熊野古道 八鬼山越えは『西国第一の難所』といわれ、
旅人に恐れられていた。
降雨が多い地域に加え、昔は険しい峠越えの山道の途中に
オオカミや山賊が出没したからだという。
その昔、旅人は伊勢参宮を無事に終えると
田丸(三重県玉城町)で巡礼姿に改め
西国第一番札所の那智山 青岸渡寺を目指した。
旅人が八鬼山越えの途中で倒れても
村人たちは国元へ訃報を出し
地元の負担で手厚く仮葬し、初七日の供養も怠らなかった。
八鬼山道には四基の行き倒れ巡礼供養碑が残っている。
八鬼山道は石畳道が多い。
行くときは気付かなかったが、帰りに通ると
案内板にも書いてあった『ゴットン石』があった。
『籠立場(かごたてば)』と
いわれる広場に着いた。
紀州藩主や巡見使(じゅんけんし=
地方政治の良否を視察した役人)が
籠を止めて休憩した場所です。
推定樹齢三百年のひのきが
あります。
次回に続く。