千手岳 | 空と海・・・ときどき山のブログ

 

 2月だったかな、

気温は2℃だった。

 私の登山活動がギリギリ一旦、終わる寸前が2月であり、

杉花粉が紀伊半島を北上し始める頃なので、たしかマスクをして

山を登ったと思うが、息苦しさに耐え切れず途中ではずしたと思う。

 

 ただでさえ酸素がうすい高山でマスクをして山を登る訳ですから

修行ですな。

 

 

 彼の地は久方ぶりにお邪魔すると日本遺産に登録されていた。

 日本遺産にふさわしい地だと思う。

 

 

 説明板から抜粋

村指定史跡 前鬼山由緒

 役の行者(小角(おづぬ))が大峯山を拓いた時

(白鳳三年・676年)その弟子、義寛と義賢の夫婦が

修験道の行場守護の命を受け、この地(前鬼)に住みついた。

(前鬼村誌)

 この夫婦に五人の子(五鬼)があって

五鬼熊(行者坊)・五鬼童(不動坊)・五鬼上(仲之坊)・

五鬼助(小仲坊)・五鬼継(森本坊)と称し、代々館を構え

連綿として、この修験道の聖地を守護して来たが

時代の変遷と共に、明治の末期からつぎつぎと姿を消し、今は

わずかに五鬼助(小仲坊)だけが残って、単身、千三百余年の

法灯を護っている。

                          下北山村教育委員会

 

 

 

 

 沢は二回渡ったと思うが、水は無かった。

 あれが前鬼川だったのかしら。

 853段あるという木製階段の下あたりはまだ天気が良かった。

 

 

 

 木の影に少し隠れているのが二つ石。

 この辺りから雪がパラパラと見えてくる。

 前鬼が大峯七十五靡の29番目、二つ石が33番目。

 私は千草岳(30)、小池宿(31)、蘇莫嶽(32)はまだ行けていない。

 前鬼から二つ石までで片道二時間だったと思う。

 

 

 

 

 毎度の事だが相変わらず、私は雪山登山装備を忘れている。

 しかも一人だから危険極まりない。

 岩と岩のすきまに雪が積もり、うかつに踏みつけると

そのすきまにすっぽりはまり、穴に落ちる可能性大。

 まさに落とし穴状態。

 

 

 

 アイゼンなしで歩く、この緊張感がたまらない。

 後ろ向きで3点支持で歩くといい。

 

 

 

 

 南国生まれの私に雪は神聖なものに映る。

 

 

 

 そそり立つ岩盤にへばりつくように千手岳(34)がある。

 周囲は崖に囲まれている。

 本来の目的地は、40番目の釈迦ヶ岳ですが

遠くの空を眺めると、どんよりとした雲が接近している。

 この寒さだと吹雪くかも知れないので逃げるように下山する。

 嵐になって、視界不良になって、もろに遭難して

一ヶ月後ぐらいに白骨死体を発見する遭難救助隊の身にもなれということです。

 文字通り仏さんになるかな。

 

 

 歩いた距離 9,89km

 歩数     16,219歩

 脂肪燃焼量   22.2g

(脂肪→死亡ではない)

 

 ふもとに下山すると、今までの天気がウソみたいに晴れ渡っていた。