地方の山あるあるだが、まず最初に登山口がどこか分からない。
その挙句、民家の庭みたいな所へたどりつく。
(不法侵入で通報しないで)と思いながら車をバックさせる。
(登山口は一体、どこなんだ?)と冷や汗が止まらない。
全く関係がない林道へ入ったりして、どんどん時間が経過していく。
(また今度にしよ)と一回目はあきらめる。
一年くらい経過して
二回目は周辺に聞き込みの結果、
近所のおいさんに場所を教えてもらい、駐車場をお借りした。
場所を教えて頂いたおじさんとは別のおじさんには
『どこから来たんだ?』とか
『あんたのお父さん、知ってるわ』とか
・・・ ・・・ 私が聞き込みされてどうするのだ。
(本当にここで合ってるのかな?)と登山口をぎこちなく歩く。
和歌山県古座川町直見ですが、古座川ではなく
小川(こがわ)沿いであり、そのさらに支流沿いだが
グーグルマップでは大谷川という名前らしく、ストリートビューではそこから
奥(上の写真の場所)は見られない。
ハッチョウトンボ生息地が近いらしい。
空き地に車を停める許可を頂いて道路を横断し、大谷川(?)を渡り
反対側の堤防の上を歩き、山の中へ入る。
当時はたしか黄色いビニールテープを目印に歩いたが
その黄色テープが張ってあるのも序盤のうちだった。
以下は過去の記事から抜粋
私の手元には前回同様、坂本顕一郎氏から頂いた資料しかありません。
『浅里郷に潜み隠れ、遺臣(前代から仕えていた旧臣)たちが
之(後南朝後胤)を保護し奉り、退いて樫山村(同県古座川町)
深山幽谷の地を選び安楽に居住し給い、国王山大雲郷と号す。
落ち給うを以って、止屋森と称す』(朝里文書から)
止屋森は、同県古座川町楠にある鳥屋ノ森山のことかしら。
不審者侵入に際し、にわとりが鳴き騒ぐ習性を利用して飼った
鶏小屋があったのだろうか。
後南朝時代に融仁王(みちひとおう=後亀山天皇の子孫?)という人がおられて
浅里郷(三重県紀宝町)に落ち延びて亡くなられた。
融仁王の子孫は三重県紀宝町の朝里家であると・・・。
朝里家の宗良という人が1560年ごろ、古座川町月野瀬に移住して
朝里姓を名乗ったそうな。
よそから来て文句を言うのも誠に申し訳ございませんが
看板や道標がかなり少ない。
おかげで二回、遭難しかけた。
後南朝後胤が隠れ潜んだためにわざと少ないのだろうか。
ほとんどビニールテープや、
木にくくりつけられたナイロンひもだけを目印に歩いた気がする。
ブログなので一気にはしょていきなり山頂。
スクリーンショットの撮り方を知らないと逆光がまぶしいね。
33°34'57"N135°47'12"E
↑ この座標(『ド』ロップしたピン)で山頂がグーグルマップで表示されたが
ふ~む・・・ ・・・
ほとんどジャングルだな。
2020年5月30日
所要時間 上り 3時間5分
下り 2時間35分
歩数 18,697歩(往復)
距離 11,40km(往復)
佐々木了さま 有難うございました。
次回からブログジャンルは変わり、古座川町は離れます。