あずまが丘公園&反射炉跡&河津桜で~~す(^^♪ | ゴママのまんま(^^♪

ゴママのまんま(^^♪

ゴママの気ままな日常ライフ(^^♪

 

 

 

 

 

私が趣味で作編曲してみた作品がいくつか残ってましたので聞いてみてくださいね♫ガーベラ

あずまが丘公園&反射炉跡&河津桜で(^^♪

 
水戸藩の江戸小石川邸の山上から移設された「山上門」です!!

1857(安政4)年、水戸藩営大砲鋳造所の大型金属溶解炉(2基)として建造。
1864(元治元)年、騒乱で破壊。 ・1937(昭和12)年復元されました。♪(*^o^*)

水戸藩の反射炉は、鉄製の大砲鋳造を目的として、安政年間に2基建造されました。♪(*^o^*)

水戸藩9代藩主徳川斉昭が国防の必要性を強く唱え、安政4(1857)年に築造。ここで鋳造された大砲は各地で使われ、幕府にも献納されたそうです。♪(*^o^*)

あずまが丘公園&反射炉跡・・・幕末、徳川幕府はここに、2基の反射炉を作り、20門以上の大砲を鋳造したという。
反射炉とは・・・火炎を炉内で放射させ、1200℃~1600℃の高温を効率的に保ちながら加熱し鉱石や金属を製錬鉱石や金属を精錬、溶解する炉のことを言います。

あんずの花が綺麗に咲いていました~~^♪(*^o^*)

椿♪(*^o^*)

河津桜♪(*^o^*)

反射炉とは火炎を炉内で放射させ、1200℃~1600℃の高温を効率的に保ちながら加熱し鉱石や金属を製錬・溶解する炉のことです。 幕末、日本沿岸に船影を見せるようになった外国船に対抗できる西洋式大砲を鋳造するため、水戸藩第9代藩主徳川斉昭により築造されました。斉昭公は海防意識が特に強く、武装強化による国防の必要性を強調していました。 ここで造られた大砲は各地の台場へ据え付けられ、幕府(お台場)へも献上されました。♪(*^o^*)

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

にほんブログ村 音楽ブログ 作曲へ
にほんブログ村

 

▲「にほんブログ村」の、「作曲」に参加しておりま~す♪

▲ポチっと応援よろしくお願いします

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+