監督 パトリス・ルコント
製作 2000年 フランス 90分

ずっと期待していて、すべてが期待通りだった。ラストは、泣く予定じゃなかったんだけど涙が出た。あんなラストはあまりにもドラマチックだ、ひどいじゃないか—と思ったけど、ルコントは結構人殺して締める。それで毎回泣かされる。ラストで人殺してるのにそれがあまり印象に残ってないのは、ルコントの力なのかなあ。でも今回は、死ぬと思ってなかったんだよねー・・・いや、それも毎度か。

映画のあとにチラシ見てはじめて「人生の終着駅」って書いてあったことの意味に気がついた。ポスター気に入ってたから何度も見たのにそんな風には一度も予想しなかった。予告編のナレーションの江守徹が深刻なわけもわかった。でも、このストーリ-に関しては二人の死の他に選択肢があったんじゃないか?私は心のどこかで、この二人はただ擦れ違って終わりだと思ってた。それでも十分に楽しめると。ルコントの選択に不満があるわけじゃないけど。

ジョニー・アリディ、ジャン・ロシュフォール、いずれも本当に良かった。二人ともハマりすぎで当たりすぎ。なんであの二人あんなに個性的な顔してるんだろう。ミランは渋くてカッコいいんだけどそれだけじゃない人間くささがいい。でも本当にカッコいいんだよなあ。60過ぎてその脚はありえんでしょう。ヒロト顔負け。顔も一つ一つのパーツ見るとそうでもないのに。全体として、いい。そしてマネスキエは涙が出るほどかわいい。ミランに出会って素直にはしゃいでる君に胸キュン。ジャンの横顔って不思議な曲線を描いている。彫りが深いのにクドくない。愛嬌があんだよねえ。ミランの前ではお茶目なのに、生徒に対してはかなりしっかりしていて笑った。—なぜだ。「エッフェル塔のあるパリ」と同じだろう!

うん、これは心に残る映画だった。思いきってパンフ買っちゃった。だってスチルがいいんだもの。何度も見返したくなる。映画自体も一瞬一瞬が愛おしくなるような撮り方でもうたまらんかった。60過ぎのオヤジの入浴シーンさえも。パンフの解説に「これはマネスキエの幻想じゃないか?」という読みがあった。とても現実的な解釈だ。そうかもしれない。でもさみしいからいやだ。

出所したミランをマネスキエが迎えに行って鍵を投げ、人生を交換して二人は幸せになるのかと思ったのにな—ああ、そうか。私はあの二人に幸せになってほしかったんだきっと。それほど感情移入させられたんだ。そのくらい好きだった。実に魅力的だった。
監督 ミヒャエル・ハネケ
製作 2000年 フランス/オーストリア 132分

母子関係の映画。母と娘ってこんなに疲れるんですよの映画。ウチだけじゃないんだね。本当にそっくりよ、ウチの母親と。瓜二つよ。怖いわ。という安心と恐怖がごたまぜになった。ああいう母親を持つと苦労するよね。恥ずかしいから人に言えないし、嫌な話だし、自分も歪んでることが自分でわかってるし。そんなこと人に言えないし知られたくないから、鉄のお面被るのよね。私は完璧、人に劣ることなんてないって強がっちゃうのよね。やれやれ。見ていてため息とうす笑いが何度も漏れた。ねえ、これドラマじゃないのよ。ほんとうのことなのよ(村上春樹の小説に出てくる女風)。まあカンヌでそれなりに評価されたんだからわかってる人はわかってるんだろうけど—ハリウッド映画ではないわなあ。臭いものには蓋をするがいいさ、雨曝しなら濡れるがいいさ。

衝撃でした。名状しがたい、私の状況と気持ちをこれほど理解してくれる映画があったとはね。 感情移入しつつぞっとした。 とてもよく描かれていると思うけど、 見ると疲れるし、どう考えても万人向きでない。けれどもっと多くの方に見てもらいたい。特に、母親が原因で病院かかってる人とか。何も救われないけどまあ—別に自分が悪いんじゃないって思えると思う。
監督 ダニー・ボイル
製作 1996年 イギリス 93分

見ているときからなんかソリの合わない映画だな、と感じていたけど、特典映像を見てそれを確信した。監督と製作が横柄なインテリの癖してダラダラダラダラ喋る印象を受けた。作るなら喋るな。喋るなら作るな。映画に必要なかったからカットしたんだろ。じゃあ今更屁理屈つけて曝す必要もないだろうよ・・・自分から「面白いだろ」なんて言い出すようじゃ始末に負えない。

高校生当時、チラシしか見たことなくてオシャレな映画なのかと思ってたけど、なんだかがっかりした。まあ16歳だったら憧れてたかもしれないけどね。でも登場人物があんまり魅力的じゃない。ベグビーは完全にイカれてる。呆れる。スパッドも取り柄がないし、トミーには救いがなさすぎる。いや、イギリス労働者階級ってそんなものなのかも。でも24アワー・パーティ・ピープルとかリヴ・フォーエヴァー見たほうが楽しいんじゃないの。折角のいい音楽も使われ方がおかしいから魅力的に聞こえない。デザインが先行し過ぎ。

説教臭が薄かったのが唯一の救いじゃないだろうか。
この映画の一番の見どころは、甲本ヒロトみたいなユアン・マクレガーの脚。
監督 ラース・フォン・トリアー
製作 2003年 フランス 177分

祝日に見に行ったら、ドッグヴィル以外の客が20~30分の列を作っていてチケットを買うことができず、明くる日(上映最終日)に意地で見に行った。それでもチケット買うのに5分くらいかかって、入場しないうちに本編に入ってしまわないかと気を揉んだ。場内はシネコンとしては小さいスクリーンで、客も15人くらいだったかと思う。でもいつも向かい合っているのより全然大きかった。いい映画だった。最初は3時間なんて自信がなかったけれど、テンションが下がらずに余裕で見届けることができた。

他の共同体との関わりを一切持たない山奥の小さな村、ドッグウ゛ィル。そこにある日ギャングに追われた美女ニコール・キッドマンが迷い込む。それを匿おうとする村の哲学青年ポール・ベタニー。村の人々と美女は互いを受け入れ、平穏に暮らしていくかのように思われたそのとき、ラース・フォン・トリアーがお伽話を現実に落とし込む。

村人は徐々によそ者への欲望と排他性を露にしていく。まあ一般庶民なんてあんなもの、恵まれてないんだから。育ちのいい方々が想像する理想の社会ではなくて、清貧なんて綺麗ごとである。

村は実際のセットではなく、広い駐車場のようなところにチョークで各人の家や道路が区切られている、というミニマルで抽象的なもの。画面上ではどの場面でもその場の会話などに参加していない第三者がそのまま見える。「壁に耳あり障子に目あり」状態。知人が「あれは『常に見られてる』ってことを表したのよ」って言ってたけど、言われてみればそうだ。田舎ってそんな感じだよね。

現代社会のしがらみ、その中で愚かを通り越して悲惨な人間たち。それらをトリアーはどこまで抉っていくのか。
 
個人的にはキッドマンとベタニーの束の間の愛に泣いた。すぐに終わってしまうとしても、あんなに可愛く愛し合ってる、なんて幸せそうなんだろうと。若いってそういうことさきっと。最後はやっぱり辛かったんだと思うなあ。甘いかね。
監督 ジャック・タチ
製作 1971年 フランス 89分

面白いと思う映画はたくさんあるけど、声をあげて笑う面白さを持った作品はそうない。そんな数少ない一本。とにかく動きが面白すぎ。懐かしいようなわかりやすいコミカルさが、かわいらしくてしょうがない。子どもでも大人でも、どんな世代の人も喜ぶと思う。能天気なBGMを聞いてると「第三の男」を思い出した(だいぶ前にNHKで見たけど、内容は全く記憶に残ってない)。字幕はない方がいいかも。 

始まってすぐの、展示場が引きで映し出されて、ロープでも張ってあるのかみんなゴム跳びみたいに跳び越えていく様が既におかしい。オランダの白バイ二人組も傑作。 あのキャンピング・カーなんて小学生の図工並みの発想。犬が轢かれる悪戯も幼稚園並み。また、タチのスタイルがいい。特に脚が素晴らしい。

こういう、設定は現実なんだけどちょっとふざけた作品は好き。SFとかマトリックスとか言われてもよっぽど説得力ないとついていけない。想像力が貧困なのかしら。

人間、自分の視点をちゃんと持っていることが大事なんだと思った。それさえあれば生きていけるような気がする。