことがあるが、憎悪や衝動を闇雲に撒き散らしていた。違う、違う。ノイズ、心のコアを愛に昇華できなくてはいけないと思った。混乱を混乱のまま提出するのでは、人の心は打てない。

ノイズを見える悪、見える汚れとして使っているのが印象的だ。そして、ノイズと真逆なものとして歌を際立たせている。「東京終曲」のMVがそれを象徴している。見えやすい悪、見えやすい軽薄として敵役のヤクザが登場し、主人公である峯田さんとその愛人の愛は追い詰められる。これは、ノイズと、ノイズに対峙する歌の芯にあるポップネスや愛の関係そのものだ。


東京終曲

そして、最後にヤクザもろとも愛人も死に、愛は敗北する。今回の2作品は敗北のアルバムなのだ。峯田さんはインタビューで、見えない敵と戦っていると語っていた。「ぽあだむ」という曲の中では、「ねえなんか日常って、武器のない戦場ね」という歌詞が出てくる。MVの中で愛人が死に、一人になった峯田さんの姿は、見えない敵と戦い、メンバーを失って一人になった峯田さんのメタファーだ。

MV冒頭の放屁プレイは日常のくだらないことの象徴。MVにおいてエロスとバイオレンスが全開であることは、止まらないリビドーの象徴。日常をリビドーと共に駆け抜け、見えない敵と戦い、ライブで肉体を酷使し、肉体はボロボロになって朽ちていく。肉体性を失ったからこそ、想像力の翼であるノイズと打ち込み主体の音楽になったのだろう。『光のなかに立っていてね』は、「僕たちは世界を変えることができない」という曲で終わる。大きなものを失っても世界を変えることはできなかった銀杏BOYZの敗北が今回の2作品には刻まれている。

銀杏BOYZの新譜は、ノイズで汚れている。RADWIMPSの新譜や、SEKAI NO OWARIのように、ノイズを取り除き、美しいものに美しいものを塗り重ねても美しいが、銀杏BOYZの新作はノイズという汚れにまみれることによって、美しさが悲鳴の中で輝き、微笑んでいる。混濁した意識のノイズの中でシンセの音が光のように輝いている。


二つのアルバムの詳細を見ていこう。まずは『光のなかに立っていてね』から。前作『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』や『DOOR』は学校を舞台にした曲が多かった。童貞ソングが主だった前作とは変わって、『光のなかに立っていてね』は大人の愛が歌われている。7曲目『光』で歌われている愛と愛するがゆえの殺意という歌詞が象徴している、愛の表と裏というテーマがこのアルバム全編に渡って歌われている。(三部作を構想中であり、『DOOR』収録曲の「人間」を一部作目として、「光」は第二部であり、アルバムは「光」を中心として作ったという峯田さんの発言もあった。)シングル収録曲も、ノイズを導入することにより、シングル時に比べて表と裏の対比が際立っている。

このアルバムは暴力的で無秩序なノイズとこぶしのある峯田さんの歌声が並行さる「17才」で幕を開ける。シングル時とは本質は変わらないが音の印象がだいぶ異なる。

その後にも重いノイズとポップなメロディーが絡みあう「金輪際」、4つ打ちとシンセの音色、ラップが軽快だけれどもダブステップからの重たい影響も感じさせる「愛してるってゆってよね」が続く。

そして、シングル「あいどんわなだい」を改変した「I DON’T WANNA DIE FOREVER」のまぶしいメロディーが愛の表面の光として打ち鳴らされる。

続いて、重みのある演歌調のメロディーが「罪」「裏切り」「黒い涙」「闇」「汚れた血」といった歌詞の言葉と呼応し、愛の裏面の陰を描く「愛の裂けめ」が泥の蛇のようにとぐろを巻く。

6曲目「新訳 銀河鉄道の夜」は『DOOR』に収録された「銀河鉄道の夜」のリメイク。打ってかわってノイズが少ないバンドサウンドなのが耳を引く。雲一つない綺麗な星空の先にある宇宙を、峯田さんの叫びにも似たサビの歌唱が捉える。

7曲目「光」はゲストで参加しているDr.kyOnのピアノのもろく儚げな美しさにまず引き込まれる。自分の全てを暴きさらけ出そうとするかのような峯田さんの歌唱が淡い空間に響き渡る。音のちょっとした空白の後、荒々しいバンドサウンドになる。この前後で愛の表と裏、繊細さと激しさが丹念に対比されている。「ひかり 僕をおいてけよ」というシングル時の歌詞は「ひかり 僕をおいてくなよ」に改変されている。愛に傷つき、狂気を宿し、君のいる光から離れた敗北から、再生の道を歩もうとしている銀杏BOYZがここにいる。

8曲目はシングル曲「ボーイズ・オン・ザ・ラン」。MVのテーマがそうであるように、全ての男子への応援歌だ。女子への愛だけでなく、男子の応援歌を歌うところに、峯田さんの広い愛を感じる。シングル時よりもエッジの効いた優しさ、ベースの温もりを感じる。

9曲目は銀杏BOYZの新しいアンセム「ぽあだむ」。フリッパーズギターを意識したという底抜けに明るく鮮やかなポップネス、メロディーや青春の一回性の切なさもあって一回聴いただけでとりこになる。女性のセリフと思われる歌詞の「ねえなんか日常って、武器のない戦場ね」「ノイズってきもちーね、カオスって綺麗だね」「やわらかい地獄ってもう、天国にも似てるから」という言葉は、今作のテーマを如実に表現しているだろう。


ぽあだむ

最後の曲「僕たちは世界を変えることができない」は打ち込みのミッドテンポチューン。「僕たちは世界を変えられない」と歌っている峯田さんの声の表情は晴れやかだ。最後は賛美歌のようなメロディーのシンセが彼らの敗北を神の祝福で包み込むように響く。やわらかい地獄から天国に世界が切り替わったように。


『BEACH』は、ベースの安孫子真哉が中心になってライブ音源を編集する形で作られたライブリミックスアルバム。ただのライブアルバムではない。ライブの演奏におびき出される観客の高揚感、悲しみ、喜び、陶酔が全てそこにある。全編に渡ってノイズをまき散らすことにより、演奏を観客が聴いている姿を聴き取るという、ライブの光景を真空パックした作りになっている。

アルバム冒頭の「はじまり」では、ノイズやSEがライブが始まる前の胸の高鳴りや観客のざわつきを連想させる。そして、ライブ直前の観客の歓声。始まる、始まる! ギターの音が開演前のライブハウスの空間を切り裂く!

その後は、二曲目「十七歳」から混乱と狂騒のライブ演奏。モッシュで押し合いへし合いしている光景が殴りつけるように視界に広がる。観客のシンガロングが臨場感を飛び越えた臨場感で胸に迫ってくる。ノイズで埋め尽くされた音の空間を裂くように聞こえてくるのは、どこまでもポップで芯のあるメロディーの歌だ。峯田さんのヴォーカルが切迫し急迫し、CDを聴いている感覚を忘れ、銀杏BOYZの愛と泥で汚れたカオスな宇宙の中にいる心地になる。

ノイズをくぐり抜けてアンセム「BABY BABY」のギターが高らかに鳴り響いた時の無敵感といったら! 「べろちゅー」のアコギと歌声の深い音の普遍性といったら! 「東京終曲」の歌の背後で流れる打ち込みとノイズのドラッギーな快感といったら!


『光のなかに立っていてね』も『BEACH』も傑作だ。オリコンの売上も良いみたいだが、もっと革命的に売れてほしい。だって、素敵じゃん? 普段ロックを聴かないようなおばちゃんやおじちゃん、「ロック」と聞いてダイヤモンドユカイが真っ先に思い浮かぶようなバラエティー好きの女子高生や男子達が、「ノイズってきもちーね。」なんて言っている未来を想像したら。

僕にとっても大事な二枚になった。これからも大事にし続けたい。「光のなかに立っていてね」という祈りは過去から未来に渡って僕の人生の中でこだまし続けるだろう。

銀杏BOYZは2010年代も生き延びた。これから一人になった銀杏BOYZの再生が始まるだろう。銀杏BOYZとロックのこの先を見守りたい。