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君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

いそいでサクサク書くブログ!


◾️冬季うつに注意

最近ちょっと気持ちが落ち込んでるなと思ってたんですが、調べたら10月からもう冬季うつが始まるそうです。

ビタミンDのサプリメントを買いに行こう行こうと思って忘れて寝てしまうんだけど、明日買うからな!絶対だ!


◾️ワクチンいてえじゃねえか

ワクチン1回目を打たれてきました。

めちゃくちゃ痛えじゃねえかアレ!!ふざけんな!!しかも37.2°くらいの微熱も出たし、絆創膏剥がしたらなかなか血い出てたし、2回目がもうイヤになってしまいました。

冥界の組織から打てと言われているので、大人だからイヤでもやらねばならないと思うし、まあやらないで後悔するよりはやって死んだほうが少しマシかなと思うのでやるんですけど、ですけどさあ!!!!というのがぼくの気持ちです。


◾️ヒトは動物だのに

結構思う機会が多いんですが、ヒトと動物って区別されるけど、基本的には動物だと思うんですよぼくは。

だから、実はそれこそ「気持ち」とか「思想」を動機に動いているように見えて、実はゾウとかサルとかと大して変わらない行動原理で動いてたりするよなあと感じます。

で、動物とは違う!!と思い込んでるので、自分の行動をもっともらしく言葉で説明しようとしちゃうし、できちゃうから、尚更に動物性を認識できなくなってしまいますよね。

そこでいうと、喋る動物ってだけだと思います。

しかし、しかしだ、唯一動物と違うのは、「自分も相手も動物である」と認識することはできる点だと思うんです。

そこを認識してるヒトがもっと増えてほしいとぼくは思います。

たぶんそれが社会の幸福度を上げるはずだと思います。


また、動物とロボットが真反対の存在だとイメージする方が多いと思うんですが、ぼくは変わらないと思います。

どちらも、ある目的に対してプログラムされていて、プログラムに従って生き、処理しきれないとフリーズしたり、想定外が起きるとバグったりする点で、組成が違うだけで本質は変わらないと考えています。

しかし、ヒトだけが違うハズなのは、自分もその一部だと認識することができるところだと思います。


ヒトが人間であるためには、なんかそういうところを事あるごとに振り返ってみることが大切なんじゃないかと思うんです。


◾️地震こわね!

ここまで書いてたら大きな地震がありましたね。

さすかにびっくりしてしまいましたが、何気にちょっと前から防災リュックを用意してあります。

『サバイバル家族』という映画を観て、最悪どうにかこの状態でも生きてえ、、、と思ってつくりました。

最悪を想定したらめちゃくちゃ重くなってしまったので、背負って逃げるにはリスキーなシロモノだなと今回で気づいたのですが、それでも無いよりある方がマシだと思います。

新種のウィルスも怖いのだけど、地震雷火事嵐にはワクチンも治療薬も無く、否応なしにどうにもこうにも、となり得るものだと思うので、どうかまた笑ってハイタッチできるよう、身を守る備えを皆様よろしくお願いします。


どうかご無事で!!!!





こんばんは、るっしです。


お悩み質問どんと来い!


◾️真似されるのがイヤ問題

久々にがっつりしたお悩みを頂いてうれしいです。


お悩みの内容は「SNSで文体や絵文字を真似されるのがイヤすぎて何も言えなくなってしまう」というものでした。

もっときめ細やかにお悩みの状況をご説明頂いていたのですが、プライバシーの問題もあると思うので、概要だけ書かせていただきました。


【超長い回答】

これは非常に難問でした。

なぜなら、ぼくは真似されることがあんまりイヤじゃないからです。

むしろ光栄だとすら思います。


ただ、自分があまり高く評価していないような人やモノと、自分や自分が作ったモノとを、誰かから同一視される、というのは誤解されている気がしてしまってイヤだったりはします。

おそらく「真似されるのがイヤ」という感覚は、それと同じ原因に根差すものなんじゃないかなと考えました。


かつて、激しいヴィジュアル系差別があった中で、脱ヴィジュアル系をするバンドも少なくなかったのですが、それも基本的には同じ心理によるものなんじゃないかなと推察します。


例えば当時「ヴィジュアル系は皆ヘタクソだ説」ってあったんですけど、それは事実ではなくて、めちゃくちゃヘタクソもいるけど、めちゃくちゃ上手い人もいる、というだけの話です。

逆に、ヴィジュアル系じゃなくてもヘタクソな人は居るし、めちゃくちゃ上手い人もいます。

だけど、「あいつらは演奏がヘタ」とか「音楽を解ってない」とか「化粧で女の子からキャーキャー言われてるのは邪道」みたいな、根も葉もないヴィジュアル系差別が横行するにつれ、「一緒にされてたまるか」と思った方々は、ヴィジュアル系にカテゴライズされることを嫌って、カジュアルダウンしたり、明確にヴィジュアル系に批判的な発言をしたり、というのを目にするのが増えていった時代が、かつて確かにあったと思います。


話はそれますが、ぼくらより少し先輩の世代以降は、V系がある種の被差別的な立ち位置にあることを解っていながら、それも含めて好きでやってたりする人が多い気がします。

少なくともぼくは、V系への差別偏見?上等だよコノヤロー的な気持ちがあります。


それは置いといて、実はそうした「一緒にしないでくれ」現象は、何もV系に限ったことではなく、青春パンクブームのときも、同じ頃に『NANA』の流行があったことも含めて、似たような現象が起きました。

今はあまり聞かなくなりましたが「ファッションパンク」という言葉があって、「ファッションだけパンク風だけど、聴く音楽やライフスタイルや精神性はまるでパンクじゃないニセモノ野郎」を揶揄する言葉でした。


青春パンクに関して、その火付け役のひとつでもあるガガガSPさんがこんなことを歌っています。

オラぁいちぬけた

この歌は、青春パンクブームについての割とストレートな批判だと言われていたりします。

確かにそうとれますね。というかそうとしか思えない。


当時まさしく思春期だったぼくは、例に漏れずヴィジュアル系も青春パンクも嫌いだと言い張っておりました。


というのも、小学生のときに「自分はロックが好きだ」と気づいてから、ぼくは割と真面目にロックについて"お勉強"したんですよね。

ネットはそこまで普及していない時代だったので、「バンドやろうぜ」にあるレコードガイドとか系譜図とかを真面目に読んで、定番だったり伝説だったり、つまり「これを聴いてない奴にロックは語れない」的な作品は、聴ける限り聴きました。

お金なんて全く持ってないので、毎週市立図書館で上限の5枚を厳選して借りたり、ギター屋さんのおっちゃんに借りたり、叔父さんの部屋にあったレコードを拝借したり、ロックが好きな友達と貸し借りしたり、とにかく片っ端から聴き、それがロックのサブジャンルの中で何にカテゴライズされているのか、とかを気にしていました。

ライナーノーツなんかもとりあえず読みました。


そのため、当時で既にレジェンド化してた60年代〜80年代の英米ロックを中心に聴いたんですけど、大半全然良くないんですよ。

正直、ストーンズよりレッドツェッペリンよりアイアンメイデンより、リンプビズキットとディルアングレイとモンゴル800のほうが音楽としては100万倍好きでしたよ。

でも、当時それらを聴いていたのは、ロックを語りたい人たちじゃなくて、ただその音楽が単に「良いじゃん!」と感じた人たち、つまり当時のぼくから見て「大衆」たちだったわけです。

でもぼくは、大衆に属したくなかった。

なぜならロックだから、と思っていたけど、本当は、時代に迎合したら自分が特別な存在ではないことを知ることになりそうで怖かったんだと思います。


そして、そんな脅迫観念に囚われながら、「大衆」という、居もしない仮想の巨大な敵と闘いつつ、毎日レッドツェッペリンを聴いたんです。

そしたら、いつのまにかレッドツェッペリンが好きになってる自分がいました。

気づいたら、彼らのファーストアルバムのバンドスコアを手に入れて、ジミー・ペイジと同じレスポールシェイプのエレキギターで、グッドタイムスバッドタイムスやコミュニケーションブレイクダウンを練習してる自分がいました。

(このあたりが、神聖かまってちゃんの『ロックンロールは鳴り止まないっ』がぼくにとってリアルに響く直接の理由だと思います。)

ちなみに、未だに弾けません。


そんな苦渋を舐めながらもぼくは、少しずつロックを理解していっているな自分!と感じていました。

ギター屋さんで知り合ったオッサンに「へえ!若いのによく知ってるねえ!」とか言われるのがめちゃくちゃ嬉しかった。


そしてぼくは、ロック史の中でも、パンク(というよりセックス・ピストルズ)に思い入れを抱くようになり、パンクというのが単なる音楽ジャンルではなく、カルチャーなのだということを"学習"していきました。


ここまででも、ラルクを聴いて「ぼくはロックが好きかもしれない」と思ってから5年くらい経ってるわけてす。

子供にとって5年て永遠のような時間ですよ。

子供なりにすごい頑張ってたと思います。


そんなところにですよ、まるでそんな努力をしていないくせに、ロックだのパンクだのを語る奴がいたらめちゃくちゃ腹立つじゃないですか。

なんで腹が立つかって、「ロックを語っても恥ずかしくない人間になる」ために「勉強」や「学習」を頑張ったのに、それをしていない奴がロックなんたるかを語り始めてしまったら、自分の頑張りを否定されたような気持ちになってしまうんです。


もっと簡単に例えると、車の免許をめちゃくちゃ頑張ってお金払って取得した翌日に「今日から我が国では免許制度を廃止します」とか発表されて、自動車が全て自動運転になって、免許証をもってない人でも自由に車で移動できるようになったら、とても悔しいと思うんです。

あんなに頑張ったのに!と思いますよね。

それと同じだと思います。

もしくは、よく特定の作品とかのファン同士で「新規なのにすみません」「ファン歴浅いのにすみません」みたいな文化ってあると思うんですけど、それって、「好きでいることを長い間頑張ってきた人」への気遣いなんだと思うんです。


だから「ムーブメント」にはその問題がつきもので、マイノリティーだったものがブームになってマジョリティの知るところになると、「俺はブームに乗ってるだけじゃねえ!」という気持ちになるわけです。


何でもそうです。「ラップメタル」もそうだったし、「電車男〜萌えブームとアキバ系」も、スターウォーズも、ガンダムも、エヴァも、なんだかんだ大なり小なりそういうのありましたよね。


「真似されるとイヤ」も、根源的にはおそらくそれと同じで、とある表現をするまでにめちゃくちゃ頑張ってやったのに、頑張りもせずに真似されてしまうと、自分が頑張った事実を否定されてしまう恐怖や怒り、もしくは共感性羞恥がはたらいて、嫌悪感に結実するんじゃないかなと、ぼくは考えました。


さらにこれは、これまたヒトが社会性を身につけていった過程で、「ラクして得する奴は群れの不利益になる可能性があるから憎む」という機能がプログラムされてったんじゃないかなと思います。

狩りに参加しないくせに、いや〜今日も大変だったわ〜みたいな顔してマンモスにありつく原人を想像してください。

殺されるでしょう。


じゃあなぜ、ぼくは真似されることがイヤじゃないのかというと、真似されたとしても実質的にはダメージがないとを感じているからなのかな、と思います。

もっといえば、真似されたからといってぼくの価値が下がるほど、ぼくの社会的な価値ってそもそも高くないと思うんです。

そして、ぼくの真似をした人がいたとしても、本質的には同じものにはならない、というある種の自信もあります。


なんでもそうなんですけど、例えば「たまごっち」でも「iMac」でも、類似品やコピー商品が世の中に溢れ返った時代があったんですけど、そのせいで元ネタのブランド価値が下がったかというと、そんなことなかったと思うんですよね。

知的財産権とか著作権とかは別の問題として、ニセモノがホンモノの価値を下げることって、そんなにないと思うんです。


なんなら、セックス・ピストルズですらニューヨークドールズの模倣品だったわけですし、ロンドンパンクムーブメントは基本的にセックス・ピストルズの模倣ブームだったわけです。

日本でも、BOØWYにせよLUNA SEAにせよ、模倣品なんていくらでもあったと思います。

じゃあ、彼らを意識してマーケティングされたバンドさんたちが、元ネタに何か損害を与えてたかっていうと、厳密には何かしらあるのかもしれないし、本人たちはイヤだったかもしれないけど、傍目から見たらノーダメージだと思ってしまいます。

むしろ、社会現象とよばれるようはことは、特定のものへの模範が流行することが含まれているように感じます。


なんなら、THE NOSTRADAMNZを模倣したバンドさんが現れたら、ぼくはめちゃくちゃ嬉しいです。

だし、この文章をここまで読んでくれるような皆様からしたら、仮に模倣ルシファー様が現れたとしても、ぼくのこと嫌いになったりはしないと思うんです。


元来ぼくはパロディやオマージュが大好き派なので、される側になったら幸せこの上ないですね。

だから、ほかのクリエイターさんはそうじゃないかもしれないです。


以上を踏まえまして、「真似されるのがイヤ」という気持ちについては、まず「真似されるということは、高く評価されているから」ということを認識するのが良いのではないでしょうか。

そして、「真似されたからといって自分に本当に実害があるわけではない」と考えると、だいぶラクにはなるんじゃないかな、とぼくは思います。


例外として、バカにする目的で行われるモノマネ、であれば、それはまた別の問題です。

やられる側が笑えないような内容でバカにするようなことを本人の目の前でやるような奴は、単なるろくでなしなので、そっと関わらないのがよろしいかと思います。


厳しくいえば、あなたが普通に暮らしている人で、自分がクリエイトしたものが直接食い扶持になる立場にいるため、知的財産権や著作権を侵害されると甚大な経済的損失を被って明日生きることに不安が生じる、みたいなことでなければ、気にする必要はないと思います。

つまりアレですね、よく田舎のヤンキーが、大量に売られている既製品を着てるくせに、同じ服を着た後輩とかがいると「はァ?オメそれオレのパクりじぇねーけよぶっきょろっゾ!!」とか言って怒ってるのと同じにならないように気をつけたほうがいいですよ、という話です。


以上です。

お役に立てたら良いけど、全然だったらすみません。音楽で返します。


こんばんは、るっしです。

つれづれなるままに。


◾️主催きまりました。

知る人ぞ知る、伝説の金曜日メンツです。

なんとかどうにか時勢が許すようになってほしいなと願うばかりです。

否、時勢が許すかどうかのまえにちゃんとしたモンを作らないといけないと思って日々奮闘しております。

新しい曲が既にEP一枚分くらいできてしまっていて、本当に自分は天才なんだなあとも思うのですが、2人体制だからこその自由さと不自由さの狭間で揺れて揺れて今心がってテンションです。

ただ、何も信じられないわけじゃない。

信じるものは夢じゃなく、湧き上がる血の匂いだけです。


含めて、普通に痛いのがイヤでワクチン打ちたくなかったんですが、万が一があって死ぬよりは対策して死んだほうがマシだと思い詰め、仕方がないのでワクチン予約をしようとしてるんですが、666才はまだ予約自体ができないのでソワソワしちゃいますね。

噂によると身体が5G対応になるらしいので、それはちょっと楽しみにしています。


兎にも角にも、11/12の金曜日を無事に迎え、全員の心を射抜くという意味で、誰一人無事では帰さないことを目下の目標としております。


◾️シン・ざわざわ森のがんこちゃん

NHK教育、今でいうEテレで放映されていた人形劇『ざわざわ森のがんこちゃん』が、地味にリニューアルして今NHKのサイトで視聴できます。


公式配信サイトはこちら

ぼくが子供の頃もやってて、面白いは面白かったと思うんですが、シンがんこちゃんになってからは作劇のクオリティーが格段に上がっており、ここ半年くらいめちゃくちゃどハマりしています。


↑これはぼくが勝手に作ったファンアートです。


言わずもがな『のびのびノンちゃん』や『あつまれじゃんけんぽん』の系譜にある道徳番組なんですが、おそらく東日本大震災を経由したことや、SNS時代を迎えて人々の細かい個々の問題がクローズアップしやすい時代になったからか、題材への切り込み方が変わったなと思うんです。

特に思うのが、「全員が本質的に善き人」であること。

例えば、ワニのバンバンくんって昔はもっとジャイアン的で横暴なキャラクターだった印象なんですが、今は粗野な雰囲気は引き継いでいるものの、めっちゃ良い子になってると思います。

つまり単なるステレオタイプではなく、キャラクターにより独立した人格みたいなものが付与されているように感じることです。


つらいのが、みんな良い子なんだけど、ちょっとしたコミュニケーションのあやだったり、ちょっとした配慮の欠如だったり、いっときの些細なワガママなどでトラブルが起きちゃうんですよね。

しかも、その動機がめちゃくちゃわかるようなものばっかり。大人の方だったら、過去の後悔とか懺悔心を刺激されるエピソードも多いと思います。

含めて、実社会でのあるあるばかりです。


それを、非常に清らかに解決するんですよね。

端的なところでは、心から「ごめんね!」と謝り、心から「いいよ!」と許す関係とか。

なんかそれが、めっちゃ簡単なことのようで、現実ではすごく難しいことに、ぼくは涙腺を刺激されてしまいます。


「ごめんね」「いいよ」のやりとりは、大人でも子供でも多くの場合、ただのオマジナイになってしまっているように思います。

そして、どちらかというと謝罪という儀式自体をするかしないかにウエイトが置かれていて、何が起きたのかの分析や、誰に対するどういう意味の謝罪なのかはボンヤリしてんなーという印象をもつことが多いです。


そして、謝罪よりも「許す」ことの難しさたるや、とも思います。

実は、現実世界は許されない罪にあふれてると思います。

許しが困難すぎるため、その妥協点として、罰というものがあるようにさえ思います。

それって、ヒトが社会性を獲得するうえで手にした鎖のようなものというか、社会という作用の、当然の反作用として罰があるんじゃないでしょうか。

だから、神はヒトを許すんでしょうね。

許しとは、本来はヒトにはできない、神業なんだと思います。

ヒトはヒトを許せないから、ヒトは懺悔すれば許してくれる存在として神や仏を作り出したのかもしれないですね。


でも、がんこちゃんたちは清らかに許すんですよ。

ごめんね、といったら、ううん、わたしもごめんね!といってまた笑い合える。

清らかに関係を修復できるんです。

なんか、そういう人形たちの姿に、非常に心を洗われるというか、なんて簡単なことをぼくらはできないでいるんだろうと思います。


取り扱ってる問題も、SNSの問題とか薬物の問題とか、大人でも取り扱いが難しいところにも斬り込んできているし、何より1話1話が短いので忙しいあなたでもサクッと観られると思います。

もちろん子供向けなので、中にはまあ安易な着地だな、、、と思うものもあるっちゃあるんですけど、差し引いてもめちゃくちゃオススメです。


あと何気にディストピア世界という設定もポイント高いです。


◾️ディストピアって今さ!!

諸々の動画配信サイトで観られる、カナダの海外ドラマがヤバいです。

アウトブレイク


同名の有名な映画もあって、そっちもウイルスパニックもので面白いんですけど、リアルさでいうとこっちがマジで笑えないレベルで現実っぽいです。

パンデミックものって、天然痘とかエボラとか、あっても新型インフルエンザがフィーチャーされやすいと思うんですが、これは奇しくもコロナウイルスを描いています。


現実の新型コロナ騒動の直前にカナダで放映されてたらしいんですけど、ほぼまるっきり今じゃん!!て感じが凄いです。

あと面白いのが、最前線の医師や政治家やマスコミが、それぞれの立場で普通に感情や家庭のある人間だということが描かれているところです。

シンゴジラとは真逆な感じの描き方ながらも、ああ〜まあそうなっちゃうよなあ、、、みたいなリアルさがあります。

と、ミニマムなハラハラ展開みたいなところも見所だと思います。


あと、知らなかったカナダの社会みたいなところも垣間見えた気がします。

このドラマ、フランス語で紡がれるんですが、ぼくはカナダっててっきり英語しか喋らないんだと思ってたんですけど、フランス語も同じくらい一般的なんだそうです。

多分日本でいう関西弁くらいのノリでフランス語が話されてるっぽいです。わかんないけど。

調べたら、おかしの包装とかも、英語サイドとフランス語サイドがあるんだとか。

フランス語優勢の地域ではフランス語サイドを上に陳列し、英語地域ではひっくり返して陳列されたりするんだそうですよ。


もう一つ全く知らなかったのが、イヌイットの問題ですね。

劇中、ホームレスがやたらアジア系ばかりだなと思ったら、イヌイットたちが被差別的な立場にいたりするんですよ。

イヌイットって日本人と祖先が近いらしくて、日本人が見るとなんか親近感湧くんじゃないかと思います。

どうしても、アメリカらへんの差別問題って黒人とか、あってもインディアンとかを連想しがちだと思うんですけど、日本人からしても対岸の火事じゃないんだよなあ、とか改めて思いました。


そういえば、妹ファーが旦那の仕事の都合でカナダにしばらく住んでたんですけど、レストランでウェイターから露骨に嫌な態度を取られたりとかは地域によって普通にあったみたいです。

悲しいことですね。


できることは、生まれたところや皮膚や眼の色で相手を判断してしまわないことと、それでも自分の中にある偏見を意識して補正した振る舞いを心がけつづけることと、手洗いうがいの励行と、ワクチンを打つ場合は痛いのを我慢することくらいなんでしょうかね。

ぼくは、いよいよ現実となったこのディストピア世界でも、それくらいはしようかなと思っています。


◾️質問コーナー

お題として「真似されるのがイヤ問題」を頂いているのですが、なかなか建設的な答えが出なくて

もう暫しお時間を頂きそうです。


その他のもう少しライトな質問にいくつかお応えします。

ずっと側にいたいなら、我慢したりスルーしたりしながら受け入れていくか、直してもらうほかないと思います。

質問者様は直してほしいと思ってらっしゃるんだと思いますが、必ずしもきっぱりと言う必要は無いんじゃないかなと思います。

何故か、人を自分の思う通りにしたいと思うとき、且つそれが相手にとって受け入れ難いものだろうなと予測できるとき、攻撃的なものの言い方をしなきゃいけないように思うことってありますよね。


ぼくは、攻撃的な言い方で言われるの意地でも変えたくなくなるというか、攻撃には屈しないぞ!とか思ってしまいます。

だから、きっと相手もそうだろうなと考えます。


なので、きっぱり言う!とかじゃなく、そっと誘導するっていう手段をとります。

相手の言動や振る舞いを良くないと思ったら、やんわりと、それよりはこうした方があなたにとって得だと思うな、みたいなことを普段からチョンチョンと言ってみたりすると、すごい時間はかかるけど変わってきたりするんですよね。

あと、褒めること。


めっちゃ時間かかるんですけど、その時間が勿体無いと思う相手だとすると、人生は有限なのでその相手とは別れたほうが有益かもしれないですね。


ないと思います。

そもそも根性が具体的にどんなもんなのかよく存じ上げません。


嫌いですね。

みんな甘やかしすぎなんですよ奴を。

ざわざわ森だったら生きていけねえよあいつは。


おそらく、大真面目にそれも割とあるんじゃないかと思います。

えんどうさんはぼくとかみむらくんに手料理を振る舞ってくれるし、かみむらくんもぼくとえんどうさんに手料理を振る舞ってくれます。

でも、ぼくは何も振る舞いません。なぜならできないしやりたくないからです。

2人がバーベキューの準備をしてるとき、ぼくは涼しい部屋でウシジマくんを読みながらタバコを吸ってました。

本当に申し訳ございませんでした。


1人だったら家で過ごしたいかもしれません。
そもそも旅って、移動すること自体が目的だったりすると思うので、その場合は誰か感想を共有できる、そこそこ気の合う相手がいないとしんどい気がします。
何かを目的に1人で移動するとか、1人で何か観に行くとかは好きです。
でいうと、クラブとかライブハウスへ行って1人で好きな音楽を観聴きしたいですね。

ウルトラマングレートさんです。


しゃ言えないですね。

言える範囲だと、そこそこ酔っ払うまでアルコールを摂取して、そのままタバコを思いっきり吸うと気持ち良くなって、幸せを感じます。

あと何の不安もなくめっちゃ思いっきり寝るときです。

あと、寒いときに暖かいストーブであったまってきたときとか。

あとやっぱり、ライブやってみんな楽しそうで、自分たちでも今日おれたちかっこよかったよな!てなってるときです。


以上でござる!!!!おやすみなさい!!!!