監督 クロード・ランズマン
製作 1985年 フランス 570分
授業の関係で見た。面白い。面白いというのはちょっと不適切かもしれない。えーと、これをネタにいろんな話ができる作品。簡単には見られないし無理して見るものでもないけれど、私はこの映画の作り方がとても好きだ。監督であるランズマンはこの作品を「リアルなフィクション」と呼ぶが、まさにそれがぴったり当てはまる。映画という虚構の形式を用いるにもかかわらず「うそをついていない」作品ー製作者が自分の情熱以外の要素に惑わされずに、できるだけ純粋な表現にすべくがんばった感がすがすがしく見てとれる作品。ごまかしてないぜっていう。ノンフィクションをこんなに面白いと思ったのは初めて。
クロード・ランズマンによるホロコーストについてのインタビュー映画である。製作期間11年、9時間におよぶ超大作。ランズマンは戦時中パリでレジスタンスをしていたにもかかわらず、当時はホロコーストを知らないでいた。戦後、ユダヤ人でありながらその事実を知らなかったことに衝撃を受け、『ショアー』の製作を開始したといわれる。公開は1985年であるが、日本では1995年に初めて上映された。
一般の娯楽映画と距離を置いていることはもちろん、時系列的な構成でもないため、ドキュメンタリーとしても特異な存在である。自然音のみが用いられ、効果音楽は一切使用されていない。カメラの動きにも特別なパターンはない。インタビューの内容はほとんどが「そのとき何がどのように行われていたのか、何が起きたのか」という事実確認に終始しており、インタビュイー(特にナチス側関係者)のホロコーストに対する評価については抑制的である。ホロコーストの生存者は30万人と言われるが、ランズマンは僅か38人(ナチス関係者や周辺住民などを含む)を厳選しインタビューを行った。
しかし、ホロコーストの事実は、特に当事者にあっては思い出したくもない(思い出せない)記憶、語りえない事柄である。見も知らぬ映画監督からいきなり、そのような経験をさあ話してくれと言われてもできるものではない。彼はインタビュイーをできるかぎり調査し、時間をかけて熱心な、時には執拗な働きかけを行った。それは映画のなかでのランズマンの姿勢にも強く見てとれる。その執念が、不可能だった証言を少しずつ実現させていった。この作品における丹念な描写、ストイックな構成は、証言の個別性を際立たせ、それらはまた、フィルムという反復可能な状態でありながら、作品の特殊性と安易な理解の拒絶を訴え続けるものでもある。
ランズマンがこの膨大な記録において最も知りたかったこと=伝えたかったことは、ホロコーストとは「何であったのか」ではなく、一体そのときに「何があったのか」ということである。「であった」という定義づけはホロコーストを限られたイメージに閉じこめてしまう危険を孕む。「トラウマへの探究」で引用されていたラカンの「理解しすぎないということ、主体のディスクールのなかに存在する以上のことを理解しないようにするということです。解釈することと理解したと思い込むことは、まったく別の事柄です」という言葉が思い出される。
インタビュイーの語りは非常に新鮮である。自分が今まで持っていた歴史的な知識とはまったくの別物であり、その印象はまとまらないまま鮮度を保って頭のなかに場所を占める。製作当時既に30年以上を経ていた記憶の語りは、ホロコーストを今もなお解決されえない問題へ留めおく。
参考
『SHOAH』クロード・ランズマン著、高橋武智訳、作品社、1995
『『ショアー』の衝撃』鵜飼哲・高橋哲哉編、未来社、1995
『トラウマへの探究』キャシー・カルース編、下河辺美知子訳、作品社、2000
製作 1985年 フランス 570分
授業の関係で見た。面白い。面白いというのはちょっと不適切かもしれない。えーと、これをネタにいろんな話ができる作品。簡単には見られないし無理して見るものでもないけれど、私はこの映画の作り方がとても好きだ。監督であるランズマンはこの作品を「リアルなフィクション」と呼ぶが、まさにそれがぴったり当てはまる。映画という虚構の形式を用いるにもかかわらず「うそをついていない」作品ー製作者が自分の情熱以外の要素に惑わされずに、できるだけ純粋な表現にすべくがんばった感がすがすがしく見てとれる作品。ごまかしてないぜっていう。ノンフィクションをこんなに面白いと思ったのは初めて。
クロード・ランズマンによるホロコーストについてのインタビュー映画である。製作期間11年、9時間におよぶ超大作。ランズマンは戦時中パリでレジスタンスをしていたにもかかわらず、当時はホロコーストを知らないでいた。戦後、ユダヤ人でありながらその事実を知らなかったことに衝撃を受け、『ショアー』の製作を開始したといわれる。公開は1985年であるが、日本では1995年に初めて上映された。
一般の娯楽映画と距離を置いていることはもちろん、時系列的な構成でもないため、ドキュメンタリーとしても特異な存在である。自然音のみが用いられ、効果音楽は一切使用されていない。カメラの動きにも特別なパターンはない。インタビューの内容はほとんどが「そのとき何がどのように行われていたのか、何が起きたのか」という事実確認に終始しており、インタビュイー(特にナチス側関係者)のホロコーストに対する評価については抑制的である。ホロコーストの生存者は30万人と言われるが、ランズマンは僅か38人(ナチス関係者や周辺住民などを含む)を厳選しインタビューを行った。
しかし、ホロコーストの事実は、特に当事者にあっては思い出したくもない(思い出せない)記憶、語りえない事柄である。見も知らぬ映画監督からいきなり、そのような経験をさあ話してくれと言われてもできるものではない。彼はインタビュイーをできるかぎり調査し、時間をかけて熱心な、時には執拗な働きかけを行った。それは映画のなかでのランズマンの姿勢にも強く見てとれる。その執念が、不可能だった証言を少しずつ実現させていった。この作品における丹念な描写、ストイックな構成は、証言の個別性を際立たせ、それらはまた、フィルムという反復可能な状態でありながら、作品の特殊性と安易な理解の拒絶を訴え続けるものでもある。
ランズマンがこの膨大な記録において最も知りたかったこと=伝えたかったことは、ホロコーストとは「何であったのか」ではなく、一体そのときに「何があったのか」ということである。「であった」という定義づけはホロコーストを限られたイメージに閉じこめてしまう危険を孕む。「トラウマへの探究」で引用されていたラカンの「理解しすぎないということ、主体のディスクールのなかに存在する以上のことを理解しないようにするということです。解釈することと理解したと思い込むことは、まったく別の事柄です」という言葉が思い出される。
インタビュイーの語りは非常に新鮮である。自分が今まで持っていた歴史的な知識とはまったくの別物であり、その印象はまとまらないまま鮮度を保って頭のなかに場所を占める。製作当時既に30年以上を経ていた記憶の語りは、ホロコーストを今もなお解決されえない問題へ留めおく。
参考
『SHOAH』クロード・ランズマン著、高橋武智訳、作品社、1995
『『ショアー』の衝撃』鵜飼哲・高橋哲哉編、未来社、1995
『トラウマへの探究』キャシー・カルース編、下河辺美知子訳、作品社、2000