息子の自己紹介
⚫︎息子 しゅんくん
⚫︎2015年生まれ 令和6年の4月から小学3年生
⚫︎家族 パパ・ママ・ばぁば・しゅんくんの4人
⚫︎一人っ子
⚫︎令和2年4才の時に新版K式発達検査を受けて自閉スペクトラム障害・軽度知的障害と診断されました。
令和3年6才の時にWISC-IVを受けていますがIQは軽度知的障害の範囲でした。
⚫︎投薬治療などはしていません。
⚫︎療育手帳は持っていません。
⚫︎放課後等デイサービスに通っています。
⚫︎一度は特別支援学校に入学しましたが2年生の2学期から小学校の特別支援学級に転籍しました。
9月の終わり。
息子を連れて今度は小学校の体験をする事になりました。
この時も私たち夫婦の他に加配の先生にも付き添っていただきました。
園長先生から
と言っていて、どんな先生なのか期待していました。
この時期はコロナが特に流行っていた時だったので小学校も特別支援学校も見学する事に、とても慎重でした。
そんな中でも支援級以外に普通級の体験までさせてもらえると言われ、そうなったのは教頭先生の計らいがあったから…という様な事も言われた記憶があります。
さっそく小学校に着くと教頭先生と以前も案内をしてくださったコーディネーターのA先生、知的障害学級担任のB先生が出迎えてくださいました。
今回は教頭先生が先頭を切って指示をしてくださり、A先生は前回と同じで話し合いが行われるまで一緒にはいませんでした。
まずは原級の朝の会の時間に行ったのですが、一番後ろの角の席をしゅんの為に準備してくださっていました。
一応、しゅんはその席に座りましたが、その日の朝の会はテレビを見ながら運動会のダンス練習をするという事で、みんな席から立ち上がってバタバタとその場で踊り出しました。
しゅんは、ただボー然と席に座っていました(そりゃ、そうなる①)
しゅんの反対側の席には女の子が母親と一緒に席に座っていたのですが、この子は恐らく原級の子なのだろうけど何か理由があって母親と一緒にいないと落ち着かないのかな?とか思ったり。
次は支援級(知的障害学級)の体験に行く事になったのですが、ここで少し事件が起きました。
体験する知的障害学級へ向かって廊下を歩いていると、その知的障害学級の横の教室のドアが空いていて中に生徒はいなかったのですが、この教室に大量の小さなフィギュア?が置いてあったのです。
↑箱庭療法などで使われる様な大量の動物、植物、車、橋などのフィギュアが棚に並んでいました(この写真の4〜5倍ぐらいの量)
それを見たしゅんは「これで遊びたい!!」と言い出しました(そりゃ、そうなる②)
そこで先生たちや私たち夫婦で「とにかく隣の教室で勉強をした後で遊ぼう。」と言い聞かせると、しゅんは知的障害学級へ入って行きました。
しゅん用の席が用意されていて、そこにしゅんが座ると一斉に挨拶をして先生からプリントが配られました。
しゅんに用意されたプリントはぬりえでした。
でも、しゅんの頭の中は、さっきのフィギュアで一杯だったらしくササッとぬりえを済ませると、そのまま隣の教室に行ってしまいました。
ちなみに他の子供たちは騒ぐ訳でもなく、席を立つ訳でもなく黙々とプリントをこなしていて【いくら知的障害学級と言っても、みんな凄いな…うちの息子には難しいだろうな…】と思わされました。
しゅんが隣の教室へ行ってしまった事もあり、そのまま隣の教室へ移動して話し合いが行われました。
そこでA先生も話し合いに加わりました。
まず教頭先生が先程のしゅんの行動を見て
と言われてしまいました。
後日談ですが特別支援学校に入学した後、この事に対して特別支援学校の先生と話した時に
と言っていて。
何だか難しいです。
付き添っていただいた加配の先生が
と尋ねると
と言いました。
私はこの後、息子を転籍させる為に何度も知的障害学級を訪れる事になるのですが、私が見た限り、基本的に先生は1名しかいませんでした。
体育や移動教室などの時に支援員さんが助けに来る感じです。
そして、しゅんが体験させていただいたクラスは黙々とプリントをやっていましたが、この後にしゅんが転籍する為に通った知的障害学級は、もっと賑やかで教室やテラスから出てしまう子もチラホラ…
夫婦で【体験させてもらったクラスと全く違うじゃん…💧】と思い、私はあまりの違いに吐き気がしてしまいました。
※この吐き気は、さんざん支援級か支援学校かで悩んでいたのに実際は、こんなクラスもあったのだと知って怖くなったと言えばいいのか…表現が難しいです。
恐らくですが、息子が体験した知的障害学級は高学年の子で問題行動が少ない子が多いクラスだったのではないかな?と思います。
息子が転籍する為に通ったクラスは息子と同学年の子や低学年の子が多く、高学年の子は2人しかいなかったので。
A先生からも教頭先生からも
(小学校は)
「ちょっと無理。」
「ちょっと難しい。」
と言われてしまい、だんだんと特別支援学校へ就学する方向で考えが固まって来ていました。