仲代達矢さん死去の報に触れ
以前、父に聞いた話を思い出しています。
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私の両親は離婚したため
父と暮らしたのは私が17歳のときまで。
その後は30年近くほぼ音信不通で
再会したのは父が晩年を迎えてからでした。
年をとったせいか
その頃の父の口から語られるのは
幼少時や学生時代の思い出が多く
どれもが私には初耳のものばかり。
そんな流れのなかで
出てきたのがこの話です。
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父は大学に入るために田舎から出てきて
世田谷のアパートで暮らしていました。
六畳一間か四畳半だったのか
学生向けの狭い部屋の窓際に机を置き
そこに座っていると
目の前の窓枠に外からひょいと腰をのせて
ひとしきりお喋りをしていく
そんなクリーニング屋の御用聞きがいた。
それが仲代達矢さんだったというのです。
AIで作ったので仲代さんには似ても似つかぬ顔貌ですが
当時のクリーニング屋さんはこんなイメージではないでしょうか。
「Mくん(父の姓)はいいなあ
田舎から上京して大学通いか
うちは貧乏だから
とてもそんな贅沢はできないよ」
よくそんなふうに言って
父を羨ましがっていたと。
調べてみたら
お父さまを早くに亡くした仲代さんは
さまざまなアルバイトをしながら
定時制高校を卒業したのち
二十歳で俳優座の養成所に入所したとのこと。
ですから父の話はその直前だったのでしょう。
二人はともに1932年生まれの同い年でした。
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俳優の道を歩みはじめた
仲代さんのその後の活躍は
皆さんもよくご存知のとおり。
一方、仲代さんに境涯を羨ましがられた父は
その後、大学を中退(除籍か?
)
人並みに家庭を築いて子はなしたものの
離婚により一家は離散。
老後は生活保護のお世話になり
11年前に亡くなりました。
(私が大動脈解離を起こす3カ月前でした)
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そんなふうに対比してみると……
人の一生ってさあ、
何がどう転んでゆくのか
ホントわかんないっすよねえ。
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末筆ながら
仲代達矢さんのご逝去を悼み
謹んでお悔やみ申し上げます。
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急性大動脈解離、心不全の体験をnoteで発信中
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