テレビをつけるとあちこちで雪の被害が報告されています。
当地方は雪とは無縁の為、若干、のんびりしています。
先月、登ったこの山も雪とは無縁のようです。
前回からの続きです。
戦国時代、遷宮が行われず
荒れ果てた伊勢神宮を見た尼僧、
清順は諸国を勧進して
浄財を募り、宇治橋を復興し
永禄六年(1563年)には
外宮の造営と遷宮を成し遂げた。
続いて内宮の勧進を計画するが
永禄九年(1566年)に入寂する。
清順上人は三重県紀和町入鹿の
出身ともいわれる。
これより上り約280mの区間は
石畳を敷き詰めた
つづら折りの急坂が続く。
坂の名称を『七曲がり』と呼び、
昔からこの付近の地名(小字)に
なっている。
『桜茶屋一里塚』
一里塚は織田信長や豊臣秀吉が三十六町を一里(約4km)として
塚を築かせたといわれている。
尾鷲地方の一里塚は江戸時代中期の正徳二年(1712年)、
公儀巡見使が通行する際、これを整備したと記録にある。
分かりにくいですが・・・
大きな石が二つ並んでいます。
平たい方の石が蓮華石、
縦長の石が烏帽子石です。
蓮華石は八鬼山道の
道しるべになった。
脇にお地蔵様があります。
次回に続く。