縄文人と弥生人・・片頭痛の起源?? | 頭痛 あれこれ

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 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 皆さんは、近畿地方は他の地域に比べて片頭痛が少ないってご存じでしょうか?
 地域別に、片頭痛患者の人口比を調べたところ、近畿地方(石川、富山などを含む) 5.8% 全国平均 9.5% 東北地方や九州地方 10%以上といった具合で、近畿地方は明らかに片頭痛が少ないのです(北里大学調べ)。
 最近の学説によると、日本にははじめ縄文人が定着していて、後から大陸由来の弥生人が彼らを東北や九州へと駆逐して、近畿地方に新しい文化を定着させたということです。
  この点をもう少し詳しく考察してみることにしましょう。


日本民族バイカル湖畔起源説


 これまでは、弥生時代の始まりとともに大陸や朝鮮半島から大量の渡来人(弥生人)が押し寄せ、先住民(縄文人)は圧倒され駆逐されたと信じられてきました。江上波夫の騎馬民族日本征服説が戦後の史学界を席巻してしまった時期もありました。さすがにこの推論を支持する学者はいなくなりましたが、「日本に与えた朝鮮半島の影響力を大きくみなすことこそが進歩的」という風潮は、つい最近まで残っていたように思われます。しかしそういった「これまでの常識」は、もはや通用しなくなりました。
 まず、かつて盛んに唱えられていた日本人南方起源説が、否定されました。人種の違いを識別できる「血液型Gm遺伝子」の分布から、日本人の先祖はロシアのバイカル湖から南下してきたことが判明したのです。「日本民族バイカル湖畔起源説」である(松本秀雄『日本人は何処から来たか』NHKブックス)。さらに、DNA研究の進化によって、新人(ホモ・サピエンス)が15万年前にアフリカ大陸に生まれ、その後世界各地に散らばっていったことも証明されました。
 それだけではありません。人類の祖は大きく3つのグループに分かれてアフリカを旅立ちましたが、その3つの遺伝子すべてが、日本列島にやってきたといいます。このような例は、世界中見渡しても稀で、ここに日本人の特徴が隠されているといいます。
 さらに、父から息子につながっていくY染色体の研究が急速に進み、日本人のルーツ探しが一気に加速したのです。ちなみに、Y染色体はA~Tの系統に分かれ、日本人に関わりの深かったのはDとOの系統です。


渡来人を受け入れた先住民


 では日本人は、いつ、どこからやってきたのでしょうか。『新日本人の起源 神話からDNA科学へ』(勉誠出版)の中で崎谷満さんは、次のように推察しています。
 バイカル湖畔から南下し華北に暮らしていたD系統ですが、漢民族の圧迫から逃れるためにさらに南下し日本列島にやってきて、縄文人の中核を形成しました。かたや、弥生時代に渡来した人々は長江流域で水稲栽培をしていたO系統です。やはり、漢民族に滅ぼされて逃れてきたといいます。また、朝鮮半島の人びともO系統です。
 現代の日本人の体の中に占めるD系統の割合は3割、O系統は5割と、渡来系の比率が高く、この数字だけ見れば、やはり渡来人に先住民が圧倒されたと思えてきます。
 弥生時代の始まりとともに、渡来人の血が少しずつ染みるように先住民の中に受け入れられ、先住民は率先して稲作を選択し、人口爆発をおこしました。彼らの子孫は、日本の風土の中で育まれ、縄文時代から続く列島人の風習と伝統を捨てませんでした。もちろん、その後も大陸や朝鮮半島の動乱から逃れて人々が日本にやってきましたが、彼らが日本列島を征服し、支配したわけではありません。


縄文の力


 なぜわれわれは、縄文人を軽視してきたのでしょうか。
 教科書そのものが、かつての常識そのままに、「野蛮だから駆逐された縄文人」という歴史観を子供たちに押しつけていたように思えてなりません。教科書には、「背の高い弥生人、小さな縄文人」の骨格写真が並べられていました。あれを見れば、縄文人と弥生人は入れ替わったと信じてしまいます。
 その一方で、遺跡の現場で泥にまみれ直接発掘に携わっていた考古学者の多くは、「本当に日本列島は渡来人に席巻されたのだろうか」と、疑問を抱き続けてきたのです。なぜならば、たとえば、弥生早期の外来系の土器は、玄界灘の沿岸地帯(北部九州)の大きな遺跡から発見されるだけで、他の地域からはほとんど見つかっていません。これは、考古学者の常識でした。
 今から10年ほど前に訪ねた青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取県鳥取市青谷町)で学芸員が、「弥生時代は渡来人が作り上げたと言いますが、それは違います。発掘を長いことやっていますと、縄文の力を、ひしひしと感じます」と、やや憤慨しておっしゃっていたのを思い出します。この遺跡から発見された遺物の中に木の枕があって、そこに人間の歯が埋め込まれていました。これは縄文人の抜歯の風習の名残です。弥生人も呪術のために、歯を抜き、枕に埋めていたわけで、われわれ日本人は、そうした伝統を受け継いだ縄文人の末裔なのです。
 われわれの御先祖様たちは「敗れ、渡り来たった者たち」を寛容に受け入れ共存し、豊かな感性を磨き、当時の中国や朝鮮半島の先進の文物を貪欲に学び取り、世界に冠たる文化を花開かせてきたのです。その歴史を、われわれはもっと誇りにしてよいと思います。

 


 「ホモ・サピエンス」と呼ばれる私たち現生人類は20万年前にアフリカで誕生し、その後他の大陸に進出しました。ヨーロッパに向かった人たちと別れ、東に進んだグループのうち、最初に分岐したのはパプアニューギニアからオセアニアへ渡った人たちです。  そして解析の結果、次に別れたのが縄文人だったのです。これは、縄文人が他のアジア人ほぼ全てと別のグループであることを意味します。他のアジア人はその後、中国や東南アジア、さらにはアメリカ大陸に向かう集団へと別れました。現代の日本人もこちらのグループに入っています。これを見る限り、縄文人は日本人の祖先には見えません。ただ同時に、この矢印は、縄文人と現代の日本人のDNAのうち12%は共通だということを示しています。一体どういうことなのか?研究者が考えるシナリオです。


 およそ4万年前から2万年前の間に、大陸から日本に渡った人々がいました。大陸とは海で隔てられていたため、この人々はその後大陸のアジア人と交わること無く進化を遂げ、縄文人の祖先になります。その間、大陸のアジア人も様々に別れていきました。
 そして、縄文時代の末以降、再び大陸から日本に大勢の人が渡ってきました。いわゆる渡来系の弥生人です。稲作文化を持ち込んだ渡来系弥生人は人口の多くを占めるようになりますが、その過程で縄文人と幾らか交わりを持ったため、現代の日本人には12%だけ縄文人のDNAが伝えられたのです。従来の研究では、現代日本人には縄文人の遺伝子が2割~4割ほど入っているとも考えられていましたので、それよりかなり少ないという結果です。
 ただし、これはあくまで福島県・三貫地貝塚のわずか2人のDNA解析の結果です。「縄文人の中にも多様な人達がいて三貫地縄文人は現代人との共通性が低かったが、西日本の縄文人はもっと共通性が高いかもしれない」と考える専門家もいます。現在、国立科学博物館などのグループでも、北海道から沖縄まで各地の古代人の核DNA解析に取り組んでおり、今後、日本人のルーツはより詳しく解明されていくでしょう。


 さて、こうした科学の進歩は私たちが抱く「人類観」さえ変えてきました。
 発端は1987年、ミトコンドリアDNAの解析から、アメリカの研究グループが衝撃的な発表をしました。それは、「世界の人々の母方の祖先をさかのぼると、20万年前のアフリカにいた、たった一人の女性に辿り着く」というものでした。この女性は「ミトコンドリア・イブ」と名付けられました。
 このことは、それ以前から各地にいたはずの古い人類たちを、あとからアフリカを出た我々ホモ・サピエンスが全て絶滅させ、置き換わった証拠だと考えられました。
 しかし、これを覆す人類観も、今度は核DNAの解析から生まれました。2010年、ドイツのグループがおよそ4万年前にヨーロッパにいたネアンデルタール人の核DNAを解読。「我々はネアンデルタール人からDNAの数%を受け継いでいる」と発表したのです。
 この発見は、ホモ・サピエンスはネアンデルタールと共存し交わりを持って子孫を残した、それが我々の祖先だということを意味します。私たちは他者を滅ぼすばかりの攻撃的な種では無く、異なる人々を受け入れ、それによって豊かな多様性を持つようになったのではないか?そんな可能性を科学が示したのです。
 こうした発見の積み重ねの先に、いつの日か「私たちはいかなる存在なのか?」そんな根源的な問いにも答えが出されるかもしれません。


 このことは、先日の「片頭痛治療のしおり」の


    第13章 ミトコンドリアとは
     
http://taku1902.jp/sub532.pdf


 をご覧下さい。詳しく述べてあります。


日本人のDNA


 このように、日本人には縄文人と弥生人の2つのDNAが存在します。現代においては75%以上の人が縄文と弥生の混血といわれています。純粋な弥生人は20%、純粋な縄文人も5%ほど生き残っているようです。
 時代が進むにつれて、いずれは純血の人達もいなくなると思われます。
 かつて、日本の大陸には縄文人しか住んでいませんでした。およそ1万2千年ほど縄文人が暮らした後に、弥生時代(今から約2000年~2400年前)を迎え、朝鮮半島や中国から弥生人が渡来しました。


弥生人とアルコール


 元々日本に住んでいた縄文人は、アルコールに強い遺伝子をもっていましたが、渡来した弥生人は何らかの突然変異によってALDH酵素遺伝子が欠落しました。
 つまり、この弥生人のALDH酵素遺伝子を強く受け継いだ人がお酒の弱い体質になったということです。渡来系弥生人は大陸の文化や稲作をもたらしながら、日本の南北に拡がって行きます。
 つまり、下戸遺伝子は弥生人ゆずりということです
 弥生人は、渡来後に日本に広がりましたが、アルコール耐性も弥生人の分布に多少の誤差はあるものの比例しています。
 下記の図はアルコール耐性の強い人が多い地域別です。
  ※%が大きい濃い色ほどアルコール耐性が強い地域
 これを、冒頭の片頭痛の地域差の分布図と比較すれば、興味あるものと思われます。
  図は、こちらです。http://taku1902.jp/sub538.pdf


 縄文人と弥生人とは、顎と歯に全く逆の特徴を持っていて、弥生人特有の広い顎と縄文人特有の小さい歯の遺伝子が混ざり合ったケースから、すきっ歯が多い人種となったと、ある歯科医は述べています。
 歯とは直接関係のない体調の不調、たとえば片頭痛が続くとか、肩こりがひどいというようなことが、お口の中の問題で起こることがあります。これらを不定愁訴といいます。
 歯科領域の場合、不定愁訴が起こる多くの原因は、咬み合わせの悪さです。
 咬み合わせを治していく、整えていくことで、身体の不調も解消されていくケースが多いと述べておられるようです。

 

 縄文人の祖先は狩猟採集を生業とし、弥生人の祖先は農耕生活を営んできました。こうした生活形態の違いが、現代では性格の違いとして受け継がれている、とする向きもあるようです。
 特に、食生活の上で、縄文人は肉食が主であり、弥生人は雑穀を主食としていたと思われます。ここが、片頭痛と関連しているものと思われます。
 


近畿地方は他の地域に比べて片頭痛が少ない

 
 冒頭で述べましたように、近畿地区では、他の地域に比べて片頭痛が少ないことは、北里大学時代の学会の理事長の成績から明らかにされています。


 このことは、これまで述べてきたことからミトコンドリアDNAが関与していることは、「片頭痛治療のしおり」の第13章「ミトコンドリアとは」 http://taku1902.jp/sub532.pdfで明らかにされていることです。


 こうした「近畿地区では、他の地域に比べて片頭痛が少ない」ということは、他地域の方々よりは、ミトコンドリアDNAの”傷害の程度が軽い”ことを意味しています。
 このため、ミトコンドリアの働きを悪くさせる要因の影響の程度および速度が他の地域よりは軽いということです。すなわち、発症様式が”より緩慢”になっていることを意味しています。
 こうしたことから、日常的に感じる極く軽度の頭痛から片頭痛への移行する様相を、慢性頭痛発症の初期の段階から詳細かつ綿密に腰を据えて病歴聴取を行うことによって明確にされることになります。
 さらに「国際頭痛分類 第3版β版」に基づいた「慢性頭痛」そのものの「レベル診断」を行い、これを各患者さん毎に、経過を追ってつなぎ合わせれば、日常的に感じる極く軽度の頭痛から片頭痛への移行する様相は明らかにされてきます。
 これまで、このようなことは、頭痛専門医に課せられた診断方法であり、「国際頭痛分類 第3版β版」が「慢性頭痛のロードマップ」とされていたはずです。
 このような成績は、これまで学会では一切明確にされることはありませんでした。なぜ、なのでしょうか。このことが私には全く理解に苦しむことです。学会が創設されて以来、何年経過したというのでしょうか???
 

 私は、このような方法論で、症例を積み重ねた上で得られた結論から、先日の「片頭痛治療のしおり」を作成しました。
 すなわち、片頭痛は、ミトコンドリアの活性低下という”遺伝素因”を基に、日常的に感じる極く軽度の頭痛から、これにミトコンドリアの働きを悪くさせる生活環境および生活習慣が加わることによってミトコンドリアDNAの機能を悪化させることによって片頭痛へと移行していくものです。