車内はいっぱいで、乗客は豪奢な服で装った者ばかりであった。中には黒のスーツに身を包んだ屈強な男を2人連れた者もおり、触角の様に長く跳ね上がった口髭を見ると、彼が希少品の収集家として有名な大資産家アルバ・モッカネチであることがすぐに分かった。執事らしき老人に仕事のことで愚痴をこぼす声がやかましく、モッカネチの存在は車内で一際目についたが、一方で目に付くのは、二人掛けの座席を一人で占領する肥満の男。男は駅の売店で購入したであろうスナック菓子を休むことなくその大きな口に放り込んでは、バリバリと音を立てていた。
レイはポポロから渡された乗車券と座席の背もたれの上辺に打ち込まれた座席番号のプレートを照らし合わせつつ、自分達の座るべき座席を探した。
やがて同じ番号を持つ座席を見つけると、ボックス席となっているその対面には長いローブに身を包み、眼鏡をかけた一人の青年が座り、古ぼけた書物を静かに読んでいた。青年はレイ達に気付くと優しげな笑顔で軽い会釈をしたので、レイとクラウも同じく軽い会釈をして返した。
座席に着くと、クラウは早速被っていたつばの大きな帽子を脱ぎ、膝の上に置いた。レイも被っていた黒いシルクハットと黒髪のかつら、そして口髭を取り去り、その艶やかな銀髪を露わにした。そして、タキシードの内ポケットに右手を突っ込むと、1枚のカードを取り出し、少し眺めた。そこには「レオナルド・ヴィータ」の名前と住所が記されていた。クラウも鞄から同じ様なカードを取り出す。すると、やはり「スノゥ・アクアス」という名前が記されていた。
「結局使わなかったね」
「使わないに越したことはないさ」
車内にまでソウルギア兵はおらず、車掌の巡回もまだない。別にここで正体を明らかにしても何ら問題はなかった。そのやり取りの間、向かいの青年は変わらず書物を読んでいたが、その書物に興味をもったらしいクラウが話し掛けると、その視線を黄ばんだ紙からクラウへと向けた。
「これは古代の魔術書ですよ。1万年前――ラグナロクの時代に書かれたものです」クラウの物珍しげな顔を見たまま青年は続けた。「僕はアーク・ルービッツといいます」
アークという名前を聞き、レイとクラウも同じように証明書に記されたものではない、自己の名を伝えた。
「僕は《元素術士》で、学者もやっているのですが、ノワールの市場でこの魔術書が売りに出されていると聞いて買いに来た帰りです」
「そんな貴重そうな魔術書があんなとこに出回ってんのか」
「元々は《ダーナ》の国立図書館に所蔵されていたんですが、数年前、《ティエリ・マルコ》に盗まれてしまって、そのまま闇市場に流れてしまったんです」
「ティエリ・マルコっつったら、誰も姿を見たことのないっていう大泥棒だな」
イクシオラ王国の北方にある《学園都市ダーナ》。そこにある国立図書館といえば、世界屈指の蔵書数を誇る巨大図書館であり、ラグナロク時代の貴重な書物が多く保管されている。それだけに警備は厳重で、忍び込んで盗みを働くことは至難の業である。それを成し遂げたマルコは著名な窃盗犯であるが、目撃情報その他一切の情報がなく、マルコというその名さえも、本当の名前なのか、そもそもその名を知られるようになった経緯すらも不明とされていた。その為、懸賞金を掛けることすら未だ為されていない。こいつがマルコですといざ連れてこられたところで、特定する術がないのだ。
※
ノワール駅を列車が出発して四時間が経過した。ノワールからブランまではこの列車で8時間とされているから、南コーネリア大陸を横断する旅路の半分を既に過ごしたこととなる。車窓から見える景色は青々とした緑に満ちていた。「緑の大陸」と呼ばれる南コーネリア大陸。その3分の1をも占める《クルーム大草原》は、この鉄道におけるひとつの売りであった。
しかし、その様な景色になど何の価値も見出せない。彼にとって価値があるのは、底の知れない空腹を和らげてくれる食べ物と、その対価として重要な意味を持つカネだけであった。
ノワール駅でたんと買い込んだ菓子のほとんどは彼の胃袋に収まってしまった。少し足りなかったかもしれないと後悔したが、そろそろ頃合いだ。これ以上買っていたら仕事をする気が失せてしまっただろう。プロとしての自覚がかろうじて理性を保ったのだ。
マルコは風船の様に膨らんだ体を徐に持ち上げると、スナック菓子の袋をひとつ持って貨物車両へと続く後部ドアに向かって歩き出した。
ドアを開けると、列車によってかき分けられた大気がマルコをぐっと掴んできた。この鉄道は10両編成となっており、その内の後部3両は物資や客室車両に持ち込めない荷物を積んだ貨物車両となっている。マルコの座席があるのは前から2両目の客室車両であるから、今回の獲物――《流星の涙》と呼ばれるアニマ輝石に辿り着くには最低でも5の客室車両と6の連結部を通り抜けることとなる。連結部に吹き荒ぶ突風はその巨体の前に何ら意味を持たなかったが、客室車両の中心に走る通路はマルコのたるんだ肉を突っかけてきて、物珍しそうな乗客の視線を集めていた。
全ての客室車両を通り抜け、最初の貨物車両を繋ぐ連結部に辿り着いた。小さな子供ならば大気の渦に巻き込まれてレールの外に放り出されてしまいかねない状況を何ともせず、連結器具の上を飛び跳ねて貨物車両に移る。早速流星の涙に続く扉の取っ手に手を掛けて引いてみる。しかし、返された返事はつれないものだ。貴重な物資や乗客の荷物を積んでいるのだ。鍵が掛かっていて当然である。
しかし、この程度の障害など障害の内に入らない。マルコは手にしていたスナック菓子の袋から1本の細い金属棒を取り出し、取っ手の上部に設けられた鍵穴に差し込む。その鍵穴を覗きこむようにしながら、小刻みに金属棒を動かしていく。随分と簡単なつくりだ。バンドール政府が今も世界で1、2を争う巨大コングロマリット《テラ・オルドレイク・インダストリー》に協力を仰ぎ、技術を結集して華々しく敷設された大陸鉄道だが、それも50年以上前の話。今となっては死滅した技術が多く、車両自体も老朽化が進んでいる。
カチッという金属の外れる音がした。金属棒を抜いて、再び取っ手を引くと、今度は呼び掛けに答えてくれた。
小さな窓がわずかしか設けられていない車両の中は薄暗く、荷物を封じたコンテナや袋が整然と積み上げられている。それぞれの荷物には、持ち主や運送会社が記入した宛先等を表示する札が括り付けられており、マルコはそれをひとつひとつ確認していく。「アルバ・モッカネチ」の名前が見つかればビンゴ。確認しなければならない札の数は少なくないが、貨物車両の見回りはないし、次の駅に到着するまでにはまだ十分時間がある。焦る必要はなかった。
だが、その様なことを心配するまでもなく、一際目立つ身の丈程の大きさを持った金属ケースが目に入った。流星の涙の大きさは掌程度に留まると聞いていたから、それを納めたケースにしては随分と大仰な事だ。
ケースの側面を見ると、暗証番号の入力盤が付いていた。どうやらさすがに先程の扉の様な危機意識ではないらしい。暗証番号を知らない者が運良く開ける頃には次の駅に到着し、異変に気付いた駅員に連れられてそのまま傲慢な警官に引き渡される事となる。しかし、それは間抜けのする事。マルコはスナック菓子の袋から直方体の機材を取り出すと、入力盤に覆い被せるようにしてこれを取り付けた。機材の表面にはパネル盤があり、時間が経つにつれてデジタルの数字がひとつずつ表示されていく。
やがてパネル盤が数字でいっぱいになると、カチッという音がするなりケースが少し開いた。その隙間から、空気に飢えたかのように冷気が白い煙となって漏れ出てくる。いよいよお宝と御対面だ。このお宝を売ったらどれほどの飯にありつけるか。無意識に溢れ出る涎を拭うと、両手をケースの蓋にかけ、ゆっくりと開いていく。
ケースの中は冷気に満たされて真っ白だったが、それが周囲の空気となじんでいくにつれて中心からほのかな輝きが露わになってくる。深い闇の中でも沈み込むことのないような紅。その輝きは瞬く間に強くなり、太陽の光と見間違うほどの輝きとなってマルコを包み込んだ。
つづく
