関口メンディー「この実家という場所に自分は本当に居続けていいんだろうか」 | Your Smile️‍

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EXILEからLDHにハマリ
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LDH全般が好きです。

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【会見】関口メンディー「この実家という場所に自分は本当に居続けていいんだろうか」



13年間、自分はLDHという場所で本当に愛を持って育てていただいたっていう風に思っていて、その活動の中でこのLDHという場所が自分にとって家族であり、実家のような場所になっていったという風に思ってます。



実家は愛があってとても温かいです。



家族もいて、温かいご飯も出て、お風呂もあって、布団もあって、とても安全な場所という風に僕は思ってます。

なんですが、いつからか、この実家という場所に自分は本当に居続けていいんだろうか。という風に思うようになりました。



僕はおそらくですが、この中で1番意志が弱いです。会議中、HIROさんの横で寝てしまうぐらいなので、本当に意志が弱いんですけれども、そんな僕ですから、やはりここをずっといると、この環境に甘えてしまうんじゃないかなという風に強く思うようになりました。



この環境に居続けることは、もしかしたらお父さんの背中に近づくことも、追い越すこともできないかもしれないという風に同時に思いました。

今こそ、自分の足で立って頑張っていくことが親孝行に繋がるんじゃないのかなという風に思ったというのがひとつの理由です。



 


【会見】関口メンディー、卒業理由に「2分の1成人式での母からの言葉」



もう1つが家族のことです。自分は、もしかしたら皆さんご存知ないかもしれませんけれども、日本人の母とナイジェリア人の父の間の子で、いわゆるハーフで、アメリカ生まれであります。

両親は僕が小学校1年生の頃に離婚していて、それ以来は母子家庭で育ちました。

父とはそれ以来ほとんど会っていなくて、正直生きているかもわからない状態です。



小学4年生の頃なんですが、学校行事の2分の1成人式というものがあって、そこで母が僕に手紙を読んでくれた。

で、小学生だったってのもあって、すごく恥ずかしい気持ちもありながら、あまり手紙に耳を傾けていなかったですし、ほとんどの内容覚えていないんですが、ひとつだけ覚えてる言葉があって。



「メンディーには日本と世界の架け橋になってほしい」という風に母が言ったんですね。

それが、その言葉だけはなぜかすごく自分の心の中にすっと入ってきて、小学生ながらに架け橋ってなんだろうとか、これどういう意味なのかなっていう風に思ったんですけれども、漠然とそういう風に自分はなっていくんだろうなっていう風に思った記憶があります。



あれから22、3年ですかね。

日本と世界の駆け足になれているか。と自分に疑問自答したところ、合格点はあげれませんでした。



当時10歳だったメンディー少年に日本と世界の駆け足になっている自分を見せてあげたい。いまは強くそう思ってます。

それに、自分のルーツを辿れば辿っていくほど、日本のみならず、世界で活躍できる人になりたいなという思いが強くなっていきました。



とてもわがままなことを言ってるなと自分自身も思いますし、これを聞いても何を言ってるんだという風に思う方もいるかもしれませんが、僕は世界で、世界のエンターテイメントの中で活躍できる人間になりたいと思ってますし、それができるかどうかはわかりませんけれども、人生一度きり挑戦してみたいという思いがとても強いです。



そして、自分が日本のみならず世界で活躍できるエンターテイナーになった時に、僕をメンディーとして生んでくれた両親に対しての恩返しにもなるという風に信じてます。

このような理由も僕はLDHを卒業させていただくという決断に至りました。



本当にこのような機会を設けていただき、発表させていただき、本当に感謝しております。ありがとうございます。