かけ算の順序問題とは
「かけ算の順序問題」というのをご存じでしょうか。
簡単にいうと,「3×4」と「4×3」は同じなのに,式を逆に書いたら×にするのはおかしい。という話です。
おそらく,殆どの方が3×4という式をイメージされたのではないかと思います。
しかし,このように並べてみれば,4×3とも,3×4とも解釈できますし,
ぶっちゃけ「どっちでもいいんじゃ?」と思われる方もいらっしゃると思います。
僕も個人的には「どっちでもええ派」なんですが,教師としてお子さんに導入する場合は,3×4という考え方を優先します。その理由は後ほど述べるとしますが,この議論は1970年代から延々と続いているそうで,SNSの時代になってからは,この手の議論好きの人達にとっては格好のネタとなってきたという経緯があります。
まあ,そんなことはつゆ知らず,先日東洋経済の記事が上がっているのに対して,以下のようなツイートをしたところ…
コージー先生 (@cozy_sensei) October 16, 2021
数名の方から,「どういう利点があるんですか?」
という感じで同じようなリプライが複数あったので,
(まあ,この時点で悪意を感じてはいたので少々ぶっきらぼうな返事・・・w)
https://twitter.com/cozy_sensei/status/1449329291808833538?s=20
コージー先生 (@cozy_sensei) October 16, 2021
という感じで返信。
しかし,これがマズかったようで,彼らの嗜虐心に火を付けることに😅
1万以上のフォロワーをお持ちの某国立大学助教授というような立派な肩書きをお持ちの方まで参戦し,しかもその方が中心になって,僕の返信を連続リツイート。
論破そのものが目的でこういう話に絡んで来る人達は,土台相手を理解しようというような心がありません。
最初は僕も反論していましたが,すぐどうでも良くなったので,無視&放置w
そのまましばらく無抵抗でいたら,いつの間にかこんな感じで,次々と仲間を呼び集めての集団リンチに発展していました
どうやら,彼らにとってこのネタは,格好のエサだったようで,過去ログを漁っていくと,同じように集団リンチの被害に遭っている人が他にもたくさんいることがわかりました。
このときの不毛な議論とリンチの様子を見たい人は,Twitterからアクセスできます。
グロいのであまりおすすめはしませんが・・・笑
曰く,
「かけ算の交換法則は常識である。児童に非常識な感覚を植え付けるのか」
「コージー先生は教育的に非常識で有害である」
「×をつけてもよいと公然と述べることは,子供を精神的に殴る大人を擁護する行為」
「コージー先生は割合の3用法を公式で教える困った先生」
などと,むちゃくちゃなことを書かれまくったので,一応プロとしての僕の考え方を明確に表明しておく必要を感じたので今回の記事を書いています。
かけ算の順序を固定する意味合い
僕は,数学的に考えれば一方の式を×にするのは,おかしいとは思うものの,
小学校でかけ算を導入する際,「AがB個ある」という文章において,
「何が」「何個ある」のかを子供達が意識できているかどうかを確認するために,先生が式の順番を指定するケースはあると思いますし,それを妨げる理由はないと考えます。
ただ,このようなローカルルールを,成績に反映するような公式なテストには適用すべきではないという立場です。
やはり,数学的な理屈はローカルルールよりも優先されるべきだと思いますし,採点者による不公平が生じるのを避けるためです。
ローカルテストとパブリックなテストで○,×が変わるのはダブルスタンダードじゃないかという批判もありますが,それはアンチ派のレッテル貼りに過ぎません。
教室という閉じた環境の中では,一時的にその場限りのルールが適用されるケースは算数に限らずある事ですし,「子供に嘘を教え込むのか」というような批判も的外れです。
「今,この場限りにおいては,『何が』は,”×”の左に書くルールだよ。」
と,一言断ればいいだけの話です。
かけ算の交換法則(2×3=3×2)は九九の中で触れる事になりますし,先生がローカルルールで授業することが子供の解釈を妨げるとは到底思えません。
(実際我々大人も子供の頃に,おそらくそういう授業を受けていたはずですが,2×3と3×2を硬直的にしか捉えられない頭にはまったくなっていないわけですし・・w)
中学受験的にも意味がある
また,このように,かけ算の順番を区別するのは,5年生以降,「単位量あたり」や「割合」を勉強するときには重要になります。
たとえば,
「300gのケーキを3割食べました。何g食べましたか。」
という問題。
中学受験生でも,割合の学習初期では300÷0.3とする子がけっこういます。
これは,「何が何個あるか」ということを,文章題の中で意識できていないから起こることです。(それと,3割の「割」が割り算を想起させてしまうというのもあります。)
ケーキが1個あることを×1と表す,「3割食べた」はケーキの0.3個分を食べたことだから,×0.3である。
こう考えるには,ひとまとまりになっているものが何なのか?を理解しておく必要があります。先ほどの皿の例だと,お皿1枚にのった3つのみかんをひとまとまりにするということです。
多少”硬直的”な考え方であるのは否めませんが,まずは「○個分」という考え方が小数でも分数でも成立するんだということを感覚的に掴まないことには,なかなか次のステップに進むことが難しくなってしまう子がいるのも事実です。
杓子定規に学問的な普遍性に拘り,現場での事情をまったく汲まないこの手の批判は,それこそ昨今問題になる「モンスター○○」そのものではないでしょうか。
小学校というところは,具体的,日常的感覚を育むことが学習面での主な目的です。
学問的な普遍性の探究は,中学校から徐々に始まっていき,大学がその役割の中心を担います。
ですので,小学校では日常の「感覚」を重視するのは当然です。その1つとして「何が」「何個あるか」をかけ算の順序に対応させて導入することは,まったく理にかなっていると思います。
幼児に一寸法師の話を聞かせるときに,「一寸法師の一寸とは〜3.08cmで〜」とか言わないように,人が物事を理解して行くのは段階があるんです。
そして,その時々にその段階に応じた「方便」というものがあります。
かけ算の順序というのは,そのような方便なのであって,学問的真理がどうのこうのと持ち出す人は,まったくの見当外れと言わざるを得ません。
一応断っておきますが,子供が逆のかけ算を発想するなどの自由を禁止すべきだと言っているのではありません。
ただ,小テストなどのローカルテストにおいては,ちゃんとルールを提示し,そのルール通りに式を書かなかったときに,×にするというのは,べつにアンフェアなことだとは思いません。まあ,自分が学校の先生なら式の×はつけないですけどねw
果たして本当に問題だったのか?
今回,このような議論に巻き込まれたことで,改めてこの問題について考えることになりましたが,上でも述べたように,恐らく我々親世代も,かけ算の導入段階では,「AがB個」をA×Bとするような指導を受けて育った人が多いと思います。
ですが,普段この事を大きな問題だとは認識していないはずなのです。
普通の大人は,中学,高校と進んでいく中で,もはや固定された順序を「方便」であると理解しています。
一部の人が,ネットなどで×にされた答案を晒して騒ぎ立て,さらにそこに偏執的な人達が絡んで来て泥仕合が始まった。
過去のいろいろなやり取りを見ていると,僕にはそんな風にしか見えなかったです。
僕は,もっとも理解させることが難しいケースから,すらすら抽象概念の獲得まで進んでしまう子まで様々な子供達を教えてきた経験があります。
なので,いろいろな授業のパターンの引き出しを持っていますが,今回のツイートで書いた事は,どちらかというと学校の先生達のやり方を理解できるよというメッセージを送ったつもりだった。
また,俯瞰してみると,この問題を執拗に批判している人達は,どちらかというと理系脳の人が多いかなという印象を受けました。また,逆に擁護的な意見を書いている人は,学校畑やそれに準じる人が多いような気がしています。
理系脳な人達が言う事も理解はできるんですが,それはあくまで大人相手の話で,そんな理屈で上手くいったら現場は苦労してないでしょと。
ですが,次々湧いてくるアンチな人達は,そのような擁護的考え方の存在そのものが許せないといった調子で,僕の指導がどんなものかまったく見たことも無いくせに勝手にレッテル貼りして攻撃してくるのだからほんと始末に負えない。
それにしても,今回は不毛な議論に付き合わされました。
いい年した大人が,「桃太郞の桃は桜桃か?白桃か?」
みたいなことで揉めてるわけですからね。
そんなもん,幼稚園の先生の好きなように話してもらってたらええやん!
というのが,僕の結論です。
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