私を構成する9枚 | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。

私を構成する9枚

画像は
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456
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のアルバムの順番で並んでいます。

●中高生の時にハマった邦楽アルバム
1.スピッツ『空の飛び方』(1994年)
中学の時の英語の先生が「ロビンソン」の原曲と海外アーティストの英語詞カバーを聴かせてくれ、その後に友人からこのアルバムを借りて聴いたのが僕の音楽の原体験。その頃の僕は、なんていいアルバムなんだとワナワナ震えながら聴いていたという。このアルバムの後にシングル「ロビンソン」でブレイクする彼らですが、ブレイク前夜特有の輝く未来を予感させる音が鳴っています。

2.中村一義『ERA』(2000年)
僕の人生哲学の何分の一かは中村一義の音楽によってできていると言っても過言ではない!それまでボケっと暮らしていた僕が、ボケっと暮らしながらも「僕には何かやるべきことがあるはずだ!」という強迫観念に取りつかれるようになったのも、全て彼のせいだ。今、ブログも書いているのもその強迫観念のせいかもね。細野晴臣、岸田繁、真島昌利、後に100sを結成する池田貴文や玉田豊夢など豪華ミュージシャンも参加。

3.BUMP OF CHICKEN『THE LIVING DEAD』(2000年)
発売当時に渋谷のタワレコでジャケ買い。中村一義に植え付けられた強迫観念をさらに強化するきっかけになったアルバム。グングニルを手に持った死に際の騎士のように、熱く生きるぜ!と収録されている「グングニル」を聴きながら熱く誓った熱いアルバム。その後、病気になって生死の境目をさまよった時も、中村一義とバンプがくれた熱い意思が僕に真人間として生きようとする意思をくれた。

4.くるり『TEAM ROCK』(2001年)
中村一義とかバンプの歌みたいに生きられたらな、とかそれまで音楽の意味性に重きを置いて聴いていた僕を音楽は音楽自体で価値があるんだよと気づかせてくれたくるり。テクノを取り入れてもビッグビートみたいなデジタルオリエンテッドにならずに人の演奏の温もりを感じさせる『TEAM ROCK』はくるりのアルバムの中でも何度も聴いた。その後の僕のインディーロック好きはくるりを好きになったことに拠る所が大きいです。


●中高生の時にハマった洋楽アルバム
5.Weezer『Pinkerton』(1996年)
Weezerのこのアルバムとザ・グリーン・アルバム(2001年)で完全にWeezerの虜になった僕。洋楽の原体験でした。このアルバムからWeezerと同じパワーポップ系のアルバムに手を伸ばしていくのかと思いきや、ビートルズという永遠のロッククラシックに向かう僕。ビートルズは家に親が買ったテープ音源があったんだよね。

6.Superdrag『In the Valley of Dying Stars』(2000年)
『THE LIVING DEAD』と同じく、発売当時に渋谷のタワレコでジャケ買い。音楽的に優れているとか、リスナーから高評価を受けているという訳ではないんだけど、何度も聴いたアルバムなので、今も聴き直すと懐かしくなって涙腺がちょっと緩むアルバム。音楽好きなら、誰にだってそういうアルバムが一枚はあるでしょう?

●社会人になってからハマったアルバム
7.Radiohead『Kid A』(2000年)
社会人になって、音楽好きを名乗るならもっと幅広く音楽を聴かなきゃダメだ!というこれも謎の強迫観念に取りつかれて過去のロックの名盤を漁る僕。そこから、ロックの歴史を変える名盤と呼ばれる『Kid A』にたどり着くまでにはそう時間はかからなかった。また、この頃の僕は過去の文学の名作も読まなければダメだ!という謎の強迫観念にも取りつかれていて、カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』を通勤の電車内で読みながら、『Kid A』を聴いていた。だから、既成概念を崩し、ディストピアな未来を提示する『Kid A』は僕の中ではSF小説の名作である『タイタンの妖女』と結びついている。

8.宇多田ヒカル『HEART STATION』(2008年)
ガラスのハートがブロークン!な今の僕よりもさらに打たれ弱かった当時の僕を慰めてくれたのは、このアルバムに収録されている「Stay Gold」でした。

9.神聖かまってちゃん『友達を殺してまで。』(2010年)
強迫観念と既成概念にがんじがらめにされていた僕を自由にしたのはこのアルバムでした。「廊下は走ってはいけない」という決まりに対して、「廊下を走ってもいいんだよ」と叫んでくるような衝撃。憂鬱と憎悪も作品に昇華できると知った僕は、表現にどんなタブーもないことが、ガツンと殴られるような衝撃と共に腑に落ちたのです。