高野三山 | 空と海・・・ときどき山のブログ

 高野三山とは、高野山内にある摩尼山・楊柳山・転軸山の総称であり

高野山の北東部に位置している。

 

 この日はたまたま駐車場に別営業所の同業者を見つけて

立体駐車場の二階から同業者のおっさんのハゲ頭を見下ろした。

 

 そんな出来事も新型コロナアウトブレイク前のいい思い出だったと

言える(2019年11月の記録)

 

 

 

 いつも気になっていた道標を右に入る。

 高野山の弘法大師御廟に向かう御廟橋の手前右側にある水向地蔵の奥です。

 

 

 

 私は摩尼山登山口から入山した。

 高野三山の登山口は多いと思う。

 

 

 途中、分かれ道があったがこれは左下を歩いたと思う。

 二年前なので写真の紹介の仕方が恐らくバラバラでどうもすいません。

 

 

 

 中ノ橋から摩尼峠へ行って

 摩尼峠から摩尼山まで距離が400mです。

 摩尼峠から奥の院まで1,3km。

 奥の院から摩尼山は・・・400+1300=1700m

 奥の院から中ノ橋参道入口までは、800m

・・・ ・・・んっ?

 

 

 

 摩尼山から楊柳山までの距離は、1,6km。

 摩尼山の標高は、1004m。

 楊柳山の標高は、1008m。

 

 

 

 

 転軸山の祠   三山とも山頂からの眺望は期待できない。

 

 

 

 

 黒河道の説明版を読んでみた。

 

 高野参詣道    黒河道

 

 黒河道は高野七口の一つ黒河口に至る高野参詣道で、

橋本市賢堂(かしこど)から国城山(くにぎさん)東麓から明神ヶ田和を越え

藁谷(わらんだに)から九度山町の一平(いちだいら)で丹生川を渡り、

久保から高野町の粉撞峠(こつきとうげ)を越え、高野山内の千手院谷に

入る登山道である。

 橋本から高野山への近道とされ、また大和国(奈良県)からの参詣客がよく利用された

ことから大和口とも呼ばれた。

 天正九年(1581年)の史料には『大和口』と見え、正保元年(1644年)には

『大和口又号粉撞峠口』とあり、江戸時代の『紀伊国名所図会』には

『黒河口 或は大和口ともいふ』とあって、その呼称は時期による

変遷があり、一定していなかったようである。

 

 道が険しいことから、多くの参詣客は黒河道の西方を並行する京大坂道を

利用したようだが、黒河道は文禄三年(1594年)の豊臣秀吉の高野参詣の帰途に

用いたと言われ、そのルートが『紀伊続風土記』に見える。

 

 高野山周辺では、地域の産物を高野山へ奉納する『雑事(ぞうじ)のぼり』にも

利用されたと伝えられ、物資の輸送にも用いられたとものと推定されている。

 

 定福寺(じょうふくじ)[1番]から粉撞峠[26番]までは番号道標が500m毎に

立っている。

                                 和歌山県

                                 和歌山森林管理署

 

 

 

 段々と下山しています。

 高野七口女人道と合流しているので女性登山者が多い。

 

 

 

 右側に池がある。

 高野三山は、とりあえず登頂しているので当初の目標は達成したといえる。

 

 

 

 奥に見えるのは高野山中学校だろうか。

 道標というか、看板に導かれてフラフラ歩いてます。

 

 

 

 閑散とした商店街を歩くのはいいが、途中で道に迷う。

 高野町内で道標を見失ったので中ノ橋まで戻る。

 

 

 

 帰りに立ち寄った奥ノ院と中ノ橋の間の参道。

 何度も行ったことがある人ならおなじみの紅葉がきれいなところです。

 

 

 2019年11月2日(土)晴れ  気温9℃

 所要時間    4時間6分

 歩数       21584歩

 歩いた距離  13,16km