こんばんは、Lucifer the lucci Nemoto a.k.a kouheiskywalkerです。
つれづれなるままに。
⬛︎夏だがや
今日、唐突に「ねもとさんて本当に夏が似合わないですね」と言われてしまいました。
割と一年で最も暑い時期に産んでいただいたんですが、パーソナルカラーがウィンターなので似合わないんでしょうかね。
南国沖縄まで修学旅行に出向いた17才の頃、「日に焼けたくないから、、」と言って海に行かなかったのは有名なエピソードですが、真冬と真夏どちらか選べと言われたら夏のほうが好きです。
これ17才のときですね、夏っぽい少年じゃないか。
早くもあれから649年経つわけですが、夏の風物詩としてクラッシュオブモードがあるのっていいなと思いますね。
多かれ少なかれ近しいバックグラウンドをもった、ヴィジュアル系と呼ばれるシーンのひとたちが、規模も形態も様々に集まってみんなで演奏をするって、ふと考えるとすごいことだよなーと思ったりします。
今の、その中にぼくもあなたも生きて参加しているということが尊いと思うんです。
いつ何が起きてもおかしくないなと思う昨今ですが、ステージで皆様に対峙する瞬間、楽屋でメンバーらと笑い合う瞬間、配信で時を跨いで音楽が届く瞬間、それらひとつひとつが今起こったことであり、この先何があろうと我々が生きた時間のひとかけらであることは動きようのない真実です。
昨日もそう思ったし、次回もその次もそう思うので、あなたも同じことを思ってくれたらすこし幸せが増える感じがします。
⬛︎続・平成イズデッド
先日猛烈に長々とこんな記事を書いたのは記憶に新しいのですが、
そのうえでX JAPANとキングギドラがシングルを出したので、なんか胸アツ感がありますね。
どちらも、ぼくはとても良いと思いました。
どちらも、「らしさ」と言うと語弊があるかもしれないけれど、軸とベクトルは平成の頃からブレてなくて、それでいてしっかり時を経た分の進化を感じました。
それはギドラは「真実の〜」シリーズが過去からあるのもそうだし、エックスが「UNFINISHED」や「Forever Love」を彷彿とさせる質感だったりもそうなんだけど、でも単なる焼き直しでは決してない感じも、それこそ庵野監督のシンシリーズ的な感触があると思います。
いうて二組とも2000年代にもテン年代にも動きはあったのだけど、今回は双方ともに、思春期の頃に感じたものに近いくらいガツンとくる内容だったのでとても嬉しい。
ちなみにシン仮面ライダーは結局劇場では一回しか観なかったんだけど、こないだアマプラでもう一回観たらやっぱり面白かったです。
今は「君たちはどう生きるか」をやっぱり劇場で観といたほうがいいよなあ、、と思いつつなかなか腰が重い日々を過ごしています。
仕方がないのでタイトルの元ネタになった本のほうを、以前叔父からもらったまま半分くらいで挫折してたのを読み返しました。
たぶん宮崎監督の映画のほうも死ぬ前には観るので、誰にも求められなくとも勝手に感想文か感想キャスをしたいなと思ってます。
⬛︎地球ネコの話
大人の男がママー!!!!!!!!と叫ぶのは異様だなと思います。
ぼくの中でベストオブママー!!!!おじさんは、THE STALINで「Go Go スターリン」を歌っていた遠藤ミチロウさんであることは終生変わらないと思います。
思えば厚木にもあったディスクユニオンでこのEPをジャケ買いしたのも17才のときでした。
今思えば、多感な時期且つ今ほど情報へのアクセスがライトじゃなかった時代に、地元にディスクユニオンがあったのってすごいありがたいことだったんですよね。すげえ金使ったけど身になってる感じがします。
で、近年そんなベストオブママー!!!!おじさん選手権にノミネートしてきたのが、平沢進さんの「地球ネコ」です。
しかしこれは、できれば両方聴いて欲しいですが、忙しい方はこっちのバージョンで聴いてほしいです。
そう、この曲は元P-MODELの平沢進さんの楽曲ですが、NHK教育の「おかあさんといっしょ」に提供されたのが初出で、ご本人の歌唱はそのあとセルフカバーされたものなんだそうです。
この曲すごーく引っかかるというか、一聴するとわけがわからないんだけど、「地球ネコが消えちゃう なぜなの?」で泣きそうになるんですよね。
本人歌唱バージョンのマァーーーーアマァー!!!!のインパクトもさることながら、子供の素朴な感性になぞらえた聴き方がしやすいのは、おかあさんといっしょverのほうだと思います。
平沢さんの他の楽曲もそうなんですけど、「言葉にはできないけど気持ちがわかる」という感覚になります。
それって人智を超えた技能なので、彼のファン層がある種の信者性を帯びている方が多いのは当然だよなあと思います。
ぼくのようにこれはこういうことを言いたいんだよ!!みたいにあちこちでベラベラ言わないし。
「地球ネコ」と「おかあさんといっしょ」でぼくが連想するのは、「わらいねこ・ハッピネス」です。
この曲、これまた17才くらいのときに夢に出てきてからずーっとひっかかっている好きな歌です。
もっと子供の頃からテレビで観て知ってる歌だったけど、好きな歌だなと思ったのは649年くらい前でした。
わらいねこのハッピネスは、地球ネコに比べるとだいぶわかりやすい猫でして、おそらく「子供の頃は笑えたけど大人になるとくだらないと感じて何も思わなくなるような事象と、それを気まぐれに受け取ることができる子供の素朴な感性」のメタファーなんだとぼくは解釈しています。
子供が思わずイッヒうっふえっへと笑ってしまう事象を、擬人化してみせているんだと思います。
地球ネコもおそらく似た何かなんですけど、規模がもっと大きいイメージなのと、主人公(「ママ」と言って母親に問いかけている子供)に思考のベクトルと時間軸があるのを感じるんですよね。
無理矢理言葉にすると、「地球ネコ」の言い換えは「この世界の神」なんじゃないかと思います。
それはそれはきまぐれに、幸福な時間の流れも、天変地異や天災も起こす、我々を包むように存在している何かが、子供にイメージできる例えとして「大きい大きいネコ」のようだ、ということを表しているように感じます。
思考があるんだかないんだかわからないけれど、意識があるようには感じる、そういう「神の目線」に気づいた子供の言葉だと思うと、単にわけがわからない歌ではないのが分かるように思います。
しかし、素朴にそれを感じられる時期というのはとても短いのに、時間はどんどん流れてしまって、陽は傾いて夕焼けになっていきます。
夜になったら、つまりは子供の瞳から光が消えて「大人」になってしまったら、感性は閉じてしまって、地球ネコは見えなくなってしまうんです。
(ここは、笑いネコのハッピネスが大人になると見えなくなることと相同だと思います。)
だから、夜になってしまう前に、僅かに残る光を追いかけて、世界の真実を探しにいくよ、と言っているように思うのです。
それすなわち、あらゆる科学や思想や芸術を突き詰めて、遠くの国で泣いている誰かを減らすこと=より良い世界を作っていく決意なんじゃないかと思うんです。
他方ぼくは、楽曲制作をしたりライブをしたりしついるし、そもそもピーターパン症候群気味なのもあって、遠くの国で泣いている誰かをイメージすることは、同年代(660代くらい)の方々の平均とくらべれば頻度は高いほうだと思いたいんですが、じゃあその誰かのために何かしているかというと、してないこともないけど、この主人公がママに決意表明をしているテンションには到底敵わない程度だよなあと思います。
その、地球ネコが消えていくのを指を咥えて見ている情けなさが、ぼくの涙腺を刺激しているのだと思います。
なんならそんな世界は爆発して全員笑って死ねばいいという歌を毎回歌っているわけですよ。
そんな自分が嫌いではないんですけど、「地球ネコ」を聴くと、もうちょっと頑張ろうかなと思いますね。
皆さまはどう感じましたか?
是非、こんな解釈をしたよ!というお話しがあれば、勝手に誰かに話してください。
↓昨日すこし眠くなっちゃったぼく