どんぐりころころ どんぐりこ♪
つい最近まで、「どうも語呂が合わないな~」と思いながらも、
そんな可愛い歌なんだろうと当たり前のように平気で歌っていた(笑)。
どんぐりころころ どんぶりこ♪
当たり前と思っていたものが、実は全然違っていた。
なんてことは沢山ある。だから、人生面白い。
上なんかは、まぁどうでもいい例なんだけども、
主観と真相との違いを発見した時に、
笑って切り替えられる頭の柔らかさは、常に持ってたいなと思ってます。
それが仮に無知から来るものだとしても、
気付いた時の恥ずかしさより、発見した時の悦びの方に重点を置きたい。
そっちの方がきっと人生楽しく生きれるはずだ。
とか何とか言ってると、
全部どんぐりの言い訳に聞こえてくる(笑)。
さてさて。
早いもので、田舎に戻ってから5年が経とうとしている。
その間の自分の行動を振り返ると、
やれ祭りだ、町民運動会だ、町内清掃だ~と動いてみたり、
日常の交友関係を含め、積極的に地元の人達と交流を重ねてきた方だと思う。
過疎化、高齢化が顕著な田舎に居ると、
時にそれを若者の使命感に近いようなものと捉えたり、
また、郷土愛や仲間意識が強い土地柄なのも関係するかもしれないが、
そういう形で地域貢献している友人が、
年齢や職業の枠を超えて周りに何人も居て、
純粋に尊敬できるし、いい意味での影響を受けてきたと思う。
ただ、もちろん長所だけではない。
田舎の短所。それはやはりと言うべきか、
色んな場面で、どこか画一的で「保守的だな」と感じることは多かった。
だから文化や伝統が守りやすいという事に繋がるかもしれないが、
画期的なサービスやシステムを提供しようとしても、
新しいものの中身を見ずに否定してしまう。そんな空気がある。
もしくは、受け入れるまで時間が掛かりすぎる。
例えば、
今地方都市はどこへ行っても同じような現象が起きてる気がするが、
元々人がいたならまだしも、
閑散としてた商店街が同地区への大型商業施設の出店に反対した結果、
街の中は空洞化した。(最初から戦略化してる場合も多いが)
むしろそれを集客のチャンスと考え、呼び込み、
自分のところでそれに負けない、
もしくはそれに近いサービスを提供する方がよほど生産的だった。
保守的な意識が生んだ弊害のような気がする。
新しいものを、何か侵略者のように捉えてしまうというか。
例えば、人付き合いにしてもそう。
新たな出会いを、中身を見ずに敬遠してしまうことが多い。
「田舎は出会いが少ない。」と嘆く言葉をよく聞いたけど、
そんなことはまるでなかったし、
「人が少なくて何かを出来ない。」という言葉にも、
新しい人達を、例えば地域や年齢を超えて取り込めばいいだけなんじゃないかと。
それこそ市町村合併と言うなら、そこに繋がって欲しい。そんな風に思った。
ペリーは決して侵略者ではなかったし、
結果として日本文化が外に広がり認められ、そしてお金を生んだ。
世界を広げるのも狭めるのも自分達次第。
常に保守的であることは決して美徳ではない。
頭を柔らかく、場面によって保守的な部分を変えていかないと、
自分達で自分達の首を絞めることになりかねない。
事業をしている仲の良い友人が何人か居るが、
彼らはもっと感じていると思う。田舎の保守的なところ、閉鎖感を。
それはお金という物質的な部分より、
精神的に保守的である文化に1番苦労している気がするし、
時にはひがみやねたみに変わったり、仕事をしづらい点が多々あるようだ。
田舎ほど多いと言われる談合や不必要な業者同士の協定等も、
その辺の意識が関係してる気がする。
リスクを冒して物やサービスを提供する生産者は、
本来賞賛されるべきものと思うんですけどね。
近々、僕の仲の良い先輩が店を出そうとしている。
物理的に何を応援できるわけじゃないけど、是非頑張って欲しいなと。
色々考えると、そんな風に田舎者は思うわけです。
閉鎖感を打開するには、頭の柔らかさが必要だ。
ニュアンスはちょっと(と言うか全く)違うけど、
「この世は全て錯覚だ」と題した知覚心理学の話、
爆笑問題のニッポンの教養 は面白かった。
番組自体、毎回かなり面白いと思いますので、
見たことない人は是非。
今日のおやすみSONG
田舎/タカチャ




























