(2023年9月FB掲載)
先日、「語ルシストの会」の9月の定例会を開催したので報告を兼ねて所見を記載します。
今回は、「認知症状ではなく、その人を支える」というタイトルで、サブタイトルが『~あなたは専門職として「認知症状」を支えているのですか?認知症状を持ってしまった「私」を支えているのですか~』という福祉に限らず社会における人間としての存在に対するラジカルなスタンスで話をしていただいたことで、自分自身の支援を振り返り、気づきのある講話の内容でした。
講師は、居宅介護支援事業所 心の音主任介護支援専門員、定期巡回随時対応型訪問介護看護 心の葉管理者、宮崎市の認知症チームケアマネジメント推進事業の主任協力員の畠中貴憲氏でした。
エピソードとして5例の事例を挙げていただき実際のトラブルを通してケアマネとしてどのように対応することが利用者及び地域住民として一人の人間として認められることになる解決策なのか、模索しながら従事されている姿勢を感じるエピソードでした。
・不安になったときの行動で起きるトラブル。
・社会生活で買い物先のレジの変化によって起こるトラブル。
・現金がないことで 起きるトラブル。
・トイレが詰まったことで起きるトラブル。
・外出して帰りが分からなくなることで起きるトラブル。
上記のトラブルに関した内容を話していただきましたが、それ以外にも日々の生活では色々なトラブルが起きているのが当たり前であって、順調な日々を送っている証だということで、真摯に向き合って最善を尽くして対応策を考えながらケアマネの職を担っておられるのを感じたのである。
そのような中、極端な話、認知症によって起きるトラブルに関して、関係者によっては出入り禁止や外出させないでくれということを言われる方もいるのですが、その方策によって家に籠ることで当人の社会生活機能が極端に落ちて寝たきりになるという最悪の人生を選択させられるということだけは避けたいということで、当人にとって地域でいつもの生活ができるような最善の解決策を関係者の方と話し合っていくというスタンスで取り組まれていることに事例を通して知ることになり、あくまでも地域生活する上で当人を囲んで、周りの関係者と排除ではない関係を維持するための最善を模索するための話し合いが地域支援の基本だと再認識する。
リスクがあってもそのリスクを最小限に食い止めるための医療・福祉の支援であり、リスクがあるからといって拘束や隔離や薬物で閉じ込めるという非人道的な行為を如何に避けてオール地域で支援できるか、が支援者及び関係者の支援に対するスキルやセンスが問われている現実である。
日本では、地域での生活を基本に考えた支援ではなく、心身に問題があれば排除したり、隔離するという論理がまかり通っているのも現実で、国の基本的な施策として地域支援を重点的に実施すれば、排除の論理や隔離といったことによって、人を人として認めないような介護施設や精神科病院は必要なくなると思えるのであるが、利権団体などによって利益至上主義の民間が後進的な運営(隔離的で人権侵害など)によって成り立っているので、地域支援が遅々として進まない現状であり、接触体験がないことでいつまでも偏見や差別的言動が後を絶たないで、解消されない原因でもある。
個人的には、大施設の弊害である管理的支援ではなく、地域で自分に合った支援を選択出来て、24時間寄り添ってより密着した小規模多機能施設による自宅への訪問看護や介護を受けながら通所できることで安心した地域生活を送れると思える。
そのような施設に子供の支援施設や障がい者の就労・日中支援施設やカフェなどを併設してトータルに多様な地域住民が寄り添って集える居場所があるといいな~と妄想している。
事例の資料は、宮崎もやいの会のHPに掲載されています。