これからの頭痛医療のあり方 その15 | 頭痛 あれこれ

頭痛 あれこれ

 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

現在の学会を主導される方々を批判すれば


 これまで、学会を主導される方々は「国際頭痛分類第3版 β版」を頭痛診療の絶対的な基準とされ、また、片頭痛を”多因子遺伝”と考えることなく、単一遺伝子から生じるものがあることから、すべて単一遺伝子による”遺伝的疾患”であるかのごとく考えて、頭痛診療および研究を進めてきました。
 そして、最近の考え方として、慢性頭痛である片頭痛が、本来、脳のなかに異常のない頭痛と定義しておきながら、中枢性疾患であり、進行性疾患とされています。
 進行性疾患であることは納得されますが、これ以外の観点は全て納得しかねることをこのシリーズでは”見方・立場”をいろいろ変えて、繰り返し述べてきました。
 皆さんも、同じ内容ばかりで、さぞウンザリされたことと思っております。
 しかし、このような観点が、これまでの頭痛研究を阻害してきた最大の理由であるが故に、くどい程繰り返し・繰り返し述べて参りました。この非を改めないことには、救われないのは患者さんであるからです。臨床頭痛学は、誰のためにあるのでしょうか?

 私の最大の疑問とする点はこの1点のみにしかありません。


 今後も、「国際頭痛分類第3版 β版」はさらに改訂に改訂を重ねられることと思われます。この改訂のたびに頭痛の分類は、さらに細分類されていくことになります。「頭痛を科学(サイエンス)とする」といった”お遊び”を何時まで繰り返されるのでしょうか。 さらにこの改訂のたびに専門家たちは、この改訂の目的とすることを理解することにだけ心を奪われることになり、”実際の患者”は無視されてしまっています。
 そして、「国際頭痛分類第3版 β版」は、本来、あくまでも「頭痛の分類」に過ぎないはずでありながら、頭痛診療および研究の絶対的な基準とされます。
 どこの学問の世界に”絶対的な基準”を設けて、この枠内でしか考えてはならないとする自然科学の分野があるというのでしょうか? ここで学問が成り立つのでしょうか。
 エビデンス、エビデンスとエビデンスを強調されますが、頭痛の分野におけるエビデンスとは一体何なのでしょうか。「国際頭痛分類第3版 β版」に一致しているかどうかを検証することだけなのでしょうか? そうなれば、学問でも何でもなくなるはずです。

 このような矛盾だらけのことを何時まで繰り返されるのでしょうか?


 もっと、身近な問題である”頭痛と「体の歪み(ストレートネック)」のエビデンスの確立といったことをまず、優先課題として学会が総力を挙げてまず行うべきことです。
 この点が最も究明される事項であることを、これまで2年間にわたって訴えてきたはずですが、一切、我関せずとの姿勢を持続されます。これを解決しないことには、何も進展は望めないことは繰り返し・繰り返し述べてきました。これが慢性頭痛の謎を解き明かす最も大切な事項であるはずですが、ここが全く認識されません。
 これを確立した上で、慢性頭痛そのものの”総説”を描くことです。具体的には、慢性頭痛のなかでの緊張型頭痛、片頭痛、群発頭痛、その他の一次性頭痛がどのように位置づけされるかという設計図を描くことです。このような謂わば”羅針盤”なくしては頭痛研究は旧態依然のままで、停滞してしまうことになります。
 このような設計図が描けていないために、片頭痛が”中枢性疾患”であるといった突拍子もない発想しか生まれてこないことになります。
 もっと、これまでの過去の先達の業績を徹底的に読み直すことによって、これらを総括した形で、慢性頭痛の”総説”を描いてみることが重要になってくるはずです。

 ここには、医局講座制の枠で考えないことが最低限必要とされるはずです。これまでの頭痛学は、こうした医局講座制という”柵”から一歩も抜け出せない前時代的な考えで行ってきた結果であると反省した上で、慢性頭痛の”総説”を構築すべきです。

 この点が、最も問題視されなくてはなりません。



 さらに、片頭痛の遺伝に関しては、片頭痛が、単一遺伝子から生じるものがあることから、すべて単一遺伝子による”遺伝的疾患”であるかのごとく考えていることを問われなくてはなりません。このような単一遺伝子から生じるものは頻度的には、極めて少数なはずです。これに対して、片頭痛の大半は”多因子遺伝”であるはずです。現実の患者さんを直視すれば、答えは歴然としているはずであり、これまでも「セルフケア」の重要性を指摘され、これを完璧に行うことによって9割の方々はうまくコントロールされると指摘されてきました。
 さらに、エルゴタミン製剤しかなかった時代でも「規則正しい生活を行って、食事をバランスよく摂り、睡眠を十分にとり、リラックスするように」という生活指導だけで、片頭痛発作は”完璧に抑制されていた事実”を忘れてはならないはずです。
 このような事実だけでも、片頭痛が生活習慣病であるということを証明しているはずです。にもかかわらず、片頭痛を”多因子遺伝”と考えることなく、単一遺伝子から生じるものがあることから、すべて単一遺伝子による”遺伝的疾患”であるかのごとく考えていることに最大の問題があると考えなくてはなりません。
 このようなことから、片頭痛を”多因子遺伝”という観点に変更すべきです。


 そして、これまでのようなトリプタン製薬メーカーとの二人三脚の頭痛診療および研究を改めることです。そして、トリプタン製薬メーカーからの支配下から離脱することです。 このことは、「国際頭痛分類第3版 β版」を頭痛診療の絶対的な基準とせずに、あくまでも「頭痛の分類」でしかないということに考えを改めることです。
 これが、学問としての頭痛研究の出発点となるからです。最初から、欧米の学者の論文を一番と考えたことに、その過ちの根源があると考えるべきです。
 こうすることによって、”臨床頭痛学は自然科学の一分野である”ということに認識を改めるべきです。いつまで、カルト教団のようなことをされるというのでしょうか?


 さらに言えば、”欧米の学者至上主義”を見直し、「日本の業績」を見直すことです。このためには、先程も述べた医局講座制の”シガラミ”枠を越えた、公平な評価をしなくてはなりません。


 いずれにしても、臨床頭痛学は、患者さん優先とし、患者の苦悩解放を第一の目的とすべきことは言うまでもないことです。トリプタン製薬メーカーの利潤追求優先の考え方をまず糾すべきです。これが、これからのの頭痛医療のあり方と考えます。


 学会を主導される方々がいつまでも、これまでのような考え方を改めないため、カイロプラクター・整体師・鍼灸師の方々からは、片頭痛が薬物療法だけでは治るはずはない、と唾棄される現実があります。
 さらに、片頭痛を実際にお悩みの方々は、自分独自で考え、工夫され、次々に自分の手で片頭痛を克服されています。


 こうした現実を虚心坦懐に反省しない限り、専門家はいずれ患者さんから見放されていく運命にあるものと覚悟しておく必要があります。
 いや、既に、このような時代に突入しているのかもしれません。