中村一義『対音楽』 感想&レビュー | とかげ日記

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対音楽(ALBUM+DVD)/FIVE D plus

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100sから10年ぶりにソロに戻って発表した中村一義名義の5枚目のアルバム。
このアルバムは全演奏・ヴォーカルを中村自身が行い、
全曲にベートーベンの交響曲の一部が取り入れられている。
中村一義とベートーベンを融合させようとしたコンセプト・アルバムだ。

このアルバムを
「シンセの香りがするポップロック」と形容する人もいるだろう。
しかし、そんな一言で済ませようとしてもできない得体の知れなさがこのアルバムにはある。
その得体の知れなさをこのブログ記事で解き明かしていこうと思う。

中村一義は祖父の影響もあり、
ベートーベンは自身の音楽の原風景だった。
このアルバムでは、彼にとっての音楽に向き合うため、
彼の音楽のルーツであるベートーベンに向き合うこととなった。

ベートーベンは交響曲第一番を作ってから、
後期に第九番や『ミサ・ソレムニス』といった大作を作って亡くなるまで、
20代後半から難聴をわずらいながらも、
孤独にピアノに向かい、作曲を続けた演奏家である。

『対音楽』では、第一番から第九番までのベートーベンの
ライフストーリーになぞらえた数々の仕掛けが施されている。

例を挙げると、
1曲目「ウソを暴け!」では、ベートーベンの音楽の誕生を告げる心臓の鼓動の音が鳴らされる。
3曲目「きみてらす」では、交響曲第3番「英雄」が作られるきっかけとなったナポレオンが曲の鍵となっている。
難聴になったベートーベンを表現するため、アルバムの途中に
「I can not hear the sound,but I can feel the sound.」
というサウンドロゴが挿入されている。
そしてアルバムを締めくくる9曲目「歓喜のうた」では、
メロトロンで表現された聴衆の交響曲第九番の合唱とともに、
ベートーベンの生と死が「ありがとう」の言葉で祝福される。
そして、最後にも響く
「I can not hear the sound,but I can feel the sound.」のサウンドロゴ。

前作『世界のフラワーロード』は
中村一義の生まれ育った街(小岩のフラワーロード)を舞台として、
父の暴力や家庭の崩壊を受けて苦しかった
中村一義の子供時代を振り返って祝福するアルバムだった。
それに対して、
『対音楽』は一枚のアルバムを通して、
ベートーベンの濃密な人生を追体験できるアルバムとなっている。

中村一義が交響曲第九番に対して作った9曲目『歓喜のうた』の中で、
スタッフと一緒に合唱する案もあったという。
しかし、たったひとりで音楽と向き合ったベートーベンと自身を重ねるため、
その案は破棄され、アルバムは中村一義が一人で作ったものとなった。
だから、そこから、このアルバムはバンド・100sではなく
中村一義がソロで作るべきだったという必然性も導き出される。

アルバムの発売に先立って、『ROCKIN'ON JAPAN』において、
山崎洋一郎さんによる中村一義のインタビュー記事があった。
『対音楽』というアルバムの本質に迫る良い記事だった。
しかし、この記事がアルバムの魅力を分かりにくくしているとも思う。

山崎さんは、中村さん以外の人にとって、
ベートーベンが思い入れもなく意味不明のものであることを強調している。
だが、中村さんがこのインタビューで言っているように、
ベートーベンの旋律を知らなくてもこのアルバムは聴けるのだ。
『対音楽』の音楽の意味を中村さんほどリスナーは共有しきれないと山崎さんは言うが、
ベートーベンを知らなくても、音楽の意味は触れてくるように伝わってくる。

特に、3曲目の「きみてらす」の次の部分。

「遊ぼうよ、ベートーベンとボナパルト…。」

高いキーで大切にこの部分を歌われると、
ベートーベンとナポレオンが目の前に召喚される。
直に話しかけられるように彼らをとても身近に感じることができる。

遊ぼうよ…。
聴いている自分も幼児に返ったようだ。懐かしくなる。

音楽は、亡くなった者と対話することができる。
この部分を聴くためだけにも、『対音楽』を買う価値はある。

CDだけ聴いてもよいが、
DVD付きに付いてくるDVDを観ると、
中村一義がどのような思いで、ベートーベンの音楽を取り入れたのか分かる。
このDVDはCDを補完する機能を持っている。
『対音楽』の音楽に深く触れたい場合、DVD付きを買うことをお勧めします☆

『対音楽』は孤独に戦う全ての人の背中を後押しする。

2曲目「黒男」で描かれる「黒男」とは、
DVDでの中村一義の言葉を借りれば、
ベートーベンであり、手塚治虫のブラックジャックであり、
岡本太郎であるという。

「格が上の者であれ絶対、食ってかかる。
 鋼鉄より頑固なあいつは、あの黒ずくめ。」(「黒男」)

中村一義は『対音楽』の中で、
信念を持ち、夢を叶える者の言葉を紡いでいく。
ベートーベンの音楽のように、彼の歌詞と音楽は雄弁だ。

僕は、4曲目『おまじない』の歌詞に我に返った。

「あこがれだけじゃ、夢にはあと一歩足りないんだろ?
 なりたい自分に自分が会いに行きたいかどうかだから。」

そうだ。あこがれだけじゃいけない。
なりたい自分に会いに行こう。

僕はブログに「生き甲斐がない」と書いて嘆き、
日々に目標を見つけられずに生活してきたけれど、
その呪いはこのアルバムで完全に解呪された。
新しい祝福の言葉とともに、生命をたぎらせよう。

「君の、君のウソを暴け
 そしたらさ、必ず僕はそこにいるよ。」
(1曲目「ウソを暴け!」)

ここを僕の出発点にしよう。
中村さんはきっとそこにいる。

中村一義を好きな人は、
特別な思い入れを抱いて中村一義を聴いている。
そりゃあ、どのアーティストを好きな人も思い入れがあるだろうけれど、
中村一義を好きな人は思い入れの度合いが違うと思う。

中村一義の音楽は特別だ。
リスナーの一人一人に対して、中村一義がそこにいる。
初めて中村一義を聴く人がその思いを共有してくれたら嬉しい。