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君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは。ルシファーです。

◾️4/9 池袋エッギありがとうございました件

御来場の皆様も、諸々で来られなくとも思念体となって意識を召喚されていた皆様も、ありがとうございました。

なんだかんだ我々はこの状況下でも毎月ステージに立たせていただける機会を得られているのは、大変幸せ者だなあと改めて思うタイミングでございました。

しばらくあった薄い膜もとれまして、直接同じ空気の中にいられる感覚というのは、やっぱコレだよな。。的なテンションの上がり方をしました。
なんか、そこに強く強くこすりつけるような歌い方をしてしまったせいで、ぼくの歌は声にならずに頭ん中で「もう歌えなくなってもいい(くらいのつもり)」と思ったら口から言葉で言ってしまいまして、あっ誤解されちゃうと思って言い訳をしだしたあとのくだりが、奇跡的にダチョウ倶楽部さんのような絶妙な間合いになって、結果めっちゃ面白かったと思います。
わざとだとできないんですが、あの瞬間だけは熟練のリアクション芸人顔負けだったなと自負しており、ライブってそういう奇跡が起きるからやめられないですよね。

◾️新曲聴いてくれましたかの件
そんなライブで初披露の新曲、「Still hungry」のラフミックスを、なんと!なんとなんと!無料で配布しております。
パンクカルチャー全般からの影響がアイデンティティとなっている我々ですが、スカ/レゲエは実はパンクと密接な関係がありまして、ぼくらも「サラバ」や「Tokyo」のアルバムのほう、最近だと「終身刑」なんかが、音楽的にはそういった分脈のうえにあります。
これも、わかる人にはわかるけど恐らくノストラダムスのリスナーの皆様にはあまりなじみのないはずのところからのオマージュやパロディに富んでいたりするので、ドサッと解説するときまで、皆様なりにあれかなこれかなと考えてもらえたら嬉しいです。

否、考えずとも鼓膜で聴くだけで楽しい楽曲なので、たくさん聴いてくださいね。

アルバムはもう99.89%完成しております。

◾️緊急企画!ルシファーさまの育て方!
実家が実は引っ越しまして、縁もゆかりもない知らない場所に帰る、という奇妙な小旅行をしてまいりました。
引っ越し作業で、ぼくの子供のころの通信簿が出てきたので、未来の天使たちを堕天させないようにするための教育改革へ向けて、何らかの手がかりにして頂きたいと思います。
これは東益津天界小学校1年生のときのものですね。
めっちゃいい子じゃないかぼく!!
ただ、生活態度のところを見ると、やはりADHD的傾向があるんだなと窺えます。


2年生で転校する前最後のコメントのようです。
1年生のときより周りに馴染んで明るくなったのが窺い知れますね。
手作り本についてはもう658年くらい前のことなので全く記憶にないですが、何かつくろうとしたんでしょうね。
あっ、なんかごんぎつねのパクリみたいな話を考えていた気がします。
たぶん誰か死なないと気が済まない世界観というか、死によって何かが変わるんだ、ということが前年の祖父の死で心に残り、それは今もあるのだと思います。


厚木市立スラム第二天界小学校に転校しました。

ユニークを連発されています。
この「ユニーク」は後年他の先生も書いているので、ユニークだったんでしょうね。
生活態度で優しさや協調性が評価されていないのは、転校の影響が大きいのかなと自分では思います。
あと相変わらず多動や注意欠陥の傾向はあるようです。


3年生になりました。まだユニークなようです。
便利な言葉ですよね。
あとは、手伝い係の謎さもあれど、明らかにADHDの傾向がある子供に落とし物がかりやらせるってどういう神経してんだとツッコミたくなりますね。
理科が好きだったようで、小学生ながらマッドサイエンティスト的な動きもしていたようです。
早くも中二病の前兆があらわれています。


4年生になってもまだ落とし物がかりやってる。。
落とし物するのが仕事の係だったんでしょうか。

難しいのは、子供の頃に「苦手だという誤解をなくす」というのは、その後の行動範囲を拡げることになると思うんですが、「苦手なままやりつづける」は、トラウマや放棄に繋がるよなーとも思います。
「克服」を「ぶつかって乗り越える」みたいな、気合いと根性至上主義に裏打ちされたニュアンスで捉えている大人って結構いると思うんですが、ぼくはちょっと違うと思っていて、本当に苦手というか、機能的に出来ないことについては「回避する」とか「他で賄う」を生きる知恵として習得することのほうが大事で、それこそが克服の本質のように思います。
このあたり、差別の問題と実は繋がっていると思うのでまた改めて思うところを書きたいですね。

あと、リーダーシップ的なものが3学期に芽生えたようです。

5年生になっても、まだユニークです。

注目したいのは、「ぼく、音楽が好きかもしれない」と認識しだしたのがこのときの夏休みで、そのあとから「前向きに、明るい心で楽しく生活する」から○が消えたことですね。

このあたりで思うのは、教師は、その子に力が付いた(何なら付けた)と思っているんだな、ということです。
ずっと見てくるとわかるように、ぼくは少ないとも7才の時点で本質的には変わっておらず、発達はしているけど、無かったものを得た様子はないように思います。

6年生になりました。
この夏にぼくは「ぼくはロックが好きだ」と気づいたのですが、その結果、算数がよく理解できるようになった(ように見えた)という謎の効果が現れています。

さらにまた環境美化委員会って、たぶん顔面がジャニーズっぽいと言われていたころなので美化を勘違いしたのかなと思います。

配り係ってなんだよ!!!!

中学生になり、思春期を迎え、滅びるはずだった世界はのうのうと続くことがわかり、エレキギターやベースにのめりこんで、腰パンしてみたり髪の毛にワックスをつけてみたり、今思えば非常に不安定な時期だったなと思います。
ここまで見てきてわかる通り、集中力がないのではなく非常にムラがあって、それが先生にとって望ましく見える場合は好意的に評価され、そうでないときは低い評価になる、ということがわかると思います。

社会的な価値とはそんなものでしかないと思います。

そのときあなたが所属する世界に有益な働きをすれば、良い評価になります。
逆にどんなに優れていても、有益でないとみなされれば評価は下がります。

ただ、それはぼくやあなたという存在それ自体の尊さとは無関係だということです。

その尊さは、何者にも否定できないものです。
仮に自分自身からであっても。

だから、自分の尊さを知ることで、相手もまた同じように尊い存在であることを認識していれば、自ずとリスペクトあるコミュニケーションになっていくはずであるとぼくは思っています。
その尊さへのリスペクトがあったうえでなら、どんな批判をしてもいいと思います。

しかし、リスペクトがないなら、褒めたり賛同したりすることすら、本当はすべきでないと思います。
リスペクトがないまま相手を否定するのは、攻撃であり暴力だと、ぼくは思います。

学校や職場、もしくは家庭での評価が気になってしまって、自尊心が傷ついたり、それによって希死念慮に囚われたりすることってありますよね。
でも、ここに1人、あなたの生命の尊さを知ってるおじさんがいます。

ちなみにぼくは皆さまからの評価を気にして生きていて、ディスられると秒で自殺するタイプなので、リスペクトと高評価、チャンネル登録をよろしくお願いします。















こんばんは、時間軸を駆け巡るルシファーです。

◾️やべえ赤ワインハマったわこれの話
あれから色々調べるうちに、どうやらカルディーのワインが安くておいしい、という噂をそこかしこで聞いて、とりあえず説明書きを読んで興味を惹かれたものをガシガシ買ってみました。
一番左のが一番高いけど2000円台で、あとは1000円するかしないかくらいでした。
なんとなくこないだのフランス料理屋さんがブルゴーニュなんちゃらって言ってた気がして、それは最後に飲もうと思います。

左から2番目のやつは、カルディーで長らく売り上げ本数一位のやつだそうです。
これが非常においしいなと思っていたら2晩で無くなってしまっておどろいています。

で、一本だけ白のスパークリングにしたんですが、これはあんまり味がしないなと感じてしまいました。

今は一番右のやつを飲んでいるのですが、もう半分なくなっちゃって、元々アルコール自体そこまで量を飲むほうではないので本当に驚いています。
ちなみに、味の違いは、一番売れてるやつのほうが苦い味が少ない気がしゅる、というくらいしかわかりません。
多分ほとんど違いはわかりません。
でも両方うまいぞ!!

気づいたら日中もワインのことを考えてしまったりするので、ひょっとしてアルコール依存なんじゃないか心配になって調べたら、毎日一本あける人も結構いるみたいで、まあそれはさすがに良くない気がしますが、気持ちはわかるというか、世界中で古来から飲まれてきたものだしなあというのが理解できた気がしております。

ほどほどにしつつ、今後も色々試してみようと思います。

目下の悩みは、ぼくはコルクを抜くのがゴリクソに下手で、今のところ開けたのは全てギタギタになってしまっています。
YouTubeとかで開け方の動画を見てその通りにやってるつもりなのだけど、うまくいかなくて毎晩ブチギレてます。

追記、近所のスーパーで特売品のワインが600円くらいだったので調子に乗って買って飲んでみたらおいしくなかったです。え、醤油入れた??みたいなお味。ショック。

◾️ルーキーズの話
少年ジャンプで連載されていた、不良少年たちが良い先生にほだされて甲子園を目指すという漫画が、10年ちょっと前くらいに実写ドラマと映画になって、ぼくは漫画のほうは全く読んだことがないのですが、ドラマはすごい好きで、劇場版も観に行ったんですよ。
今考えるとすごいキャストですよね。

仮面ライダー電王、ウルトラマンメビウス、浦島太郎、巨大不明生物災害のとき避難誘導をしてた消防士、記憶を書き換えるSPECホルダー、チュー、リリィシュシュ好きの偶然にも最悪な少年など、個性豊かな生徒の面々に、若い頃は池部西口公園でブイブイ言わせていた中国出身の純朴なモラハラ夫が先生という布陣。

それでいて展開や演出はめちゃくちゃベタに振り切っていて、思ったようにコトが運んでいき、しっかりあるべきと思えるところに着地する感じが痛快で、俳優陣(特に小出恵介さん、市原隼人さん、桐谷健太さん、上地雄輔さん、遠藤要さん)の演技が絶妙だからこそ嫌味を感じずに観ることができてしまいます。

連ドラの最終章を映画でやるパターンの作品で、映画版は特に演出がくどくて話が鈍重とか、感動ポルノ的だと言われて酷評されていたりもするのですが、ぼくは映画も好きです。
演出がどうとかよりは、テレビ版も含めて、こういうアウトローが中心に来る学園モノとかって、普通に見えるし勉強したいと思って来てる良い子たちがおざなりになりがちだよね、、という問題のほうが気になってしまいます。
しかし、それって現実の学校にもある問題だと思ったりもするので、ドラマとして観るうえではあんまり気にならなかったりします。

テーマとして「夢」があると思っていて、夢(≒すぐには手が届かない自分のための目標)があれば、そのために努力することになり、ハードルを乗り越えていくことで何にでも通じるような人間力が鍛えられ、成長できるということを伝えてくれている寓話だとぼくは解釈しています。

この「夢」というのは、2000年代に非常にもてはやされた記憶のあるワードで、「仲間と大なり小なりの夢を追う」というプロットの物語がそこかしこに溢れていたなと思います。
例えば「人にやさしく」とか「ウォーターボーイズ」は代表格だと思います。
今なお絶大な人気を誇るワンピースも、基本的にはそういう物語だと思います。

テン年代に入って、そういうのがまた飽きられたのか夢がどうこうみたいな話ってあまり見なくなって、特に2011年以降は、夢をもつこと自体に一定のハードルが発生しているようにすら感じます。

まさしくTHE NOSTRADAMNZのバンドキャラクターって、そんな「ポストあの頃見ていた夢」的なポジショニングを図らずもとっているように思います。
2000年代に、どう言い訳しようと、あの頃ありふれていた夢追いフリーターたちの中で、たまたま往生際が悪いまま今も本気で音楽やステージを作りたいスリーが集合した結果でしかないバンドですよね。
そんな我々、来月バースデーレコ発ワンマンをやるんですよ。
本気で甲子園目指してるんで、是非是非お越しいただきたいです。

唐突にCMを挟みましたが、ここまで書いてから随分と経ってしまったがために、ルーキーズを引き合いに出して何の話をしたかったのかを豪快に忘れてしまったので、また思い出したら書きます。

とにかく3月から4月を跨いでは、制作に明け暮れつつも夜な夜な赤ワインを飲んではベビーチーズを齧りつつルーキーズを観て過ごしました。

◾️手抜きの件
ぼくは、手を抜くってのがどういうことなのかよくわかりません。
手抜き工事、とか、踏むべき工程を飛ばしている、みたいなことなのは理解しているのですが、例えば仕事などで「本気を出していない感」を出す人いるじゃないですか。
随分と器用だなと思います。

660代に入ってからくらいだと思いますが、全力を尽くさないことって格好悪いなって感じるようになったんです。

疲れて雑になっちゃうこととか、求められることがハイレベルで諦めちゃうとか、単にやりたくないとか、そういうのは全然あると思うんです。
でも、それを含めて全力であって本気だと思うんですよね。
そういった全てを含めても、可視化された結果でしか自分の実力って測れないんじゃないかと思います。

努力が大切だと言われる世の中だけど、努力って実らないこともあるし、努力自体は目的ではなくて手段のはずだと思います。
その上で、本当にそうありたい状態のためにする努力は尊いとぼくも思います。

でも努力以前に、本気で向き合うことと、全力を賭すことのほうが、ぼくは重要だと思います。
否、結果が気に入らないものだったとしても、それが自分の全力であり本気であり実力であると認識することが、めっちゃ大事なんじゃないかと思います。

そうじゃないと、「自分はまだまだこんなもんじゃない」と自他を欺き続けることにカロリーを使うことになります。
それって愚かというか、自分の幸福に対して無駄だと思います。

自分の限界から逃げ続ければ、逃げることにカロリーを賭しつづけなければならないし、すべき努力にも至らないし、結果夢や目標からはどんどん遠ざかっていくのではないかと思います。

そしてぼくは、散々な結果だったとしても、それに対して「本気の全力でやりました」といえる誠実さをもっていたいです。
なぜならそのほうがかっこいいと思うからだ。

◾️ゆたぼんさんの件
1年前くらいに取り沙汰された時から気にはなっていたんですが、また話題になって、どうしても触れておきたい気持ちになりました。

ゆたぼんさんについての説明は検索などしていただくといくらでも出てくると思います。

前提、ぼくは彼が学校にいかないことについては全然構わないと思います。
保護者が了承していて、他の子供たちに危害がなければ、ひとんちの子なので問題ないです。

でも、是非は置いといて、ぼくには彼が、おそらく意識してるでろうルフィー的なキャラクターではなく、碇シンジ的なキャラクターに見えます。
他人が怖くて、逃げてしまったのだと思います。
そして、そのまま戻れなくなってしまったんだなとお察ししています。

一度宿題や先生から逃げてしまったことで「お前だけずるいよ」と言われる立場になってしまい、更にそう言われるのもまた苦痛になってしまい、学校に行けないのではなく、学級の中に居られない状況になってしまったんだと思います。
なので、ある種人間関係のリセットのために遠くへ引っ越したんだと思うのですが、遠くに来たら当然知らない学級の子供たちしかいないし、言葉やノリも違うし、それはもう学校には行けないと思います。
早い話、学級という存在に対して、いわゆる逃げ癖というやつがついてどうにもならなくなってしまった状態にあるんじゃないかなと思います。

勝手にですが、その気持ちはよくわかるというか、ぼくも幼少期に人間関係のリセットを何度か経験しているので、ここでいう人が怖い感覚が、子供にとっては大人の想像を遥かに超えるレベルでめちゃくちゃ怖いことだというのがわかります。
660年近く経った今でも、ぼくはその恐怖感を少しだけ引きずっています。

でもぼくは、親が学校に行かないことを許容しないだろうと感じていたから、逃げる発想に至りませんでした。
学校なくなったらいいのに、とか、前の学校に戻りたい、とか、その程度でした。
そして、その程度なら割と誰もが思ったことあるんじゃないかと思います。
つまり動機は珍しいことじゃないということ。

珍しのは、不登校の動機ではなく、誰もに訪れる恐怖を回避することが許容される環境のほうだよなと。

証拠に見えるのが、ゆたぼんさんが見えるところで交流している相手は、自分を子供として扱ってくれて、決して傷つけてこないと保証されている大人がメインだよなあというふうに見えます。
これは他の子供にとってもあまり怖くないと思います。
ぼくだけだったらアレだけど、子供の頃って子供のほうが怖かった。
大人はそんなに怖くなかったなと思うんです。
子供のほうが平気で残酷なことしたりするからです。

ここまでは全然いいんです。

ぼくがすごく嫌だなと思ったのは、「先生の言うことを聞く学友がロボットに見えた」ということと、「卒業証書を破った」ということを、まるでかっこいいことのように誇らしげに語る様子を誰でも見られるメディアを使って堂々とやってることです。

頭悪いなと思いますよね。
誰もが名前をもつ、一人一人ちがう誰かなのに、「ロボット」と無機物に喩えて十把一絡げにしてしまうところとか、ろくに学校に来ない子供のために卒業証書を書いてくれた人がいることを全く想像せずに、平気で無碍にすることを恥ずかしいと思ってくれと、ぼくは思います。
ロボット発言も、卒業証書破りも、クローズドで個人的にやるぶんには全然構わないと思います。
知る由もないものそんなの。
もしくは、ヒールとして、悪人としてやるなら良いと思います。
だって良しとされないことだと自覚してるんだもの。

自分にとって都合の悪ければ、人の優しさや情けも無碍にできてしまうんだなーと、ぼくは心底軽蔑します。

同じように、彼が大人になったとき、過去の自分を呪うようにならないといいなと思います。
結果、彼が大人になった暁月に、あの頃の自分を心底恥じて、それが本人や世界にとって良い方向に進むなら、結果オーライだと思います。

ただ、そうでなければぼくは心底軽蔑します。
嫌なら見るなって話でしかないと思うんですが、人を軽蔑するのっていい気持ちはしないので、どこかしら希望を見出したくて色々見てしまいます。
今のところはあのコンテンツに対して軽蔑しかないです。

自分の人生なんだから自分の自由、という声が聞こえてくる思いですが、それを公に出すからには、軽蔑する人の自由も受け止めることになるんだぞ、とも思います。

いずれにせよ良い結果になることを望みます。

◾️差別の話
このゆたぼんさん問題と、マスク拒否男問題と、車椅子乗車問題と、ジェンダーギャップや人種差別の問題は、ぼくの中で一本の線で繋がっています。
次回あたりでなんとか言葉にしたいなと考えています。

◾️病気の話
最近ちょっと左耳がおかしいな、と思っていて、寝たら治ったりしてたんですが、なかなか治らないなと思って今日病院に行ったのですが、どうやら低音障害型感音難聴というやつなんだそうです。
これがずっと続くとメニエール病と呼ぶことになるそうですが、名前の仰々しさに比してぼくはごくごく軽度というか、傾向があるから早めに治しておきましょうということになりました。
今のところ、耳が変な感じがしゅる!のと、ちょっとフワフワしゅるかも、、、というほかには症状は無いので、あまり心配してほしくないんですが、左耳に障害あることを告白するルシファー様とか、なかなか乙というか、キャラクターに厚みが出るんじゃないかと思う反面、本当に同じ病気で苦しんでる方に失礼だよなあという気持ちもあり、それでも少しだけ心配されるぶんには嬉しいのと、言わずになんか変だなとかなって察しのいい方から要らぬ憶測を生むのも嫌なので、ここまで読んでくださった熱心な方にはお伝えしておこうかなと思っています。
660才にもなれば身体に変調も出るでしょうけど、大きな音が良くない!とかは、通常以上はないらしいので、ライブに支障が出たりすることは今のところないと思います。
とはいえせっかくのニューアルバムを最高のコンディションで楽しめないのは残念なので、皆様におかれましては是非是非げんきっこクラブで楽しんで頂きたいなと切に願っております。

とはいえ、左のロー帯域がなくても充分めっちゃ素敵なアルバムなので、マジで真面目に傑作だしオススメです。

あとメニエール病で広く使われるシロップ状のおくすりがあるんですが、非常においしくないです。
それでも、割とケミカルな味って好きなほうなので、最初からその手の味が苦手な方はもっと大変なんだろうなと思います。
ぼくは、まあ飲めるんですけど、飲んだあとの後味の苦さは結構受け付けないなと思いました。
皆様もお気をつけください。
原因はわからないみたいなので気をつけようがないけど。。

また次回!





















こんにちございます。ルシファーです。

つれづれなるままに。

◾️春だがや
さくらさいたらいちねんせい!!という感じで、だいぶ寒さも和らいで、風がびゅんびゅん吹く日もあり、春だなあと思います。

春になると、人間の頭って結構イカれがちだと思うので、冬に鬱々としていたぶん、些細なことで猛烈に腹が立ったり、無性に誰かを攻撃したくなったり、自殺したりしがちだと思うんですが、夏くらいになればtrfとか聴いてイージードゥーダンスしているはずなので、各位には早まらず、朗らかに過ごしてほしいなと思っています。

なんか、今年の春は中学を卒業して高校に入る頃の卒業式〜春休み〜入学式を思い出すことが多いです。
通ってた塾でできた友達とカラオケに行ったり、なんとなくファッションが気になりだして自分なりにオシャレを頑張り始めてやたらドクロマークがあしらわれたものを身に付けたり(死にたい)、なんならアイラインを引いて街を歩いてみたり(死ね)、ギャッツビーの香水を付けてみたり(死んだ)、そういう時期でありました。
ちょっとその頃塾で知り合った女の子といい感じになってみたり、でもその年頃の男子の例に漏れず性欲の権化だったので、今思えば非常に失礼極まりないことを言ってしまったり、その子もいつのまにか母親になっていたり、時間がすぎるのは本当にあっというまだな、というのを感じます。

それでも、毎年同じように桜が咲いて、同じように散ります。
緊急自体宣言であろうが、それが終わろうが、ぼくやあなたが生きようが死のうが、春になると風がふいて、桜が咲いて、ああ、なんて綺麗なんだろうとか思いますよね。
幹に近づくと、毛虫やナメクジがいて、うひゃーってなったりもするけど、車窓から眺める桜並木の下には、誰かがジョギングをしていたり、写真を撮っていたり、子供がかけまわったり、それを親御さんが微笑ましく眺めていたり。

でも気づいたらきっとまた春は終わってしまって、雨が降って、死ぬほど暑くなって、かと思えばまた雪の予報が出て、その頃には春がどんな季節だったか思い出せなくなったりして。

でも、また桜が咲いたら「春だな」と思うんでしょうね。
これは予言です。

ぼくらは、あと何回春を迎えられるんでしょうか。

だから、まいにちをしっかり大切に生きて、また来年桜が咲いたら「ああ、綺麗だな、来年も見られますように」と思いたいですね。

◾️花粉症の話
そんな、吐き気がするほどロマンチックな春とセットで訪れるのが花粉症ですが、今年はマスクをつけているせいもあるのか、例年よりだいぶ症状が少ない気がします。
あとは、ぼくの花粉症の諸症状の根源というか、つらみが深いのはかゆみだな!と感じ、かゆみ止め系の薬を飲むようになったんですが、これも良い方向に作用したのかなと思います。

ちなみにここ数年で、抗ヒスタミン薬は第二世代と呼ばれる、眠くなりにくいという謳い文句のものが主流になってきていますが、ぼくはあまり効果を感じませんでした。

とにかくがっつりヒスタミンに抗ってかゆみを止めてもらうにはと考えて、皮膚の痒みをおさえるくすりにしたら、なかなか効いている感じがします。
よく見ると成分はただの第一世代系のようなんですけど。

で、いつも買うのがたまたま置いてないお店で、仕方なしで買ったレスタミンというお薬の錠剤を試したら、あれやばいですね。
人生で初めて、薬の作用で明確に眠気を感じました。
もう何もできないくらいの眠気があり、身体が重くなり、ああ薬って怖いんだなと思いました。
マジかよと思って検索してみたらODの話ばかり出てきて、そりゃ春だものって思いました。
各位におかれましては、くれぐれも用法容量を守って正しくお使いください。

◾️春といえば
「ナニワのはっつぁん」の2巻が遂に出ましたね。


裏表紙に、錚々たる面々からコメントが寄せられていますが、ぼくも端くれながら錚々たるコメントを出させていただきました。

本当にひどい内容で、春くんの優しい人柄は実は仮の姿で、本質的には異常人格なんじゃないかと疑いたくなるレベルでひどいです。
しかもさ、例えば『グリーン・インフェルノ』とか『ムカデ人間』とかのように、悪趣味が過ぎてコメディに昇華されているようなものとはまた違って、コメディとして作られているにもかかわらず悪意と独断と偏見に満ち満ちていて笑っていいのかわからない、という状態に読者を置き去りにしていくスタイル。
でも、ウソだろ?と思いながら、なんでこんなこと思い付くの??と不審に思いながら、なぜか全部読んでしまう自分がいるという。

で、今回の2巻に関しては、最後にそれが思わぬかたちで、ポジティブなリアルさに帰結するという、わざとやってるなら天才としか形容できない読了感がありました。

これは、清潔感や可愛らしさや優しさや技術やプロップスといった、大衆に受け入れられる99%のものを持っていた『100日後に死ぬワニ』が持っていなかった1%の何かが、『ナニワのはっつぁん』にはあるということだとぼくは思います。

その代わり、『100日後に死ぬワニ』にあった99%はひとっっつも無いです。

オススメです。

◾️ワインの話
縁あって、昨年と今年とそこそこお値段のする、ちゃんとしたフランス料理を食べる機会がありまして。
食べることに対してコンプレックスすら持っているぼくですら、あ、おいしいものって本当においしいんだな、ということが解りました。

特に、ワインって某高級サイゼリアとか某高級わたみんちで誰かが飲んでるやつをちょっともらっては、ぶどうの皮の味がします、としか思えなかったほどリテラシーがなく、シャンパンのような炭酸が入ったものなら美味しいなと感じるくらいだったんですが、ぼくはフランス料理やさんの人に「お好みはありますか?」と訊かれて、「えっと甘いやつで。。」と言いたい気持ちを抑え、「すみません、ぼくはスラム街出身で、こういったものが全くわからないので、お任せします」と正直にお伝えしました。
プークスクス、てなるかなと思ったら、料理やさんはニッコリ笑顔で「承知しました」と言ってくれました。

ほどなくして、「お待たせいたしました。こちらは&_adjgdwp&?kgwdat5689でございます」と、赤ワインを出してくれました。

ちょっと聞き取れなかったけど、飲んでみたら、あれ、おいしい!!と思いました。
あれよあれよと飲んで酔っ払ってしまったんだけど、酔い方もとても心地よくて、酔いが抜けたあとも頭痛くなったり気分悪くなったりせず、ちゃんとしたものってちゃんとしてるんだなと感心というか、もはや感動しました。

言うてぼくは、ワインを克服したんじゃないかと思い、高級業務スーパーでとりあえず1200円くらいの高級ワインと100均のワイングラスを買って飲んでみました。

おいしいぶどうの皮の味がしますね。

でも前より飲める感じになったというか、あの本当においしいワインのイメージに繋がる感じにはなるのと、ちょっとぼくみたいのが赤ワインとか飲んでたらキザさと中二病さがいい感じなんじゃないかなと思うので、これから色々試してみようかなと思っています。

わからないなりに調べたり訊いたりする限り、どうやらフルボディーという割と濃ゆい感じのやつが好きみたいです。

◾️質問コーナー

ぼくは多分超迷いつつ、なんだかんだゼーレ的な補完を選ぶと思います。

なんだかんだ、誰かの不幸と、最大多数の最大幸福は釣り合わない気がしていて、だったら誰も傷つかない世界のほうを望みます。

ただ、あれはフィクションであって実際にはあんなことは起こらないので、ちゃんと誰かの幸せに貢献しながら、自分の幸せと秤にかけながら丁寧に過ごしたいと思っています。


めっっっちゃ負けず嫌いです。
病的と言っていいレベル。
なので、勝てない分野では勝負に乗らないという選択肢をとって生きてきたなと思います。
ギターに挫折してベーシストになったのも、そのへんの性質が影響しているなと思います。

ただ、それでも好きで続けてきて、結果自分にしかできないスタイルみたいなものが見えてきたりはしたので、結果オーライかなと思います。
そこには自信があるし、誰にも負けないと思っているので、お金を頂いてステージに立てています。

技術で勝てずとも、ぼくが思うベーシスト的なかっこよさというか、ロック少年だった自分が憧れるであろうスタイルに関しては、絶対誰にも負けないです。


具体的にどんなことを指すのかいまいちわからないのが正直なところですが、何のためにそれをするのかが大事だと思います。

おそらく、ここでいう殻とは、習慣とかこだわりとか、生きてきた中で自然に身についていった「こうあるべき」という想いみたいなものなんじゃないかとお察しします。
その場合、必要があって身についたことのはずなので、無理に捨てる必要もないんじゃないかと思います。

でも、今後の自分の幸福に対して、過去から錬成された習慣やこだわりが邪魔だと思うなら、なぜ邪魔だと感じるのかをしっかり考えて具体化してみるのがよろしいかと思います。
そうすると、実は邪魔なのは習慣やこだわりではなく別の、もっと容易く捨てられる何かかもしれません。
もしくは、習慣やこだわりが下らなく思えてきて、事前と捨てる気持ちになったりするのではないでしょうか。

逆に、そうでなければ、「殻を破りたい」という字面の表面的なオシャレ感に惹かれて、手段が目的化してしまっているだけだと思うので、何も変えなくてよろしいのでは、と思います。


カーチャンのクローンも、人を見下した態度の女性もイヤなので、どっちも嫌だなというのが正直なところです。
また、14歳と666才では流石に歳が離れすぎなので、ちょっとそういう気も起こらないです。

それでいうと、トウジの妹さんとか委員長とか、あのへんの普通に優しい女性が好きだなと思います。

シンジくんの立場だったら、マリを選ぶのは、ぼくとしては超納得です。
なんて都合のいい相手なんだろうと思います。
でも物言いというか、セリフ回しのクサみがあまりにきつかったりするのはウーンと思うし、造形がもうメガネ巨乳とか、その手には乗らねえよ!!とか思ってしまいます。

消去法でいくとリツコさんしか残らないんですが、ちょっと蓮舫議員とかに見えちゃってウーンなので、ぼくはエヴァを卒業して現実を生きようと思います。

殻を破る話と、根底は一緒だと思います。

そして、ヒトってみんな基本的にはコミュ障なんじゃないかと思います。
たまにいる、コミュニケーションが得意な人(もしくは得意だと思い込んでる人)が、どちらかというと超珍しいだけで、それこそエヴァでいうATフィールドがある限り、ヒトとヒトの間にスムーズなコミュニケーションなんてそうそう生まれないもんなんじゃないかと思います。

ヒト以外の動物って、基本的には言語を持たないじゃないですか。
鳴き声とか、視覚情報とか、そんな簡単な情報だけでも繁殖できるわけです。
でもヒトは、言葉や表情という、複雑で効率の悪い方法を用いないとコミュニケーション自体がとれなかったりするわけで。
それってコミュ障ですよね。
なので、「どうしてうまく言えないんだろう」とか、うまく言えるほうが非凡だし、「どうして伝わらないんだろう」とか、伝わるはずがないですし、「何考えてんだこいつ」とか、もはや超普通なんじゃないでしょうか。
それでもどうにかこうにか社会で生きるほかない人が大半だと思うので、最低限相手に持てるリスペクトだけ、なるべく忘れないように意識していれば、どうにかこうにかしばらくは生きられるんじゃないかなと思います。

あとは、そんな社会の中で自分をコミュ障だと自認する人は、「相手に迷惑なんじゃないか」とか「嫌な思いをさせてるんじゃないか」とかってことに過敏になってるケースが多いと思います。
そもそも、あなたも相手から嫌な思いをさせられることっであるでしょうし、迷惑に感じることもあると思います。
ちょっとくらいディスコミュニケーションがあったとして、めったに死ぬわけでもないし、基本的にはそれで良いんじゃないでしょうか。

そうして、相手のことを許せるようになったら、自分のことも少しだけ許せるようになってきて、いつのまにか笑って話ができていたりするんじゃないかな、なんて思います。

どう頑張っても笑って話そうと思わない相手なら、無理にコミュニケーションせず、失礼にならないようにしつつニコニコしながらそっと離れていけばいいと思います。

いい大人がわざわざダメと言うのは普通じゃないというか、普通どうこうよりダサい感じがしますけど、ぼくも付き合ってる相手がもし異性愛者で、異性とLINEしてたら結構イヤ派な気がします。
ダメとはいわなくとも、見えるとこでやらないでほしいとは思うでしょうね。

以上でございます。
おやすみなさい⭐